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週刊スモールトーク (第116話) 田母神論文と侵略戦争

カテゴリ : 戦争

2008.11.22

田母神論文と侵略戦争

■解任された航空幕僚長

田母神論文が、物議をかもしている。マスメディアのほとんどが、
「初めに結論ありきで、都合のよい話だけをつなぎあわせた稚拙な論文」
と酷評している。当たらずとも遠からずだが、ちょっと言い過ぎでは。また、字数制限のためか、引いた文献の考証もしっかりなされていない。全体として、論文というより随筆やブログに近い

とはいえ、初めから全否定すれば、本質を見失う危険がある。
田母神論文の内容が真実か否か?
がほとんど触れられていないのが気になる。論文に引用された情報の信憑性や、論理展開の些末な矛盾を突くものがほとんどだ。

ここで、問題を整理してみよう。田母神(たもがみ)航空幕僚長が投稿した論文「日本は侵略国家であったのか」は、アパグループ主催の懸賞論文で最優秀を受賞した。ところが、その内容が政府見解と異なるという理由で、真偽が問われることなく、田母神氏は解任された。階級が下がったため、自動的に定年退職となったが、事実上の解雇だ。マスコミも世論も、この処置に基本的に賛同した。

では、薬害エイズ事件で、初めに厚生労働省の官僚が、
「あれは国に責任があった」
と公言していたら、政府見解と異なるという理由で、非難を浴びただろうか?マスコミも世論も、
「立場をわきまえない、手続きが違う」
など些末なことには目もくれず、
「真実か否か?」
を追求しただろう。田母神論文問題とは真逆の反応で、フェアではない。

はっきりしているのは、公人が政府見解と異なる発言したとき、「軍事」にからむ場合、真偽は封印され、一方的に非難されることである。具体的には、太平洋戦争、日中戦争、今の自衛隊。個々の感情や利害、他国への気兼ねはあっても、真実と正義は考慮されない。日本人にとって、太平洋戦争、日中戦争、自衛隊はトラウマなのである。

■田母神論文

日本人が太平洋戦争や日中戦争を論ずるとき、無条件に否定するグループと、初めから擁護するグループに2分される。つまり、「躊躇するグループ」がいない。これは、先の田母神問題で、マスコミが主張する
「田母神論文は初めに結論ありき」
と酷似する。「考える」前に、「決めつけている」わけで、宗教に近い

そこで、「田母神論文が真実か否か?
を考えてみよう。テーマは、
1.日中戦争は侵略戦争か?
2.太平洋戦争はルーズベルトによる策略か?

田母神論文の個別の主張を考証しないのは、こちらに考証能力ないからだが、もう一つ理由がある。一般に、「マクロ・イベントはミクロ・イベントより信憑性が高い」からだ。たとえば、「第二次世界大戦が起こった」は100%確実だが、「張作霖列車爆破事件」のような個別イベントを明らかにするのは難しい。おそらく、どんな資料が見つかっても、断定することはできないだろう。ということで、引用するのは、高校の教科書プラスアルファ、つまりマクロ情報に限定する。

■侵略戦争と自衛戦争

まずは、「日中戦争は侵略戦争か?」

ところが・・・

「侵略戦争」の定義そのものが不毛だ。
「侵略とは、国家が自衛ではなく、一方的にその領土や主権を侵すこと。侵略戦争とは、そのための武力行使をいう」

これは、1974年の国連総会決議だが、シャクシ定規にとらえれば、混乱するだけ。そこで、「侵略戦争」の反対言葉「自衛戦争」を軸に考えよう。まず、
「自衛戦争とは、国家が自らの主権を守るために行う戦争である」

一見、「侵略戦争」と「自衛戦争」は矛盾なく説明されているように見える。では、自衛のための先制攻撃(予防戦争)はどうなる?たとえば、北朝鮮のミサイルが発射段階に入れば、事前に探知できる。そのような状況で、ミサイルサイロを先制攻撃するのは、自衛戦争と言えそうだ。ところが、これを認めれば、拡大解釈でほとんどの先制攻撃は自衛戦争になりうる。

