Apple Vision Proの未来~LisaとMacの写し絵 ~
■「特上」が「並」に負ける不条理
Apple Vision Proは、5年未来を行くコンピュータだ。
だが、成功するとは限らない。
コンピュータの世界は、「特上」が「並」に負けることが珍しくないから。
たとえば、コンピュータの心臓部「CPU(マイクロプロセッサ)」。
1980年代、CPUが8ビットから16ビットに進化したとき、4つのチップが覇権を争った。
(1)ナショナルセミコンダクター社のNS16000
(2)モトローラ社のMC68000
(3)テキサスインストラメンツ社のTI9900
(4)インテル社のx86
この中で、(2)と(3)と(4)を仕事で使ったことがある。
この頃、バンテック・データ・サイエンスというコンピュータ・ベンチャーに在籍し、ハード設計とプログラミングを担当していた。
実際に使ってみると、モトローラのMC68000は、アーキテクチャー(基本構造)がシンプルで美しく、ハード的にもソフト的にも使いやすかった。
テキサスインストラメンツのTI9900は、アーキテクチャーが素晴らしく、これが欧米人の発想なのかと感動したものだ。周辺デイバスが豊富だったので、部品点数が少なくてすみ、設計図は整然としていた。
一方、インテルのx86は、力技で8ビットを16ビットに広げたフシがあり、アーキテクチャーがグチャグチャで見苦しかった。しかも、メモリ空間が不連続なので、長いプログラムが書きにくい。今は、高級言語で書くからメモリ空間を意識する必要はないが、当時はアセンブラ(機械語)で書いたから、メンドーくさかった。つまり、x86はアーキテクチャーが最悪で、ハード的にもソフト的にも使いづらく、性能もイマイチだった。
ナショナルセミコンダクターのNS16000は使ったことはないが、アーキテクチャーは、構造がMC68000そっくりで、洗練されていた。バンテック・データ・サイエンスはその後、倒産したが、社長は再起業し、NS16000を採用したと聞いた。この社長は、人生で巡り合った唯一の天才だったので、きっと良いCPUだったのだろう。
ちなみに、この社長は東大卒の元官僚で、PFUの創業者でもある(故人)。PFUはイメージスキャナーではトップシェアだが、スーパーコンピュータにもからむ。日本が誇るスーパーコンピュータ「京」と「富岳」を製造したのは、富士通とPFUの合弁会社なのだ。
話をCPUにもどそう。
結局、生き残ったCPUは?
インテルのx86。
なんで?
インテルのx86が、最初にリリースされたから。
ハード設計者もプログラマーも、慣れたCPUを変えたくない。勉強し直すのはメンドーだから。つまり、互換性を武器に、インテルは勝ち残ったのである。
「並」が「特上」を差し置いて、勝利した例はまだある。
OS(オペレーティングシステム)だ。
まず、デスクトップOSの世界シェア。
【1位】Windows(マイクロソフト):74%
【2位】OS X(アップル):15%
つぎに、モバイルOSの世界シェア。
【1位】Android(グーグル):72%
【2位】iOS(アップル):27%。
どちらも、「並」が「特上」に勝っている。不条理な話ではないか。
さらに、プログラム言語も同じ。
これまで、仕事で、アセンブラ(機械語)、C言語、C++、Python、Smalltalkを使ったが、最高のプログラム言語は、Smalltalkだった。言語仕様は論理矛盾が皆無で、体系的で美しい。さらに、オブジェクト指向をこれほど完全に実現した言語はない。Smalltalkは、プログラム言語というより、統合開発環境だが、Smalltalk自身で書かれている。これにはビックリだ。高級言語を高級言語で書くには、よほど完成度が高くないとムリ。
ところが、そのSmalltalkも、今は絶滅危惧種。ハイテクの象徴のコンピュータも、こんなものなのだ。
つまり、良いモノが生き残るとは限らない。
■VisionPro成功を妨げるもの
VisionProの成功を妨げる要因は2つある。
まず、VisionProの初期出荷台数が少ないこと。
2023年7月、アップルの発表によれば、発売される2024年の年間出荷台数が、100万台から40万台に下方修正された。
売れそうにないから?
