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週刊スモールトーク (第213話) ナチスのサブカルチャー(8)~第四帝国のトラウマ~

カテゴリ : 娯楽思想

2013.06.30

ナチスのサブカルチャー(8)~第四帝国のトラウマ~

■第一次世界大戦

第一次世界大戦は、TVドラマ「24・TwentyFour」なみの疾風怒濤で始まった。

1914年6月28日、ボスニア・ヘルツェゴビナの首府サラエヴォ。この日はよく晴れた夏日だった。午前11時、オーストリア=ハンガリー帝国のフェルディナント皇太子夫妻をのせた車が、運転手のミスで袋小路に迷い込み、一人の青年の前で止まった。サラエヴォは丘陵地帯にあり、街路が複雑なので、ありがちなトラブルではあったが、それが、後に2000万人の命を奪うことになるとは誰が想像しただろうか。

この青年はボスニアに住むセルビア人学生で、名をガブリロ・プリンツィプといった。しかし、彼は”並の”学生ではなかった。セルビア人のテロリストグループ「ブラック・ハンド」のメンバーだったのである。しかも、この日、彼はフェルディナント皇太子夫妻の命を狙っていた。だから、彼は目の前で起こった幸運が信じられなかった。それでも、皇太子夫妻に弾丸を撃ち込むことを忘れなかった。

その30分後、フェルディナント皇太子夫妻は死んだ。

数日後、オーストリア=ハンガリー帝国はこの暗殺を口実に、セルビア侵攻を企てていた。というのも、オーストリア=ハンガリー帝国はドイツ人の国、セルビアはスラヴ人の国で、この事件が起こる前から、「ドイツ人Vs.スラヴ人」の鋭い民族対立があったのである。

オーストリア=ハンガリー政府は、無理難題てんこ盛りの最後通牒をセルビアに突きつけ、「無条件承諾」を迫った。一方、セルビア政府は、なんとか戦争を回避しようと「条件付き承諾」を申し出た。ところが、オーストリア側は「無条件承諾」ではないと言いがかりをつけ、セルビアに宣戦布告したのである。

ここで、「ドイツ人Vs.スラヴ人」は新たな火種を生む。まず、スラヴ人国家の盟主を自認するロシア帝国はセルビアに味方すると約束した。すると、ドイツ人国家の盟主を自認するドイツ帝国は、もしロシア帝国が介入するなら、我々はオーストリア=ハンガリー帝国を断固守ると宣言したのである。

さらに・・・

露仏同盟を結んでいたフランス、さらには、フランスとロシアと協定を結んでいたイギリスがロシア側についた。

まるで、子供のケンカだが、ここで注目すべき事実がある。

この戦争で利を得る国が一つもないのに、みんな戦争をしたがっていたこと。ヨーロッパの大国が、そろいもそろって、近代の大量殺戮戦の恐ろしさも知らず、ロマンチックな騎士道精神に心を奮わせながら、華々しくも勇ましい戦争を夢想していたのである。

その結果、凄まじい宣戦布告のドミノ倒しが始まった。結局、バルカン半島で起こったローカルな民族戦争「オーストリアVs.セルビア」は、30日後には、
「ドイツVs.ロシア・イギリス・フランス」
というヨーロッパ列強の大戦にすり替わっていたのである。そして、5年後、第一次世界大戦が終ったときには、2000万人の命が奪われていた。

もし、この時期、ドイツ帝国の宰相ビスマルクが解任されていなかったら、この戦争は起こらなかっただろう。ドイツにしてみれば、フランスとロシアの危険な二正面作戦を強いられるからだ。早い話が、挟み撃ち。兵を2分すれば戦力は半減し、各個撃破されるのがオチ。しかも、逃げ場がないので国は焦土と化す。二兎を追う者は一兎をも得ず、戦争に限らず、最悪の手なのだ。

それに、ビスマルクは、
戦争は外交の延長上にあり、しかも最後の手段
を固く信じていた。彼の頭の中には、戦争のための戦争や、美化された戦争などなかったのである。実際、フランスと戦った普仏戦争では、連戦連勝していたにもかかわず、首都パリの占領に反対した。フランス人に遺恨を残さないためである。ビスマルクは有能な政治家であり、凄腕の外交官であり、優れた心理学者でもあった。

一方、有能な軍人ほど、難しいミッションにのめり込む傾向がある。ドイツ参謀総長アルフレート・フォン・シュリーフェンもそうだった。先の二正面作戦を成功させる妙案を思いついたのである。軍事史に名高い「シュリーフェン・プラン」だ。

