放射能汚染列島(4)~福島の未来~
■福島の現状
「ゴーマニズム宣言」の小林よしのり氏が「放射能を実感してみたい」と思い立ち、福島に乗り込んだ。そのリポートが、「前夜ZEN-YA」に掲載されている。以下、その引用・・・
平成23年10月24日、わしは福島県郡山市のホテルにチェックインし、直ちに放射能を求めて出発することにした。ジャーナリストの田上くんが200万円以上するフランス製の高性能なガイガー・カウンターを用意してくれた。五感で捉えられない放射能は、とにかく測定して「数字」で示す以外にない。
車に乗って出発するとたちまち・・・
0.3!0.4!0.5!0.6!(単位はマイクロシーベルト/時間)
車内でそうなら外は?と窓を開けたら、街中の路上の空間線量で「0.9マイクロシーベルト」という数値が普通に出る!
現在、国際的な被曝量は「年間1ミリシーベルト(1000マイクロシーベルト)」となっている。ICRP(国際放射線防護委員会)が定めた数値で、日本もこれに基づき「原子力基本法」で一般人の被曝限度を「年間1ミリシーベルト」としている。郡山の目抜き通りの空間線量が「毎時0.9マイクロシーベルト」なら、1年で「8ミリシーベルト」にもなる。
(0.9マイクロシーベルト×24時間×365日=約8ミリシーベルト)
完全に日本の法律に違反しているではないか!ここは国内法では人が住んではいけない所のはずだ!
一応はICRPの基準に、自然放射量足した「毎時0.18マイクロシーベルト」を目安として、(福島)各地の放射線量を見ていこう。東京では通常「毎時0.05マイクロシーベルト」前後であることも忘れないでいただきたい。
・・・車で山を登り、飯舘村長泥から浪江町赤宇木手七郎部落へ。この付近で一番の高放射線地区である。空間線量は常に「10.0~15.0」の間を指している。山道の橋のたもとに超ホットスポット発見!
100超えたっ!120!130!ち・・・ちょっとびびるな、こりゃ・・・
結局この日は最高「330」を計測!
国内法である「原子力基本法」で一般人の被曝限度は「年間1ミリシーベルト」と決められている。この法律を厳格に適用すれば本当は、ほぼ福島県全域、住んではいけないことになってしまう。だが県全域避難ができないものだから、国が法律を無視しているというのが現状だ・・・
以上、「前夜ZEN-YA(小林よしのり著/幻冬舎)」より。
先日、生命保険会社のセールスレディー(おばさん)が、新商品の売り込みに来た。その話のついでに、怖い話を聞かされた。今、福島でガン保険の加入者が急増しているという。ところが、この生命保険会社は、2012年3月で新規加入を打ち切るらしい。ただし、福島だけ。
一般に、生命保険会社は、
「保険料(収入)>補償額(支出)」
で成り立っている。なので、
「保険料(収入)<補償額(支出)」
なら、会社は破綻する。
そこで、生命保険会社は統計学とコンピュータを駆使して、「補償額」を予測し、損しないよう「保険料」を決めている。ガン保険なら、「ガンの発生確率」が重要な要素になる。その生命保険会社が、ガン保険をやめる?ということは・・・
「将来、福島で保険会社が払いきれないほど、ガンが多発する」
保険料を上げづらいのか、保険料を上げても追いつかないのか、どちらにせよ、今の「ガン保険」では対応できないと判断しているわけだ。福島にとっては辛い現実だが、現実を直視して、個々に行動を起こすしかない。国も県も抜本的な解決をする能力も気概もないからだ。今の政府の対応は、10年後には国家犯罪と断罪されるだろうが、その時政府を恨んでも遅い。
太平洋戦争末期の1945年8月、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、日本に宣戦布告した。その直後、ソ連軍は怒濤のごとく満州国に攻め込んだ。当時、満州国には100万人を超える日本人移民がいたが、その多くが置き去りにされた。彼らを輸送する手段も時間もなかったのである(軍人と官僚は優先的に避難した)。
結果、多数の日本人がソ連兵に殺害され、強姦された。中には、脱出をあきらめて集団自決する者、酷寒のシベリアに連行され、強制労働を強いられた者もいた。また、親とはぐれた一部の幼児は中国人に保護され、中国残留孤児となった。
この事件は、巨大な危機の前では、国は全くあてにならないことを示唆している。家族や仲間の命は、自分が守るしかないのである。
2011年12月、佐賀県武雄市は、東日本大震災で発生したがれき処理を受け入れる方針を撤回した。市によると、抗議や批判的な意見が1000件以上寄せられ、中には脅迫めいたものもあったという。一方、福島が苦しんでいるのだから、がれきを受け入れるべきだ、というトンチンカンな意見もある。
放射能汚染を日本中で分かち合う?
