歴史が神話になる日~フォレスト・ガンプ~
■フォレスト・ガンプ
われわれは、歴史と神話を区別している。歴史は事実、神話は物語、つまり、神話は事実の裏付けを必要としない。神話は人を感動させ、人生に影響を与えるが、歴史は現実世界と結びついている。たとえば、ユダヤ民族とイスラム教徒の過去の歴史は、現代のパレスチナ問題を形成している。過去の歴史が、長大な時間をへて、現代の地球世界を操っているのだ。もちろん、神話がこの種の力をもつことはない。それゆえ、人間は神話に寛大で、歴史には冷徹なのである。映画「フォレスト・ガンプ/一期一会」を観たとき、歴史の不吉な未来をかいま見た気がした。
「フォレスト・ガンプ」は1994年に封切られ、オスカーの主要部門、作品賞・主演男優賞・監督賞を総なめにしている。それに、ストーリーもなかなか面白い。オツムは弱いが、足が速くて素直が取りえのガンプが、生き馬の目を抜くアメリカ社会を生き抜く。ストーリーは、歴史上の事件をモチーフにしているが、イデオロギーや批判のたぐいは一切ない。素直な青年がそのまま生きているのに、それに世界が合わせるかのように、ことがうまく運ぶ。彼の人生を支配しているのは、才能ではなく、運命(ほし)なのだ。そして最後に、大事を成し遂げるわけでもなく、自分の大好きな芝刈りの仕事に就く。
こんな世界があるわけない、と思う反面、子供の頃読みふけった童話のような没入感がある。人生はチョコレートの箱のようなもの、開いてみるまでわからない。ガンプの母親は死に際に、そう言いきかせる。ところが、ガンプにはそんな教訓は必要ないようにみえる。先を考えず、今を一生懸命生きて、その結果、周囲を巻きこみ、彼に幸福がもたらされる。成功も失敗もない、ただ、命の輝きがあるだけだ。ガンプの人生は運命(ほし)なのである。
「フォレスト・ガンプ/一期一会」のキャストもいい。トム・ハンクスの演技はオスカー主演男優賞にふさわしいものだったし、ガンプの上官を演じたゲイリー・シニーズも素晴らしかった。同類の映画がない、役者の演技が素晴らしい、押しつけがましい主義主張がない、だから自然に感動するのだ。映画の歴史に残る傑作と言っていいだろう。ひさしぶりに、良質のアメリカ文化を見せられたような気がした。
古代より伝承された神話は、たとえ事実がベースであっても、歴史とは根本が違う。神話学者ジョーゼフ・キャンベルはかつてこう語った。「神話とは宇宙の歌、人間の意識にしみこんだ音楽である」神話は史実の羅列ではなく、人間に魂を揺さぶるもの。「フォレスト・ガンプ/一期一会」もアメリカの現代神話といえるかもしれない。「フォレスト・ガンプ」は主要部門の他に、もう1つオスカーを受賞している。視覚効果賞だ。
ガンプの上官、ダン中尉は、ベトナム戦争で両足を失うのだが、両足のない映像が従来の映像とは明らかに違った。この手の加工映像は何かしら不自然さがともなうものだが、それが全くない。さらにガンプが、ケネディ大統領と握手をするリアルなシーンもあった。過去の映像と新しい映像を合成し、架空の映像つくる技術がここまで進化したのだ。問題は、目を凝らしても、偽物だと分からないこと。もし、本物と偽物を判別するすべがなくなれば、「本物」という概念も言葉も消滅する。これは、世界を変える可能性がある。
■本物と偽物
シェークスピアは本当に実在したのか?そんな疑問を投げかける人がいる。ウィリアム・シェークスピアは、16世紀イングランドに彗星のごとく出現した劇作家で、作品の質と量が傑出しているので、複数の作家が書いたのでは?というわけだ。確かに、本人の写真はないし、肖像画はあるものの、実在の証拠にはならない。シェークスピアの作品は事実だが、「シェークスピアの存在」は神話かもしれないのだ。
一方、ヒトラーはどうだろう。写真も映像も残っているし、第二次世界大戦を引き起こした張本人、という歴史的事実も動かしがたい。実在したことを疑う人はいないだろう。では、これからは?もし、「フォレスト・ガンプ/一期一会」のイミテーション技術がさらに進化したら、今残っているヒトラーの証拠など簡単に偽造できるだろう。
この手のイミテーション技術は、一般に「デジタル加工技術」と呼ばれる。この技術のコアは、すべての情報を「0」と「1」の数字に置き換えること。文字、映像、音、それがなんであれ、一旦「0、1」で数値化すれば、偽造はカンタン。数値の置き換えで事が済むからだ。しかも、「数値の置き換え」はすべてコンピュータがやってくれる。ゴッホの贋作をなぞってつくる時代は終わったのだ。いつの間にか、我々の生活に浸透したデジタル加工技術は、地球の歴史を根っこからひっくり返そうとしている。このままでは、歴史と神話の区別がつかなくなるのだ。
■歴史が神話になる日
今、世界中で情報がデジタル化されている。一旦、デジタル化すれば、加工は簡単だし、完全なコピーが可能になる。もし、ハード(記憶媒体)が劣化すれば、新しい媒体にコピーするだけでいいのだ。これまで、地球文明を支えてきた紙媒体は、その寿命は500年から1000年と言われている。ところが、デジタル情報は、媒体から媒体へと霊のごとく乗りうつり、地球の最期の日まで生きつづける。
しかし、一見便利に見える「デジタル技術」も、グロスでみれば人類にとって「悪」だろう。「デジタル技術」のもう一つの顔、イミテーション技術のことだ。イミテーション技術は際限なく進歩をつづけ、やがて、高度な科学的手法をもってしても、本物と偽物の見分けがつかなくなる。そして、その日が「歴史が終わる日」なのだ。本物と偽物の区別がつかないなら、「歴史」は消滅する。
そう遠くない未来、歴史が真実か否か、論ずることそのものが無意味になる。歴史は死語となり、我々にとって、今の瞬間だけが真実となる。これは、文明の根幹を揺さぶる。我々は、過去の膨大な情報を不老不死にすべく、せっせとデジタル化し、その引き替えに、「真実」を消滅させている。その結果、歴史と神話は同一化する。歴史が神話になる日がそこまで来ているのだ。
by R.B