このプランは、鮮やかで、派手で、カッコよく、映画にするにはうってつけだった。いわく・・・ロシアは国土が広く、何事も鈍重なので、兵を動員するまでに時間がかかる。そこで、ロシアが攻めてくる前に、主力軍をベルギー経由でフランス北部に侵攻させ、そこから円を描くように南下し、フランス軍を包囲殲滅する。その後、全軍を反転させて、ロシアを叩く・・・

しかし、このプランが成功するには、2つの大前提があった。

・東部戦線:ロシアは本当に鈍重。

・西部戦線:ドイツ軍は機動力が高く、しかも、フランス軍よりずっと強い。

ところが、いざ戦争が始まると、この2つの前提はたちまち崩れ去った。

ドイツ軍がベルギーを経由して、フランス北部のアミアンに達すると、最初の問題が発生した。ドイツが中立国のベルギーを侵略したという理由で、イギリスがフランスに援軍を送ったのである。結果、「イギリス・フランス軍Vs.ドイツ軍」で、西部戦線は膠着した。

さらに、ロシア軍の動員が思ったより早かった。結果、ドイツは東部戦線にも兵を割かざるをえず、最悪の二正面作戦を強いられたのである。こうして、「シュリーフェン・プラン」は画餅に終わった(絵に描いた餅)。

1917年4月6日、ドイツにさらなる災難がふりかかる。アメリカ合衆国がドイツに宣戦布告したのである。ドイツの無制限潜水艦作戦で、アメリカの船舶が撃沈されたからである。世界最強のアメリカが参戦した以上、一刻の猶予もない。ドイツは徐々に追い詰められていった。

ところが、1917年2月、ドイツに思わぬ幸運が転がり込む。ロシアで革命が起こったのである。300年続いたロマノフ王朝は崩壊し、同年11月7日にボリシェヴィキ政権が樹立された。とはいえ、まだ反革命勢力がくすぶっているので、国内を安定させるのが先決だ。だから、ドイツと戦争しているヒマはない。

そこで・・・

1918年3月3日、ロシアのボリシェヴィキ政府は、ドイツとブレスト=リトフスク条約を結んだ。戦争継続を断念したのである。そのため、ロシアは足元を見られ、不利な条件を呑まざるを得なかった。一方、ドイツは東部戦線から解放され、ロシアから領土を割譲し、いいことづくめだった。さっそく、ドイツはロシアの資源で兵器を増産し、兵力を西部戦線に集中し、体制を立て直すことに成功した。

1918年3月21日、ドイツ軍の春季大攻勢がはじまった。新兵器の飛行機、大量殺戮兵器の毒ガス、世界最大のパリ砲など、ドイツご自慢のハイテク兵器が投入され、イギリス・フランス軍を圧倒した。イギリス軍とフランス軍は分断され、イギリス軍が大陸から追い出されるのも時間の問題に思われた。

ところが・・・

1918年5月、初めて、アメリカ軍が西部戦線に投入された。その後、毎月30万人のペースで兵が補充され、西部戦線の力の均衡は崩壊した。ドイツ軍は劣勢に転じ、敗北は免れないというニュースがドイツ軍を駆けめぐった。軍の士気は低下し、11月4日、キール軍港で、水兵の反乱が起こった。人も物資も枯渇し、経済は破綻し、国民生活は窮乏した。各地で暴動、反戦運動が吹き荒れ、秩序の崩壊が始まった。

そして・・・

1918年11月10日、ビスマルクを解任し、ドイツを戦争に巻きこんだ張本人、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、代々受け継がれたホーエンツォレルン家の財産を列車に詰め込んで、オランダに亡命した。翌11日、ドイツのヴァイマル共和政府と連合軍との間で休戦協定が締結された。ドイツは降伏したのである。このあっけない最期は、ドイツの国民と兵士にヴァイマル共和政府への強い不信感を植えつけた。

戦後、ドイツ国防軍の英雄パウル・フォン・ヒンデンブルク元帥は怒りを込めてこう言った。
「ドイツの敗北は、軍部に責任があるわけではない。休戦協定にサインした左翼どものせいである」
この発言は、「背後の一突き」として、その後、反左翼のプロパガンダに使われることになった。

ところで、もし、アメリカが参戦しなかったら・・・

1918年3月のドイツ軍の大攻勢は成功し、フランスは征服され、イギリス大陸軍は本国に撤退していただろう。結果、フランスはドイツの植民地になり、イギリスとドイツは講和していた。つまり・・・

ドイツの敗戦の主因は「アメリカの参戦」にある。

■第二次世界大戦

第二次世界大戦の原因の一つがヴェルサイユ条約にあることに議論の余地はない。

ヴェルサイユ条約は、建前としては、第一次世界大戦の戦後処理、じつのところ、戦争責任をドイツ一国に押しつけ、ドイツが二度と蘇らないようにする懲罰だった。

実際、ドイツは植民地を奪われ、自国領土を削られ、払える見込みのない賠償金を課せられた。結果、国民は働けど働けど、賠償金にむしり取られ、暮らしは悪くなる一方だった。

