心の病気(2)~うつ病~
■うつ病になりにくい会社
今から考えてみると、うつ病の人は周囲にたくさんいたような気がする。
たとえば、昔、働いていたベンチャー企業。コンピュータのハードの設計と製造、システムソフト、アプリケーションソフトまで手がけ、社員は100名近くいた。この会社には暗黙のルールがあって、朝の9時から夜中の12時までが”定時”、夜中の12時から朝の4時までが”残業”だった。もちろん、残業手当はゼロ。だが、社員の”心”をむしばむのは、貧乏や長時間労働だけではない。
コンピュータは、ハードにしろソフトにしろ、部品の数が多い。しかも、間違いが一つあっても動作しない。なので、設計とデバッグ(テスト&修正)には神経を使う。そして、一番タチの悪いのが、たまに誤動作するケース。日に1度のエラーでは、修正しようにも、現象をあぶりだすこともできない。こうなると、担当者の”心の鉛筆”は電動鉛筆削りにかけられたように消耗していく。
そんな状況で、徹夜が続くと、仕事どころか、人生までイヤになる。好きじゃないとやってられないねぇ~と、この会社では毎週のように送別会があった。確か最後の送別会は喫茶店だったと思う。社員が辞めるのは、茶店でお茶する感覚、というわけだ。
ところが、そんな地獄のような会社なのに、うつ病の話は聞いたことがなかった。環境があまりにひどいと、”心”が壊れる前に、会社を辞めてしまうから。いわば「ゆでガエルの法則」・・・カエルを熱湯に放り込むと、瞬間に飛び出すのに、ぬるま湯に入れてジワジワ加熱すると、そのまま死んでしまう。生物はゆっくりした変化には気づかないものなのだ。つまり、”熱湯”会社なら、反射神経で会社を辞めるのに、”ぬるい”会社なら長居してしまい、うつ病になる、というわけだ。
結局、この会社は人材の流出が止まらず、破綻してしまった。当時の日本は、コンピュータの開発(大型コンピュータを除く)は、システムハウスと呼ばれるベンチャー企業が担っていた。実際、この会社も松下電器(現パナソニック)とオムロンにOEM供給していた。大手企業が顧客だし、仕事はあるし、毎月200時間もサービス残業しているのだから、めったなことはない・・・ところが、ある日突然、消滅してしまったのである。
長男という理由で、上場企業を辞めてUターンした結果がこれかよ・・・憤懣(ふんまん)やるかたない反面、自分の中でスイッチが入るのが分かった。
「人生は何が起こるか分からない。だから、人生は生きるに値する」
それ以降、会社で部下は使っても、頼ることはなくなった。いざとなったら、自分一人でやればいい。そんな意識でサラリーマンを続けていた。すると、いつの間にか、ハード、ソフト、CG、総務・経理まで守備範囲が広がっていた。今は実務を離れているが、いざとなったら、いつでも現場に戻れる。そういう意識が、生きる上での不安を打ち消している。
「不安をのぞく最良の手は、具体的な手を打つことである」
というわけで、うつ病になりにくい会社とは「最悪の会社」のことである。思考をはさまず、反射神経で辞めるから。
■うつ病になりやすい会社
次に、入社した会社は、社員300名ほどの中堅企業だった。生産と物流のシステムメーカーで、製品のいくつかは日本のトップシェアだった。経常利益率が10%を超え、都市銀行の評価では、未上場企業では別格、ということだった。給与は県内ではトップクラスだし、経営者は有能でまれに見る人格者。当然、社内の雰囲気もいい。なんと良い会社なのだろう、と常々思っていた。
ところが・・・
管理職の一人がうつ病になった。彼とは管理職研修会で同じチームで、よく知る仲だった。一流大の卒で、実務能力も高かった。部内ではライバルはおらず、ゆくゆくは役員。人柄も良いので、職場の人間関係も良好、プレッシャーらしきものもなかった。しかも、仕事上の大きなトラブルもない。はた目には、順風満帆の人生に見えた。
ある日、彼は体調不良を理由に会社を休んだ。ところが、1週間たっても出社しない。これはおかしいというので、本人に確認すると、ストレスがたまっているという。精神疾患(心の病気)の初期段階かもしれない。大事を踏んで、1ヶ月間休むことになった。ところが、1ヶ月経っても彼は出社しなかった。
ではなぜ、彼は早々に入院しなかったのか?うつ病のような精神疾患にかかると、生命保険の加入や更新はNGだし、履歴書にも残る。それを怖れて、病院を避ける人が多かった。結局、彼の休職期間は1年にもおよんだ。その後、復職したものの、1ヶ月ほどで再び欠勤、結局、退職に追い込まれた。
