■令和6年能登半島地震・報道されない真実 2024.01.15
2024年元旦、マグニチュード7.6の大地震が、石川県を襲った。
阪神淡路大震災と熊本地震はマグニチュード7.3なので、0.3だけ大きい。ところが、地震の規模は3倍弱にもなる。
なぜか?
マグニチュードは、対数(log)で表すから。
地震のエネルギーをE、マグニチュードをMとすると、次の関係が成り立つ。
log E=1.5M+4.8=log 10の(1.5M+4.8)乗
E = 10の(1.5M+4.8)乗
※log:底が10の対数
高校の数学なので、説明ははぶくが、この式から、M(マグニチュード)が0.3増えると、E(地震のエネルギー)は「10の(1.5×0.3)乗=2.818」倍になることがわかる。
つまり、能登半島地震は、阪神淡路大震災、熊本地震の2.8倍の巨大地震だったのだ。
事実、被害も大きい。
1月14日時点で、石川県で221人死亡、避難者1万9014人、1万2443棟の住宅が被害をうけ、5万5500戸が断水している。人口114万人の地区で、これだけの被害がでたのだ。さらに、隣の富山県、福井県、新潟県も大きな被害がでている。
今住んでいる町(金沢市近郊)も、9割が断水し、多くの家屋が被害をうけ、144人が避難所で生活している。
さらに被害が大きいのは、石川県北部の能登半島だ。交通網が寸断され、物資が運べない。人の移動もままならない。さらに、医療機関が麻痺している。
そのため、災害関連死が頻発している。
1月5日、痛ましい事故が発生した。
最大震度7を記録した志賀町で、5歳の少年が犠牲になったのである。
地震発生時、石油ストーブの上のやかんの熱湯が少年にかかった。救急車を呼んだが「やけどでは出動できない」と断られたという。地震発生直後だから、あちこちで大変な事故が発生していたのだ。
そこで、母親は、自分の車で病院を目指したが、道はひび割れ、渋滞も発生していた。もう一度119番すると、救急車が来てくれた。志賀町から20km南方にある内灘町の総合病院に運ばれた。ところが「重傷ではないが軽傷でもない」という理由で入院を断られたという。
翌日、金沢市の別の医院にかかったが、薬の処方だけ。ところが、41度の発熱で危険な状態だった。
翌朝、先の内灘町の総合病院に再診に向かったが、発熱者は部屋に入れないと待機させられたという(新型コロナの関係で、平時でも発熱があると院内に入れない)。その後、集中治療室に入ったが、間に合わなかった。
母親は、なぜ入院させてくれなかったと悔やむ。
親なら当然だ。もし、自分なら一生悔やみ続けるだろう。
メディア露出度の高い有名人たちは、病院を強く非難する。彼らはいつも弱者の味方なのだ。
だが、本当はどうなのか?
この病院は、石川県有数の総合病院である。しかも、能登半島に近いため、この地区の難しい病気を一手に引き受けている。というのも、能登半島は過疎化がすすみ、大病院がないのだ。
じつは、知人がこの病院で看護士として働いている。
彼女の話では、連日連夜、2時間の仮眠だけで勤務を続けているという。休みはおろか、家に帰ることもできない。鼻血が止まらないので、鼻にティッシュをつめこむ。仮眠をとっている先輩の看護士をみると、右目あたりがピクついている。それをみて恐ろしくなったが、自分だって鼻にティッシュを詰め込んでいるのだ・・・驚くことではない。
「36協定」を締結しないと残業させられませんとか、時間外労働の上限は「月45時間・年360時間」なんて悠長なことを言っている世界ではないのだ。
この病院の医師は「医療ミスはなかったと考えているが、われわれの対応が本当に正しかったかどうかについては、これから時間をかけてしっかりと検証していく」と述べたという。
こう言うのが精一杯だろう。病院はいつもマスコミから叩かれる側だから。
今回は、非常事態なので、発熱があっても、まず治療する。10分の治療で命が助かるかもしれないから。さらに、老人、大人より、未来がある子供を優先する。それぐらいの臨機応変があってもよかったかもしれない。だが、それはそれで非難をあびるだろう。責任のない部外者は言いたい放題なのだから。
そもそも、不眠不休ではそんな余力はない。ルールに従って、黙々と対応するのが精一杯だろう。病院もスタッフもギリギリなのだ。
今おきているのは、大災害で、戦争とかわらない。だから、安全な所にいる部外者は、当事者をしたり顔で非難するのはやめよう。正直、不愉快だ。
今住んでいる町でも、家が倒壊したり、傾いた家がたくさんある。
知人が、家が傾いたので、避難所に移ったら、そこで新型コロナに感染した。いや、正確には推定「新型コロナ」である。医療機関に断られたから、まだ検査もしてないので。だが、症状からみて新型コロナに間違いないという。そこで、彼は、こんな所にはいられないと、傾いた家にもどっている。
つぎに大きな余震が来たら?
