資本主義の崩壊(1)~予言~
■偽りの回復
星々に寿命があるように、資本主義にも終わりが来る。そのとき、人類は地球の支配者ではいられないだろう。2009年11月6日、アメリカ商務省は、10月の失業率が10.2%に達したと発表した。26年ぶりの高い水準、しかも、非農業部門の雇用者数は、22ヶ月連続で減少している。1929年の世界大恐慌に次いで悪い数値だ。ちなみに、このときのアメリカの失業率は25%だった。
一方、アメリカの7~9月期のGDPの伸び率は、5期ぶりのプラス成長で、企業の業績も回復しつつある。先の失業率と矛盾するが、これには2つ理由がある。雇用情勢は、いつもGDPや企業業績に遅れて表れること、企業が人員削減で収益を確保していること。だから、今回のような「ジョブレス・リカバリー(雇用なき回復)」は珍しいことではない。
とはいえ、国民の支持だけが頼りのオバマ政権は、追加の景気対策を打たざるをえなくなるだろう。もちろん、そうなれば、アメリカの財政赤字はさらに膨らむ。これ以上、ドルを刷れば、世界中でささやかれる「ドル暴落」も現実味をおびてくる。ただ1つ救いがあるとすれば、誰もドル暴落を望んでいないことだ。
だが、もう1つ気になることがある。金相場だ。この15年間、毎日、金相場をチェックしているが、この半年間の値動きはおかしい。これまでは、上昇後、下降局面に入ると、そのまま下がりきる、というのが常だった。ところが、最近は下がりきらない。連日、金価格が史上最高値を更新しているが、それより、こっちのほうが気になる。ひょっとして、これまでのスキームが壊れようとしているのかもしれない。一般には知られていない「金キャリー取引(金キャリートレード)」のことだ。
■金キャリー取引
金キャリー取引とは、アメリカのニューヨーク連邦銀行(連銀)が保有する金地金(Gold)を大手銀行に低金利で貸し出し、それを先物市場で空売りさせることだ。先物取引では、先に売って(空売り)、後で買うことができる。先ず売って、価格が下がったところで買えば、安く買って高く売ったことになり、儲かるわけだ。
アメリカの大手銀行やその配下の投資ファンドは、この仕組みを利用して、これまで、しこたま儲けてきた。連銀から、0.5%ほどの低金利で金地金(Gold)を借り、それを市場で売却し、ドルにかえる。そのドルを、利回りの高い商品に投資するのである。その利益が、貸し出し金利の0.5%を上回れば、黒字。ちょろいもんだ。アメリカの金融機関は、こんなインチキで稼いでいたのである。
だが、もっと腹黒いのは、これを仕組んだアメリカ政府とFRB(アメリカ中央銀行)だ。ドルと金(Gogld)は逆相関にある。ドルが上がれば金は下がり、ドルが下がれば金は上がる。ドルに限らず、通貨危機になると、安全資産として金が買われてきた。アメリカは、ドルを刷りまくった結果、莫大な財政赤字をかかえ、その分、ドルは下落傾向にある。
つまり、金キャリー取引はドル下落を防ぐためのイカサマなのである。一方、金の現物買いは増えつつあり、これは金価格の上昇圧力になっている。だからこそ、金キャリー取引で、金を売り浴びせなければならない。銀行や投資ファンドが金を売ってドルに変えれば、金は下がり、ドルは上がるからだ。ところで、もし、金キャリー取引が破綻したらどうなるのか?
一説では、金は1トロイオンス5000ドルまで上昇するという(1トロイオンス=31.1g)。現在の金価格(2009年11月7日)は1096ドルなので、その5倍!単純に考えれば、1ドル20円?これでは、日本の輸出産業は破滅する。いや、そんな心配は無用。その前に、ドルの信用は完全に失墜、基軸通貨ではなくなるから。もっとも、そうなれば、リーマン・ショックどころではない。ところで、資本主義そのものは大丈夫?