ノー、作れないから。
VisionProを構成する部品は多い。
大物部品だけで、複数のカメラとセンサー、超高解像度の有機ELパネルが2つ、独自設計のチップ(Appleシリコン)が2つ、いずれも、簡単に入手できるコモディティ部品ではない。アップル独自のカスマイズされた「スペシャル部品」だ。さらに、約5000件の関連特許があるというから、とんでもないハイテクである。
早い話、作るのが難しいのだ。
今回、特にネックになっているのは、有機ELパネルだという。
片目4Kなので、4000ピクセル×2000ピクセルという超高解像度。こんなハイスペックな半導体なら、歩留まりが悪くてあたりまえ。しかも、両目で2個必要なので、品不足は2倍。
というわけで、需要が多くても、供給が少なければ、売上につながらない。これを機会損失という。
とはいえ、プレイステーション5も、当初は生産が滞り、機会損失が懸念された。ところが、現在は供給は安定し、致命傷になっていない。
VisionProも同じ道をたどるだろう。
ただし、深刻な懸念がある。
3499ドル(約50万円)という価格だ。高級ゲーミングPC並みの恐ろしい価格。
どこの誰が、VRに50万円も出すのか?
いえいえ、もっと上等のMRです。
どこが違う?
ここで、VR系のテクノロジーをザックリ整理しよう。
まず、一番ポピュラーなのが「VR(仮想現実)」。専用のヘッドセットを装着すれば、CGや実写の3D映像を体験できる。
つぎに「AR(拡張現実)」。現実世界に仮想世界を合成した映像を体験できる。例えば「ポケモン GO」は、現実の街並みにCGのキャラクターが出現する。ただし、現実世界が中心で、仮想世界はおまけ。
一方、現実空間と仮想世界を対等に扱い、新たな空間をつくりだすがのが「MR(複合現実)」だ。マイクロソフトの「HoloLens(ホロレンズ)」が先行したが、アップルのVisionProに完全に逆転された(スペック上)。
あと「XR(クロスリアリティ)」もたまに見かけるが、VR、AR、MRの総称と考えていい。
ところで、メタバースは?
メタバースは、インターネット上のバーチャル空間で、ユーザー同士がコミュニケーションする「場所」のこと。「あつまれどうぶつの森」や「フォートナイト」も広い意味でメタバースだろう。
メタバースは、XRデバイスを使ってアクセスできるが、PCやスマートフォンやゲーム機などの2Dデバイスからもアクセスできる。つまり、3Dか2Dかは関係ない。
逆に、XRコンテンツが全てメタバースという訳ではない。ユーザーとのコミュニケーションがないXRコンテンツもたくさんあるから。
というわけで、XRとメタバースは直接関係ない。
カンタンにいうと、XRは3D映像を体験できるデバイスの総称で、メタバースはコミュニケーションの場所である。
ちなみに、VisionProが一番近いのはMR(複合現実)だろう。つまり、3D映像と3D操作が可能な空間コンピュータ。アップルもそうよんでいるから間違いない。
さて、ここで本題。
3Dずくめがウリのコンピュータに、50万円出しますか?
その答えは、アップルの歴史が教えてくれる。
■PCの元祖「Alto」
アップルといえば、初代のAppleII、二代目のMacが有名だが、その間に、歴史から消えたPCがある。
1983年に発売された「Lisa(リサ)」だ。
VisionProは、このLisaと同じ道を歩む可能性が高い。それほど、この2つは似ている。
Lisaがリリースされたのは、1983年1月だ。
この頃、PCはまだ8ビットが主流で、入力はマウスではなく、キーボードからコマンド入力していた。ディスプレイは、たいていはモノクロで、グラフィックはムリ。文字しか表示できなかった。
ところが、Lisaは一線を画す。
当時最強のCPU、モトローラのMC68000を搭載し、正真正銘の16ビットマシン。しかも、データバスは16ビットだが、内部的には32ビットで処理する仮想32ビットマシンだった。
さらに、マウスが使え、ディスプレイもグラフィック表示で、商用パソコンとして初めてGUIを搭載した。
GUIとは、グラフィカルユーザインタフェースの略称で、ウィンドウやアイコンやプルダウンメニューを使い、マウスなどのポインティングデバイスで操作するインターフェースだ。つまり、現在のMacとWindows。
ただし、GUIはアップルとマイクロソフトの発明ではない。
有名な逸話がある。
後年、アップルのスティーブ・ジョブズが「WindowsはMacに似すぎやしないか」と文句を言ったら、マイクロソフトのビル・ゲイツはこう反論したという。
「ゼロックスの家に押し入って、テレビを盗んだのが僕より先だったからといって、僕が後から行ってステレオを盗んだらいけないってことにはならないだろ」
早い話、MacとWindowsは、米国ゼロックス社の盗品だったのだ。
正確にいうと、GUIを発明したのは、米国ゼロックス社のパロアルト研究所である。この研究所は、GUIだけでなく、マウス、Smalltalk、イーサネット、レーザープリンターを発明している。それもこれも、世界中から超一流の研究者を集め、自由闊達な環境で研究させたから。
というわけで、パロアルト研究所は「コンピュータテクノロジーの聖杯」なのである。「聖杯」とは、キリストの最後の晩餐で使用された杯で、キリストの血を受け、神聖な力や不老不死の力を持つという。
話をジョブズとゲイツにもどそう。
ジョブズとゲイツの肩を持つわけではないが、2人が人の道に外れたことをしたわけではない。パロアルト研究所を見学させてもらい、こりゃ凄い、と真似ただけ。そもそも、ゼロックスも特許を取っていないので、文句は言えない。
ちなみに、ジョブズとゲイツが研究所で目撃したマシンは「Alto(アルト)」である。
Altoは、GUIベースのOSを搭載した史上初のコンピュータだった。最初のマシンは1973年に稼働したが、10年後の「パーソナルコンピュータ」の機能をすべて備えていた。つまり、ジョブズとゲイツは、Altoに「コンピュータの未来」をみたのである。
事実、その10年後、アップルはAltoを真似たMacをリリース。マイクロソフトのWindowsがそれに続いた。こうして、GUIがPCのデファクトスタンダートになったのである。
それにしても、実物を見ておきながら、真似るのに10年?
