■友人の死 2010.07.25
大切な友人が、知らないうちに亡くなっていた。大学卒業後入社した会社の同期のTさんだ。
入社して3ヶ月ほどたったある日、Tさんは僕に話しかけてきた。研修期間中の電磁気学のテストで、Tさんが1番、僕が2番だったという。ただの自慢?それとも、僕に近づく口実?僕は近づくに値する人間には思えないが・・・ヘンな人だな、それが第一印象だった。ところが、それを契機に、Tさんとの親交が始まった。
Tさんは、東工大の修士卒で、工学系というよりは理学系だった。なので、理論が強かった。やがて、Tさんが音頭を取り、同期の有志で、電磁気学の勉強会をやることになった。参加者は数人。会社の部長にかけあい、会社の会議室を借りることにした。
しかし、こういう勉強会は長くは続かない。目標があいまいで、モチベーションが維持できないから。メンバーは一人一人減っていき、最後に、僕とTさんだけが残った。場所も、会社の会議室から、僕が住む公団住宅へ。
毎週金曜日、仕事が終わると、Tさんはやってきた。酒を飲みながら、数学、哲学、音楽、エンター・・・なんでも語り合うのだった。肝心の電磁気学は、どこかへ失せていた。
Tさんは、タレントのタモリを尊敬していた。彼の言動を科学的に分析し、巧みに彼の才能をあぶり出すのである。妙に説得力があり、いつの間にか、Tさんの話を信じるようになった。
Tさんは、多趣味で、オーディオマニアでもあった。オーディオ機器の性能を決めるのは音を増幅するアンプ。彼が愛用したのは「真空管アンプ」だった。ところが、当時の主流は、「トランジスタアンプ」。ちなみに、「真空管」と「トランジスタ」は、電気信号を増幅するための電子部品。
真空管はトランジスタにくらべ、電気特性で劣り、音の迫力に欠け、ノイジー(雑音が多い)。ところが、Tさんが言うには、そのノイズが、”音の暖かさ”を生むのだという。
その頃、真空管は、トランジスタに取って代わられ、生産中止の危機にあった。そこで、Tさんは、一生分の真空管を買い占め、それをいつも自慢していた。
朝4時になると、山手線が動きはじめる。それは今も昔も変わらない。すると、Tさんは、名残惜しそうに帰るのだった。この頃が、僕にとって、最後の青春時代だった。
やがて、僕は金沢にUターンし、Tさんも、東工大にもどった。泥臭い物作りは肌にあわなかったのだろう。しばらくして、Tさんは、都内の私立大学の助教授に迎えられた。
その後も、Tさんは、金沢で学会があると、必ず我が家に立ち寄った。まだ幼い僕の息子を見て、「僕の息子と感じが似ているなぁ」がTさんの口癖だった。
月日がたち、先の会社で、同窓会が企画された。すでに、転職した人もいる。幹事のS君は住所を探しだし、一人一人連絡をとった。そのとき、Tさんの死を知ったという。その悲しい知らせは、僕にも知らされた。・・・信じられなかった。
幹事のS君に連絡し、Tさんの住所を聞き出し、奥さんに手紙を出した。何が起こったか知りたかったのだ。すぐに返事が来たが、それは悲しい手紙だった。
Tさんは肝臓を患い、手術は成功したものの、その後に亡くなったという。
ちょうどその頃、Tさんから僕の家に電話があったことを思い出した。僕は不在で、上さんが電話に出たのだが、僕のことを懐かしがっていたという。
この電話があったのは、Tさんが入院していた時期で、その後、亡くなっている。あの電話は、死期を悟ったTさんの最後のメッセージだったのだ。
ところが、僕はTさんに連絡しなかった。その頃、超多忙で、Tさんの電話番号もわからない。やがて、電話があったことすら忘れてしまった。Tさんの最後のメッセージが、こんなふうに失われたことを、僕は今でも後悔している。
手紙を読みながら、僕はTさんの息子のことを思い出した。僕の息子とよく似ている、とTさんがよく話していた息子だ。Tさんの若い頃のこと、僕が知るTさんのこと、すべて、Tさんの息子に話してあげよう。それが、せめてもの、Tさんへの供養だと思った。
ところが、手紙の続きを読んで、僕は凍りついた。Tさんが亡くなる前に、Tさんの息子が交通事故で亡くなっていたのだ。こんなことが、本当にあるのだろうか・・・
その日の昼、僕は、いつものように散歩に出た。Tさんと飲んだこと、Tさんから学んだこと、Tさんと語り合ったことを思い出しながら。
Tさんと僕は、思考、感性、感覚、すべてがあうんで理解し合える仲だった。そのTさんと、もう会うことも、話すこともできない。何度も現実を受け入れようとしたが、心は受けつけなかった。
Tさんの真空管アンプはまだ動くのだろうか?真空管はあと何本残っているのだろう?僕は、Tさんと語りあった日々を思い出しながら、小川のほとりを歩いていた。
by R.B