さらに・・・

ドイツの牙を抜くため、国防軍は念入りにタガをはめられた。

毒ガス、戦車、航空機、潜水艦は製造も保有も禁止され、陸軍の兵力は10万に制限された(往時の1/8)。しかも、作戦立案を担当する参謀本部は解体され、ドイツ国防軍は「頭」のないゾンビー軍におとしめられた。さらに、一般兵役義務も廃止されたので、有事の際に必要な予備役も確保できない。結局のところ、ドイツ国防軍は治安の維持と国境警備に限定され、太平洋戦争直後の日本の自衛隊と同様、「警察予備隊」だったのである。

つまり、ヴェルサイユ条約は、軍人には屈辱を、国民には窮乏と困苦を与え、ドイツを丸ごと、どん底にたたき落としたのである。

それでも、賠償金を物納したり(電柱まで取られた)、あの手この手でやりくりしながら、細々と生きつないでいた。1920年代に入ると、ようやく景気も持ち直し、人々の生活にも余裕がでてきた。

その頃・・・

ドイツで新しい政党が産声をあげた。1920年2月、ミュンヘンのビアホールでくだをまいていたドイツ労働者党が「国家社会主義ドイツ労働者党」と改名したのである。仰々しくも格調高く、舌をかみそうな語呂だが、あの「ナチス」のことである。

この時、ヒトラーは自ら党の綱領を作っている。

・民族の境界を帝国の境界と一致させる(ドイツ人が住む土地はドイツのもの)

・ヴェルサイユ条約を破棄する(ドイツに災いする条約は存在に値しない)

・ドイツ人の居住区を拡大させる(早い話が領土侵略)

・ユダヤ人を排除する(アーリア人が地球上で一番上等)

等々。なんとも挑発的だ。

平時なら、誰も相手にしないだろう。実際、1928年5月、ナチスが初めて国政選挙に挑んだとき、当選者はわずか12名だった。この頃のナチスは、いつ消えてもおかしくない泡沫政党だったのである。

ところが・・・

1929年の世界大恐慌がすべてを変えてしまった。ドイツがどん底だと思っていた階に、まだ下があったのである。借金を返しながら、つつましい生活で我慢する、ではすまなくなったのだ。コーヒーを注文し、飲み終わるまでにコーヒーの値段が2倍!そんな恐ろしいハイパーインフレが市民を直撃した。

さらに・・・

1928年に130万人だった失業者は、1932年末には600万人に達した。失業率30%、3人に1人が失業!ドイツは失業と貧困と飢えに苦しみ、暗い世情が社会をおおった。

フランスの特派員ステファーヌ・ルッセルは当時のドイツをこう記している・・・

「ドイツ人は、あの戦争から、あの不確かな、卑劣にさえ感じられる敗戦から、決して立ち直れなかった。ここにいるのは病んだ国民です。この病んだ国民が今や奇跡の医師を見つけました。こう言ってくれる男です。私はお前たちを再び勝利する国民にしてやろう。お前たちはどこへ出ても、恥ずかしくない国民になれるだろう。無数の演説でヒトラーは希望を与えることに成功しました。これからはすべてが変わるという感覚を与えることに彼は成功したのです」(※2)

一方、ユダヤ人のある女医はこう記している・・・

「皆があの男のことを信じている、信じたがっている、あの男に仕えたがっているように聞こえる。世界史の1ページがめくられたのが聞こえるようだ。その本の次のページからは荒涼として支離滅裂な、災厄に満ちたことが、読みにくい小さな字で書きなぐってあるのだ」(※2)

ドイツは混乱していた。

やがて、誰も彼も考えることに疲れ果て、大声でがなり立てる男に付き従うようになった。その方が楽だからである。こうして、第二次世界大戦が始まった。

第二次世界大戦の主戦は、第一次世界大戦と同様、
「ドイツVs.イギリス・フランス」
で始まった。

ところが・・・

その後の戦況は、第一次世界大戦と大きく違った。ドイツ軍はわずか1ヶ月でフランスを占領したのである。さらに、フランスの盟友イギリス軍も命からがら本国に逃げ帰った。その後、ヒトラーはイギリスに和平を熱く呼びかけたものの、反応は冷たかった。

そこで、空軍総司令官ゲーリングの大言壮語を真に受け、イギリス本土を空襲したものの大失敗。その後、矛先を変えてソ連に侵攻したが、そこで、ヒトラーの運は尽きてしまった。あと一歩のところでモスクワ攻略に失敗したのである。

