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週刊スモールトーク (第167話) 2012年人類滅亡説(2)~オルメカとテオティワカン

カテゴリ : 歴史終末

2012.02.26

2012年人類滅亡説(2)~オルメカとテオティワカン

■滅びの地

北アメリカと南アメリカをむすぶ「メソアメリカ」は、太古より不吉な歴史に彩られている。6500万年前、この地に、巨大隕石が衝突し、地球上の生物種の60%が絶滅した。この大破局により、弱肉強食の基本システム「食物連鎖」が一変した。地上の覇者「恐竜」が絶滅し、それまで地中に身を隠していた「ほ乳類」が頂点に立ったのである。

さらに、有史時代に入ると、16世紀末、メソアメリカ文明の集大成「アステカ帝国」が滅亡した。ヨーロッパから襲来したスペイン人が、町を破壊し、更地に変え、その上に自分たちの町を造ったのである。そして、マヤ文明。マヤ人は天体観測に異常なほど熱中し、精緻な暦をつくりあげ、その暦から、「2012年12月21日人類は滅亡する」と予言した。ところが、その日を待たずに滅んでしまった。つまり・・・メソアメリカの歴史は「滅びの歴史」、しかも、2度とよみがえることのない・・・MesoAmericaMap
左のマップはメソアメリカの全容で、ほぼ現在のメキシコにあたる。全長2000km、日本列島ほどの細長い地域で、北は砂漠、南はジャングルで封印されている。そのため、「時空の純粋培養」地域となって、3000年の間、独自の文明が栄えた。メソアメリカは、紀元前2000頃から人類の定住が始まり、紀元前1200年頃、アメリカ最古のオルメカ文明が興った。

教科書や歴史書で、オルメカといえば「巨石人頭像」だが、分厚い唇、幅広の鼻、二重まぶたのクリンとした目、どうみてもネグロイド(黒色人種)だ。では、メソアメリカ文明の担い手は黒人?現生人類が誕生したのはアフリカだが、ユーラシア大陸からベーリング海峡を経て、南北アメリカ大陸に移住したのはモンゴロイド(黄色人種)である。ところが、2012年2月、北米インディアンの祖先はシベリアから来たという説が発表され、一部話題になった。ただ、アメリカ先住民がシベリアから移住したと言う説は、ロンドン大学のアンドレス・リナレスによって、すでに提唱されている。いずれも、根拠はDNAなので信憑性は高い。

もちろん、他のアジア地域から移住したという説もある。いずれにせよ、黒人でないことは確かだ。黒人が南北アメリカに定住するのは、奴隷貿易が始まる15世紀以降なので。それに、現在この地に住むメキシコ人の顔を見れば、明らか。メキシコ人はメソアメリカ先住民とスペイン人の混血だが、どうみても、「モンゴロイド+白人」だから、メソアメリカ先住民はモンゴロイド。少なくとも、黒人ではない。では、黒人としか思えないオルメカの人頭像は何を意味するのか?ボロがでるとマズイので、視点を変えて話を進めよう。メソアメリカで栄えた文明は、大きく5つある。以下、古い順にみていこう(各文明の場所は上図を参照してね)。

■オルメカ文明【紀元前1200年~紀元前300年】

オルメカは、アメリカ最古の文明である。ジャガーを崇拝する宗教が信仰されていたらしい。宗教センターの「サン・ロレンソ」には、人や動物の精緻な石像、さらに、絵文字、数字、暦が見つかっている。特に、数字と暦は、後のサポテカ、ティオティワカン、マヤに継承された。そのため、オルメカは、メソアメリカの「母なる文明」といわれている。

前述したように、オルメカといえば、巨石人頭像だが、特筆すべきは、数字。驚くべきことに、ゼロを発見していたらしい。数を表すには、「桁上がり」が欠かせない(位取り記数法)。数が大きくなると、そのぶん、記号の数も増えるから。

たとえば、1から15までを、数字で表すと・・・

【桁上がりを使わない場合】

1、2、3、4、5、6、7、8、9、○、□、%、#、△、@(記号は15個必要)・・・①

【桁上がりを使う場合】

1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12、13、14、15(記号は10個でOK)・・・②

上の②は、「0~9」の10個の記号を使うので、「10進法」とよばれている。一方、コンピュータは、「0」と「1」の2つの記号を使う「2進法」が使われている。①と②の違いは「0」があるかないか。「②桁上がり」の場合、数が一定数を超えると、値を「0」にリセットして、かわりに、1つ桁上がりする。つまり・・・桁上がりに欠かせないのが「ゼロ」。そんなのあたりまえ?

