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週刊スモールトーク (第517話) 胡錦濤の退場劇(2)~胡錦濤の認知症説~

カテゴリ : 人物思想社会

2022.11.25

胡錦濤の退場劇(2)~胡錦濤の認知症説~

■習近平の独裁

中国の第20回党大会は、異例ずくめの人事だった。

まず、習近平は、国家主席・2期10年の慣例をやぶり、3期目に突入。

つぎに、中国ナンバー2の総理は、副総理で本命の胡春華(こしゅんか)ではなく、李強(りきょう)に内定した。

李強は、副総理どころか、国務院(中央政府)で働いたこともない。しかも、ヒラの中央委員から中央政治局常務委員(チャイナセブン)へ2階級特進。異例中の異例だ。

さらに、胡錦濤率いる知的エリート「共青団」が一掃された。最上位のチャイナセブン、上位の中央政治局員に一人も入れなかったのだ。習近平率いる「太子党」の圧勝である。

この3つのピースは「習近平の独裁」のジグゾーパズルを完成させる。

ではなぜ、習近平は非難覚悟で独裁を選択したのか?

習近平「個人」より、中国の「お国柄」に起因する。

中国の権力闘争は凄まじい。

中国は一党独裁だが、人事がすんなり決まるわけではない。共産党内部の抗争が凄まじいのだ。日本の自民党の派閥抗争の比ではない。負けたら、命が危ないのだから。

しかも、中国は広い。国土面積は日本の25倍で、総人口は日本の10倍、民族の数は50を超える。こんな国をまとめるには、独裁しかないだろう。

事実、中国の歴史上、民主国家にリーチをかけたのは、孫文の広東政府だけ(ただし失敗)。中国は、君主独裁か一党独裁しか成立しないのである。

■中国の権力闘争は命懸け

中国共産党の権力闘争の歴史をみてみよう。

1949年10月1日、毛沢東は中華人民共和国を建国した。その後、毛沢東は死ぬまで、皇帝のように君臨する。その間、凄まじい権力闘争で、多数の同志が落とした。

まずは、彭徳懐(ほうとくかい)。

毛沢東の腹心の中の腹心で、古くからの同志であり、友でもあった。ところが、1959年7月、共産党の首脳会議「廬山会議」で、毛沢東を批判したため、国防部長を解任される。

ところが、それですまなかった。

投獄され、紅衛兵に吊し上げられ、辱められ、拷問死したのである。

つぎに、劉少奇(りゅうしょうき)。

毛沢東の後を継いで、国家主席になったが、毛沢東が復権を図り、失脚している。劉少奇は、拘束され「共産主義の敵、裏切り者」と罵倒され、共産党から永久除名されたのである。

ところが、それですまなかった。

衆目の面前で、吊し上げられたあげく、薄暗い倉庫に閉じ込められた。高齢で、病気も患っていたが、ロクな治療も受けられず、苦しみながら死んだ

そして、林彪(りんぴょう)。

彭徳懐に代わって国防部長になり、1969年4月、毛沢東の後継者に任命された。ところが、翌年、ささいなことで、野心を疑われ、毛沢東の信頼を失う。林彪はクーデターを企てるが、身内にチクられて発覚。ソ連に亡命をもくろむも、搭乗機がモンゴルで墜落。原因は今もわからない。

中国の権力闘争は、かくも凄まじい。

■習近平の陰謀説

第20回党大会の胡錦濤・退場劇も、権力闘争の一つといわれ、習近平の陰謀説もある。

習近平は、3期目に入り、腹心の李強をナンバー2にすえ、宿敵の共青団を一掃した。それでも、安心できない。そこで、とどめに共青団の親分の胡錦濤を辱めたというのだ。

一見筋が通っているが、いろいろおかしなところがある。

まず、胡錦濤は目の前の書類を、なぜ見ようとしたのか?

習近平・陰謀説によれば・・・

書類の中に、新指導部の人事リストがあり、胡錦濤は自分の子分が入っているか、確かめたかった。なぜなら、党大会の2ヶ月前の「北戴河会議」で、習近平と胡錦濤の間に、合意が成立していたから。習近平の3期目を認めるかわりに、胡錦濤の子分(共青団)を要職に就けるという取引だ。胡錦濤は、それを確かめるために、目の前の書類(人事リスト)を見ようとしたというのだ。

ではなぜ、習近平はそれを阻止しようとしたのか?