どんな良い会社でも、タイミングとバランスで、誰でもうつ病になりうる。そして、良い会社ほど追い詰められることがないので、手を打つのが遅れる。先の「ゆでガエルの法則」だ。
■うつ病になりやすい仕事
ということで、「悪い会社」がうつ病になりやすいとは限らないし、その逆も真なり。では、「うつ病になりやすい仕事」というのはあるのだろうか。ほとんどの人が、自分の仕事がそうだと言い張るだろう。「となりの芝生は青い」から。ところが、開業医だけは子供に自分の跡を継がせたがる。よほど、うま味のある職業なのだろう。それはさておき、ここで、職業別に”うつ病度”をみていこう。
【経理】
以前勤務した会社の経理部門では、経理部長が胃潰瘍で手術、経理課長はうつ病で配置転換、その後を継いだ経理課長はうつ病で退職・・・
やはり、会社のお金を扱うのは神経を使う。収支を合わせるのも大変だが、資金繰りをしくじると、会社がパンクする。小さな会社では、経理部長が営業部長を飛び越えて、営業マンに直接、売掛金の回収を命じることもある。入金が遅れると、その分、支払いが遅れ、期日に間に合わなければアウト。事実上、経営は破綻する。
経理業務は、正確さが要求されるし、会社の生き死に直結している。非常な緊張を強いられるのは確かだ(特に小さい会社)。先の胃潰瘍の経理部長は、話が人生論議におよぶと、いつもこう言っていた。
「俺は、ケセラセラだからな」
※ケセラセラ:スペイン語で「なるようにしかならん」という意味。
【営業】
営業には、設計・製造のように納期もなければ、製品トラブルもない。工場から出荷される製品を、笑顔を売りさばくだけ。一見、お気軽な仕事に見えるが・・・
売るものがなんであれ、営業と名が付くだけで、過酷なノルマが課せられる。月に何個、年に何台売るべし、なのだが、その数字たるや尋常ではない(特に生保)。そもそもノルマは目標なので、達成可能な数字を会社が設定するわけがない。
時間が経ち、ノルマ達成が困難になると、営業マンたちの”心”はジリジリ締め上げられていく。万策尽きて、家族、親戚、友人に泣きつき、友だちをなくす人もいる。もちろん、ノルマが達成できなければ、ボーナス、昇級、昇進を直撃する。さらに、ノルマ未達があまり続くと、リストラ・・・
営業は、成果のすべてが”販売数”で数値化できるからコワイのだ。数字を突きつけられれば、是非もない。知人に自動車のセールスマンがいるが、1時間30分もかけて車で通勤している。近くに安いアパートはいくらでもあるのに。彼に理由を尋ねると、
「車の中で気合いを入れるんですよ。でないと、会社で心がもたない。そのための1時間30分なんです」
【ハードウェア開発】
昔、コンピュータのハード設計をやっていた頃、ある外資系のチップメーカーから声がかかった。組み込み用の8ビットCPUの設計者として採用したいという。提示された給与は卒倒するほど高かった。とはいえ、CPUの部品数はハンパじゃないし、悪夢のような”複雑さ”で、頭と神経をすり減らすのは見えていた。そして、不安は面接で的中する。デザインセンターの所長がニッコリ笑って、こう締めくくったのである。
「激しいスポーツをすると、その週に設計した記憶が飛ぶので、土日にスポーツはしないほうがいいです」
この一言で転職をやめた。
【ソフトウェア開発】
コンピュータ・ソフトウェアは、とにかく”からみ”が多い。
「プログラムの1行=処理の最小単位」
とすると、10万行を越えるプログラムはザラ。各処理の”からみ”を少なくするために、工夫はするが、複雑なことには変わりはない。
そして、プログラマーにとって最悪の状況とは・・・
プログラムが完成し、客先に納入し、1年ほど経ったある日。営業マンから、電話がかかってくる。
「○○さんの工場のラインが止まっている。ソフトにバグ(間違い)があるようだ。よくわからんので、すぐに来てくれ」
「今週末が△△の納入日なので、その後ですね。日程ですが、えーっと、スケジュールを確認して連絡します」
「おーいっ、何、のんきなこと言ってるんだ!すぐに来い。ラインが止まった分、損害賠償だぞ。いいから、課長とかわれ!」
そこで、徹夜で、車を飛ばして、現地に入るのだが・・・さて、どんなプログラムだったっけ?
