奴隷貿易(1)~奴隷制度の歴史~
■格差
地球上で生きる生物は数百万種、一説には一億種を超えるともいわれる。この無数の生物種の中で、根拠のない「格差」が存在するのは人間のみ。
人間は表向き、平等を標榜しながら、世界中が格差で埋め尽くされている。日本では、「格差」は流行語になり、アメリカでは格差は広がる一方である。さらに、格差がないはずの「共産主義国」中国でさえ、大きな格差が生まれている。「格差」と「違い」は本質的に異なる。「違い」は自然が創り出した物理的、本質的な差異で、格差は人間の脳が生み出した「差別意識」による。その象徴が「奴隷制度」である。
黒人奴隷が首を数珠(じゅず)状につながれ、裸で歩かされている絵がある。絵の中央には女奴隷もいる。母親と思われる女奴隷は哀しそうに下を向き、それを子供が不安そうに見上げている。小さな子供には、この行進が何を意味するか理解できないだろうが、その先に待っているのは地獄の奴隷船である。行軍を指揮するのは、奴隷商人の手先で、得意げにムチをふるっている。その表情は、優越感、さげすみ、そして怒り・・・粗末な絵だが、これだけの情報が伝わってくる。
地球の生物システムの正体は、弱肉強食で組み立てられた食物連鎖である。だから、力の優劣はいくらでも存在する。たとえば、ライオンと小動物は歴然とした力の差がある。ところが、ライオンはたとえ相手が小動物でも全力で打ち倒す。目的は捕食にあり、優越感ではないからだ。弱肉強食は一見残酷にみえるが、自然の摂理の中にあり、冒頭の絵のような不快感はない。やはり、「差別=格差」は人間社会特有の産物なのだ。
■3つの奴隷制度
地球の歴史年表には「奴隷」という文字がたびたび登場する。奴隷制度、奴隷市場、奴隷貿易など。古代ギリシャやローマ帝国の奴隷制度は有名だが、もっと古い時代にも奴隷制度は存在した。というより、人類が出現した後、奴隷制度がなかった時代はないかもしれない。それほど、人間社会と奴隷制度は一体化している。
奴隷制度は大きく3つある。第一に、自然発生した奴隷制度。古代ギリシャ、ローマ帝国、古代アフリカはこのタイプだ。戦争で負けた国、あるいは占領された国の民が、命を助けてもらう代わりに奴隷になったのである。主な仕事は家事や農作業。非人道的かもしれないが、命をとられるよりましである。いずれにせよ、戦争あっての話で、先ず奴隷市場ありき、ではない。どちらかというと、「弱肉強食」同様、自然発生的である。奴隷制度の第二のタイプは、思想や宗教に裏打ちされたもの。
たとえば、ヒンズー教のカースト制度。おそらく、地球上で最も厳格な身分制度で、上から順に、バラモン(司祭者)、クシャトリア(王侯・武人)、ヴァイシャ(農業・工業・商業に従事する庶民)、シュードラ(奴隷)となる。頂点に立つバラモンは、ブラフマンと同レベルの力を持つとされる。ブラフマンはヒンズー教の3神の一つで、この宇宙の創造主とされている。同じ生物種でありながら、宇宙の創造神から奴隷まで・・・なんとも恐ろしい格差だ。
同じに見えても、それは肉体の話で、源である魂には歴然とした差がある、という教義なのだろう。ヒンズー教は古代インドの聖典ヴェーダを起源とし、3000年の歴史をもつ一大思想体系である。「差別は間違っている」と一刀両断にするには理論武装が必要だ。このタイプの奴隷制度は、奴隷が普遍的なルールとして、初めから社会に組み込まれている。
■コロンブスと奴隷
そして、第三の奴隷制度は、15世紀末から始まるアフリカの黒人奴隷制度である。1492年、コロンブスのアメリカ大陸発見を起源とし、後に地球規模の奴隷市場と奴隷貿易を出現させる。歴史の授業では、コロンブスが発見したのはアメリカ大陸ではなくバハマ諸島だと教えられるが、些末(さまつ)なこと。誰が発見して、それがどこかは大した問題ではない。重要なのは、この時期、ヨーロッパのトレジャーハンターが南北アメリカをうろついていたことである。この大陸が発見されるのは時間の問題だったのだ。