人事リストに、胡錦濤の子分が入っていなかったから。習近平は、胡錦濤との約束を破ったことになり、それを知られたくなかったという。

でも、これはおかしい。

もし、この陰謀論が真実なら、胡錦濤は「人事リスト」の内容を知らなかったはず。知っていれば、わざわざ見ようとしないから。

ところが、胡錦濤が「人事リスト」の内容を知っていた物的証拠があるのだ。

胡錦濤・退場劇の前に、中央政治局員(24人)の投票が行われている。この投票は、205人の中央委員の中から選ばれるから、胡錦濤は中央委員のリストを見ていたはず。候補者がわからないと、投票できないから。もちろん、その中央委員のリストには、胡錦濤の子分の名前は載っていない。つまり、その時点で、胡錦濤は、自分の子分たちが、新指導部から外されたことを知っていたはずだ。

であれば、習近平が、胡錦濤に人事リストを見せたくない動機も成立しない。胡錦濤は、すでに人事の内容を知っていたからだ。

百歩譲って、胡錦濤が人事を知らなかったとしても、習近平が隠すはずがない。そのすぐあとに公表されたからだ。わずかの時間、胡錦濤に隠すことにどんな意味があるのか?

そもそも、習近平は小細工を弄する人間ではない。

たとえば、香港の民主化運動。2019年、香港で大規模民主化デモが発生、西側諸国も支援し、大いに盛り上がった。ところが、習近平は正々堂々、武力鎮圧した。良し悪しはさておき、小細工を弄せず、真っ向勝負だ。

さらに、第20回党大会で「(台湾統一で)武力行使を決して放棄することはしない」と明言している。台湾に武力侵攻すると言っているに等しい。

くわえて、東シナ海(尖閣諸島)、南シナ海でも、正々堂々、威圧している。

そんな人間が、79歳の引退した老人に小細工するだろうか?

そもそも、胡錦濤に人事リストを見せたくなかったら、党大会に出席させなければいいのだ。胡錦濤は体調に問題があったが、出席を強く希望したという。習近平は、その意を組んで出席させたのである。

胡錦濤・退場劇の前に撮られた1葉の写真がある。習近平が、胡錦濤を気遣うように椅子に座らせている。中国は儒教の国で、長老を敬う文化がある。習近平は、腹の底でどう思っているかさておき、胡錦濤に礼を尽くしたことは確かだ。

ところが、日本で報じられた報道は、なぜかこの写真はカットされている。

不自然なものには、必ず理由がある。

■胡錦濤の認知症説

ではなぜ、胡錦濤は目の前の人事リストに執着したのか?

胡錦濤は、終始ボンヤリした表情で、口が半開きで、栗戦書(りつせんしょ)の話も理解できない様子だった。パーキンソン病の噂があるが、認知症の可能性も否定できない。

つまりこういうこと。

胡錦濤が書類を見ようとしたのは、合理的かつ明確な目的があったからでない。人事リストを見たことすら忘れたか、人事リストがうろ覚えで確かめたったか、あるいは、手持ち無沙汰でモゾモゾ。

ではなぜ、習近平派は、胡錦濤に人事リストを見せようとしなかったのか?

内容を見られたくなかったのではない(胡錦濤はすでに知っていたから)。「見る行為」そのものが問題なのだ。

党大会は、5年に一度開催される中国で最も重要な会議。議事進行中は、前を向いて静粛にしているのが慣例だ。事実、閉幕式の映像をみると、ひな壇に座っている最高指導部は、まっすぐ正面をみすえて微動だにしない。ところが、胡錦濤だけが、書類に手を伸ばし、モゾモゾゴソゴソ。誰が見ても、みっともない。それを見かねた隣席の栗戦書が「あ、今それはダメですよ」となだめたではないか。

それでも、見ようとするから、退場させられたのではないか。

というのも、胡錦濤は、認知の可能性もあるから、何をするかわからない。あの場で、一度決まった人事をぶり返されたらたまらない。胡錦濤の醜態ではすまないだろう。習近平の責任問題にも発展し、3期目続投の晴れ舞台が台無し。習近平の顔に泥を塗ることになる。

それに、胡錦濤が人事リストを見ようが見まいが、習近平の3期目と、共青団の排除は確定していた。陰謀があろうがなかろうが、習近平の独裁は揺るぎないものだった。そんな無力な企てを陰謀というだろうか。

というわけで、習近平の陰謀説はいろいろ間違っている。胡錦濤の認知症説の方が真実に近いかもしれない。

胡錦濤は好きな政治家だった。

頭が切れ、弁がたち、颯爽としていた。華のある指導者で、明るく、力強く、オーラもあった。それでも、病気には勝てなかったのだ。

胡錦濤はまだ79歳、病んでいることは確かだが、静かな余生を遅れることを心から願っている。

老兵は死なず、ただ消え去るのみ ~ダグラス・マッカーサー~

by R.B

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