1年前に書いたプログラムを思い出しながら、2日完徹(完全徹夜)、それでダメなら、たいていのプログラマーはパニクる。ここで出番となるのが、”先生”だ。時代劇で、普段は酒を喰らってブラブラしていて、手強い敵が現れたときだけ、
「せんせいっ、出番です、おねげぇーしますだ」
というやつ。時代劇に欠かせない脇役だ。
じつは、プログラマーにも、こんな”せんせい”がいる。他人が書いたどんな汚いプログラムでも、さぁ~っと理解し、バグを修正する。この”せんせい”でダメなら、あとは損害賠償しかない。担当の営業マンの青ざめた顔が脳裏をよぎる。やっぱり、営業も大変なのだ。
「なんで、技術の不始末で、営業の俺がこんな目にあわなきゃならんのだ」
ということで、”一撃のストレス”でいくと、
営業>プログラマー?
ただ、プログラマーもこんな生活が続くと、身も心もおかしくなる。ここで、会社を辞めれば助かるのだが、我慢していると、壁の向こうから悪口が聞こえてくる(幻聴)。ここまでくると、うつ病を突き抜けて、統合失調症。くわえて、見えないモノまで見えるようになったら(幻視)、もう回復はムリ。
友人の1人が、うつ病になりかけたが、すぐに入院、40日で回復した。彼は、入院中に幻聴の患者を目撃している。隣のベッドにいた学校教師なのだが、終日、自分のお腹に向かって、こうつぶやいていたという。
「おい、俺の悪口を言うんじゃない」
それを見て、ウツな気分が吹き飛んだという。笑えない話だ。
【アニメ・CG制作】
物作り現場で、”心”をボロボロにするのは、”複雑さ”と”長時間労働”だ。コンピュータ業界はどっちの条件も満たすので、最悪。3度の飯よりコンピュータが好きでないとやってられない。ところが、”長時間労働”でコンピュータ業界の上をいくのがアニメ業界。しかも、驚くほどの低賃金。よく、やってるなぁ~、が正直な感想。
最近、アニメ制作会社に仕事を出す機会が増えた。ちょっと前まで、デジタルコンテンツは、
「アニメ→3DCG」
と思い込んでいたのに。今では、3DCGに頭打ち感が漂い、逆に、2Dアニメのほうが元気がいい。さすが、ジャパニーズ・アニメ。さて、そのアニメ業界だが、いっしょに仕事をしていて、面食うことが多い。
アニメ制作会社に仕事を出す場合、開始と終了の時期が重要になる。もし、開始時期が少しでも遅れると、アニメ制作会社は確保していた人員を他の仕事に回してしまう。こっちにしてみれば、それくらい融通利かせてよ、なのだが、アニメ業界では通用しない。その結果、開始時期はさらに遅れる。
終了時期も問題だ。たいていのデジタルコンテンツは、「より良いものを」の一声で、納期を延ばすことが多い。ところが、これもアニメ業界では通用しない。アニメ制作では、案件ごとに、アニメーターをかき集め、終わると解散してしまうから。お気軽に納期延長など論外。
アニメ業界はテレビとともに歩んできた。テレビアニメは、放映される日時が決まっているので、1秒たりとも遅れは許されない。だから、期限が迫ると、
「品質なんかドーデモいいから終わらせろ」
モードになる。これは、テレビアニメ制作の宿命なのだ。
一方、今やデジタルコンテンツの雄になりつつあるパチンコ・パチスロ業界は、品質を重視する。品質を確保するためなら、1ヶ月~3ヶ月、場合によっては、1年遅らせることもある。というわけで、納得のいくアニメを作りたければ、アニメ会社ではなく、アニメに強いゲーム会社に頼め、が業界のセオリーになっている。
そして、アニメ業界の知られざる低賃金。社内にアニメーターを志半ばで諦めたデザイナーがいる。東京のアニメ制作会社で、死ぬほど書きまくって、月給2万5000円(ドルではない!)。ある日、気分が悪くなり、アパートに帰ると、ゴフッ、ゴフッとヘンな咳がでる。手を見ると、血で真っ赤。そのまま、故郷に逃げ帰ったという。
宮崎駿のスタジオジブリは知らないが、アニメ制作は1枚描いて何円の世界である。とんでもないスピードがない限り、生活は成り立たない。そんなこんなで、憧れのアニメ業界を諦めた人が周囲にたくさんいる。一方、CG業界は、待遇がかなり改善されている。賃金もアニメ業界よりはだいぶマシ。何より、そこそこの技量でも、人並みの暮らしができる。ただ、某大手電機メーカーの雑用係のおばさんが年収650万円、という事実を知れば、頭に血が上るだろうが。
というわけで、アニメ業界は、長時間労働、低賃金の代名詞となっている。ところが、うつ病の話はあまりきかない。「描くのが死ぬほど好き」な人以外は入ってこないからだろう。案外、うつ病の一番の予防は「好きな仕事をする」かももしれない。
■うつ病とは?