たとえ、
「安全ながれきだけ」
とことわったところで、これまでの政府の対応をみれば、誰も信じないだろう。日本は、広島・長崎の原爆体験があるのに、どうして、これほど放射能を甘く見るのだろう。
そもそも、発想が逆なのだ。つまり、
「がれきを外に持ち出すのではなく、住民を外に避難させる」
ところが、民主党の某大臣はTVでこう発言した。
「これだけ広い地域を無人にするのは問題だと思う。
とはいえ、住民が危険なら避難させなければならない。
しかし、住民は故郷を離れるのは寂しいだろうし・・・難しい問題です」
ほんと、バカじゃないのか?リーダーの仕事って「決めること」でしょ。この御大臣様は何の仕事で、税金から自分の給与を抜いているのだ?自分が納めた税金が、こんな輩の生活費に消えていると思うと、素直に腹が立つ。税金返せ!(大した額じゃないけど)
「決められない」は論外だが、考え方もおかしい。優先順位の概念が全くないからだ。主客転倒、事の大小、軽重も知らない。新入社員が堂々巡りして、何も決められないのと同じ。日本の政治は新入社員がやっているのか?
日本は世界に冠たる先進国である。だから、どんな職業にも、就職試験・資格試験がある。ところが、責任重大の国会議員はノーテスト。あらら・・・オツムが弱い、常識がない、決断できない、人格に問題ありの議員がいてあたりまえ。それはそうなのだろうが、承伏できません。
それに比べれば、管首相はまだマシだった。福島第1原発事故では、
「撤退などあり得ない。覚悟を決めてほしい。撤退したときには東電は100%潰れる」
「60歳以上は福島に行け」
んー、なんとも過激な発言だが、リーダーの決断としては正しい。少なくとも、「自分が悪者になりたくない」より「国益」を優先していることは確かだ。
もし、あの時、東電を撤退させていたら、福島第1原発は手が付けられなくなっていただろう。そうなれば、300km圏内が避難対象になっていた可能性が高い(首都圏も含む)。10年後には、管元首相は「日本の恩人」として見直されるかも(やっぱりムリかな)。
■政府の現状
今の民主党政権の「ていたらく」は、ただのおバカではなく、確信犯だろう。「国民に嫌われたくない」を国益に優先しているのだ。たとえば・・・
【10年後の国益を犠牲にしている】
選挙権を持つ年金受給者に手厚く、選挙権のない子供や若者に年金負担を押しつけている。一丁上がりの人間と、これから日本を背負う世代と、どっちが大事なのだ?若いというだけで、素晴らしい可能性がある。これから、何十年もかけて、人と出会い、仕事をし、恋をし、家族を育んでいく。そんなチャンスを摘み取ろうとしているのだ。
この問題は八方丸く収める方法はない。優先順位をつけて決断するしかないのだ。たとえ、国民に嫌われたとしても。それが、リーダーの「勇気」というものだ。もちろん、一丁上がりの世代と、若い世代、どちらを優先するべきかは明らかだ。
【都合の悪い事実を隠蔽する】
たとえば、安全基準のウソ。10年経てば、ばれるのに、なぜ、ウソをつくのか?自分の政権さえしのげればいい。問題先送りで、後は野となれ山となれ~。こちらも、性根は「自分だけは悪者になりくたない」。大衆迎合主義の民主党政権そのままだ。
【正義を貫く勇気がない】
財政赤字と年金問題を解決するには「消費税15~20%」しかない。ところが、世論を気にして、高所得者だけに負担を押しつけようとしている。原案どおり、年金の月額保険料の上限を121万円に引き上げれば、上限の高所得者の月額保険料は、
「10万2000円→19万9000円」・・・毎月9万7000円の増税!