究極の選択である。
じつは、実家が能登の入り口にあるので、心配なのだが、うかつに近寄れない。3日前、やっと車で実家に行ったら、墓がひっくり返っていた。実家は、震度5強なので、震度7~6の能登は、墓のほとんどが転倒しているだろう。もっとも、住んでいる家が倒壊しているので、それどころではない。
今住んでいる町は、能登半島出身の人が多い。彼らは実家が心配でならないと、口をそろえて訴える。
だが、金沢から能登へ行くのは難儀だ。
被災者でさえ、緊急を要さない場合、高速道路(のと里山海道)を使わずに一般道路を使うよう指示が出ている。ところが、その一般道もあちこちヒビが入っている。一度修復しても、余震が続いていてヒビが入ることがあるから、油断できない。そもそも、夜道や雪道を走行するのは危険きわまりない。
だから、みんな、能登に行くのを我慢している。
ところが、そんな中、れいわ新選組の山本太郎が、2度めの能登入りした。やったことは、現地リポート。
とんぼ返りの視察で一体何がわかるのか?
その程度のことなら、被災地から十分伝わってくるだろう。
安全な場所が確保されていて、物見遊山に被災地をウロチョロするのは辞めて欲しい。当事者からみると、クソの役にも立たない、売名目的のパーフォーマンスではないか。
一方、政府の救援は賛否両論である。
立民は、政府は小出しだと責め立てている。
とはいえ、交通網が遮断され、陸上輸送が困難なので、空輸しかない。ホーバークラフト型揚陸艇(LCAC)を使えば、港がなくても、砂浜から重機をもちこめる。
じゃあ、LCACやヘリを使って、ガンガンやれ、という意見もある。一方、政府は、そうカンタンにはいかない、オペーレションが難しいのだという。現場を知らない者が偉そうに言うんじゃないというわけだ。
さて、どっちが真実か?
政府や救援部隊が、手抜きをしていると思えない。とくに、日本はこういうとき凄い力を発揮するから。
じゃあ、被災地は我慢するしかない?
それで済ませるのはリーダーではない。
ムリを承知で、全部やる!がトップリーダーだ。
きれいごとを言っているのではない。
模範例があるのだ。
1986年11月21日、伊豆大島の三原山が大噴火をおこした。
このとき、島民の命を救ったのは後藤田正晴である。
街に、恐ろしい溶岩流が迫っていた。島民1万3000人の命が危ない。そこで、関係省庁の局長が官邸に集まり、緊急会議が開かれた。島民に、刻一刻と危険が迫る中、討議が続いたが、その内容は驚くべきものだった。
1.災害対策本部の名称をどうするか?
2.発生年次は、元号を使うか、西暦にするか?
3.自衛隊を出動させたら、誰が責任を負うのか?
バカじゃないのか?
だが、このときのトップリーダーは優秀だった。官房長官の後藤田正晴である。
彼が発した指示はたった3つだった。
1.島民は今日中に全員避難
2.責任は全部俺が取る
3.君たち頼む
この鶴の一声で、会議は終了し、救助作戦が実行された。
その後、後藤田は電話で次々と指示を出す。東京都の鈴木知事には「島民を収容するため、東京の体育館をすべて空けてくれ」、防衛庁幹部には「自衛隊の船を使え」。自衛隊の艦船、海上保安庁の巡視船にくわえ、民間の汽船と漁船まで動員されたのだ。
翌22日午前5時、最後まで島に残っていた大島町職員らが避難した。救助作戦は成功したのである。
後藤田正晴は、日本では珍しい政治家だった。頭が切れ、決断力があり、覚悟もある。しかも、地位に執着しない(総理を断っている)。
今の日本に必要なのは、こういうリーダーだ。
では、岸田さんは?
矛先をかえて、れいわ新選組の山本太郎。
先に散々悪口を言ったが、いいところもある。並外れた行動力だ。もし、今、彼が総理だったら、もっと迅速な救援活動が実現していたかもしれない。
つまりこういうこと。
万能の人間はいない。
要は適材適所なのだ。
ただ、これだけはいえる。
後藤田正晴は危機的状況では頼れるリーダーだが、岸田さんはそうではない。
山本太郎の方がまだマシ、と思えるのは気のせいだろうか。
by R.B