利己的な遺伝子(1)~人工生命ティエラ~
■長生きすればいい?
2013年、日本人の平均寿命は、女性が86歳、男性が80歳。
ところが、100年前は、女性は43歳、男性は42歳だったというから、
女性:43歳→86歳
男性:42歳→80歳
なんと、100年で平均寿命が2倍ものびたわけだ。
腹一杯食えるようになったとか、医学が進歩したとか、理由はいろいろあるだろうが、同じ生物種なのに、環境だけでこんなに違うわけだ。
一方、出生率が低下し、若者は減るばかり。これでは年金が破綻しても何の不思議もない。実際、この状態が続けば、2050年、現役世代1人で年金受給者1人を養うことになるという。年金額が月15万円として、
働く人1人あたり、平均15万円/月の社会保険料を払えって?
労働者は死んでくれということですね・・・
しかも、今の現役世代が、リタイアしたときの受給額は、せいぜい数万円/月。
これじゃあ、若者が社会保険料なんか払いたくない!と吠えるのも一理ある。国家規模の詐欺なんだから。もっとも、
「働いているときは15万円払ってね~、でも、貰うときは5万円ですよ~」
と公言しているのだから、ノー天気な詐欺ではある。
ジョーダンはさておき(冗談じゃないぞ)、こんな極端な「年金差別」が生じれば、世代間の闘争が始まってもおかしくない。ここでいう闘争とは、比喩ではなく、「ガチで戦う」こと。ただ、具体的に何が起こるかはわからない。
では、国や社会はどう対処したらいいのだろう?
これは議論の余地はない。
若い世代を優先すべきだろう。理由はカンタン、古い世代はもう十分生き、若い世代はこれからだから。若い人生を、一丁上がりの人生の犠牲にしてはならない。「後進に道を譲る」という古い格言を思い出そう。
じゃ、老人は死ねと?
そうではない。自分が働ける範囲で働いて、社会に貢献すればいい。それがマネーを生み、若者世代の負担を減らすことになるから。
でも、本当に働けない人は?
それは高齢とか年金とかの話ではなく、身体が不自由で働けない人の話。だから、生活保護で対応すればいいだろう。
さて、今回のテーマはここではない。
自然の摂理からみれば、長生きが良いとは限らないということ。
では、人間は何のために存在するのか?
社会に貢献するため?
一生懸命生きて、人生は生きるに値すると実感するため?
ビルゲーツみたいに、ライバルを根絶して神様よりお金持ちになるため?
おっと失礼、話はそこではない。
「生物学的」に、人間はなぜ存在するのか・・・
答えは・・・「遺伝子」を存続させるため。
では、人間本体(個体)は?
どうでもいい。
身もフタもない話だが、生物学者リチャードドーキンスはそう主張してやまないのである。
■ドーキンスVs.神
ドーキンスは、筋金入りの無神論者だ。現に、挑発的な著書「神は妄想である(※2)」を出版し、宗教批判に余念がない。あれだけ宗教をコケにすれば、さぞかし宗教団体の恨みを買うだろうに、いまだに「変死」のニュースは聞かない。
何の話?
呪いのわら人形。
まてよ、この手の呪術は一神教ではなく多神教だったかも。
そういえば、ドーキンスが批判しているのは、キリスト教原理主義を中心とする一神教。だから、首の皮一枚で命がつながっているのかもしれない。コワイコワイ。とはいえ、2000年の歴史と10億人を超える信者をもつ宗教にケンカを売るとは、見上げた根性だ。ドーキンスさん、あなたの勇気を讃えます。
ところで、ドーキンスはなぜ宗教を批判するようになったのだろう。怪しい壺を売りつけられたから?