■経済学の死
資本主義の行く末を知るには、資本主義のメカニズムを読み解けばいい。メカニズムとは「構造と動作」を意味し、時間軸を含む。それゆえ、時間軸をたどれば、未来も見えてくる。ということで、したり顔の経済学は不要だ。ノーベル経済学賞に異議を唱える人たちがいる。それどころか、「経済学はすでに死んだ」という学者もいる。確かに、ニュートン力学はミスを犯さないが、経済学は失敗の連続だ。ニュートンの方程式は、100年後の惑星の位置を言い当てるが、経済学理論は明日の株価も予測できない。
2008年10月に始まった金融危機は、複雑な資本主義をささえる単純な経済学の正体を暴露した。仮面の下に見えたのは、幼稚な算術と高度な数学のパッチワーク。体系化された学問とは言い難い。資本主義のメカニズムは、地球の古い時代にもからんでいる。この時代、何を作るにも人手で、生産性は低く、慢性的なモノ不足がつづいていた。ところが、18世紀の産業革命は、人類に夢のような「人工動力」をもたらした。手工業から機械制工業へ、大量生産が始まったのである。これは歴史上最大のイノベーションであり、最終的に3つの変化をもたらした。
■産業革命が生んだもの
第1に、資本家の台頭。「人工動力」付きの機械式工場は、生産性を著しく向上させたが、そのぶん、建設にカネがかかった。町の発明家の貯金では焼け石に水、土地代にもならない。もちろん、偉大な発明家が資産家に生まれる保障もない。そんな中、台頭したのが資本家だった。彼らは、アイデアも経営能力もなかったが、カネだけはあった。その結果、経営と資本の分離が進み、近代資本主義の基礎が固まったのである。
第2に、モノ余り。人工動力のおかげで、大量生産が可能になり、モノ不足は緩和された。人々の物的欲求は満たされ、ハッピーになったが、やっかいな副産物も生まれた・・・恐慌。モノを作りすぎると、在庫が積み上がる。すると、企業は生産を減らそうと、労働者を解雇する。結果、購買力は削がれ、ますますモノが売れなくなる。そこで、企業はさらにリストラする・・・この負の連鎖が固まると恐慌が起こるのである。19世紀にも恐慌は起こったが、需要と供給のミスマッチによる単純なもので、地域も限られた。ところが、1929年、世界恐慌が発生、悪夢のような貧困が世界をのみこんだ。保護貿易が蔓延し、持たざる国は持てる国に対抗するため、植民地政策を強化した。その結果、極東アジアとヨーロッパで文明の衝突が起こり、最終的に第二次世界大戦を引き起こしたのである。
第3に、カネ余り。産業革命の後、資本家は、工場や鉄道に投資し、莫大な利益を得た。それでも、彼らはカネの使い道に困ることはなかった。蒸気機関が一息つくと、自動車革命、電気革命、コンピュータ革命と、次々とイノベーションが起こり、資本家のマネーを吸収したからである。つまり、産業に投資して得たマネーを次のイノベーションに再投資し、それがまたマネーを生む。このサイクルが続く限り、資本主義は不滅、のはずだった。
■産業資本主義から金融資本主義へ
1980年、イノベーションは突如停滞した。投資先が失われ、世界中でカネが余りだした。これを示す経済指標もある。1980年、世界の実体経済の総額(GDP)は、世界の金融資産とほぼ同額だった。ところが、2007年、金融資産はGDPの4倍にまで膨れあがる。つまり、世界が生み出す1年分の価値の4倍ものマネーがだぶついていたのである。
もし、個人で10億円の貯金があったとする。5億円もあれば、一生暮らせるので、残り5億円は余剰資金。どうせ、使わないカネなら、利息で小銭を稼ぐより、ダメもとで大儲けをねらったほうがトク、と普通は考える。また、銀行や保険会社は、利息や保険料を支払う必要があり、その分稼がねばならない。政府も同様、年金を払うため、国民から集めた保険料を増やさねばならない。いずれも、1%にも満たない銀行利息ではどうしようもない。
そんなこんなで、莫大な投資マネーが金融市場へなだれこんだのである。カネがカネを生む摩訶不思議な世界へ、ようこそ。この投資マネーを運用するのが投資ファンドである。彼らの使命はただ1つ、預かったマネーを増やすこと。もし、しくじれば、翌年、資金は集まらない。だから、いつでもどこでも、「虎穴にいらずんば虎児を得ず」投資ファンドが、サブプライムローン証券のようなアブナイ商品に手を出すのは、必然なのである。いつかは破綻すると分かっていても、勝負を早めに降りるわけにはいかない。降りたら負け、だから、最後の日までチキンレース。そんな彼らが神経をとがらすのが審判の日、つまり、全員が勝負を降りる日だ。そこで、ババを引いたら、おしまい。だから、毎日モニターをにらみつけ、「手じまい」のサインをさぐっている。
ところで、彼らの人生って何?