国が追い剥ぎ(おいはぎ)をやっているようなものだ。
こんなムチャクチャは、革命政権ならアリだが、他は何もしていないのに、ここだけ革命では、誰も納得しない。だいたい、これで、庶民が拍手喝采すると思ったら大間違いだ。高所得者の消費が減れば、生活必需品しか売れなくなる。今の経済を支えているのは、「なくても生きていけるガラクタ商品」なのだ。これが、売れなくなれば、1929年の世界恐慌なりかねない。
そうなれば、
「企業業績が悪化→失業」
で、ヒドイ目に遭うのは庶民だ。かつて、ロシア経済を回復させたプーチンの経済政策を見習うべきだ。資本主義国が、社会主義国の経済政策を見習うというのもヘンな話だが・・・
というわけで、今の政権には長期的ビジョンもないし、正しい決断もできない。こうしている間にも、福島の子供たちの健康が害されているというのに。では、どうすればいいのか?
福島県およびその周辺の住民の全避難。
そんなことはムリ、現実的でない?それはウソ。我々日本人は現生人類だからだ。現生人類はアフリカで生まれた。つまり、我々の先祖は、何百世代もかけて、アフリカから日本列島まで移住したのである。20万年前の先祖にできたことが、我々にできないはずがない。何十万、何百万人の健康と命がかかっているのに、簡単に「できない」なんて言うな。
■福島の未来1(移住)
現在、福島県民の総人口は約200万人。他の地域にも、放射能汚染地域はあるだろうから、避難人数はもっと増えるだろう。もっとも、この際、人数は関係ない。人の命がかかっているのだから、やるしかない。
まずは、受け入れ先。西日本を中心に、市町村毎に割り当てをきめ、移住先を確保する。寒村には、売ろうにも売れない、固定資産税を取られるだけの遊休地がやまほどある。まずは、土地や家屋を無償で提供してくれる人を募集しよう。
それでも、受け入れ先は不足するだろうから、国が遊休地を強制的に買い取る。そして、避難者に無料で提供する。そこに、プレハブを建てて、固定資産税も職が決まるまで免除。一方、建築、建材の需要が生まれるので、一定の経済効果も生まれるだろう。また、人口が増えれば、村・町おこしにもなる。一石二鳥だ。この経費は、すべて税金でまかなえばいい。たとえ、消費税が20%になっても。なぜなら・・・
避難住民は、国と東電のせいで、何もかも失ったのだから。
ただ、当座の仕事がない、住み慣れた故郷を離れたくない、の問題はある。しかし、子供と子孫の命を考えて欲しい。放射能は「見えない、聞こえない、臭わない」。しかも、遺伝子を傷つけ、障害は子孫にも引き継がれていく。この問題は、八方丸く収める方法はない。「選択の問題」と割り切って、決断し、行動するしかないのだ。
■福島の未来2(太陽光発電)
放射能汚染地域の住民が西日本に移住するとして、残された土地はどうするのか?
・政府が土地を買い上げて、民間にタダで払い下げる。
・固定資産税も10年間は免除する。
これだけ優遇すれば、世界中から企業が集まるだろう。これで、土地は再利用できる。ところで、具体的にどんな利用方法があるのか?