新大陸発見のニュースが伝わると、金銀財宝に目がくらんだ命知らずどもが、スペイン、ポルトガル、イギリス、オランダから南北アメリカにおしよせた。そして、あてにしていた黄金がすでに奪われたことを知ると、今度は、タバコ、砂糖、綿花の栽培で一儲けしようとしたのである。やがて、これらの産物は、ヨーロッパ世界に持ち込まれ、ヨーロッパ人たちの生活を大いに豊かにした。タバコをくゆらせるのが流行し、砂糖は紅茶やコーヒーの巨大な需要を生みだした。ヨーロッパでは、ティータイムの習慣が生まれ、みんな優雅でリッチな気分にひたれた。
ところで、消費者はいいとして、誰が生産するのか?遠く離れた異郷の新大陸で。もちろん、消費に忙しいヨーロッパ人は自分の骨をおるつもりはなかった。こうして生まれたのが、黒人奴隷制度である。タバコや砂糖は、一般大衆の日常品となり、膨大な需要を生んだ。問題は供給だが、時代は16世紀、機械式農業はまだ存在せず、それに代わる労働力が必要だった。日が昇り、日が落ちるまで、黙々と働く機械のような労働者。それが、奴隷だった。
とはいえ、奴隷は生身の人間なので、いずれ老いて死ぬ(病気でも)。大量の奴隷を安定供給するには、大規模な奴隷市場が必要だった。最初に奴隷にされたのは、北米のアメリカ・インディアン、南米のインディオなど、新大陸の先住民だった。ところが、彼らはヨーロッパ人の期待に応えることはできなかった。
■文明の破壊
アメリカ・インディアンは誇り高く、奴隷のような隷属的な扱いには強い抵抗を示した。また、南北アメリカの先住民は、ヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病にまったく免疫がなかった。天然痘やチフスに感染した先住民たちは、次々と死んでいった。とくに南アメリカのアンデスでは、2/3から3/4のインディオが死亡したと言われる。14世紀、ヨーロッパを襲ったペストで人口の1/4が死んだと言われるが、アンデスの悲劇からみればまだましだった。
地球は一つ、この美しい合い言葉のもと、地球上のあらゆる地域でグローバル化が進んでいる。だが、異文明の接触にはこんなリスクもあるのだ。20年前、サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」がベストセラーになったが、地球の一体化は、文明の衝突だけでなく、文明を破壊するリスクもある。それを証明したのが、この時代だった。新大陸の先住民があてにならないことが分かると、ヨーロッパ人は、次に、貧しい白人を新世界に送り込んだ。ところが、数がまるで足りない。もっと、大規模で、効率の良い奴隷制度が必要だった。
安定的かつ大量に奴隷を供給できる奴隷市場、さらに、それを合法化する奴隷制度。もちろん、何より重要なのは奴隷の供給源である。奴隷の供給源として、ヨーロッパ人が目をつけたのがアフリカ大陸だった。やがて、多くの黒人が、アフリカから船で積み出され、大西洋を渡り、南北アメリカに送り込まれた。これが、黒人の奴隷市場と奴隷貿易のはじまりである。その後、彼らの子孫は苦難の道を歩むことになる。
■奴隷という商品
第三の奴隷制度は、第一、第二の奴隷制度と決定的な違いがある。第一の奴隷制度は、戦争奴隷のような二次的副産物。第二の奴隷制度は、厳密な哲理に基づいた哲学・宗教。ところが、第三の奴隷制度は「商売」、つまり、奴隷は商品として扱われたのである。黒人奴隷は、アフリカの大地でハンティングされ、腕や胸に奴隷商人の焼印をおされた。まるで、牛や馬、家畜のように。
