世界は作り物である(4)~神の見世物小屋~
■数学とイデア界
ニュートン力学は人類が手にした初めての「神の方程式」だった。
ただし・・・
ここでいう「方程式」は、実験や観測の結果から、テキトーに殴り書きしたものではない。厳密な数学によって記述されている。だから、限りなく真実に近い。
でも、数学は本当に信用できるの?
たぶん・・・というか、人間が真実を知る上で、これに優る方法はない。
なぜなら・・・
数学は、具体性が排除され、すべてが抽象化されている。
リンゴが3個あって、1個食べました。何個残るでしょう?
飛行機が3機飛んでいて、1機撃墜しました。何機残るでしょう?
囚人が3人いて、1人脱走しました・・・
はい、そこまで、「3-1=2」で十分。
この抽象化により、数学は高い普遍性をもっている。
しかも、数学は完全無欠の論理(真実)で構築されている。絶対的仮定の「公理」からスタートして、水も漏らさぬ論理でたたみこんでいく。その結果、導き出されたのが「定理」で、数学の土台と骨組みを形成している。だから、曖昧さがつけいるスキがない。
それゆえ、数学は人間の究極の武器なのである。
ところで・・・
抽象的で、具体性がなく、真実?
それって、プラトンのイデア界のことでは?
当たらずとも遠からず。プラトンは、物質界の上にイデア界があると考えた。イデアとは永遠不滅の真実で、究極まで抽象化されている。実体をもたないので、劣化することも朽ち果てることもない。われわれの物質界はこのイデア界をひな形に模造したもの、つまり、「作り物」なのだという。
ところで、ニュートン力学はなぜ「神の方程式」と言えるのか?
ニュートンは、「天体観測結果=事実=絶対的仮定」からスタートし、微積分を使って万有引力の法則を導き出した。このように、個別の具体例から、純粋な論理の積み重ねによって、普遍的な法則を導くことを帰納法とよんでいる。
この「万有引力の法則」と「3つの運動法則」をあわせたものがニュートン力学だが、その明快さと普遍性は驚くばかりだ。リンゴが大地に落ちるのも、地球が太陽を周回するのも、同じ原理だというのだから。
しかも、ニュートン力学を使えば、100万年後の星々の位置、隕石の地球衝突も予測できる。さらに、地球から7800万km離れた火星に宇宙船を送り込むことも可能なのだ。ただし、精度を上げるには近似法による逐次計算が必要で、強力なコンピュータが欠かせない。
というわけで・・・
ニュートン力学は未来を予知できる!?
これは興味津々、もっと詳しく!
■ラプラスの悪魔
物体のある時刻の「位置」と「運動量(質量×速度)」を測定し、それをニュートン力学に適用すると、未来の「位置」と「運動量」を求めることができる。これは、何万回繰り返そうが、結果は同じ。もし、違っていたら、条件が変わったのだ。つまり、力学運動に限れば、ニュートン力学は的中率100%の予言者なのである。
とすれば、物質を構成する原子も同じことが言えるのではないか?
しかも、この世のすべては原子でできている。
ということは・・・世界はすべてお見通し、未来を完全に予知できる!
つまり・・・
すべての出来事は、原因があって結果がある。それをヒモづけしているのが「因果律」。だから、因果律(神の方程式)を見つけ出し、原因をインプットすれば、未来を一意的に決定できるというわけだ。
裏を返せば・・・
未来は現在の状態によって、すでに決まっている!?
しびれるような「決まり」文句だが、これを「決定論」とよんでいる。
19世紀初頭、この明快でゾクゾクする妄想に取り憑かれた学者がいた。フランスの数学者シモン・ラプラスである。彼は「決定論」の熱烈な信奉者で、未来を予知する超越的存在「知性」なるものを夢想していた。
万能の予言者が「知性」?
インパクトないな~。そこで後に改名され、「ラプラスの悪魔」とよばれることになった。
これなら、まぁなんとか。
でも、これって神のことでは?
いや、名前はどうでもいい。
問題は、この「決定論」が真実か否かだ。
■ハイゼンベルクの反論
星々や、宇宙船のようなマクロ世界では、ニュートン力学が神の方程式であることがわかった。そこで、つぎにミクロ世界に目を転じてみよう。
原子は、真ん中に原子核があり、その周囲を電子がグルグル回っている。そこで、電子の未来を予知してみよう。ある時点における電子の位置と運動量を測定し、ニュートン力学で計算すれば、未来の位置と運動量が予測できるはず。
ゼンゼン問題ないのでは?
ところが、あるのだ。
ミクロ世界最強の「量子力学」によれば、原子の位置と運動量(質量×速度)を同時に正確に測定することはできない。測定器の誤差の問題ではなく、原理的に!
なんで?
「位置」の測定誤差が減れば、そのぶん、「運動量」の測定誤差が増えるから。逆もまた真なり。式で表すとわかりやすい・・・
「位置の測定誤差×運動量の測定誤差≧一定値」
これが不確定性原理で、提唱者したハイゼンベルクは、その功績によりノーベル物理学賞を受賞している。
というわけで、ミクロ世界では、100%「決定」はムリ、どんな事象も確率でしか表せない。たとえば、電子のT秒後の位置は・・・A点にいる確率は70%、B点は20%、C点は10%という具合に。
つまり、ミクロ世界では「決定論」が成立しない。当然、未来を予知することも原理的に不可能。
ひょっとすると、創造主でさえ、未来を予知できないのかもしれない。
たしかに・・・
創造主が、「神の方程式」で未来を予知できるなら、わざわざ宇宙を創って”試す”必要はないではないか。
試す?
