心の病気(3)~診断と種類~
■長い暗い冬
暗い並木がかすんでいる。
車は徐行していた。霧燈をつけて、時々、遠慮がちにホーンを鳴らす。この国の人々の重く堅苦しくうちとけない気風を丸出しにしたような陰気な鳴らし方だ。
・・・
この霧の深い北国の首都が、ナトリウム燈を採用したことは、きわめて科学的な態度と言わねばならない。しかし、この光の中で人間の顔を見る時、子供だろうが、若い娘だろうが、死人のような顔色に見える。口づけも愛撫も、凍りつきそうな不愉快な色だった。
曽野綾子の「長い暗い冬」(*1)は、こんな暗い風景で始まる。1960年代の北欧、商社マンと息子、家政婦、尋ねてきた友人の4人、広くて薄暗い家、物語はたったこれだけで構成される。主人公(商社マン)は、妻を心中で失い、1人息子を引き取り、異国の暮らしに疲れている。彼は、精神科医である友人に、
「自分はもう発狂しているのでは?」
と悩みを打ち明ける。こんなありふれた会話から、物語は戦慄の結末へと進んでいく。北欧のどこかの、寒くて暗い一夜の出来事。
幽霊もエイリアンも殺人鬼も登場しない、ありふれた日常なのに、最後に心が凍りつく。こんな怖い小説は読んだことがない。作者がクリスチャンで、理知的な女性だったことにも驚かされた。案外、人間にとって一番の恐怖は”狂気”なのかもしれない。
「自殺大国フィンランド」の記事を読んだとき、この短編を思い出した。フィンランド政府は、”自殺大国”の汚名を返上すべく、次々と国策をうちだし、自殺者を劇的に減らしたという。だが、裏を返せば、それだけ自殺者が多かったのだ。遠い北欧の国フィンランドに、曽野綾子の「長い暗い冬」をだぶらせ、奇妙な納得感を得ていた。
このときのフィンランド政府の調査によると、自殺者の3人に2人がうつ病だったという。心の病気(精神疾患)は、自殺の原因になりうるのである。そもそも人間は”死”を怖れる。にもかかわらず、自ら死を選ぶのというのは、大きな矛盾だ。心に問題があるのは確かだが、どこがどう壊れているかは誰にもわからない。
■精神疾患の歴史
うつ病など、比較的軽度の心の病が、病気として認知されたのは19世紀に入ってからである。この頃、ヨーロッパでは、脳や体に異常がないのに、精神や肉体が異常をきたす病気が問題になっていた。これらは「神経症」とよばれたが、当時は原因も分からず、研究も手つかずだった。
19世紀後半、有名な精神科医ジークムント・フロイトは、この難問に立ち向かった。フロイトの手法は、生物学的なものではなく、心理学的なものであった。患者に言葉を与え、自由に連想させ、出てきた言葉との関連を分析し、潜在意識をあぶりだす。それをもとに、心理的な抑圧(ストレス)を解明するのである。この自由連想法をベースに、フロイトが確立したのが「精神分析」であった。
フロイトの精神分析は、科学的ではないと非難を浴びたが、精神医学の世界に与えた影響は大きい。フロイトから様々な分派が派生し、やがて、弟子のユングは夢分析による心理学を確立した。ただ現在では、神経症はセロトニンなどの脳内物質が大きく関与しているとされ、生物学的な解明と薬物療法が中心になっている。また、現在では、「神経症」という病名も使われなくなっている。
■重度の精神疾患
ここで、「精神疾患」を病気の軽重で整理してみよう。まずは、重度の精神疾患から。
【統合失調症・とうごうしっちょうしょう】
昔の病名は「精神分裂病」、患者は「気違い(きちがい)」と呼ばれていた。人の気を引く命名だが、今では放送禁止用語、差別用語になっている。精神疾患としては、かなり重度のもので、妄想や幻覚をひきおこすこともある。
まずは妄想。妄想には、プラス思考系とマイナス思考系がある。前者は誇大妄想、後者は被害妄想がよく知られている。
誇大妄想は、現実に反し、自分には、卓越した能力、地位、名誉、富があると思い込むこと。この症状は、気分が異常に高揚し、支離滅裂な言動が現れる「躁(そう)病」によく見られる。
もちろん、プラス思考そのものは、悪いことではない。危機的状況においても、ひるまず前進できるから。一方、危機に直面し、平然としていても、単に状況を把握していない、あるいは、逃げ道を確保している場合もある。もし、彼・彼女がリーダーだったら、会社あるいは組織は文字通り危機的状況にある。
「信長公記」の織田信長は、絶望的な状況においても、ひるむことはなく、忍耐強かった。ただ、それがプラス思考によるものとは思えない。織田信長のストレス耐力は尋常ではないが、それだけではないだろう。信長の気性があまりに激しく、心に不安や弱気が入り込むスキがなかったのではないだろうか?
