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週刊スモールトーク (第402話) 嫁・売ります(1)~大英帝国の奇習~

カテゴリ : 歴史社会

2018.08.26

嫁・売ります(1)~大英帝国の奇習~

■命売ります

「命売ります」は三島由紀夫の小説、「嫁・売ります」はイギリスの実話。

ドッキリする文言だが・・・どちらもおいそれとは売れませんよね。

三島由紀夫は絵になる人物だ。

いい意味でも、そうでない意味でも。

ここで、なぞなぞ・・・頭のいい人でも、絶対記憶できないことが2つある。何でしょう?

こたえ・・・生まれる瞬間と死ぬ瞬間。

ところが、三島由紀夫はこう言い切った。

「僕は母親から出てくる瞬間を写真のように思い出せる」

始まりがそんなだから、その後は人生は奇々怪々・・・ボディビルダーにして知の巨人、大蔵官僚にして作家、そしてノーベル文学賞候補にまでなりながら、最期はハラキリ自決。太平洋戦争が終わって25年後のことだ。

三島作品にはオーラがある。

有名な「仮面の告白」、「潮騒」、「金閣寺」はまだしも、晩年の「豊饒の海」はついていけない。キラキラするコトバが散りばめられ、そこに気を取られていると、突如、鋭利な「論理刀」が閃く。見慣れた世界が真っ二つ、見たこともない異世界が・・・おそろしい才能だ。こういうのを天才というのだろう。

そんな三島が書いたのが冒頭の長編小説「命売ります」。

死にたい男が、せっかく死ぬなら、殺したい人に(命を)売ってあげよう、という話。文章は平易で読みやすいし、ストーリーもまぁまぁなのだが、すぐにイヤになる。三島の同じ奇小説「美しい星」には遠くおよばない。ところが、TVドラマにもなっているから、「三島ブランド」はまだ健在なのだろう。

話はそこではなく・・・「嫁・売ります」の方。

バクチで借金こさえたダメ亭主が、奥さんをコッソリと売り飛ばす・・・ではなく、町の広場で公開「セリ」にかけて、正々堂々?売り飛ばしたというのだ。

そして、驚くなかれ、「セリ」が行われたのは・・・地の果ての未開文明ではない。絶頂期のイギリス(大英帝国)なのだ。

■パクス・ブリタニカ

歴史上、最も成功した帝国は、18世紀~19世紀のイギリス「大英帝国」だろう。

根拠は比類なき「独占」。製造業と金融業を完全に支配したのだ。

まず、この時代の製造業だが、ポイントは3つある。

史上初の人工動力「蒸気機関」が実用化され(産業革命)、工業生産が劇的に進化したこと。工業の柱は綿業と製鉄業になったこと。大航海時代をへて、世界貿易が本格化したこと。

この分野における大英帝国の世界シェアをみてみよう(19世紀前半)。

・工業生産高:30~50%

・綿の生産高:50~70%(紡錘数)

・鉄の生産高:40~50%(銑鉄)

・貿易額:25%

なんと、世界の半分!?!

これほどの「独占」は、歴史上みあたらない。ところが、大英帝国の「独占」はこれにとどまらなかった。金融業にもおよんだのである。

1816年、大英帝国は金本位制を採用した。

英国通貨「ポンド」は、金(Gold)との交換が保証されたのである。意味するところは・・・英国政府は気軽にお札を刷れない。通貨にみあった「金=経済力」が必要になる。

結果、ポンドの信用力は高まり貿易の決済通貨にのしあがった。「基軸通貨」、事実上の世界通貨である(現在は米国ドル)。

こうして、ロンドンのシティは世界金融の中心となった。中央銀行のイングランド銀行、商業銀行や割引銀行をはじめ国内外の金融機関が集中し、大英帝国は「世界の銀行」になったのである。

大英帝国に集中したのは、ヒト・モノ・カネだけはなかった。情報も・・・

1851年、ロンドンのシティに、小さな事務所が開設された。後のロイター通信社である。開通したばかりのドーヴァー海峡の海底ケーブルを使い、ヨーロッパ各地から金融情報を入手し、これをロイター速報として流したのである。現在の「情報サービス」が始まったのだ。