試すって、一体何を試すのだ?
■神の見世物小屋
ハイゼンベルクの不確定性原理が示すように、「神の方程式」を使っても、未来が予知できないなら、創造主は宇宙を”創ってみる”しかないだろう。
何のために?
自分の宇宙を見たいから。
仮想世界を造った神プログラマーが、自分の世界を見たいのと同じ。
では、創造主は宇宙の何が見たいのだろう?
たぶん、生命・・・宇宙で最も複雑でレアなものだから。当然、宇宙の基本スペックは最も難易度の高い「生命」に設定されている。
ところで、創造主は生命の何が面白いのか?
この問いは、そのまま「生命の存在目的」に帰着する。
では、存在目的は?
少なくとも、「存在」そのものではない。どんな生命も死ぬ運命にあるから。
じつは、この問題で面白い説を唱えた学者がいる。生物学者のリチャードドーキンスだ。彼は、生命の本質は生物の「個体」ではなく「遺伝子」にあると言う。自然淘汰システムでふるいにかけられるのは、個体ではなく遺伝子だというのだ。
つまり・・・生命の存在目的は「遺伝子のサバイバル」。
そのため、遺伝子は生き残るためトコトン自己中だという。ドーキンスはその説を一般人向けに書き下ろし、一財産つくった。これがベストセラー「利己的な遺伝子(※)」である。ただし、一般人向けと言いながら、全然平易ではない。典型的なイギリス風言い回しで、まわりくどいのだ。
たとえば・・・
自己複製子(遺伝子)は自ら闘っていることなど知らなかったし、それで悩むことはなかった。この戦いはどんな悪感情も伴わず、というより何の感情もさしはさまずにおこなわれた、だが、彼らは明らかに闘っていた(※)。
はやい話が・・・
遺伝子は無意識で闘っている。
ところが、言い回しだけではなく、目的が「遺伝子のサバイバル」というのも問題がある。
6500万年前、地球に直径10kmの隕石が衝突し、生物種の60%が死滅した。さらに太古の時代、膨大な量の溶岩が吹き出し、地表すべてを焼き尽くし、生物が全滅している。個体のみならず、遺伝子も全滅したわけだ。だから、遺伝子の長生きが目的とは思えない。
一方、「長生き」にフォーカスすれば、宇宙誕生以来、今も存続しているのは基本粒子ぐらいだろう。ちなみに、現在137億歳、大変な長寿だ。ところが、基本粒子のひとつ「陽子」に寿命があるという説がある。いわゆる「陽子崩壊」だ。もし、そうなったら、宇宙の物質は根本から朽ち果てる。
そう考えると・・・
宇宙の目的は「永続」ではなく「変化」にあるのかもしれない。
だから、「時間」なんて得体の知れないものがあるのだろう。
もし、「時間」がなかったら、すべての変化は同時処理され、一瞬で終了する。初めも終わりもないのだから、「存在」の概念も消える。
実際、マンハッタン計画に参加した物理学者ジョンホイーラーは、
「時間とはすべてが同時に起こることを防いでいるもの」
と言っている。
核心を突いて、名言だが、
「時間とは、有無、つまり、『存在』を成立させるための仕掛け」
と言ったほうがいいかもしれない。
ではなぜ、「存在」が必要なのか?
存在しないと観察できないから。
観察?
やはり、観察者がいるわけだ。
というわけで、我々の宇宙は作り物、作り物であれば目的がある、その目的というのが「鑑賞」なのかもしれない。
じゃあ、この世界は見世物小屋ってこと!?
■宇宙の終わり
見世物小屋の住人としては、寂しいかぎりだが、ひとつ知っておきたいことがある。
それは・・・
この見世物はどんな形で終わるのか?
陽子崩壊、それとも、ビッグクランチ?
宇宙は、ビッグバンのあと膨張を続けているが、いずれ収縮に向かうという説がある。宇宙には膨大な物質と暗黒物質があり、その総和が強力な重力となって、宇宙を縮めようとしているから。
では、その結末は?
ビッグバンが始まった極小点(特異点)にもどる。宇宙全体がクラッシュするわけだ。陽子崩壊を超えるあからさまな「終わり」だが、これをビッグクランチとよんでいる
でも・・・
もっとサプライズな「終わり」があるかもしれない。
ある日、ベッドでうつらうつらしていると、目の前に、悪魔が出現する。
「悪魔が一体何の用だ?」
「え、分かります?」
「シッポが矢印なら、悪魔しかないだろ」
「なるほど、それなら話は早い」
「この見世物は今日でおしまい。ご苦労さまでした」
「はあ、ドッキリ?」
「まあ、そんなとこ。でも、このドッキリ、宇宙ぜんぶの話でして・・・」
こうして、ふたたび「無」が支配した。
《完》
参考文献
(※)「利己的な遺伝子増補改題『生物=生存機械論』」リチャード・ドーキンス(著),日高敏隆(翻訳),岸由二(翻訳),羽田節子(翻訳),垂水雄二(翻訳)出版社:紀伊國屋書店
by R.B