ここで、IFの歴史学・・・

もし、ドイツがソ連に侵攻する前に、地中海に展開するイギリス軍の掃討作戦を実施していたら、イギリス軍はひとたまりもなかっただろう。補給路を断たれたイギリス軍はヨーロッパから撤退し、ブリテン島に閉じこもるしかない。その場合、イギリスは2択を迫られる。ドイツとの和平か、ドイツ軍のイギリス本土上陸に立ち向かうか。

ここまでくれば、敗戦責任でチャーチルが失脚するか、たとえ、失脚しなくても、ドイツとの和平を支持する保守派に押し切られるだろう。その場合、チャーチルはカナダに亡命して新政権樹立する、ぐらいは息巻くだろうが、王室が亡命しないかぎりムリ。ということで、この時点で、ドイツの西ヨーロッパ征服は完了する。

さらに・・・

日本が、アメリカとの衝突をさけ、南進を辞めて、北進論を選択していたら、ソ連はドイツと日本で挟み撃ちにされる。そうなれば、ソ連は、実史どおり、ドイツと日本と不可侵条約を締結するだろう。

しかし・・・

ヒトラーは必ずソ連に侵攻する。彼の究極の目標は「東方生存圏の拡大」にあるのだから。そのとき、日本が北進を選択していれば、日ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻するだろう。南進を選んだ実史でも、関東軍はソ連に侵攻したくてウズウズしていたのだから。

この場合、ソ連は西方のドイツ軍、東方の日本軍に挟み撃ちにされるので、勝ち目は薄い。アメリカがソ連に見境のない軍需物資を支援したとしても、いいところ五分五分だろう。いずれにせよ、ドイツの敗北はない。つまり、この時点で、ヒトラーの「新ヨーロッパ」は現実になる

その結果・・・

西ヨーロッパの大半がドイツの占領下におかれる。チェコスロヴァキア、ポーランドはドイツに編入され、総督の管理下におかれる。その他の東ヨーロッパの国々はドイツの属国となる。さらに、ウクライナからウラル山脈までの広大なソ連領にはドイツ人が入植し、スラヴ人は奴隷労働に従事させられる。つまり、ロシアの民は奴隷に落とされ、土地だけがゲルマン化されるわけだ。

そして、次に・・・

ドイツ第三帝国は、アメリカに挑むだろう。ユーラシア大陸の半分を征服すれば、天然資源、人口、科学技術、工業力、すべてにおいて、アメリカを凌駕するからだ。

つまり、「ドイツの世界征服」は荒唐無稽とは言えない。

■リデルハートの予言

20世紀を代表する軍事評論家B・H・リデルハートの著書「ヒトラーと国防軍」の中に、こんな一文がある・・・

「ヒトラーの戦略的直観力と、ドイツ参謀本部の戦略的な計算とがうまく合体していたら、それはおそらく、すべてを征服し尽くすほどの物凄い力を発揮したことだろう」(※1)

リデルハートはドイツ人ではなく、敵国のイギリス人である。彼がドイツ軍人びいきだったことを差し引いても、

「ドイツが本気になったら、軽々と世界征服

はありえない話ではない。

ドイツが怖れられる理由がここにある。この恐怖が「ドイツ第四帝国のトラウマ」を生み出し、ドイツを「悪のシンボル」の名札で封印したのである。人為的か、自然発生的かはわからないが。

もし、後者なら、ドイツは神懸かり的な力を与えられながら、最後はいつも神に裏切られる・・・損な役回りだ。

でもひょっとして・・・

最後にドンデン返しがあるかも?

たとえば、西暦20XX年に、ドイツ第四帝国が出現するとか!

どんな経緯で、どんな形になるかは想像もつかないが、月面ナチスではないことだけは確かだ(たぶん)。

《完》

参考文献:
・(※1)ヒトラーと国防軍ベイジル・ヘンリー・リデルハート(著),岡本らい輔(翻訳)原書房
「TheOtherSideoftheHill.Germany’sGenerals.TheirRiseandFall,withtheirownAccountofMilitaryEvents1939-1945」
・(※2)ヒトラー権力掌握の20ヵ月グイドクノップ(著),高木玲(翻訳)中央公論新社
・ヒトラーと第三帝国(地図で読む世界の歴史)リチャードオウヴァリー(原著),永井清彦(翻訳),秀岡尚子(翻訳),牧人舎(翻訳)河出書房新社
・歴史の方程式―科学は大事件を予知できるかマークブキャナン(著),水谷淳(翻訳)早川書房
・その時歴史が動いた〈別巻〉ヒトラーと第三帝国NHK取材班(編集)出版社:KTC中央出版

by R.B

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