安倍晋三の国葬~死者に鞭打つ国~
■安倍晋三の国葬
2022年9月27日、安倍晋三元首相の国葬が日本武道館で執り行われた。
参列者は、国内外あわせて4183人、一般の献花は2万5889人だった。会場近くに設けられた献花台には、3kmの弔問の列ができたという。
国葬は午後2時すぎに始まった。開式の辞、国歌演奏、黙祷と続き、安倍氏の生前の映像が流された。
そして、友人代表の菅前首相の弔辞。
七月の、八日でした。信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。
あの、運命の日から、八十日が経ってしまいました。あれからも、朝は来て、日は、暮れていきます。やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。季節は、歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに、私は、いまだに、許せないものを覚えます。
しかし、安倍総理と、お呼びしますが、ご覧になれますか。ここ、武道館の周りには、花を捧げよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。二十代、三十代の人たちが、少なくないようです。明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。
総理、あなたは、今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、每日、毎日、国民に語りかけておられた。
日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲き誇れ。これが、あなたの口癖でした。
次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて、経済も成長するのだと。その、まっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は、直感しました。この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。
安倍総理。日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、すべて成立させることができました。どのひとつを欠いても、我が国の安全は、確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちは、とこしえの感謝をささげるものであります。
総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした七年八か月。私は本当に幸せでした。
何度でも申し上げます。安倍総理、あなたは、我が日本国にとっての、真のリーダーでした。
衆議院第一議員会館、千二百十二号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡義武著「山県有朋」です。ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
かたりあひて 尽しし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ(ともに語り合い、日本のために尽くした人が先に逝ってしまった。これからの日本をどうすればいいのか)
深い哀しみと、寂しさを覚えます。総理、本当に、ありがとうございました。どうか安らかに、お休みください。
令和四年九月二十七日 前内閣総理大臣、友人代表 菅義偉
とつとつと声を震わせながら、語りかける渾身の弔辞である。弔辞が終わると、会場に拍手が鳴り響いた。SNSもこれに応じる。「#菅さんの弔辞」がツイッターのトレンド2位に浮上したのである。3位は「#一般献花」で、1位は「#安倍さんありがとう」だった。
■吉田茂の国葬
国葬は、大正15年(1926年)の国葬令で明文化されたが、太平洋戦争後に失効している。一方、特別の功労者は国葬で送る、という不文律がある。戦後執り行われた国葬は、吉田茂、昭和天皇で、安倍晋三元首相は3例目である。
吉田茂は、戦後の日本復興を主導した首相だ。
現在は「名宰相」と評価されているが、当時は国民からかなり嫌われていた。
理由は・・・
吉田茂はクリスチャンで、英国趣味の西洋かぶれで、神道と仏教を柱とする日本文化をないがしろにした。
GHQ(日本占領の連合国最高機関)がでっちあげた平和憲法を丸呑みにしたせいで、他国に侵略されてもロクに反撃できない。そもそも、自主憲法を持たない国は、主権国家ではなく属国ではないか。だから、アメリカのポチと揶揄されるのだ。
日本をいびつな「試験管国家」にして、国民が「脳内お花畑」になったのは、吉田茂のせいだ。とまぁ、散々。
当たらずとも遠からずだが、日本のお花畑の原因は他にもある。マスコミと学校教育である。
具体的にどうやったかを明かそう。
まず「大日本帝国=軍国主義」の図式で、戦前の日本をすべて「悪」と決めつけた。さらに、日本人の特質、日本古来の文化を否定し、西洋式のグローバリズムと民主主義を「善」とした。くわえて「3S政策」による洗脳。国民を、Screen(映画)、Sports(スポーツ)、Sex(セックス)の「3S」漬けにし、自分の頭で考られないようにした。福沢諭吉が予言した「愚民」が現実になったのである。
その結果、国民はマスコミが流す情報を真実と信じ、学校教育に何の疑いをもたなくなった。それが「お花畑日本」なのだ。今の日本は、2000年の歴史を捨てた「根無し草」なのである。そして、最大の問題は、それに気づかないほど、洗脳が進んだこと。洗脳は宗教の専売特許ではないのだ。
では洗脳を解くには?
マスメディアが流す情報を鵜呑みせず、自分の頭で考えること。それに尽きる。
ところで、吉田茂は国葬に値するか?
