■信長の旅・信長の館 2012.11.11
午後2時過ぎ、「信長の館」に到着。
夏休み&日曜日だというのに、中はスカスカ。
まぁ、夏休み最後の週というのは、どこもこんなもんだろう。子供にしてみれば、宿題でそれどころではないのだ。それにしても、あの苦しみを、今でも夢でうなされるのはどういうわけだ?
さて、「信長の館」だが、目玉はなんといっても、「安土城天主」のレプリカ。
安土城は、言わずと知れた織田信長の居城である。安土山を一山くり抜いた巨城で、宣教師のルイスフロイスも、ヨーロッパの城に匹敵する城、と絶賛している。
ところが、本能寺の変のどさくさで、焼け落ちてしまった。誰の仕業かイマイチはっきりしないが、たぶん、信長の二男・信雄(のぶかつ)だろう。そんなわけで、安土城は幻の名城ということになっている。
その安土城が、1992年、スペイン・セビリア万博に、日本館のメインの展示品として、出展されたのである。しかも、原寸大で!
もっとも、復元されたのは、安土城天主の最上部の5階と6階だけ↓
もちろん、日本館のメイン展示品なので、いいかげんなものではない。東京大学、東京芸術大学、京都市立芸術大学の指導をうけながら、日本の名工によって忠実に再現されたという。
その安土城天主のレプリカが、セビリア万博終了後、安土町が譲り受けて、「信長の館」に展示されたわけだ。
まずは、天主5階。八角形で構成された30坪の空間である。仏教の世界観により、理想郷が再現されている。金箔の壁と、釈迦説法図のふすま絵に囲まれた総朱漆塗りの床、その真ん中に2枚の畳が敷かれている↓
写真ではわからないが、天井には、天人の飛ぶ「天人影向図(てんにんようこうず)」が描かれている。ただし、この部分は、セビリア万博の後に追加されている。
次に、天主6階だが、セビリア万博バージョンから、大幅にグレードアップされた。追加されたのは、金箔10万枚を使った外壁と、金箔の鯱(しゃちほこ)をのせた大屋根↓
さらに、室内も大幅にグレードアップ。狩野永徳一派が描いた「金碧障壁画(きんぺきしょうへきが)」↓
これはマジで凄い・・・息をのむほどの絢爛豪華さだ。一流の学者と天下の名工が、作りあげただけのことはある。レプリカというよりは、ホンモノとして成立するのでは?
400年前の実物より立派かも!?
一般に、歴史学では、同時代の史料を「一次史料」、後世に編纂されものを「二次史料」と呼んでいる。当然のことだが、後世になればなるほど、記憶も薄れ、書き手の利害もからんで、信憑性は薄れていく。
だから、普通に考えれば、一次史料が最も信頼性が高い。織田信長では、「信長公記」と「フロイス日本史」が、この一次史料にあたる。
じつは、「信長公記」と「フロイス日本史」の中に、安土城の記述がある。
「フロイス日本史」は、信長の時代、イエズス会宣教師ルイス・フロイスによって書かれた書で、「日本史」ともよばれている。
文体は格調高く、観察眼も確かで、キリスト教以外に利害関係もないので、信頼性は高いと考えていいだろう。
ルイスフロイスは、織田信長に謁見し、安土城も訪れ、その時の感想を「日本史」に記している。
それによれば(※)、
・それまで日本で建てられた最も壮麗な7層の城と宮殿。
・ヨーロッパの石造建築物にひけをとらない堅固さと豪華さ。
・宮殿や広間の富、内部で光彩を放つ金。
・赤い仮漆でおおわれた柱、金がほどこされた柱。
・豪華な宮殿とおびただしい部屋の絵画の装飾。
「信長の館」の安土城天主そのままだ。
また、「信長の館」の入り口右側に、信長にちなんだフィギュアが多数展示されていた。ただし、ただのフィギュアではない。琵琶湖産のヨシ(イネ科の多年草)を使った和紙人形である↓
独特の味わいがあって、目がクギづけ・・・1500円でも買うぞ!と力んだが、売り物ではなかった。横でカミさんが、「1500円のわけないでしょ」と白い目でこちらを見ていた。
また、入り口正面には御膳が並んでいる。タイトルは、「天正十年安土御献立」?
意味不明なので、説明書きに目をこらすと・・・
織田信長が、武田征伐の武勲を祝し、徳川家康をもてなすため、天正10年5月15日、16日の両日にわたって、安土城で饗宴でひらいたが、そのときの御膳だという。
じつは、その3ヶ月前、織田信長は、武田本領に攻め込み、武田家を滅ぼしている。ところが、この征伐では、合戦らしい合戦はなかった。7年前の長篠の戦いで、武田軍は足腰を砕かれていたからである。
で、その御膳だが総計120品にもおよぶ豪華さ↓
400年前なのに、いいもん食ってるなぁ・・・現代の旅館でもイケるのでは?
ちまたに流布した通説によれば、この時、接待役に任じられたのが明智光秀で、「仕度が行き過ぎである」と信長から叱られて、役を降ろされ、毛利攻めの後詰めに回された。その腹いせが、本能寺の変なのだという。
ところが、一次史料の「信長公記」と「フロイス日本史」には、そのような記述は一切ない。そもそも、光秀のような計算高い男が、接待役をおろされたくらいで、命を張るわけがない。
帰り際に、お土産売り場を見つけたので、さっそく、物色。じつは、この手の土産物が大好きなのだ!
瞬間、カミさんの目がつり上がっっている。そこで、息子たちに信長Tシャツでも買ったら、と、うながして、そのスキに、信長の「天下布武」の朱印をゲット↓
おー、夢にまで見た「天下布武」の朱印!
ところが、店員の「3000円いただきます」に卒倒しそうになった。
「そんなもの、何に使うの?その横の1000円ので、いいじゃない!」
と背後にカミさんの声。振り返ると、目がつり上がっている。
よく見ると、その横にチープな朱印のミニチュアがある。確かに1000円だ。
愚か者め、こういうものは、本物ソックリじゃないとだめなんだぞ!とは言えないので、ハハハと作り笑いで、その場を離脱した。
さらに、カミさんのスキをみつけ、信長のセンスをゲット↓
ん~、何に使おうか。
つづいて、信長の「天下布武」Tシャツもゲット↓
ん~、人前では着れんなぁ。
ということで、毎度のことながら、本当にバカだと思う。
「信長の館」を出ると、その隣に、「安土城考古学博物館」があった。ついでなので、行ってみることにした。ちなみに、「信長の館」とセットで入場券を買うと、少し安くなる。
「信長の館」と「安土城考古博物館」の周囲は、こんな感じ↓
透明な空と、緑の木々に囲まれた大空間・・・あ~、心が安らぐ。
「安土城考古博物館」に入る・・・展示物は大したことはない。でも、中庭は立派、ヨーロッパの修道院のような雰囲気がある↓
中庭を囲む回廊では、安土の遺物の修復作業を行っていて、ガラス越しに見ることができる。これも、観光コースのひとつなのだろう。
そして・・・
「安土城考古博物館」を出ようとした瞬間、面白いポスターを見つけた↓
あなたの一票で天下統一、まめのぶくん・・・
何かの催し物なのだろうが、僕的には、ツボにはまってしまった。それもとてつもないレベルで。
「まめのぶくん」は、「安土城考古博物館」の職員がデザインしたキャラで、あとで、名前を公募したらしい。ネーミングも、キャラデザも最高!
家に帰ったあと、キャラ描ぎの練習をして、今では、一筆書きで描けるほどになった。
それにしても、「まめのぶくん」、なんで有名にならないのだ?
by R.B