それはないと思う。
ただ、動機を示唆するドーキンスの著書がある。1991年に出版された「利己的な遺伝子」だ。一般人向けに書かれた「遺伝子」本という触れ込みだが、全然平易ではない。文章は長いわ、話は長いわ、まわりくどいわ・・・
そこで、ザックリ要約すると・・・
重要なのは、生物の「個体」ではなく、「遺伝子」である。
「個体」の寿命は数十年だが、「遺伝子」は何十万年、がその証拠。
ただし、すべての遺伝子が生き残るわけではない。遺伝子同士が闘い、環境に適応したものだけが生き残る。当然、他人を思いやる「利他主義」では生き残れない。
そこで・・・遺伝子はまっすぐ、利己主義(自己中)。
だから、著書のタイトルが「利己的な遺伝子」なのである。
とはいえ、気になるのが、
「生物のキモは、『個体』ではなく『遺伝子』」
僕、私が大切なのは肉体と魂(あればの話だが)であって、遺伝子ではない。遺伝子なんてただの「人体設計図」じゃないか。だいたい、目的(個体)より手段(遺伝子)の方が大事なんて、聞いたことがないぞ。
ところが、ドーキンスが言うには・・・
個体は、遺伝子を次の世代に伝えるための「生存機械」にすぎない。
つまり、人間は、遺伝子の乗り物、運び屋!?
これは聞き捨てならん。もっと詳しく!
■利己的な遺伝子
ドーキンスの著書「利己的な遺伝子(※1)」は、まず「自己複製子」から始まる。
一見難しそうだが、たいしたことはない。読んで字のごとく「自分を複製するもの」、たとえば、生物ウィルスとかコンピューターウィルスとか。
ドーキンスは、このような「自分を複製するもの」を抽象化し、「自己複製子」とよんだ。その実体の一つが「遺伝子」というわけだ。プラトン流に考えれば、自己複製子はイデア界(鋳型)、遺伝子は物質界(実体)というところだろう。
「自己複製子」は、機能が抽象化(一般化)されているので、個体と遺伝子の関係を知る良い助けになる。ただし、ドーキンスの文章は長くて、まわりくどいので、少々アレンジが必要だ(国語に自信のある方は、原本(※1)を読んでね)。
太古の昔、地球上に生命のプールがあった。そこには、複数の分子からなる「構成要素分子」がいくつも漂っていた。あるとき、複数の「構成要素分子」が鎖状につながって「自己複製子」が生まれた。
ここで、同じ「構成要素分子」同士はくっつきやすいとする(仮定1)。
すると、生命プールの中でこんなことが起こるだろう・・・
ある「構成要素分子」が自己複製子に接触したとき、自己複製子の中に同じ「構成要素分子」があれば、その横にぴったりとくっつく(仮定1から)。これが何度も繰り返えされるうちに、自己複製子の横に同じものが生成されるだろう。それが裂ければ、同じものが2つできる。つまり、自己複製子がコピーされるわけだ。
実際、結晶は「仮定1」により生成されるという。だから、根拠がないわけではない。
さて、問題はこの後だ。
この生命のプールは、大きさも、構成要素分子にも限りがある。だから、自己複製子が無尽蔵にコピーされるわけではない。
さらに、この生命プールに、複数の変種が存在したら、構成要素分子を仲良く分かち合うだろうか?
大海の孤島に、ゲンコツおにぎりが3個あって、ジャイアン、スネ夫、のび太がいたらどうなるか?
ジャイアンが独り占め!
生命のプールも同じ道をたどるだろう。コピーに有利な自己複製子が大量にコピーし、他はとばっちりを食う。つまり、優性は生き残り、劣性は淘汰されるわけだ。
ところで、「コピーに有利」とは?