ノー、知ってしまえばカンタンだが、思いつくのが難しい。まぁ。コロンブスの卵。その昔、アフリカのとある部族が、面倒なので、数字を3つの記号であらわすことにした。「1、2、たくさん」ところが、敵が攻めてきたとき大変だ。「敵は何人だ?」「たくさんだ!」3人?100人?1000人?10000人?「何人動員するんだ?」「たくさん!」・・・防衛体制のとりようがない。というわけで、「ゼロ」はとても重要な概念だ。数学(代数学)の第一歩といっていい。ところが、ゼロの歴史は意外に新しい。ゼロが発見されたのは8世紀のインドで、それがイスラム科学に取り込まれ、「アラビア数字」が確立し、ヨーロッパに伝わったというのが通説。実際は、メソポタミア文明でも使われていたらしいが。

まぁ、通説に従えば、その1000年以上前に、オルメカで発見されていたことになる。ここで、地球を支配した文明を時系列にならべると、「古代オリエント→古代ギリシャ・ローマ→イスラム→近代ヨーロッパ」・・・メソアメリカが入っていない。「ゼロの発見」と「複雑な暦」で、他の文明を圧倒するのに。なぜか?たぶん、世界中が、「地球の歴史は旧大陸が中心」と思い込んでいるから。ここで、「旧大陸」とは、コロンブスがアメリカ大陸を発見する前からヨーロッパで知られていた大陸。具体的には、アジア、ヨーロッパ、アフリカをさす。

ではなぜ、そうなったのか?新大陸(アメリカ・オーストラリア)の文明が、ヨーロッパ人によって完全に破壊されたから。そのため、残っている資料が非常に少ないのだ。とはいえ、「地球の歴史」を完成させるには、「新大陸の歴史」のピースも必要だ。だから、少ない資料から、消された文明を想像するしかない。また、オルメカは紀元前300年頃、突然歴史から姿を消している。

■サポテカ【紀元前500年~750年】

メソアメリカの文明で、担い手がわかっているのは、アステカとマヤとサポテカ。担い手が生き残っているのはサポテカ。というわけで、サポテカはメソアメリカにあって、正体が知れている文明である。そのサポテカが建設したのが「モンテ・アルバン」で、メソアメリカ文明を知る上で重要な遺跡になっている。モンテ・アルバンは、メキシコのオアハカ盆地にある宗教センターで、メソアメリカ文明定番の「天体観測所」と「球技場」をそなえている。

さらに、オルメカやテオティワカンにはない「戦争や拷問」が描かれた石板も発見されている。そして、最も重要な遺物が「260日暦」と「365日暦」の日付。「260日暦」と「365日暦」は、メソアメリカで普遍的に使われた暦で、メソアメリカで最も重要な文明アイテムである。メソアメリカ文明が滅びるまで使われたし、この暦をもとに、マヤ人は歴史上最も複雑な「マヤ暦」を作りあげたのだから。では、この暦はいつ頃作られたのだろう?先のモンテ・アルバンが建設されたのは、紀元前500年頃だが、その前にオアハカ盆地を支配したのは「サン・ホセ・モゴテ」だった。サン・ホセ・モゴテは、紀元前1400年~紀元前1150年頃に建設されたが、その遺跡の中に「象形文字」と「260日暦」が見つかっている。これは、今のところ、メソアメリカ最古。

また、サン・ホセ・モゴテは紀元前500年頃に廃棄されているが、モンテ・アルバンが建設された時期に一致する。ということは、サポテカ人が、サン・ホセ・モゴテを滅ぼしたか、サポテカ人がサン・ホセ・モゴテに替えて、モンテ・アルバンを建設したかのどちらかだが、今のところ、後者が有力。ということで、「260日暦」と「365日暦」を発明したのはサポテカ(今のところ)。サポテカ人の子孫は今もこの地に暮らしているし、彼らが建設したモンテ・アルバンも残っているし、「260日暦」と「365日暦」と「文字」も見つかっているし、文字を解読すれば、サポテカ文明の歴史もわかる。そうなれば、メソアメリカ文明も解明される、と期待したいところだが、ちょっとムリ。発見された石板は、絵が多く、文字が少ない。中には、1度しか出てこない文字もある。これでは、解読しようがない。今後の発掘に期待するしかないだろう。ところで、モンテ・アルバンのその後だが、200年~700年に全盛期をむかえ、1000年頃には廃棄されている。

