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週刊スモールトーク (第550話) グッチ帝国の興亡(1)~ブランドの元祖~

カテゴリ : 人物娯楽歴史経済

2023.09.24

グッチ帝国の興亡(1)~ブランドの元祖~

■映画ハウス・オブ・グッチ

人相の悪い二人組が、一葉の写真を凝視している。

写真は、30歳ぐらいの男で、顔が異様に長い。

二人組は、古いビルの前に車をとめて、何かを待っている。たぶん、写真の男だ。

自転車に乗った男が、二人組の前を通りすぎる。何が楽しいのか、るんるんだ。男は古いビルの前に自転車をとめて、ビルに入ろうとする。この男、顔が異様に長い。

二人組は、無表情で「彼だ」と相槌を打つ。一人が車を降りて、顔の長い男に近づく。後ろに銃を隠し持っている。

「グッチさん?」

長い顔の男は振り返る。本人らしい。

鈍い銃声が響く。

顔の長い男が撃たれたのだ。右肩に1発。逃げるところを1発。とどめに、こめかみに1発。たぶん即死だろう。

銃声をきいたビルの係員が、バットをもって飛び出して来るが、拳銃をみて逃げ出す。後ろから1発。たぶん命に別状はない。発砲した男は、相棒の車に乗り込み、ゆうゆうと走り去る。

ありふれた暗殺シーンだが、これが映画「ハウス・オブ・グッチ」のハイライトだ。

この映画は、世界的ファッションブランド「グッチ(GUCCI)」の世紀のスキャンダルを描いている。

ヒットマンに暗殺された顔の長い男は、グッチ創業家の三代目当主マウリツィオ・グッチ。ヒットマンの雇い主は、マウリツィオの元妻。これだけでも、大スキャンダルなのだが、そこに至るグッチ家のお家騒動も、負けず劣らず凄まじい。

グッチの創業者グッチオ・グッチも、草葉の陰で泣いているろう。

映画の監督は、巨匠リドリー・スコット。奇才ギーガーがデザインしたエイリアンで話題になった「エイリアン」、SFサイバーパンクの金字塔「ブレードランナー」、アカデミー賞を総なめした「グラディエーター」・・・映画史に残る名作だが、すべて彼が撮っている。

キャストも凄い。

音楽界のスーパースターのレディー・ガガ、スター・ウォーズ最終三部作のアダム・ドライバー、ゴッドファーザー三部作のアル・パチーノ。主役級役者が3人もそろっている。

そして、この映画の特徴がもう一つ。

史実に忠実なこと。

■ブランドの元祖

グッチはブランドの元祖といわれるが、半分アタリで半分ハズレ。

まず、ハズレ半分から。

ブランドを「他と明確に区別できる製品やサービス」と定義するなら、グッチより古いブランドがある。商品が現存する最古のブランドは、ウェッジウッドとブレゲだろう。

「ウェッジウッド」は、英国の陶磁器メーカーで、ジョサイア・ウェッジウッドが、1759年に創業した。英国王室御用達の高級ブランドで、史上初めて労働者の「福利厚生」を実現した。

産業革命時代の経営者は、強欲だった。労働者をこきつかうことしか頭になかったのだ。生かさず殺さずの低賃金、工場の時計を逆に回して、長時間働かせる。そんな中にあって、ウェッジウッドは洗練された経営者といっていいだろう。

「ブレゲ」は、フランスの時計工房で、アブラアン・ルイ・ブレゲが、1775年にパリで創業した。超絶技巧で、時計の歴史を200年早めたといわれる。フランス革命で、断頭台の露と消えた王妃マリー・アントワネットが、ブレゲに発注したのが「ブレゲNo.160」。後に「マリー・アントワネットの懐中時計」と呼ばれる歴史的至宝だ。

つぎに、アタリ半分。

現代にも通じる「ブランドの原理」を発見したのは、グッチである。

それまでは「商品の値段=材料費+加工賃」が常識だった。たとえば、バッグ。「原価=材料費+加工賃」なら、グッチと他の一流ブランドは大して変わらない。ところが、グッチの名がつくだけで、値段は10倍にはねあがる。この原価の9倍分がブランドなのだ。

これに初めて気づいたのが、グッチの創業者グッチオ・グッチだった。

彼が真に偉大なのは「グッチ」を築いたことではなく、「ブランドの原理」を発見したこと。

ただし、偶然や運ではない。

グッチオの長い修行人生をみれば明らかだ。

アップルの創業者スティーブ・ジョブズは、人生の点と点をむすぶことの大切さを説いた。人生は成功も失敗も、すべて理由があるというのだ。

そこで、グッチオの人生を、点と点でつないでみた。

普遍的な人生の教訓が見つかるかもしれない。

■グッチオ・グッチ

1881年、グッチオ・グッチは、イタリアのフィレンツェで生まれた。

グッチオの父は、麦わら帽子の職人で、小さな工房を営んでいた。

昔、グッチの祖地に行きそびれたことがある。

フィレンツェは、写真でみると中世ヨーロッパを思わせる美しい街だ。ところが、実際に行ってみると・・・タダの古ぼけた街。宿泊した「RIVOLI Hotel」は、さながら迷路で、エレベータも一つしかない。それでも、お金の交換所があったのには驚いた。

翌日、フィレンツェをぶらぶら。昼、レストランで、エビピラフを食べたが、米が固くて食えなかった。

気を取り直して、グッチの店を探すことに。

濁った川が流れていて、その両側に露天の店がところせましと並ぶ。偶然、ガイドさんと遭遇したので、「グッチの店はこの近くですか?」と尋ねると「いえ、遠いわよ、行きたいの?」