世界のヒト・モノ・カネ・情報が集中する大英帝国は繁栄をきわめた。それを象徴するのが「パクス・ブリタニカ」・・・古代ローマ帝国の「パクス・ロマーナ」にちなむ歴史用語だが、直訳すると「大英帝国による平和」。

大英帝国のおかげで世界は平和、メデタシメデタシ・・・

というわけではない「平和」は大英帝国限定だったのだ。

一方、フランス、ドイツ、アメリカ合衆国、オランダも負けてはいない。世界中に植民地をこさえ、資源と富を収奪したのである。「植民地」よりわかりやすい方法もあった。「完全征服」である。アメリカ合衆国の「ハワイ併合」のように。

これが「帝国主義」で、19世紀中から20世紀中まで世界を席巻した。

とはいえ、植民地にされる側はたまらない。事実、南北アメリカ、アジア、オセアニア(太平洋の島々)は地獄の惨状だった。中でも凄惨を極めたのがオセアニアだ。

19世紀、大英帝国が先陣を切った。まず、キリスト教布教で露払いし、欲に目がくらんだ商人やならず者がおしかけ、やりたい放題、略奪の殺戮の限りをつくした。最後に、軍隊と行政官がやって来て、「植民地」が完成。このパターンが、オセアニアの島々で繰り返されたのである。

植民地が収奪されたのは、海産物、鉱物、白檀、香料などの特産品だけではなかった・・・人間も。

人間?

奴隸として、こき使われるか、売り飛ばされたのである。植民地ではこれを「ブラック・バーディング(黒人狩り)」とよんだ。収奪された後、残ったのは・・・疫病とすさんだ住民の心。これで、人口は激減した。ハワイでは1/6、サモアでは1/2、ソロモンやクック諸島では1/10・・・

ここで注意が必要、「1/6」死んだのではない。「5/6」死んで、「1/6」が生き残ったのだ。

一体どこが平和!?

だから、「大英帝国による平和」ではなく「大英帝国の覇権(ヘゲモニー)」なのである。

■大英帝国の成功の理由

ところで、大英帝国はなぜ成功したのか?

要因は無数にある。要因の要因まで考慮すると、因果律ネットワークが収集つかなくなる、そこで3つにしぼろう。

・石炭が豊富(製鉄に欠かせない燃料)

・河川が多く国土が平坦(水上輸送網)

・現実主義の国民性(理論より実践)

この中で、3番目の「現実主義」が重要だ。英国人は、高邁な理論より、実践的なモノ造りを好んだ。

ライバルのフランスとくらべてみよう。

近代化のエンジンは、言わずとしれた「科学(サイエンス)」。それを支援する組織が、世界にさきがけて、英国とフランスで設立された。ロンドン王立協会(1662年)とパリ王立科学アカデミー(1666年)である。

ともに、目的は「科学振興」にあったが、大きな違いがあった。

ロンドン王立協会は、国主導でなく、民間主導だったこと。そもそも運営費用は、ジェントルマンたちの持ち出しだった。さらに、「理論」より「実学」を重んじたこと。抽象的な数式ではなく、実際に役立つモノを作ろう!そんな現実主義が、蒸気機関、織物機械、工作機械を産んだのである。

一方のパリ王立科学アカデミーは国主導だった。蔵相コルベールのキモいりで、ヨーロッパ中から優れた科学者がスカウトされた。たとえば、オランダから招聘されたホイヘンスは、アカデミーの中心人物だったが、年金までもらっている。そして、重要なのは「実学」より「理論」!

それを象徴するエピソードがある。

パリ王立科学アカデミーは、その後「エコール・ポリテクニク」に昇格するが、その卒業生たちはこうよばれた。

「『数学』によって能力をテストされ、フランス官界を牛耳る者」

「数学=理論」が何よりも優先されたのである

《つづく》

参考文献:
週刊朝日百科世界の歴史、朝日新聞社出版

by R.B

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