たくさんコピーすること、つまり「多産」。
具体的には・・・
1.寿命が長い
寿命が長いほど、コピーする機会が増える。
2.コピー速度が速い
コピーが速いほど、時間当たりのコピー数が増える。
3.コピーが正確
コピーが不正確なら、変種が増えるだけ(自分は増えない)。
これらの条件を満たす自己複製子ほど数を増やし、それ以外は絶滅に向かう。つまり、自己複製子の自然淘汰が起こるわけだ。
ただし、「3.複製が正確」は悪いことばかりではない。多産にとってはマイナスだが、変種を生み出す可能性があるのだ。その変種の中には、オリジナルよりコピー上手がいるかもしれない。つまり、「複製が不正確」は自己複製子の進化につながる可能性がある。
具体的には・・・
寿命が延びたり、コピー速度がアップしたり・・・そして、場合によっては、ライバルを破壊して、その残骸を自分に取り込むものも現れるかもしれない。自分の改良ではなく、敵の破壊という点で、戦略レベルの革新といっていいだろう。「弱肉強食」はここから始まったのかもしれない。
さらに・・・
ライバルに寄生し、ライバルのコピーに便乗して自分をコピーする、あつかましく、利口な変種が生まれるかもしれない。現実世界の生物ウィルスやコンピュータウィルスのように。
じつは、このような巧妙な自己複製の手口は、コンピュータ・シミュレーションでも確認できる。その代表例が、トムレイの人工生命プログラム「ティエラ:Tierra」だろう。
■人工生命「ティエラ」
ティエラは、コンピュータ上で人工生命を誕生させ、進化させるシミュレーションソフトだ。一見難しそうだが、原理はいたってシンプルである。
自然環境をコンピュータのCPUとメモリに、生命(遺伝子)をコンピュータ・プログラムに置きかえただけ。
地球は物理的スペースも資源も限られている。だから、生存できる生命(遺伝子)も限られる。そのため、環境に適応した生命(遺伝子)が多く生き残るわけだ。
そこで、ティエラでは・・・
地球上の資源をコンピュータのメモリに、時間をCPUを、生命(遺伝子)をコンピュータ・プログラムに置き換えて、シミュレーションする。
つまり・・・
ティエラでは、人工生命プログラムは、限られたメモリ(資源)を奪い合う。たくさん、自分をメモリにコピーした方が勝ち。もちろん、人工生命のCPUの処理時間が短いほど、高速にコピーできる。その意味で、CPUは時間に相当するわけだ。
そして、ティエラの一番の特長は、人工生命プログラムが、人間の手を介さずに、進化し続けること。しかも、時間が経つにつれ、巧妙な自己コピーの新種が生まれ、ついには、前述した「寄生型」まで生まれたという。
「寄生型」は、ライバルに寄生して、ライバルのコピーに便乗して、自分もいっしょにコピーさせる。自力本願から他力本願へのコペルニクス的転回で、戦略上の革命といっていいだろう。そんなものを、コンピュータがみずから創り出した!?
ありえない!?
いや、コンピュータでスペックアップさせること自体はそれほど難しくない。
たとえば、歴史シミュレーションゲームの武将スペック。必要なパラメータは、知力、武力、交渉力、カリスマで、その総計を10とする。すると、良さげなスペックは、
【参謀長】知力5、武力2、交渉力2、カリスマ1
【軍団長】知力1、武力5、交渉力1、カリスマ3
でも、軍団長たるもの、一軍を指揮するわけで、武力よりもカリスマの方が重要かもしれない。そこで、
【軍団長】知力1、武力3、交渉力1、カリスマ5
そんなこんなの武将同士を戦わせ、その勝敗をもとにパラメータを変えながら、武将をスペックアップしていく。その一切をコンピュータでやれば、武将を自動的に改良できるわけだ。
ただし、この手法は・・・
武将の違いをパラメータ(データ)で決めるのであって、プログラムを変えているわけではない。
そして、ここが重要なのだが・・・
「寄生型」のような画期的な新種は、「パラメータ」を変える方法では絶対に生まれない。あらかじめプログラムを作って仕込んでおけば、別だが。
ところが、トムレイが開発したティエラは、人工生命プログラムそのものを改変する仕組みをそなえている。その結果、画期的な「寄生型」が生まれたのである。だから、革新的なスペックアップを求めるなら、プログラムを変えるしかない。自由度は高いし、人間が思いもよらないものが飛び出す可能性もあるから。ただし、作るのは難しい、それも超がつくほど。