また、プラス思考で偉業を成し遂げる人と、誇大妄想で終わる人は、紙一重かもしれない。ホンダの創業者・本田宗一郎は前者だろう。本田宗一郎がまだ”町工場のおやじ”だった頃、
「F1に参戦する」
と宣言したが、これは、はた目には誇大妄想に見えただろう。ただ、日頃から、彼には突き抜けたエピソードが多く、このあたりが、誇大妄想とホンモノを見極めるポイントになるかもしれない。
次に、被害妄想。読んで字のごとく、自分に害を及ぼす連中がいる、と思い込むこと。たとえば、国家、悪の組織、エイリアンが、自分の家族や会社を狙っている・・・ところが、意外なことに、経営者にこの傾向が強い人が多い。外面(そとづら)はいいのに、話し込むと、自分を脅かすかもしれない外的要因に、異常なほど神経を使っている(すべてではない)。経営者にとって必要なことだが、度を超すと被害妄想。このあたりの境界も難しい。
つぎに、幻覚。読んで字のごとく、”幻”を知覚すること。つまり、実在しないものが見えたり(幻視)、聞こえたり(幻聴)。前者はまれなケースだが、後者は比較的多い。いずれにせよ、当人は、現実か幻覚か、自力で判断することはできない。なぜなら、生物機械としてのスペックに起因しているからである。
人間の知覚には、次の2つのプロセスがある。
1.外部刺激→脳が知覚(現実)
2.脳内刺激→脳が知覚(夢・幻覚)
ところが、人間には、”外部刺激”があったかどうかを直接判定する機能がない。つまり、”外部刺激”は”脳の知覚”によってのみ認知できる。だから、「2」との区別がつかないのである。
一方、外部刺激がないのに、ビジュアルや音声が知覚されるという点では、夢と似ている。夢同様、潜在意識が関わっているのかもしれない。とにかく、脳は想像を絶する複雑なデバイスだ。ハードウェア(生物学的)の解明は進んだが、ソフトウェア(思考や感情の仕組み)はほとんどわかっていない。心の病気は、脳のハードウェアとソフトウェアの両面からのアプローチが必要だ。でないと、真の原因がわからない。つまり、行き着くところ、対症療法(現状)。
統合失調症の原因は、脳内物質のインバランス、外的環境からくるストレスと考えられている。だが、一歩踏み込めば、そこはトワイライトゾーン、何もわかっていない。治療は薬物療法が中心だが、完全回復は非常に難しい。しかも、発症率は100人に1人、決して珍しい病気ではない。
生まれ故郷の村で、第二次世界大戦中に徴兵され、統合失調症になった人がいる。一族には彼以外に精神疾患を患った人はいないし、彼自身、それまでは全く問題はなかったという。つまり、外的環境次第で、誰でも統合失調症になりうるのである。
また、偉業を成し遂げながら、統合失調症で苦しんだ人もいる。数学者ジョン・ナッシュもその1人だ。彼の30年にわたる闘病生活は、映画化され(ビューティフル・マインド)、アカデミー賞の主要部門をさらった。
映画の中では、ナッシュは統合失調症に苦しみながらも、妻の献身にささえられ、病を克服する。そして、最後にノーベル経済学賞を受賞。山あり谷あり、波瀾万丈の末、ハッピーエンド。良くも悪くも、古き良き時代のハリウッド映画だ。テンポはいいし、ビジュアルも綺麗だし、妻アリシア役のジェニファー・コネリーの演技も光っていた(助演女優賞)。映画としては良くできていると思う。