定義が「特別功労者」では抽象的すぎて、判断しようがない。とはいえ、それでは身もフタもないから、抽象的な答えで返そう。太平洋戦争の後処理は、日本史上の大きな区切りで、歴史的意義も大きい。当然、教科書にものるから、国葬の大義名分は立つだろう。
■昭和天皇の国葬
昭和天皇は、激動の昭和を率いた国家元首だ。
太平洋戦争は、超大国アメリカに挑んだ過酷な戦いだった。緒戦は、練度の高い将兵と、優れた空母や航空機で圧勝したが、徐々に補充が損耗に追いつかなくなった。くわえて、桁違いの資源と工業力を誇るアメリカが、物量で日本を圧倒。この2つが要因となり、日本は開戦2年後、連戦連敗に転じた。あげく、広島と長崎に原子爆弾を投下され、1945年8月15日に無条件降伏した。もし、あのとき、日本が降伏しなかったら「日本本土決戦」に突入していただろう。
1945年5月25日、米国のトルーマン大統領は、日本本土上陸作戦「ダウンフォール作戦」を認可した。この計画は、大きく2つの作戦からなる。九州南部に空軍基地を確保し、日本本土全域を空爆する「オリンピック作戦」と、首都東京の制圧と日本を降伏させる「コロネット作戦」である。
トルーマンは、日本本土上陸作戦で、原子爆弾と毒ガス(サリン)の使用を許可していた。村上龍の小説「五分後の世界」では、日本本土決戦がおこり、広島、長崎に続き、小倉、新潟、舞鶴にも原爆が投下される。つまり、現実と小説は紙一重だったのだ。
もし、昭和天皇が軍部の反対を押し切って、無条件降伏を決断しなかったら、想像を絶する犠牲者が出ていただろう。なぜなら、大量の原子爆弾で命令系統は寸断されるので、各地の部隊は全滅するまで戦う。さらに、原子爆弾と毒ガスによる恐ろしい大量虐殺がおこるから。
では、日本本土決戦の具体的な犠牲者数は?
当時のアメリカ統合参謀本部がシミュレーションした結果、アメリカ軍の死者数は「50万人」と予想された。これを聞いて、トルーマンは震え上がったという。というのも、現実世界の第二次世界大戦のアメリカ軍の戦死者数は42万人。もし、日本本土決戦に突入したら、第二次世界大戦の戦死者は2倍に膨れ上がっていたのだ。
では、日本の犠牲者は?
約1000万人。
その根拠を示そう。
まず、沖縄戦での戦死者は、アメリカ軍が2万人で、日本は軍民あわせ30万人。つまり、日本の戦死者はアメリカ軍の「15倍」である。日本本土決戦も沖縄戦と同じ防衛戦なので、比率は同じと考えていいだろう。
つぎに、日本本土決戦のアメリカ軍の犠牲者を50万人とすれば(アメリカ統合参謀本部の予測)、日本側は15倍の750万人。これに、原子爆弾と毒ガスの犠牲者が加わるから、死者は約1000万人だろう。
総人口7000万人の時代に、1000万人が戦死?
この恐ろしい国家的カタストロフィー(大破局)を回避したのが、昭和天皇だったのである。国葬の是非は論じるまでもないだろう。
■安倍叩きの異常さ
吉田茂と昭和天皇の国葬はかくありき。
では、安倍晋三元首相の国葬は?
賛成派と反対派で、日本は真っ二つ(マスコミの報道を信じれば)。
世論が割れるのは世の常だが、不可解なことがある。反対派が執拗でしついこと。
たとえば、国葬の周辺で騒いだ反対派。リオのカーニバルか、ハローウィンのようなお祭り騒ぎで、「今日は祭りだ!」と叫ぶ者もいたという。人の葬儀に土足で踏み込んで「お前は悪い奴だから、葬式なんかさせない!」と脅すようなもの。故人を冒涜し、人の死を辱める、人間として最低の行為だ。葬儀自体は、国葬の是非とは別の話なのに、味噌も糞もいっしょくた。モノゴトはちゃんと考えた方がいいだろう。
こんな暴挙が許されるなら、中国式「専制国家」のほうがまだマシかもしれない。少なくとも治安・秩序は保てるから。
国葬に反対する野党も、人の道に外れている。
立憲民主党は、執行役員が全員欠席。さらに、泉代表は「国民の中に相当な違和感や疑問、あるいは反発がある・・・」とクドクド国葬が終わったあとも非難している。もっと重要な問題が山積しているのに、他にやることないのか?