■テオティワカン【紀元前150年~650年】

冒頭のメソアメリカのマップが示すように、オルメカはメソアメリカ文明の中心に位置している。「メソアメリカの母なる文明」は、地理的にもつじつまが合うわけだ。テオティワカンは、オルメカ文化を継承しているが、担い手が同じというわけではない。決定的に違う点もあるからだ。また、オルメカは、メキシコ湾岸の文明圏をさすが、テオティワカンは1つの都市である。しかも、非常に特殊な。テオティワカンは、「宗教+天文」の独自の世界観を具現化した都市である。このような宗教都市は、歴史上珍しくないが、テオティワカンの場合、徹底している。まず、都市の総面積は20平方キロメートルで、東京都の港区なみ。その真ん中を、幅30メートル、南北3キロメートルの「死者の大通り」が貫通する。それに沿って、碁盤の目状に、「太陽のピラミッド」と「月のピラミッド」、城塞や神殿が配置されている。

そして、驚くべきことに・・・街並みに試行錯誤の跡がない。トップダウンで設計され、ほぼ一撃で建設されている。古代インダス文明のモヘンジョダロのように。もっとも、都市なので、一撃と言っても100年単位だが。いずれにせよ、これだけ整然とした大都市を、トップダウンで建設するには、潤沢なヒト・モノ、強力な支配権が必要だろう。テオティワカンは、王族、貴族、神官にくわえ、農民、職人、商人も居住していた。しかも、市民用のアパートまであった。まるで、古代ローマ市だ。テオティワカンは、500年頃に最盛期をむかえ、人口は12万~20万人に達した。この時代、まだイスラム文明が存在しないので、ヨーロッパから西アジアの都市の人口は、せいぜい、1000~2000人。この時代、テオティワカンは世界有数の大都市だったことは間違いない。つまり・・・古代のローマ、アレクサンドリア、ダマスカス、コンスタンティノープルに匹敵するメトロポリスがアメリカ大陸にも存在したのである。だから、「旧大陸の文明>新大陸の文明」は正しくない。文明の高低は、どの大陸かではなく、個に依存している。

一方、テオティワカンは謎が多い。オルメカ文明を継承し、アステカ文明やマヤ文明と共通する部分もあるので、メソアメリカ文明であることは確か。ところが、アステカ、マヤとは決定的な違いがある。メソアメリカのお約束「球技場」がないのだ。メソアメリカの都市に欠かせないのが「球技場」。中には、マヤのエル・タヒンのように17の球技場を備えた都市もあった。さては、「球技」はメソアメリカの国民的スポーツ?とんでもない!メソアメリカの球技は生贄の儀式だったのだ!メソアメリカ文明でもう一つ欠かせないのが、天体観測所。もちろん、天体望遠鏡はないので、未知の天体を発見するためにあったわけではない。天体の運行を観測し、戦争の時期を知るためである。戦争の時期を測る?

じつは、メソアメリカでは、定期的に戦争を行い、捕虜をつかまえ、球技をさせ、勝利したチームを生贄にしたのである(負けた方ではなく)。生贄のために戦争する?イエス!だからこそ、都市には球技場が欠かせなかったのである。つまり、「球技場」も「天体観測所」も生贄のためにあった・・・では、なぜ、そこまで生贄にこだわったのか?メソアメリカでは、「生贄」を捧げないと世界が滅びると信じられていたから。ところが・・・テオティワカンにはその「球技場」がない。では、生贄がなかった?発掘調査によれば、生贄の習慣が確認されている。もっとも、生贄の選抜方法は、他にいくらでもある。それに、テオティワカンは全体の4%しか調査が進んでいないので、これから発見される可能性もある。だから、この事実だけ取り上げて、テオティワカンはメソアメリカ文明ではなく、宇宙人の文明だった、と言うのはやめよう。

13世紀、この地に、アステカ人が到来したとき、テオティワカンはすでに廃墟だった。アステカ人は、この街があまりに壮大だったので、神々が造ったと思い込み、「神々の座所(テオティワカン)」と名づけた。テオティワカンは、宗教と経済の中心として栄えたが、650年頃に廃棄された。侵略説、クーデター説、自壊説、諸説あるが、まだ特定されていない。建造物が残っているのに、なぜ廃棄されたのか?未知のウィルスが流行したか、生態系が破壊されたのか?いずれの証拠も見つかっていない。もしかしたら・・・メソアメリカには、暦で「世界の終わり」を予言する習慣がある。その予言に従って、自主的に街を放棄したのかもしれない。それを証明するには、彼らの歴史を読み解く必要がある。ところが、文字らしきものが見つかっているが、数量が少なく、解読できない。現在の資料から、歴史を読み解くのはムリそうだ。ということで、テオティワカンは不思議な街である。ほぼ完全な形で残っているのに、メッセージは何も伝わってこない。物言わぬ冷たい建造物があるだけ。まるで、クレタ島のクノッソス宮殿だ。

《つづく》

参考文献:
「古代マヤ・アステカ不可思議大全」芝崎みゆき著草思社

by R.B

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