明智光秀(4)~ダークコア(悪の原理)~
■ブラック・スワン
17世紀、オーストラリアで「黒い」白鳥が発見された。白い鳥だから「白鳥」・・・「黒」はありえない。というわけで、起こりえないことを「ブラック・スワン(黒い白鳥)」とよんでいる。
たとえば、新型コロナをブラック・スワンとする向きもあるが、正しいとはいえない。パンデミックそのものは過去に何度も起きているから。
一方、本能寺の変は、正真正銘のブラック・スワン。
というのも、本能寺の変は「ミッション・インポッシブル(実行不可能な作戦)」なのに、失敗すれば首が飛ぶ(比喩ではなく)。そんな割の合わない大バクチ、誰がうつのか?
「実行不可能」には理由がある。討つ相手は、日本の半分を支配する織田信長。数万の大軍を擁し、日本統一は時間の問題だった。しかも、第六天魔王を自称し、凶暴化する一方。誰も逆らえない、止められない。さらに、3人の息子が成人し、後継者も指名され(嫡男の信忠)、後顧の憂いなし。くわえて、柴田勝家、羽柴秀吉をはじめ、信長に忠誠を尽くす武将が、キラ星の如し。こんな難敵をすべてなぎ倒さないと、ミッションは成功しないのだ。
というわけで、絶対ムリ。だから、誰もやらない、やろうとも思わない。というか、想像すらできない。つまり、本能寺の変は、起こるはずのないブラック・スワンだったのだ。
ところが、それを決行した男がいた。粋な生き様にこだわる婆娑羅の松永久秀でもなく、後先考えない猪武者の武田勝頼でもない。頭が切れ、狡猾で用心深い明智光秀。だから、本能寺の変は謎なのだ。
ではなぜ、明智光秀が?
「動機」で探索すると、候補はいくつか見つかるが、最終的に「あんな聡明で計算高い男が、なぜ大バクチをうったのか?」に行き着く。
ところが、「動機(利害の因果律)」を忘れ、光秀の「心(メンタル)」にフォーカスすると、答えが見えてくる。明智光秀は「ダークコア」と仮定すれば、本能寺の変はすべて説明できるのだ。
■ダークコア(悪魔の原理)
まずは「ダークコア」のおさらい。
ダークコアとは、様々なタイプの悪人に共通する心の特性で、直訳すると「闇の核」。一方、悪の根源という「作用」に着目すれば、「悪の原理」の方がわかりやすいだろう。
ダークコアは、9つの悪の因子で構成される。
【エゴイズム】
コミュニティや他者の不利益をかえりみない。他を犠牲にしてでも、自分の悦びや利益を追求する。
【マキャベリズム】
非道なことも、国家の利益になるなら許される、という思想家マキャベリにちなむ。計画的で計算高く、他者を操るのが得意。
【道徳の欠如】
道徳や倫理に反する行動をいとわない。道徳・倫理は自分には適用されないと考えている。
【ナルシズム】
極端な自己中、過剰な自己愛をもつ。
【権利意識】
他者とくらべ、自分は特別の存在と信じている。だから、自分が晴れ舞台に立つのはあたりまえ。
【サイコパシー】
無神経で反社会的で衝動的。自己を制御できない。
【サディズム】
権力と支配力を賞賛し、快楽と喜びのために他者を傷つける。
【世俗欲】
物欲があり、社会的成功を追求する。
【悪意】
他者を害することに悦びを見出す。そのためなら、自分が害をうけてもかまわない。
身近にいて欲しくないタイプだが、この9つの因子を「D因子(ダーク・ファクター)」という。心当たりのあるD因子の数が多いほど「ダークコア」に近づく。気になるようなら、無料で診断できるウェブサイトもあるので、一度お試しあれ。
■本能寺の変とダークコア
話をもどそう。
明智光秀がダークコアなら、なぜブラック・スワン「本能寺の変」が起きるのか?
まず、本能寺の変は、ダークコアと相性がいい。
本能寺の変は、「天下取り」が目的なので、究極の社会的成功を意味する【世俗欲】。
本能寺の変は、大恩ある主人を殺し【道徳の欠如】、自分こそが天下人にふさわしいと信じ【ナルシズム】、自分の利益を追求する【エゴイズム】。
本能寺の変は、家臣の分際で天下取りを狙うので、自分は特別の存在と思い込まないとムリ【権利意識】。
本能寺の変は、社会を混乱に陥れる無差別テロなので、反社会的【サイコパシー】で、残虐【サディズム】。
本能寺の変は、困難なミッションなので、戦略的・計画的が欠かせない【マキャベリズム】。
本能寺の変は、伸るか反るかなの大バクチなので、踏み切るには衝動性が必要【サイコパシー】。
本能寺の変は、信長を殺せるなら、自分が破滅するリスクを負ってもかまわない【悪意】。
これは奇妙な話だ。本能寺の変は歴史学、ダークコアは心理学。それぞれ異なる分野なのに、本質は同じ!?
つまりこういうこと。
本能寺の変はダークコアでないと決行できないし、ダークコアなら本能寺の変は自然の成り行き。すべてが一体化しており、この接点において、間然とするところがない。
では、明智光秀は本当にダークコアだったか?
明智光秀は440年前に死んでいるから、今となっては知る由もない。そこで、史料から推論するしかないが、一つ問題がある。一般に、史料は出来事を年ごとに記した年代記。登場人物の「人となり」まで踏み込んだ書は少ない。仮にあっても、史料というよりは「物語」。つまり証拠にはならない。
では、信憑性が高く、人物の性格を詳説した史料はない?