本当に面倒くさい議員だ。
そもそも、立民は今回の国葬の本質を理解していない。
国葬の是非と、国葬を執り行うことは別軸の話なのだ。国葬の是非の議論はあって当然だ。だが、一度やると決まった国事は粛々とやるべきだろう。
ところが、俺たちは反対だから、絶対認めない!?
まるで駄々っ子ではないか。自分の思い通りにならない子供が、暴れて駄々をこねるようなもの。いい大人なんだから、礼節を知りなさい、と言いたいところだが、政治家相手にこんな言葉しか浮かばない自分が哀しい。この国はどうかしてる。
自分が立民の代表だったら、こう言うだろう。
「政策も意見も違い、議論を戦わせたが、安倍さんは国のために尽くした大功労者。同じ政治家として、心から冥福をお祈りします」
どうして、こんなカンタンなことが言えないのか?
たとえ敵同士でも、最期は礼を尽くすのが、人の上に立つ者ではないか。
一方、国葬反対のマスコミも、人の道に外れている。マスコミは、本来リベラルで反権力なので、仕方ないが、今回はやり過ぎだ。
どんな政治家も「功」と「罪」があるから、そのバランスで評価するべきだ。ところが、反対派は「罪」をことさら誇張し、「功」を歪曲化し、あげく「罪」に転換する。それを煽ったのがマスコミなのである。
そもそも、マスコミには報じるべきもっと重要なことがあるだろう。
安倍晋三元首相は、功罪はさておき、民主主義の根幹である選挙中に暗殺されたのだ。あのとき、暴力で民主主義を変えることはできないと息巻いたのはマスコミではないか。あの勢い、あの話はどこへ行ったのだ?
しかも、銃撃事件は消えた銃弾など謎が多く、真相が明らかになっていない。そんな大事なことをさておいて、何を今さらの「旧統一教会&国葬反対」に狂奔するマスコミ。
一体何を考えているのだ?
何も考えてませんから~
なるほど。
■屍に鞭打つ(しかばねにむちうつ)
今回の国葬反対は、中国の春秋時代の格言を思い出す。
紀元前6世紀、中国の楚の国に仕えていた伍子胥(ごししょ)は、父と兄を楚の平王に殺された。そこで、伍子胥は呉の国に亡命し、仇討ちをもくろむ。16年後、伍子胥は呉軍を率いて、楚の都を占領した。ところが、平王はすでに死去していた。そこで、伍子胥は平王の墓を暴き、死体を引きずり出し、300回鞭で打ちすえたのである。
死した後も、恨みを晴らすため、死体に鞭打つ。背筋が凍るようなエピソードだが、ここから「屍に鞭打つ」の格言が生まれた。その後、伍子胥は気性の激しさがあだとなり、呉王の信頼を失い、死を賜った。
では、この格言は何を伝えたいのか?
たとえ恨みが正当だろうが、死者を辱めてはならい。これが中国の価値観なのだ。
では、日本は?
相手が悪と信じたら、死してなお、死者に鞭打つ。これが国葬反対の正体なのだ。
イエス・キリストならこう言ったに違いない。
「父(神)よ、彼ら(鞭打つ者)をおゆるしください。自分が何をしているのか分からないのです」(ルカの福音書23章34節)
一方で、相手が敵でも礼を尽くす人間がいる。ロシアのプーチン大統領だ。
プーチンは、ウクライナ侵攻で血も涙もない大悪人のレッテルを貼られたが、安倍元首相の遺族に弔電を送っている。
尊敬する安倍洋子様
尊敬する安倍昭恵様
あなたの御子息で、夫である安倍晋三氏のご逝去に対し、深い弔意を表明いたします。犯罪者の手によって、日本を長い間率い、日露関係の発展に多くの業績を残し、傑出した政治家の命が奪われました。私は晋三と定期的に接触していました。そこでは、安倍氏の素晴らしい個人的、ならびに専門家的資質が開花していました。この素晴らしい人物についての記憶は、彼を知る全ての人の心に永遠に残るでしょう。
尊敬の気持ちを込めて
ウラジーミル・プーチン
敬意と情愛にあふれている。安倍元首相とプーチンは、外交で互いの国益をかけて戦った宿敵だった。そのプーチンでさえ、最期に敬意を払ったのである。
もし、プーチンが血も涙もない人間なら、死者に鞭打つ一派は何者?
by R.B