たとえば、敵国が、原子力発電所で高濃縮ウランを製造していたとする。通常の原発なら高濃縮ウランは不要なので、原子爆弾を製造している可能性が高い。そこで、核攻撃から自国を守るため(自衛目的)、原子力発電所への先制攻撃も「自衛戦争」と解釈できる。とはいえ、攻撃が唐突なら、侵略戦争にしか見えないだろう。侵略戦争、自衛戦争、予防戦争・・・こんな言葉遊びが戦争の抑止につながるとは思えない

一方、地球の歴史には、別のタイプの戦争もある。たとえば、アレクサンドロス大王の東方大遠征。ペルシャ帝国を征服するまでは、説明もつくが、それ以降はまるで「冒険戦争」だ。本国マケドニアから遠くインド西北部まで攻め込んだが、その動機は自衛でも領土拡大でもなく、アレクサンドロス大王の個人的冒険心、としか思えない。結局、アレクサンドロス大王が引き返したのは、不毛の戦いにウンザリした軍団が進軍をボイコットしたからである。歴史上、これほど贅沢な戦争はない。

また、「復讐戦争」というのもある。モンゴル帝国の創始者チンギスハーンによる西方大遠征だ。事の発端は、1218年、ホラズム王国で起こったオトラル事件。オトラルの町で、チンギスハーンの通商使節団が殺害されたのである。復讐に燃えるチンギスハーンは、ホラズム王国を滅ぼし、ついで、ロシアのブルガル王国まで攻め込んだ。使節の殺害を命じたガイルハーン(知事)は捕らえられ、体中のすべての穴に融けた金属を流し込まれた。一人の人間の復讐心が、ユーラシア大陸の勢力図を一変させたのである。

戦争は種類がなんだろうと、やることは「命の取り合い」である。始まってしまえば、みな同じ。結局、重要なのは、戦争を始めないこと。そこで、許せる戦争と許せない戦争にわけ、後者を国際法で禁じている。ところが、前述したように、自衛戦争と侵略戦争を区別することは難しい。もっとも、他国への侵略を企てる国が、「良い戦争か悪い戦争か」で躊躇するとは思えない。

ここで、本題にもどろう。日中戦争は侵略戦争か?因果の鎖のはじまりは、日清戦争までさかのぼる。

■日清戦争

1800年代後半、朝鮮半島は李朝(りちょう)が統治していた。そこに、明治維新で国内を固めた日本が、朝鮮進出をもくろむ。理由は、アジアに押し寄せる欧米列強の植民地政策に対抗するためである。もたもたしていると、日本も植民地にされる。そんな中、1894年5月、朝鮮で農民による反乱が勃発した(第一次甲午農民戦争)。李朝は政治腐敗がすすみ、日本に開国させられ、自給自足経済が崩れ、農民が困窮していたからである。

1894年、あろうことか、李朝は隣国の清(中国)に反乱の鎮圧を要請する。弱体化した李朝は、自力で抑えきれなくなったのである。朝鮮を狙う清にとって、まさに渡りに船で、すぐに2400の兵を派遣した。驚いたのは日本である。清に先を越されまいと、日本も朝鮮半島に出兵する。仰天した李朝は、反乱軍の要求をのみ、両国に撤退を求めた。ところが、日本軍はそのまま居座り、1894年8月1日、清に宣戦布告した。これが日清戦争である。

マクロ視点でみれば、日清戦争は、朝鮮半島をめぐる清と日本の覇権争いである。日本が朝鮮半島に執着したのは、大陸侵攻の橋頭堡(きょうとうほ)を確保するため。橋頭堡とは、本国から離れて戦う場合の、戦地の補給基地である。

一方、朝鮮半島が日本の支配下に入れば、清は日本と国境を接することになる。清にとって、国家の安全保障を揺るがす事態だ。また、李氏朝鮮にしてみれば、どんな理由があるにせよ、異国の軍隊が進駐したわけで、侵略以外の何ものでもない。いずれにせよ、日清戦争で勝利した日本は、朝鮮半島における影響力を増大させた。

