14世紀のペスト(3)~世界を変えた黒死病~
■ペストで世界は一変した
1331年、中国河北省でペストが発生、17年後にはイングランドに達した。歴史に名高い「14世紀のペスト大流行」である。
死者の数は世界で1億人、地球上の人間の1/4~1/3が消滅した。しかも、完全に終息するまでに300年、その間、100回以上流行を繰り返した。まさに史上最悪のパンデミック、社会が一変しても不思議はない。
そこで問題。
演劇はなくなったか?
ノー!
旅行はなくなったか?
ノー!
飲食業は消滅したか?
ノー!
何も変わっていない。だから、21世紀のアフターコロナの世界も何も変わらない、とする向きがある。これにはビックリだ。言い出したのは、新橋の居酒屋でご機嫌の酔っぱらいではない、政府の諮問機関のメンバーなのだ。
まず、この御高説は、前提からして間違っている。たしかに、演劇、旅行、飲食は生き残ったが、もっと大きなところが一変した。国家の支配体制、民意と社会カーストだ。さらに、滅亡した王朝もある。
とはいえ、最終的に元にもどれば、騒ぐほどの「変化」ではない。つまり、重要なのは、変化が一過性か不可逆性か?
14世紀のペストは後者だった。社会の根本が変わり、二度と元にもどらなかったのである。だから、「アフターコロナの世界は何も変わらない」は、前提が間違っている。前提が間違いなら、その先も信用できない。むしろ、14世紀のペストなみに大変動すると考える方が自然だろう。
そんな高邁な話、ボクたち、ワタシたち、関係ないもんね!
ノー!
社会が変わると、必ず、没落する集団がでてくる。たいていは、支配者ではなく、ボクたち、ワタシたちなのだ。だから、対岸の火事とたかをくくっていると、哀しい結末になる。
では、14世紀のペストで没落した集団とは?
■ペストと世俗世界
ペストが流行して、まず人口が激減した。
地球上の人口が4億5000万人の時代に、1億人が死んだのだ。とくに、ヨーロッパがひどかった。死者の数は、内陸部で3000万人、イングランドで170万人。人口の1/3~1/2が消滅したのだ。社会の根本が変わっても不思議はない。
では、なにが変わったのか?
封建制が崩壊し、地方分権から中央集権に移行した。
その頃、ヨーロッパは封建制が支配していた。君主は、国民を直接統治せず、諸侯に委任する。諸侯は、君主から領地と領民を与えられ、その地方を統治する。この権利は世襲されるので、諸侯は「地方の君主」。そのかわり、諸侯は君主に対し、貢納や軍役の義務を負った。さらに、諸侯は貴族に封土をあたえ、領土と領民を統治させた。これが領主である。このようなピラミッド型の地方分権を封建制とよんでいる。
ところで、なぜ封建制はペストで崩壊したのか?
封建制の根幹をなす荘園制が崩壊したから。荘園制とは、領主が領地と領民を支配する制度で、領民を使役して、穀物を生産する。
昭和の「地主と小作」?
ノー、大きな違いがある。まず、農作業が強制的な使役であったこと、早い話が奴隷。くわえて、領主は領民に対し、広範な統治権をもっていたこと。つまり、領主が「法律」で、領民は土地を離れることもできなかったのだ。だから、小作というより、ロシアの農奴に近い。
ところが、13世紀に入ると異変がおきる。貨幣経済が浸透しはじめたのだ。そこで、領主は農民に土地を保有させ、地代を取ることにした。面倒な管理がなく、カネだけ徴収できて、楽ちんだから。ところが、14世紀、さらなる大異変が・・・あのペストである。
各地で人口が激減し、深刻な労働力不足におちいった。結果、相対的に領民の地位は向上する。そこで、領民は領主に詰め寄り、地代の減額を認めさせた。さらに、人口が激減したので、穀物価格は下落。領主にしてみれば、地代も穀物収入も減って、フトコロが寂しくなるばかり。そこで、領民は領主の足元をみて、さらなる自由と権利を求めた。そんなこんなで、諸侯と領主は没落するばかりだった。
悪いことは重なるものだ。これにとどめを刺したのが、百年戦争である。
この戦争は、1337年に始まり、フランスを主戦場に116年続いた。だから「百年戦争」なのである。原因は、イングランドの王がフランスの王位を要求したことだが、そこは重要ではない。当初、イングランドが優勢で、フランスの北半分を支配するほどだったが、そこも重要ではない。そのままいけば、今頃、フランスはイギリス領だったが、そこも重要ではない。あのジャンヌ・ダルクが登場して、戦況を逆転させたから。早い話、双六(すごろく)の振り出しにもどる。
結局、イングランドはフランスのすべての領地をすべて失った。戦争なんかやらなきゃ良かったと反省したどうかは知る由もないが、「無意味な戦争」だったことは確かだ。
では、百年戦争の何が重要なのか?