1点だけある。
■フロイス日本史と明智光秀
織田信長の年代記といえば、「信長公記」か「フロイス日本史」だろう。ともに一次史料で、信憑性が高いとされる。
では、登場人物の性格は?
信長公記には一切記されていない。一方、「フロイス日本史」はこれでもかと記されている。この2書のギャップは凄まじい。
同じ年代記なのに、なぜか?
信長公記を著した太田牛一は、分をわきまえた、真面目がとりえの記録係。私情を混じえず、史実だけを淡々と記す。一方、「フロイス日本史」の著者ルイス・フロイスは、類まれな才能があり、それを隠す気配はなく、自信満々「人となり」をあぶりだす・・・そんなところだろう。
ルイス・フロイスは、ポルトガルの首都リスボンに生まれた。キリスト教カトリックの修道会「イエズス会」に属し、戦国時代、日本で活動している。1563年に長崎に到着し、その後、活動を京都に移し、織田信長と出会う。以後、畿内での布教を許され、1580年には安土城で信長に拝謁している。
フロイスが描く「信長像」はあまりにも有名だ。その一部を紹介しよう。
「(信長は)貪欲ではなく、はなはだ決断を秘し、戦術にきわめて老練で、非常に性急であり、激昂はするが、平素はそうでもなかった。彼は家臣の忠言に従わず、一同からきわめて畏敬されていた。酒は飲まず、食を節し、人の取扱いにはきわめて率直で、自らの見解に尊大であった。彼は日本のすべての王侯を軽蔑し、下僚に対するように肩の上から彼らに話をした。彼は戦運が己れに背いても心気高闊(しんきこうかつ)、忍耐強かった。彼は善き理性と明晰な判断力を有し、神および仏の一切の礼拝、尊崇、ならびにあらゆる異教的占卜や迷信的慣習の軽蔑者であった」(※2)
これだけで、「織田信長」が理解できた気分になるのが、凄い。
フロイスは人間を見抜く力があり、文体も音楽を奏でるよう美しい。だから、妙な説得力があるのだろう。その後、フロイスは文才を認められ、イエズス会の書記に任じられた。日本中を旅し、自分が見聞きした戦国時代を記録したのである。その集大成が「フロイス日本史」で、今回、参考にするのは、その抜粋版の「回想の織田信長(※2)」。
さっそく、この書を読み解いて、明智光秀のダークコアを証明しよう。
■明智光秀とダークコア
「回想の織田信長」の「本能寺の変」は第17章から始まる。
「信長の宮廷に、惟任日向守殿(これとうひゅうがのかみどの)、別名十兵衛明智殿(じゅうびょうあけちどの)と称する人物がいた」
明智光秀のことである。
「その才略、深慮、狡猾さにより、信長の寵愛を受けることとなり、主君とその恩恵を利することをわきまえていた。自らが受けている寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた。彼は裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐カに富み、計略と策謀の達人であった」(※2)
明智光秀の重要な心の特性が記されている。
・その才略、深慮、狡猾さにより、信長の寵愛を受けた【世俗欲】
・裏切りや密会を好んんだ【道徳の欠如】
・刑を科するに残酷で独裁的であった【サディズム】【悪意】
・計略と策謀の達人であった【マキャベリズム】
「彼は誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、その親愛の情をえるためには、彼を喜ばさせることは万事につけて調べているほどであり、彼の嗜好や希望に関しては、いささかもこに逆らうことがないように心がけ、彼の働きぶりに同上する信長の前や、一部の者がその奉仕に不熱心であるのを目撃して、必要がある場合などは、涙を流し、それは本心からの涙に見えるほどであった」(※2)
ここも重要な部分だ。光秀は、底の浅いご機嫌取りではない。出世するために手段を選ばない【世俗欲】。信長に気に入られるため、主(あるじ)をたぶらかし、騙し、操る【マキャベリズム】。
そして、極めつけがこれ。
「友人たちの間にあっては、彼は人を欺くために72の方法を深く体得し、かつ学習したと吹聴していた」(※2)
倫理に反する行動をいとわない【道徳の欠如】。計算高く、他者を操る【マキャベリズム】・・・などと分析している場合ではない。人を欺くために72の方法を深く体得?
悪魔なのでは?
さらに・・・
「が、ついには、このような術策と表面だけの繕いにより、あまり謀略に精通してはいない信長を完全に瞞着(まんちゃく)し、惑わしてしまい、信長は彼を丹波、丹後2カ国の王に取り立て、彼(信長)がすでに破壊した比叡山の大学(延磨寺)の全収入・・・それは(別の)国の半ば以上の収入相当した・・・とともに彼に与えるに至った」(※2)
猜疑心の強い信長が、完全に騙され、操られている【マキャベリズム】。
そもそも、自分の利益のために国家転覆を企てるのだから、究極の自己中【エゴイズム】。さらに、家来の分際で身の丈を超えて【権利意識】、勝算を確信して【ナルシズム】、京の都と畿内と安土の町民を殺害する【サディズム】。
というわけで、明智光秀は「D因子(ダーク・ファクター)」のフルスペック、完全無欠のダークコアではないか?!
いや、あと一つ【サイコパシー】が残っている。じつは、これがないと、本能寺の変は証明できないのだ。
参考文献:
(※1)信長公記、太田牛一著、榊山潤訳、富士出版
(※2)回想の織田信長フロイス「日本史」より松田毅一(翻訳)、川崎桃太(翻訳)中央公論新社
by R.B