■日露戦争

満州は現在の中国の東北部で、朝鮮半島の北方に位置し、ロシアと日本海に接している。満州は、満州族(女真族)の故地で、12世紀に金王朝、17世紀には後金が栄えた。後金は満州と中国本土を支配し、後に国名を清(中国の清王朝)と改め、一大帝国を築いた。

1613年、ロシアにロマノフ王朝が起こると、ロシアの南下政策が始まった。1年中凍らない不凍港を確保するためである。結果、ロシアと中国(清)の国境で紛争が多発したが、1689年ネルチンスク条約で調停された。この時、満州は清の領土となっている。ところが、その後も、ロシアの南下はつづき、外満州(黒竜江以北とウスリー川以東)は、ロシアに割譲されてしまう。

20世紀に入ると、満州に利害をもつ新たな国が現れた。日本である。満州は、朝鮮半島と同じく、大陸への橋頭堡(きょうとうほ)になるからである。一方、ロシアにとっても、満州と朝鮮半島は、南下政策の前進基地として、不凍港を確保するため、必要な地域だった。こうして、朝鮮半島と満州は、ロシアと日本の標的となった。

朝鮮半島の李王朝は安定せず、満州に主権をもつ清も崩壊寸前だった。ロシアにとって千載一遇のチャンス。このような状況で、清の国内で、欧米列強に対する排外運動が起こった。義和団事件である。ロシアは直ちに行動をおこした。事態の収拾を口実に侵攻を開始し、満州全土を占領したのである。

日本、イギリス、アメリカは、ロシアに厳重に抗議した。ところが、ロシアは撤退するどころか、軍を増強したのである。ヨーロッパでもアジアでも南下政策を強行するロシアに、イギリスは危機感を募らせた。そこで、1902年、日本とイギリスは日英同盟を締結した。

事態を重く見た日本は、ロシアとの戦争も視野に入れたが、人口が3倍、歳入額10倍、常備兵力15倍のロシアと戦っても勝ち目はない。そこで、1903年8月、日露交渉に希望をつないだ。日本側は、
「朝鮮半島は日本、満洲はロシア」
という妥協案を示したが、国力に勝るロシアはこれを拒否。こうして、1904年2月6日、日露戦争が始まった。

日露戦争の主戦場は満州だった。日本軍は、多大な損害を出しながらも陸上戦で勝利し、日本海海戦でロシアのバルティック艦隊を壊滅させた。しかし、ストックの少ない日本は、やがて行き詰まる。常備兵力20万人のところ、100万人を動員し、9万人が戦死したのである。兵の補充もままならない状況だった。また、戦費は17億円に達し、当時の国家予算の2倍を超えた。日本の戦争は破綻寸前だったのである。

一方、ロシアも戦争継続が困難になっていた。圧政に対する民衆の不満、民衆デモに対する発砲(血の日曜日事件)が重なり、ロマノフ王室に対する民衆の不満は爆発寸前だった。日本軍の明石大佐による工作も功を奏し、ロシア内部で共産主義革命が起ころうとしていた。こうして、民衆の不満と共産主義運動がリンクし、後のロシア革命とつながっていく。つまり、ロシアも戦争をしている余裕などなかったのだ。1905年9月5日、日本とロシアは、アメリカの仲介で講和し、ポーツマス条約を締結した。

日露戦争の敗北で、ロシアはアジアでの南下政策を中断し、矛先をバルカン半島にむけた。結果、オーストリア=ハンガリー帝国が抱える民族問題、それにからむヨーロッパ諸国の利害に火がつき、第一次次世界大戦の遠因となった。第一次世界大戦は、無数の要素がからんだ必然だった。
「良い戦争か悪い戦争」
などと考えている暇などなかった。
「誰が第一次世界大戦を始めたか?」
ではなく、戦争が勝手に起こったのである。