Alto、凄すぎです。
ではなぜ、ゼロックスはAltoを商品化しなかったのか?
じつは商品化している。
1981年、ゼロックスは、Altoをベースにしたワークステーション「Xerox Star」をリリースした。他のマシンを寄せ付けない恐るべきマシンだったが、価格も恐るべき10万ドル。
日本円で220万円でなく、2200万円ですよ!
CPUをはじめ、カスタム半導体をふんだんに使ったから、コストが跳ね上がってあたりまえ。
だから、仕方がない?
ゼロックスさん、それはあんたの都合ですよ。
ユーザーは、そんな都合、関係ないですから。
事務処理で、どこの誰が2200万円出しますか?
あの頃、東京晴海の展示会で「Xerox Star」の実物をみたことがある。あのときの衝撃は今も忘れられない。何十台ものStarがイーサネットで接続され、連携し、見たこともないアプリが動作していた。Altoの血統は間違いなく10年先の未来だったのだ。
で、売れた?
売れなかった。
ベンツ3台買えますから、
■VisionProの未来
Lisaに話をもどそう。
Lisaは「Xerox Star」を目指していた。Starのコンセプトを継承し、価格を下げれば、必ず売れると。
アップルは勝利を確信していたが、ソフトウェアにも手抜きはなかった。
Lisaは、GUIベースのOSを搭載し、擬似的なマルチタスクも実現していた。さらに、ビジネスで必要とされるソフトウェア「Lisa Office」もバンドル。具体的には、Lisa Write(ワープロ)、Lisa Draw(図表作成)、Lisa Calc(表計算)、Lisa Project(プロジェクト管理)、Lisa List(リスト式データベース)だ。これだけあれば、たいていの事務処理はこなせる。
で、売れた?
全然売れなかった。
理由はカンタン、高すぎたのだ。価格が日本円で228万円なのだから。
ワープロや表計算やデータベースなら、アップルのAppleIIで事足りる。この頃、小型版のAppleIIcが、日本円で20万円で買えたから、228万円払うバカはいない。
AppleIIcは、シンガポールの工場で製造された。当時勤務していた会社が、この製造ラインを納入したから間違いない。製造される製品の概形図を見てビックリ。「おー、AppleIIcじゃん!」と声をあげたものだ。
つまり、こういうこと。
どんなに、モノが良くても、高ければ売れない。
では、VisionProの未来は?
それも、アップルの歴史が教えてくれる。
アップルが、Lisaで失敗した後、廉価版のMacintoshをリリースした。それが、今につづくMacだ。
それと同じように、VisionProも廉価版が出るだろう。
もちろん、廉価版は成功する。空間コンピュータは、GUIと同じく、パーソナルコンピューティングの正しい道だから。
ただし、手強いライバルが出現するだろう。
マイクロソフト、アルファベット、メタ、サムスンあたりが連携して、第二の空間コンピュータを出すから。モノはイマイチ、でも安いですよ!という毎度のノリで。
つまりこういうこと。
第1世代(PC):Mac Vs. IBM PC
第2世代(スマホ):iPhone Vs. Android
第3世代(空間コンピュータ):VisionPro系 Vs. その他連合
「アップル Vs. その他連合」のパーソナルコンピューティング戦争はまだ続く。
by R.B