「放射能で汚染されないものを生産する」
たとえば「電力」。放射能汚染地域で発電し、送電しても、放射性物質まで送られることはない。それに、先のプランなら、土地代や固定資産税がかからないので、発電量が土地面積に比例する太陽光発電にはうってつけだ。ただし、太陽光発電にはやっかいな問題がある。発電量が安定しないこと。
というのも、
1.夜間は発電できない。
2.昼間でも、晴れと曇りで発電量が変動する。
1.は仕方がないとして、2.は問題ある?多少ムダだろうが、少し多めに発電すればいいのでは?ところが、問題は”ムダ”にあるのではない。じつは、電力は、
「発電量=消費量」
が重要なのだ。不思議な話だが、この問題は送電の方法に起因している。
電力を送電する方法は2つある。直流送電と交流送電である。直流は電圧・電流が一定だが、交流は一定周期で変化する。世間でいう、周波数60Hz、50Hzのことだ。たとえば、周波数60Hzなら、
周期=1/60=0.017秒
つまり、0.017秒ごとに、電圧と電流の変化が一巡する。
今から100年前、アメリカで「電流戦争」が起こった。エジソンの直流送電と、ニコラ・テスラの交流送電が争ったのである。エジソンの恥知らずな嫌がらせにもかかわらず、勝利したのはテスラの交流送電だった。そして、現在の主流は交流送電(一部、直流送電)。ところが、この交流送電のために、「発電量=消費量」という制約が生まれた。
ではなぜ、「発電量=消費量」でないと困るのか?
もし、
「発電量>消費量」
なら、発電機(発電所)の回転数(周波数)は上がる。
逆に、
「発電量<消費量」
なら、発電機(発電所)の回転数(周波数)は下がる。
つまり、
「発電量=消費量」
が崩れると、交流の周波数が変動するわけだ。だから?
周波数の変動が度を超すと、最悪、発電機が壊れ、停電する。「発電量>消費量」なら、発電機の出力を下げればいいが、「発電量<消費量」なら発電側では手の打ちようがない。許容量を超えた発電はムリなので。つまり、消費量を減らすしかない。具体的には、大口ユーザー、特定地域の電力供給をストップするわけだが、これが間に合わないと、大規模停電が起こりうる。
ということで、電力会社では電力消費量の変化(周波数の変化で分かる)にあわせて、発電量を調整している。具体的には、発電量を変えるのが難しい原発をベースに、不足分を火力発電や水力発電で調整している。
この「周波数変動」の問題を解決するには、
1.交流送電をやめて、直流送電にする。
2.電力の需給変動(発電量-消費量)を、蓄電池で調整する。
1.は、現在の技術なら可能だが、インフラ整備に膨大なコストがかかる。また、2.は現在の技術では難しい。
「電力は電流のまま蓄えることができない」
からだ。え?電池は電流をためているのでは?いや、電池は化学エネルギーを電気エネルギーに変換するだけで、電流をため込んでいるわけではない。
電流とは「電子の流れ」である。そして、電子が移動すれば、電気抵抗(物質によって異なる)で、電気エネルギーが熱エネルギーに変わる。そのぶん、電気エネルギーが減るわけだ。だから、電流のままで電力を貯蔵できないのである。
ただし、超伝導を利用すれば、電流のまま電力を貯蔵できる。超伝導とは、物質の温度を一定以下にすると、電気抵抗がゼロになること。電気抵抗がゼロなら、電流が流れても電気エネルギーは減らないので、電流のまま保存できる。
ところが、電気抵抗をゼロにするには、かなりの低温が必要だ。現在確認されている物質は、液体ヘリウム(-195.8℃)で冷却する必要がある。手間もかかるし、高くつく。当面は、リチウムイオン電池のような、容量の小さいバッテリーで充電するしかないだろう。
じつは、電力の需給変動を、蓄電池の充電・放電で調整すると効率が良いことがわかっている。
具体的には、
・「発電量>消費量」→余った電力を、蓄電池に充電する。
・「発電量<消費量」→不足する電力を、蓄電池から放電する。
この方法だと、ピーク時の発電量をおさえることができる。そのぶん、発電設備を小さくできるわけだ(安上がり)。実際、ディーゼル発電の場合、蓄電池を利用すると、ピーク時の発電量を45%も低減できるという。
ということで結論・・・
放射能汚染地域に、ソーラーパネルと蓄電池をセットで敷きつめる。これまで以上に集中発電が進むので、大容量の送電網も必要になる。そこで、電力の新幹線ともいうべき、長距離・大容量送電網を建設する。たとえば、超伝導を使えば、送電ロスをおさえ、大量の電力を送電できる。世界最大の超ハイテク太陽光発電システムになるが、日本の技術を結集すれば射程内だ(福島ではないが、現実に提案されている)。
■福島の未来3(データセンター)
ここ2、3年、ITといえば「クラウド」。これまで、仕事をするにしろ、遊ぶにしろ、自分が使うコンピュータは机の上にあった。ところが、クラウドでは、実際に処理するコンピュータはインターネットの彼方の「データセンター」の中にある。ユーザーは、インターネットに接続できる電子端末さえあれば、どこでも利用できる。実際、端末はPC、ケータイ電話、スマートフォン、iPad、なんでもいい。
ところで、データセンターとは?