1911年、中国で辛亥革が起こり、清にかわり中華民国が建った。しかし、中華民国には中国全土をたばねる力はなく、各地で軍閥が群雄割拠した。その中で、満洲を支配したのが軍閥の張作霖だった。一方、1917年には、ロシアでも政変が起こった。ロシア革命が成功し、ロマノフ王朝が倒れたのである。ロシアから解放された日本は、満州支配へとひた走る。

■日中戦争

1931年9月18日、柳条湖の南満州鉄道で爆発が起きた。満州に駐留する日本の関東軍は、これを張学良(前述の張作霖の子息)による破壊工作と断定し、中華民国と戦闘状態に入った(満州事変)。ところが、この事件は関東軍の自作自演であり、本国の許可も得ていない独断専行だった。こうして、関東軍は満州全土を占領する。

1932年、日本は、清王朝のラストエンペラー愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)を擁立し、満洲国を建国した。日本の傀儡政権であり、民にしてみれば不毛の「人工国家」だった。日本は、半官半民の南満州鉄道株式会社を創設し、満州に多大な投資を行った。くわえて、日本からは多数の開拓移民が入植し、土着の農民は強制移住させられた。これが、後に、強い反日感情を生むことになる。1945年8月、第二次世界大戦末期、ソ連軍が満州に侵攻し、満州国は崩壊した。以後、満州は、段階的に中国(中華人民共和国)に返還された。

日中戦争は、大陸進出をもくろむ日本と、南下政策を進めるロシアと、それを阻止しようとする中国との満州覇権が根っこにあり、国家安全保障にかかわる重大事項のはずだった。ところが、現在、満州は中国の領土だが、ロシアも日本も国の安全保障が脅かされているとは思えない。

また、中国にしてみれば、異国の軍隊が侵攻してくるわけで、侵略以外の何でもない。結局、「戦争」の意味するところは、当事者と時代によって大きく変わるものなのだ。絶対的な真実といえるのは、犠牲者の数と、悲惨な記憶だけである。

人類が二足歩行するのは、自分の意志ではなく、DNAによっている。
「利害が対立し、話し合いが決裂すれば、力ずくでも奪う」
もまた、DNAによっている。人類も機械と同様、設計図には逆らえない。このようなDNAが、地球の食物連鎖の頂点にある限り、戦争はなくならないだろう。

一方、戦争は「スクラップ&ビルド」の役目も担っている。新しいものを生みだし、多様性を維持するには、「破壊」は欠かせない。戦争は個々にとっては悲劇だが、全体としてみれば、地球の浄化作用にもなっている。そもそも、人類が地球上でえらそうにしているのも、恐竜が絶滅したおかげ。

ここまで話を広げると、主題はぼやけてくる。原点にもどろう。日中戦争は侵略戦争か?
権威が皆無の私見と断った上で、
「日中戦争は、”あの時代”の国家安全保障にかかわる日本の侵略戦争だった」
ん~、歯切れが悪い・・・

■太平洋戦争

つぎに、「太平洋戦争はルーズベルトによる策略か?」
「策略」は抽象的な言葉なので、別の表現で回答しよう。ルーズベルト大統領が自ら言ったように、
「宣戦はしないが、大平洋戦争をつくったのはアメリカ

日本は、イギリス、フランス、アメリカに習い、植民地政策を進め、中国とインドシナに進駐した。ところが、アメリカのルーズベルト大統領は、この「日本のサル真似」が許せなかった。そこで、アメリカの日本資産を凍結し、日本への石油輸出を全面的に禁止した。それに便乗する形で、イギリスとオランダがこれにならった。これを「ABCD包囲網(America、Britain、China、Dutch)」とよぶ。

ところが、アメリカの石油がなければ、戦車も軍艦も動かない。軍隊のない主権国家などありえない。この制裁は、日本の心臓を握りつぶすようなものだった。日本の東郷外相は苦心惨憺、ギリギリの妥協案を提示したが、ルーズベルト大統領はこれを拒否。中国とインドシナから軍と警察を撤退させること、日独伊三国同盟を破棄すること(ハル・ノート)を、日本側につきつけた。