フランスの諸侯と領主が二派に分かれて、総出で戦ったこと。結果、諸侯も領主もズタボロ、電池が完全に切れてしまった。これにペストが大流行したから、たまらない。弱り目に祟り目とはこのこと。一方、荘園制と封建制は諸侯と領主がかなめだから、制度も崩壊してあたりまえ。荘園制と封建制が崩壊したのは必然だったのである。
興味深いデータがある。
諸侯・領主が没落し、荘園制が崩壊し始めたのは1350年以降、ペストがヨーロッパに大流行したのは、1347から1348年。「ペストの流行→荘園制崩壊」の相関関係は明らかだ。さらに、「ペスト流行→人口減→領民台頭→領主没落→荘園制の崩壊→封建制の崩壊」と因果関係も明々白々。相関関係と因果関係が成立するから、ペストが荘園制と封建制を崩壊させたことは間違いない。その後、ヨーロッパは中央集権にシフトし、現在に至った。つまり、この変化は「不可逆性」だったのである。
つまりこういうこと。
14世紀のペスト流行は、世俗世界の基本構造を一変させた。ところが、それだけではすまなかった。精神世界まで一変させたのである。
■ペストと精神世界
中世ヨーロッパで、絶対的存在だったのがキリスト教である。信仰や思想などの精神世界だけではない。農業や医学など実学の中心でもあった。そのルーツは、6世紀、聖ベネディクトが創設した「ベネディクト修道会」までさかのぼる。信者からの「ほどこし」や「おふせ」に頼らず、「自給自足」をモットーとした。修道院では、修道士がみずから農具をこさえ、穀物やブドウを生産し、ワインも醸造した。それを村人と物々交換したり、病気の治療も行った。さらに、宗教書(新約聖書)、古代エジプト、古代ローマ、古代ギリシャの古典の写本も制作した。つまり、キリスト教修道院は「知のメッカ」だったのである。
ところが、12世紀に入ると、キリスト教の地位を脅かす存在が台頭する、大学である。「知のメッカ」が宗教から大学へ、信仰から科学の時代が始まった・・・と、まぁ、教科書的、カタログ的に言えばこうなるのだが、事実は少し違う。じつは、大学の起原はキリスト教だったのである。
476年、西ローマ帝国が滅亡すると、古典時代の知識はほとんど失われた。暗黒の中世が始まったのだ。神の教えと信仰が絶対の窮屈な世界。一方、キリスト教修道会は裕福で利己的になり、どんどん世俗化していく。そんな中、11世紀末、キリスト教世界で新しい運動がはじまった。宗教本来のあるべき姿にもどろうというのだ。主導したのは1098年に設立されたシトー教会。聖ベネディクトの戒律を厳格に守る修道会で「天国に一番近い聖地」といわれた。
この改革運動を機に、大聖堂や大修道院の周辺に学校が出現した。そこで、聖職者と生徒がいっしょに神学や論理学を学ぶ。討論や学術的な議論も奨励された。科目も増え、世帯も大きなリ、「ストゥディア・ゲネラリア(一般学問所)」に発展する。それが「大学」なのである。イタリアのボローニャ大学はこうした最古の大学の一つだった。パリやボローニャは、学問の中心地となり、ヨーロッパ各地から学生が集まった。大学は教会に代わって「知の殿堂」に昇格したのである。
というわけで、大学の起原はキリスト教会。
これには理由がある。西ローマ帝国が滅亡し、古典文化は衰退したが、完全に消失したわけではなかった。ラテン語とギリシャ語で書かれた法律やアリストテレス哲学の写本は、修道院に保存されていた。修道院は人類の知を保存する「地球公文書館」だったのである。つまり、キリスト教会なくして、大学はありえなかった。
ところが、14世紀のペスト流行が、キリスト教会の権威を失墜させた。ペストが流行すると、教区の牧師はいち早く逃げ出したのだ。教会の医学と治療が最も必要とされたとき、無能と無責任をさらけ出したわけだ。だから、威信が失墜してあたりまえ。この傾向は、とくにイングランドが顕著だった。ペストの死者が一番多かったからもしれない。ロンドンは人口が半減したのだから。
編年史家のアーニョロ・ディ・トゥーラは「イタリアでのペスト流行について(1348年)」の中で、こう記している。
「誰もが、これを世界の終わりだと思い、どうせ皆死ぬのだからと死者のために涙を流さなくなった」(※3)
14世紀のペストを題材にしたボッカチオの名作「デカメロン」にこんな一節がある。
「毎日、数千人が病で倒れ、看護も治療も受けられずに亡くなった」(※3)
こんな状況で、医学と治療をになうキリスト教が責任を放棄した。この時代、ペストは治療不可能だったから、逃げた方にも言い分はある。けれど、逃げられた方はもっと言い分がある。今となっては、是非もないが。
というわけで、14世紀のペストは社会を一変させた。世俗世界も精神世界も。そして、二度と元に戻らなかったのである。
参考文献:
(※1)週刊朝日百科世界の歴史、朝日新聞社出版
(※2)世界の歴史を変えた日1001、ピーターファータド(編集),荒井理子(翻訳),中村安子(翻訳),真田由美子(翻訳),藤村奈緒美(翻訳)出版社ゆまに書房
(※3)ビジュアルマップ大図鑑世界史、スミソニアン協会(監修),本村凌二(監修),DK社(編集)出版社:東京書籍(2020/5/25)
by R.B