ただ、原作の「ビューティフル・マインド天才数学者の絶望と奇跡(※2)」とは別ものだ。内容も方向性も違う。原作は徹底した取材をもとに、真実に重きをおいている。そのぶん、話に厚みがあるし、読みごたえもある。また、映画にはとても出せない部分もあり、原作のほうもお勧めだ。
【躁鬱病・そううつびょう】
そう状態とうつ状態を繰り返す精神疾患。統合失調症と並ぶ重度のもので、二大精神疾患と言われている。完治は至難で、他の精神疾患と比べ、自殺率が高い。
ここでいう”そう状態”と”うつ状態”は、”気分がハイ”、”気分がブルー”とは別もの。うつ状態とは、いわゆるうつ病の症状。また、そう状態とは、気分の異常な高揚。具体的には、自信が拡大する、言動や思考が活発化する、とアグレッシブなのだが、周りから浮く、”社会的価値”を生まない、という点で問題がある。このような症状が長期間続き、社会生活が困難になった場合、躁鬱(そううつ)病と判定される。
治療は、薬物療法が中心だが、カウンセリングも行われる。ただ、遺伝的要因が大きいため、完全な回復は難しい。
■中度の精神疾患
最近、増えている精神疾患。おそらく、昔からあったのだが、以前は”なまけ病”として処理されていた。今は病気として認知されるので、結果として、患者数が増えたのだろう。
【パニック障害】
軽度のものを含めれば、患者数はかなり多い(周囲を見る限り)。突然、強い不安や恐怖に襲われ、体に症状が表れる。過呼吸、手の震え、吐き気、頭痛、さらに、体がマヒすることもある。また、耳が聞こえなくなったり、目が見なくなったりする人もいる。
原因は、外的ストレス、または先天的なもの(遺伝)とされるが、周囲を見る限り、後者が断然多い。ストレス性障害というよりは、脳機能障害に近い?であれば、薬物療法が有効なはずだが、効果があったという話は聞かない。有名人では、長島一茂がパニック障害だったことを公表している。
【自律神経失調症・じりつしんけいしっちょうしょう】
原疾患(元となる病気)というより、軽度の精神疾患の”症状”の総称である。たとえば、うつ病やパニック障害を原疾患とする各種の症状。体の症状としては、過呼吸、めまい、立ちくらみ、冷や汗、体の震え、動悸、吐き気、頭痛、微熱。心の症状としては、不安や落ち込み、イライラなど。
自律神経失調症は”症状の総称”であるため、当然、原疾患(元となる病気)と重複する。たとえば、適応障害と心身症(後述)。どっちを選ぶかは、医師次第だ。テキトーに見えるが、それこれも、原因(原疾患)と結果(症状)をいっしょくたにしているから。
元々、自律神経失調症とは、自律神経のバランスが崩れたときに起こる症状。そのため、夜更かしなど、不規則な生活をつづければ、ホルモンのバランスが崩れ、発症する場合もある。原因はストレスだけではないのだ。規則正しい生活は、体だけでなく心の健康にも良いのである。また、治療は薬物療法(抗うつ薬やホルモン剤)とメンタルな治療が並行して行われる。
【適応障害・てきおうしょうがい】
心の問題が原因で、社会生活や日常生活に支障をきたす障害。体の障害と心の障害の両方が表れる。体の障害は自律神経失調症の症状、心の障害はうつ病の症状である。
ただし、原疾患(元の病気)が特定できる場合は、その病名が優先される(「適応障害」とはならない)。つまり、「適応障害」とは、心の問題に起因する身体疾患と精神疾患で、他に該当する精神疾患が見あたらない場合の総称なのである。