遠い・・・面倒くさいなぁ、昼食べたエビピラフでお腹が痛いし・・・その瞬間、人生がかわった。グッチの祖地をみる千載一遇のチャンスを逃したのだ。あのとき、グッチの店に行っていたら、感動して、ファッションブランドの世界に入っていたかも・・・

まぁ、それはないが、「人生のif」は考えるだけで楽しいですね。

グッチオに話をもどそう。

グッチオは、麦わら帽子で一生を終えるつもりはなかった。1898年、グッチオは一旗揚げようと英国に渡る。ロンドンで、王侯貴族御用達のサヴォイ・ホテルで職を得たのである。低賃金のウェイターだったが、王侯貴族の嗜好を学ぶには最高の環境だった。

グッチオは、そこで「ブランドの原理」に気づく。

原価は重要ではない。むしろ、原価の何十倍の値段をつけた方が、売れるのではないか。

それで、一気にグッチブランドが花開いたかというと、そうではない。

1901年、グッチオは故郷のフィレンツェへ帰り、高級レザーグッズの店「フランツィ」で働き始めた。そこで皮革の扱い方を学んだのである。

慌てず、急がず、地道に修行を続けたわけだ。

その後のグッチオの人生も、それを物語る。

1921年、皮革製品を扱う会社を設立。

1922年、フィレンツェのパリネオ通りに自分の店を開く。

1923年、「グッチ(GUCCI)」の店名を掲げる。このとき、グッチオ42才。17才でロンドンにわたってから、25年も修行をつづけたわけだ。

では、ここで一気にグッチブランドが花開いた?

そうではない。

グッチが扱ったのは、自社製品ではなく、イギリスから輸入した鞄(カバン)と修理だった。その地道な努力が、後のグッチブランドを支えるのである。

鞄の修理は、グッチブランドの土台となった。

というのも、修理をすれば、どこが壊れやすいか、どう作れば壊れないかがわかる。さらに、どうやれば、使いやすく丈夫な鞄が作れるかもわかる。つまり「修理」は品質に直結するのである。これに、英国仕込みのデザインセンスを付加すれば、無敵だ。

つまりこういうこと。

グッチは一日してならず。

ダンテの神曲「地獄編」にはこう書かれている。

「人生の旅・・・そこに真っ直ぐ続く道はない」

■グッチのブランド哲学

グッチのブランド哲学は・・・最上の伝統を、最上の品質で、過去のよいものを現代に反映させる。

ブランドの本質を言い当てている。

ブランドは「品質と歴史」がマストである。品質が高いのは当然として、「歴史=伝統」も極めて重要だ。それがないと、一時の流行りで終わるから。そんなものをブランドとは言わないだろう。

つまり、人智、カネでどうにもならないのが「歴史=伝統」なのである。

とはいえ、時代の流行を無視すれば、古めかしい、色褪せた遺物と化す。だから、「過去のよいものを現代に反映させる」が重要なのである。

グッチは、グッチオ・グッチが創業したが、現在、グッチに創業家の人間は一人もいない。グッチ家のお家騒動と、その後の買収劇で、一族は追い出されたのだ。現在、グッチは、巨大ファッションコングロマリット「ケリンググループ」の構成企業になっている。その中核ブランドがグッチだ。

では、グッチはいかにして、世界に冠たるブランドを築きあげたのか?

創業者グッチオ・グッチの皮革製品に対する深い造詣、高い製造技術、ロンドン仕込みの高いデザイン性。さらに、カテゴリを絞り、そこでトップを目指したこと。これは、商品を差別化し、ブランド化するには重要だ。そのカテゴリが、王侯貴族がたしなむ「乗馬アイテム」だったのである。

グッチは、大多数が血で血を洗うレッドオーシャンではなく、誰もいないブルーオーシャン「乗馬の世界」でオンリーワンになったのである。

そして、グッチを世界的ブランドにおしあげたのが「バンブーバッグ」だ。

バンブーバッグは、文字どおり、バンブー(竹)を使う。

世界最高ブランドに「竹」?

これには、歴史的背景があった。

■バンブーバッグ

1939年9月1日、第二次世界大戦が始まった。

翌年の6月10日、イタリアがドイツ側について参戦。すると、バッグの素材となる金属や皮革が不足した。そこで、安定して供給できる代替品を模索した。それが日本の「竹」だったのである。

バンブーバッグ
バンブーバッグ

バンブーバッグの実物をみてみよう。
 バッグのハンドルが、竹でできていることがわかる。竹を熱でU字型に曲げ、加工したのである。一見、皮革と竹は不釣り合いだが、グッチが手掛けると革新的なデザインになる。
 結果、バンブーバッグは、ヨーロッパの富裕層を中心に、人気の火が付き、大成功をおさめたのである。

バンブーシリーズは、1947年から現在まで、長く愛され、グッチのアイコン的存在となった。

これには、理由がある。

第一に、高い品質。

第二に、竹を使った革新的なデザイン。

第三に、世界で1点もの。

1点もの?

竹は、節をふくめ、すべて形状が違う。さらに、竹の加工は、職人が1点1点行うので、焼き目の加減や色味がすべて違う。つまり、世界で一つしかないバッグなのである。女性たちが愛着を感じるのは当然だろう。

最後に、ブランドが何たるかを言語化しよう。

「◯◯なら□□の△△」で言い表せること。

たとえば・・・

「スマホ」なら「アップル」の「iPhone」。

「カップ麺」なら「日清」の「カップヌードル」。

「やめられないとまらない」なら「カルビー」の「かっぱえびせん」。

そして・・・

「バッグ」なら「グッチ」の「バンブーバッグ」。

これが、何十年も愛されるブランドの条件なのである。

《つづく》

by R.B

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