第一の要求は、欧米列強も植民地から撤退せよと脅すことに等しく、アメリカにあてはめれば、国をネイティブアメリカンに返し、白人はすべてヨーロッパに帰れ、と同じこと。つまり、人工国家アメリカ合衆国は消滅する。

第二の要求、日独伊三国同盟の破棄は、主権国家が正式に交わした条約を反古にしろという、とてつもない脅しである。このような要求は、それが正統であろうがなかろうが、「宣戦布告」に等しい。まともな主権国家なら、絶対にのめない。もちろん、ルーズベルトにはそれが分かっていた。確信犯的に先に銃を抜かせ、正義を担保した上で、日本を撃ち倒したのである。

日本が、中国とインドシナに進駐したのは侵略だが、アメリカがそれを阻止したのは、正義のためでも、アメリカの国家安全保障のためでもない。
ルーズベルト大統領の日本人嫌い
が原因だった可能性が高い(それだけではないが)。ルーズベルト大統領の日本人嫌いは有名だったが、こんなことを言っている。
「日本人の頭蓋骨は白人に比べ2000年遅れている」

さらに、2008年12月2日、太平洋戦争時の日系人強制収容にからむ新しい証拠が出てきた(※)。これまでの定説では、真珠湾攻撃をうけたアメリカが、軍主導で、日系人を強制収容したとされてきた。ところが、ニューヨーク州ルーズベルト大統領図書館で、極秘の覚書が発見されたのである。この覚書は、海軍作戦部長に宛てられたもので、日付は1936年8月10日、内容は、
「日本船の乗組員に接触するオアフ島の日系人の身元を極秘に洗い出し、有事に際して、強制収容所に最初に送り込む氏名リストに作成しておくべきである」

この覚書は2つの事実を示唆している。
1.日系人強制収容は、軍部ではなく、ルーズベルト主導だった。
2.ルーズベルトは、太平洋戦争勃発の5年も前に日米開戦を想定していた。
この覚書と前述した歴史的事実をふまえ、普通に考えれば、
「太平洋戦争をつくったのは、ルーズベルトである」

一方、こんな結果をまねいたのは、日本が中国とインドシナに進出したせいだ、という主張もある。単体では正しいが、理由付けとしてはおかしい。これを言い出せば、歴史の因果を一つ一つたぐりよせ、過去に責任を押しつけることになるからだ。こういう問題は、直接的原因に特定すべきである。

■自衛隊

1978年、自衛隊制服組トップの栗栖弘臣(くりすひろおみ)統幕議長が、超法規発言により解任された。栗栖統幕議長は、
「(当時の)自衛隊法では、敵から奇襲攻撃を受けた場合、首相の防衛出動命令が出るまで反撃できない。そこで、前線の指揮官が超法規的行動(反撃)に出ることはありえる」
と、有事法の整備を主張し、譲らなかったのである。文民統制(シビリアンコントロール)に反することは事実だが、
「国民が何十人、何百人殺されようが、出動命令のほうが大切?」
一体、何のための自衛隊なのだ?

主客転倒、事の大小、軽重を知らない愚かさがにじみ出ている。田母神論文問題もしかり。シビリアンコントロールを盾に、航空幕僚長を解任するのはつじつまは合っている。だが、発言内容の真偽を問うこともなく、集中砲火を浴びせ、退職金まで自主返還せよ、には驚いた。田母神氏の40年におよぶ国への貢献を全否定するに等しい。敵前逃亡でもしたと言うのだろうか?

軍隊は、外交が破綻したり、侵略を受けたときに、国民の生命と財産を守る最後の砦である。軍人は自らの命を賭け、国を守る責務を背負っている。本来は、尊い職業なのだ。戦争を憎む人は、軍隊も軍人も嫌うが、戦争は人間の一部なのである。気に入らないからといって、腕を切り落とすバカはいないだろう。人間と戦争の関係は、イデオロギーではなく、現実にそって語られるべきだ。戦争と軍隊を直視しない限り、戦争はなくならない。地球の歴史がそれを物語っている。

(※)2008年12月3日に追記。

by R.B

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