但し、医師によっては、症状にフォーカスし、「自律神経失調症」と診断する場合もある。以前あったケースでは、最初に「自律神経失調症」と診断され、医師を変えたところ「適応障害・心身症」と診断された。精神疾患の曖昧な定義をみれば、ありがちな話だ。現状、仕方がないのだろうが、今の精神医学はサイエンスとは言い難い。
治療は、薬物療法が効くと言われるが、周囲でそんな話を聞いたことがない。ある社員が適応障害と診断され、通院しながら、薬をいろいろ試していた。ところが、そうこうしているうち、症状はどんどん悪化していった。現在の薬物療法は表に出る症状をおさえる対症療法で、完治を狙う原因療法ではないのだ。
【心身症・しんしんしょう】
適応障害と似ているが、心の障害が出ないもの。ただし、体の障害が長く続けば、気分も落ち込むので、心の障害も出る場合が多い。なので、心身症と適応障害の区別は難しい。そのためか、医師の診断書では、心身症と適応障害が並記されることが多い。たとえば、
「病名:適応障害、心身症
付記:上記診断にて、○月末まで自宅療養、休養が必要であり、通院加療を要する」
■軽度の精神疾患
精神疾患の中では軽度のもので、自覚症状がなく、はた目にも気づかない場合が多い。ただし、度を超すと、社会生活が困難になる。
【強迫性障害・きょうはくせいしょうがい】
大なり小なり、誰でもある傾向だが、問題は程度。たとえば、家を出た後、鍵をかけたか、ガスの元栓をしめたか、何度確認しても安心できない。普通にある話だが、100回も繰り返すなら、学校にも会社にも行けない。
また、不潔強迫も強迫性障害の1つ。よくあるのが、
「トイレの便座はふかないと座れない」
じつは、この手の”強迫”は意外に多い。軽度なら放置してもいいが、生活に支障をきたすなら、心療内科に行くべきだ。治療は、メンタルな行動療法や薬物療法が行われる。
【依存症】
「わかっちゃいるけど辞められない」症候群。”物質”と”行為”の2つのパターンがある。前者は、ニコチン依存、アルコール依存、薬物依存、摂食障害(拒食症、過食症)など。後者は、ギャンブル依存(パチンコ、競馬)、インターネット依存、ゲーム依存など。誰でも1つや2つ、心当たりがあるだろう。
一見、精神疾患には見えないが、原因は”心”にあるし、ダメージも侮れない。たとえば、3日徹夜でネットゲームをやりまくり、命を落とした者もいる(心臓発作)。病気として意識されないぶん、油断も大きいわけだ。
また、日本ではアルコール依存症の患者は200万人を超えると言われる。飲酒は、イスラム世界では厳禁だし、北米ではドラッグの仲間という認識だ。一方、日本は飲酒に対して甘い。
「酒は脳細胞の”大量破壊兵器”」
を忘れてはならない。急性アルコール中毒にでもなれば、破壊される脳細胞の数もハンパではない。さらに・・・酒癖が悪く、接待の席で大惨事を起こし、人生を棒に振った人もいる。
酒のように、摂取した化学物質が脳に直接作用する場合は、根性で辞めるのは難しい。また、快感や高揚感を伴う行為も、体内で化学物質が出ているわけで、やっぱり根性ではムリ。つまり、心の問題というよりは、生物機械の問題なのだ。とはいえ、機械的に対処しようにも、依存症を中和する化学物質もない。さて、どうしたものか。
参考文献:
(※1)「異形の白昼」筒井康隆・編立風書房から「長い暗い冬」曽野綾子著
(※2)「ビューティフル・マインド天才数学者の絶望と奇跡」シルヴィアナサー著、塩川優訳新潮社
by R.B