この世は、まさにストレス社会。うつ病はすでに日常的な病気になりつつある。長い人生、一度はかかってもおかしくはない、麻疹(はしか)みたいなもの。ところが、うつ病の定義となると、なかなか難しい。切り傷や、風邪なら、自分でも判断できるが、うつ病は専門家でも判定が難しい。だいたい、昔は、怠け病と言われ、病気扱いしてもらえなかったのだから。
うつ病の多くは、どこにでもあるような”悩み”から始まる。人間関係がうまくいかない、成績が上がらない、仕事がうまくいかない、職を失った、大切な人を失った、など。ところが、それが長く続くと、人生そのものがイヤになる。食欲はないし、夜も眠れない。あれ、今日、昼飯食ったっけ?なら、かなり危険な状態だ。すぐに、心療内科に行くべし。
一般に、”うつ”が2週間以上つづくと、うつ病を疑え、ということになっている。もちろん、それが即、うつ病というわけではない。生活に支障をきたすほど重症、という条件がつく。では、重症とは?医学書を読んでも、限りなくグレー。数値化されておらず、定量的な判断はムリ。状況証拠で判断するしかない。もっとも、自分が”うつ”なら、まともな判断など望めない。すぐに心療内科に行こう。
うつ病は、「人生は気の持ちようだ」で回復するようなものではない。仮に回復したとすれば、それはうつ病でなかったということ。また、「根性だ、ヤル気だ」と、自分にはっぱをかけるのもやめよう。症状がさらに悪化することが多い(本当にうつ病なら、100%悪化する)。
うつ病は、一生のうちで、3~7%の人が経験するといわれるが、原因は3つに分類される。
1.一過性の心理的なストレス。
2.自律神経失調症・パニック障害。
3.季節の変化、体内リズムの変調。
周囲で、一番多いのは「1」。この場合、ストレスの原因を特定し、排除すれば、回復にむかう。次に多いのが「2」。自律神経失調症・パニック障害は、手の震え、めまい、立ちくらみ、頭痛など、”体の症状”が現れる。ストレスが原因とは限らないが、こういう”体の症状”が続くと、それが原因でストレスを引き起こし、うつ病になる場合がある。
「2」と「3」の複合要因と思われるケースを、一度だけ見たことがある。傾向として、暑い季節はダメで、寒くなると症状が回復する。気候が原因の1つなのだが、主因ではない。そもそも、このケースでは、ストレスらしきものが見あたらなかった。そのため、脳の機能障害(生物学的要因)のように思えた。
■ユングの心理学
うつ病は、多くの場合、”悩み”に起因する。だが、”悩み”は悪いことばかりではない。その一例を紹介しよう。フロイトの弟子の心理学者ユングの説である。
例えば、研究者がスランプに陥ったとする。それが長く続くと、何も考えられなくなり、思考も研究も停止する。この状態では、心的エネルギーは意識世界から無意識世界へ逃げ込んでしまう。意識世界はパワーを失い、意味不明の行動になって表れることもある。そのまま終われば、この研究者の人生はそこで終わり。
ところが、自我(意識)が崩壊する一歩手前で持ちこたえていると、意識と無意識を統合した心像が現れることがある。この心像により、自我(意識)は心的エネルギーを取り戻し、以前にも増して、エネルギッシュに研究活動を開始する。このように、創造性をもたらす心像を「象徴」という。ユングは、この象徴を人間本来がもつ超越的機能と呼んで、重視した(※)。
さて、ここでユングは、
「自我が崩壊する一歩手前=”創造”への門」
と言っている。つまり、”悩み”は、うつ病への序章であるとともに、偉大な”創造”への試練だというのだ。
アニメ監督の宮崎駿氏は、あるテレビ番組でこう言っていた。
「スランプになったら気分転換は間違っている。仕事に立ち向かうべきだ」
また、野球の長嶋茂雄氏は、スランプに陥ると、猛然とバットの素振りをしたという。この2人は、ユングの仮説で成功した人たち。もちろん、これで失敗する場合もある。結局、
我慢の限界点を、手前に置くのか、遠くに置くのか・・・
行きつくところ、本人の”人生哲学”次第なのだろう。
参考文献:
(※)河合隼雄著ユング心理学入門培風館
by R.B