多数のコンピュータが集約された巨大なコンピュータのことである。データセンターを運用し、使用料をとれば、商売として成立する。実際、アマゾン、マイクロソフトをはじめ、多数のIT系企業がこのビジネスに参入している。そして最近、日本企業の本格参入が始まった。
であれば・・・
放射能汚染地域に「データセンター特区」をつくればいい。電力同様、電子データも放射能で汚染されることはない。現在、ウェブサイトのほとんどは、データセンターにあるが、閲覧(データをロード)したら、パソコンが放射能で汚染された、なんてことはない。電子データを汚染できるのは、コンピュータウィルスだけだ。
データセンターに必要な設備は、
・コンピュータ(サーバー)群
・電源
・空調設備(おもに冷房)
・通信回線
・セキュリティ・メンテナンス要員
ここで、セキュリティ・メンテナンス要員が問題だが、ほとんど、リモート(遠隔操作)で対応できるので、大人数はいらない。それに、鉛の壁でシールドすれば、屋内はさほど危険はないだろう。定年退職したIT技術者が、年金受給年齢まで働くには良い職場だ。人生は十分楽しんだし、放射能でガンになってもすぐに死ぬわけではない、と達観している人にうってつけ。
ということで、放射能汚染地域の利用法は、太陽光発電所とデータセンター。ただし、問題もある。放射能汚染地域は無人になるので、犯罪者の潜伏先になる可能性がある。もちろん、逃げ込むにはそれなりの覚悟が必要だが。
■学べない日本人
1945年8月、原子爆弾が広島と長崎に投下された。そして、最終的に数十万人の日本人が犠牲になった。それから、65年たった今、日本は再び放射能汚染に直面している。それでも、原発は必要なのだという。50年前まで、原発なしでやってきたのに。3度も壊滅的被害をうけながら、まだ学んでいないのだ。
政府と御用学者はこう主張する。
「太陽光発電などクリーンエネルギーは現実的ではない」
では、どう現実的ではないのか?
「高くつく」
これを、数式であらわすと、
「目先のおカネ>>国民の生命と財産」
これをみて、何とも思わないのだろうか?
クリーンエネルギーのシーズ(種)はすでに分かっている。あとは、地道な努力で、コストダウンするだけ。日本が最も得意とするところではないか。
「技術に不可能はない」
は歴史が証明している。人類が食物連鎖の頂点に立っているのは、前頭葉のおかげなのだ。原発などに頼らず、クリーンエネルギーに立ち向かうべきである。長い目でみれば、必ず福をもたらすから。
広島と長崎に投下された原子爆弾は、アメリカのマンハッタン計画によって産み落とされた。原爆の被害を知った技術責任者オッペンハイマーはこう悔やんだという。
「私の手は血に染まっている」
オッペンハイマーは心から原子力を悔いたのである。ところが、広島、長崎、福島と3度の被害にあいながら、日本人はまだ悔いていない。
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。そして、日本人は失敗しても学ばない。
《完》
by R.B