また、奴隷が転売されると、別の焼印もおされた。人が人の身体に、自分の「印」を刻む。死ぬまで消えることのないよう、皮膚と肉を焼いて。これが、奴隷が商品である証拠である。奴隷制度の本質、人間の闇の部分がここにある。「商標」を刻印された奴隷たちは、奴隷市場でセリに落とされ、買われていった。同族の人間を、完全な「モノ」にまでおとしめた点で、先の奴隷制度とは本質が異なる。しかも、奴隷売買が手段ではなく、目的になっている。
つまり、奴隷の売買を生業とする連中や国家が現れたのである。第三の奴隷制度は、人間の魔性を証明した点で、ドイツのアウシュビッツ収容所のユダヤ人の迫害に酷似している。一部の人間ではなく、大きな組織、国家が主導した点で。だが、奴隷制度で非難されるべきはヨーロッパ人だけではない。アフリカで、黒人奴隷をハンティングしたのは、同じアフリカ人だった。アフリカの有力部族が弱小部族を襲い、奴隷としてヨーロッパの奴隷商人に売り飛ばしたのである。その報酬として受け取った鉄砲で、奴隷ハンティングをさらに加速させた。こうして、歴史上類を見ない大規模な奴隷制度が生まれたのである。
■召使い奴隷
奴隷は、農作業以外にも利用された。アフリカの黒人奴隷が、ヨーロッパの家庭の中にまで入り込んだのである。18世紀イギリス上流階級では、家に黒人の召使いをおくことが流行になった。貴族の夫人たちが、黒人の召使いに囲まれ、優雅に暮らすことがステータス、ファッションだったのである。さらに驚くべきことに、黒人の幼児がペットとして飼われることもあった。ここまでくると、差別ではなく「区別」である。
この頃、イギリスでは新しい富裕層が台頭していた。カリブ海沿岸で黒人奴隷を使った砂糖プランテーションで大儲けした成金である。彼らは議会に進出して、東インド会社で儲けした成金とともに、国政を左右するようになった。こうして、黒人奴隷は新大陸では農作業に、本国ではファッションやペットとして利用されたのである。ところで、黒人差別はどういう経緯で生まれたのだろう?
■カナンの呪い
旧約聖書・創世記には、有名なエピソード「ノアの方舟」がある。正直者のノアが、神から大洪水のお告げをうけ、言われたままに方舟をつくり、生きのびたという話。実は、この物語には後談がある。ノアには3人の息子、セム、ハム、ヤフェトがいたが、彼らにまつわる不吉な物語だ。
創世記・第9章20節。ノアは、農夫となって、ぶどう畑をつくりはじめた。ある日、ノアは、ブドウ酒を飲んで酔っぱらい、天幕の中で裸で寝てしまった。それを見た末息子ハムは、兄セム、ヤフェトに面白半分にそれを告げた。そこで、セムとヤフェトは後ろ向きに歩いていき、父を見ないようにして、父に着物をかぶせた。父の醜態を気づかったのである。ノアは目を覚まし、そのことを知って激怒した。そして、ハムの子供カナンを呪ったのである。第9章25節では、つぎのように締めくくられている。
「カナンは呪われよ。奴隷の奴隷となって、兄たちに仕えよ」
なんとも、奇怪な話である。親に恥をかかせたのが罪としても、なぜ、当人ではなく、子供が呪われるのか?神に寵愛を受けるほどの人格者ノアが、なぜ、こんな些末(さまつ)なことで人を呪うのか?それも、自分の孫を。それに、裸で酔いつぶれたノアに罪はないのか?有名な「ノアの方舟」にはこんな不吉な続編があるのだ。
ところで、それと黒人奴隷とどんな関係が?実は、先の奴隷制度が成立した頃、「黒人こそがカナンの子孫である」という説が生まれ、奴隷制度と奴隷市場が正当化されたのである。ユダヤ人迫害を正当化する「反ユダヤ主義」、奴隷を正当化する「カナンの呪い」、どれをとっても、キリスト教世界の念は根が深い。
参考文献:朝日百科世界の歴史89朝日新聞社
by R.B