投資ファンドの存在価値は1つしかない、利回りだ。銀行利息や債権売買では、話にならない。もっと効率の良い、もっと高利回りの金融商品をでっち上げるしかない。こうして、「なんでもかんでも証券化」が始まった。まるで、マーフィーの法則だ。「細かく刻めば、何でも食べられる」たとえば住宅ローン。銀行は、融資する前に、借り手の収入、勤め先を調べ、返せるかどうか吟味する。1000人に融資するには、同じ作業を1000回を繰り返すわけだ。これでは効率が悪いし、莫大な投資マネーをさばききれない。
そこで、大量の住宅ローンをかき集め、証券としてパッケージ化する。これなら、買い手は、借り手の顔を見る必要はない。重要なのは、利回り、将来性、安全性のみ。これが、サブプライムローンのプロトタイプとなった。ただし、ここで、重要な事実が忘れられている。本来、「融資(返済義務あり)」のはずの住宅ローンが、返済義務のない「投資」にすり替わっていること。つまり、ここでも、「産業資本主義→金融資本主義」
■資本主義の正体
資本とは、本来、事業の元手となるヒト・モノ・カネをさす(一般的にはカネ)。さらに、資本は、産業資本と金融資本に分けられる。産業資本は、工場のような実物に投資され、金融資本はマネーゲームに投資される。昔は、ほとんどが産業資本だったが、今では、金融資本が中心だ。イノベーションは資本主義の燃料で、拡大再生産は資本主義のエンジンである。
ここで、イノベーションとは社会に大変革をもたらすテクノロジーやビジネスモデルのこと。だから、連続的に出現するものではなく、どこかで息切れする。すると、行き場を失った投資マネーは金融市場へなだれ込み、「産業資本主義→金融資本主義」金融資本主義では、マネーがどんなに増えようが、リアルな価値が生まれるわけではない。だから、金額はあくまで名目上の数字。手じまいが始まれば、市場は崩壊、マネーは一瞬で消滅する。とはいえ、実体経済(生産・消費)まで消えるわけではない。ただし、バランスシートが傷んだ金融機関が貸し渋りに走ったり、消費者が生活防衛に回れば別。実体経済も損傷する。そのスピードが速ければデフレ・スパイラル、それが長引けば、恐慌。
ここで結論。資本主義がつづく限り、「資本の蓄積→カネあまり→金融資本主義→バブル発生と崩壊」を繰り返す。そして、ときどき恐慌。これは、資本主義の宿命で、逃れることはできない。一方、見方を変えれば、資本主義は人為的なもの、ならば、人為的にバブルを抑える方法もあるのでは?バブルは、マネーが消費や実物投資ではなく、貯蓄や金融投資に向かうときに発生する。であれば、貯蓄や投資を統制すれば、バブルは阻止できるかもしれない。しかし、現実は厳しい。経済にからむ要素はあまりにも多く、世界をまたぐ強大な権力も存在しない。万一、統制できたとしても、それは計画経済、社会主義。これを、資本主義とよべるだろうか?
by R.B