ここで、コーヒーブレイク・・・
今から15年前、PCゲームを生業にしていたころ、担当役員から、北陸先端科学技術大学院大学に行ってくるよう言われた。情報関係の教授にアポをとったから、話を聞いてこいという。当時、「人工生命」ネタを吹いていたので、独断専行されてはたまらないと思ったのだろう。もちろん、こっちも願ったり叶ったり。さっそく、研究室にお伺いした。名前は忘れてしまったが、かなり頭の切れる教授だった。元、大手ソフトウェア会社の部長をしていたという。
彼の専門は人工生命ではなかったが、トムレイもティエラもチェック済みだった。そして、2時間ほど熱く語った後、こうしめくくった。
「トムレイは、宣伝上手ですね。ティエラは目を引くし、知的好奇心もそそる。でも、ホンモノの人工生命は生まれませんよ、絶対に」
ホンモノの人工生命が何かはわからなかったが、寄生型を超える新種は生まれない、システムとしては限界だと言いたかったのだろう。なんとなく腑に落ちたので、その時を境に、人工生命への熱は冷めてしまった。その後、PCゲーム雑誌「ログイン」の編集長に、
「ゲームで人工生命が成功した試しはない」
と言われ、熱は完全に冷めてしまった。
ただ、ティエラで一つ感心したことがある。システム上、データとプログラムの区別がないこと。通常のソフトウェアは、プログラムは固定不変で、データを生成・変更しながら処理を行う。つまり、データは変わるが、プログラムは変わらない。なぜなら、処理手順であるプログラムが変われば、何がおこるかわからないから。
ところが、ティエラでは、活動主体の人工生命プログラムも変化する(でないと変種が生まれない)。専門的な話だが、ティエラはインタープリタというプログラム言語で構築されている。だから、可能なのであって、業務アプリやゲームのようなネイティブアプリではムリ。やってやれないことはないが、バグ出まくりで、収拾がつかなくなるだろう。
というわけで・・・
ティエラはプログラムとしては面白いものの、単純すぎて、これ以上の発展は望めない。余談だが、ティエラぐらいのソフトなら、アマチュアのプログラマーでも作ることができる。秋の夜長を、自分が創造した世界で、生命が誕生し、進化していく様を眺めるのはいかがでしょう?
(リタイアしたらボケ防止にやるつもり。その時は無料で公開します!)
■生存機械の発明
ドーキンスの自己複製子に話をもどそう。
自己複製子の進化は、ミスコピーと自然淘汰によって実現される。ミスコピーで変種が生まれ、自然淘汰によって優性が生き残り、劣性が根絶されるわけだ。しかも、このプロセスは累積的なので、全体として進化に向かう。シンプルだが、非常に巧妙な仕掛けである。
では、寿命がより長く、コピーがより高速に、さらに、ライバルを破壊するものまで出現したとすると、次は・・・
自己複製子を攻撃から守るシールド、つまり、「個体」の発明。
ある時、自己複製子はタンパク質のシールドで包み、身を守る術をあみだした。その最初の試みが細胞だったのではないか、とドーキンスは推測する。
最初は、シンプルな外皮から始まり、敵の攻撃力が増すにつれ、筋肉、それを支える骨格、さらに、それを維持するための内臓が生まれたのではないか。その集大成が、我々の肉体(個体)というわけだ。
それにしても、ここまで手が込んでくると、「シールド」というより「生物機械」に近い。早い話が、エヴァンゲリオン、ガンダム、マジンガーZ(ちょっと古いか)。
では、その先は?
もろくて腐る有機物でなく、丈夫で長持ちする無機物のボディー。
たとえば、脳がシリコンチップで、骨格がセラミックで、筋肉がカーボンナノチューブとか・・・
そりゃ凄い!
でも・・・
そんな時代には生きたくないなぁ。ダラダラ長生きしても、いいことはないのかもしれない・・・ふと、織田信長が愛した敦盛の一節を思い出した。
「人間50年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」
人生、50年も生きれば十分、かもですよ。
参考文献
(※1)「利己的な遺伝子増補改題『生物=生存機械論』」リチャード・ドーキンス(著),日高敏隆(翻訳),岸由二(翻訳),羽田節子(翻訳),垂水雄二(翻訳)出版社:紀伊國屋書店
(※2)「神は妄想である―宗教との決別」リチャード・ドーキンス(著),垂水雄二(翻訳)出版社:早川書房
by R.B