映画「渚にて」(4)~兄弟たち、まだ時間はある~
■世界が滅ぶとしたら何をしますか?
原子力潜水艦スコーピオン号は、メルボンに帰還した。
すべての任務を終えて。
北極圏の放射線量は太平洋より高い・・・放射能汚染が地球全域に拡大していることは間違いない。
途中、寄港したサンフランシスコは死滅・・・アメリカ全土も状況は同じだろう。
謎のモールス信号の発信者はブラインドとコーラのビンだった・・・人間ではなく。
すべての希望は失われた。あと5ヶ月で人類は滅亡する・・・これが映画「渚にて」が描く終末世界なのだ。
オーストラリア海軍の提督から、タワーズ艦長に連絡があった。
「アメリカ合衆国海軍の司令長官に退役にともない、貴下はただちに司令長官に任につかれたし。これでキミも提督だ」
「それはどうも」
タワーズはそっけない。
それはそうだろう。アメリカ海軍はおろか、国も存在しないのに、司令長官や提督に何の意味があるというのだ?
一方、科学士官のジュリアンはルンルンだ。カーレースに出場するべく、愛車フェラーリの整備に余念がない。
モイラはあきれ顔で言う。
「ジュリアン、(こんな時に)レースなんてバカなことを、なぜ?」
「したいから。それだけさ」
世界が滅ぶとしたら何をするか?
そこで人間の本性がむきだしになる。
「明日世界が滅ぶとも、今日リンゴの木を植える」
宗教改革のルターのセリフらしいが、彼が翻訳したドイツ語版聖書には出てこない(ドイツ語訳は読んでないので「たぶん」)。まぁしかし、誰が言ったにしろ、理解するには妄想に近い想像力が必要だ。
一方、ジュリアンの「世界が滅ぶとしたら」に想像力はいらない。今やりたいことをやるだけ。損得勘定もイデオロギーもない、純度100%の衝動だ。車好きならマイカー、飛行機好きならマイプレーンを駆ってレースを競う。ただし、自分でマシンをチューニングして。だから、命懸けなのだ。
ちなみに、「渚にて」のカーレースも命懸けだ。
映画史上に残るベン・ハーの二輪戦車競走を彷彿させる。観ていて、のけぞるくらいリアルなのだ。この時代、CGはないし、特撮も稚拙なので見たらすぐにわかる。
ところが「渚にて」のカーレースは・・・
ハンドル制御を失った車がクルクル回転し、そこへ車が突っ込んで大炎上。カーブを曲がり切れない車が、コースアウトし、ゴンゴロ横転し大爆発。そんなこんなのド迫力映像が次々と繰り出されるのだ。
一体、どうやって撮影した?
さては、時速10kmで車を走らせて、あとで早送り?
立ち上がる煙の動きから「早送り」はない。そもそも、爆発炎上は「早送り」では解決不能。
終末世界を描いた社会派映画で、第一級のカーアクションを堪能できるとは思わなかった。
そして、レースは・・・ジュリアンが優勝する。
そのときのジュリアンの表情が秀逸だ。一番大事なものを手に入れて、思い残すことは何もない、わたしは神に祝福された・・・
■マス釣り
ジュリアンの「世界が滅ぶとしたら」はカーレースだった。
では、タワーズ艦長は?
マス釣り。
モイラのコネがきいて、マス釣りが解禁になった。
川辺にたくさんの人が集まっている。
男たちが酔っぱらって、肩を組んで合唱している。家族連れがサンドイッチをほうばって談笑している。ボーイスカウトが整然と渡河している。
そして・・・タワーズ艦長とモイラはマス釣り。
それぞれの「世界が滅ぶとしたら」を愉しんでいるのだ。
川辺の光景に悲壮感はない。ムリに楽しむ力みもない。穏やかで、のどかな休日だ。
休暇が終わると、タワーズ艦長は艦にもどった。
すると、不吉な報告があった。水兵のアッカマンが病気になったというのだ。さっそく、見舞いに行く・・・
タワーズ:「どうだ気分は?」
アッカマン:「いいです。ちょっと腹具合がおかしくて。ビールの飲み過ぎです」
タワーズと船医は別室にうつり、話をつづける。
タワーズ:「治るか?ただの飲みすぎか?」
船医:「いや、症状がはっきり出ている。放射能だ」
タワーズ:「なぜ、突然一人だけが?」
船医:「なぜって、放射能が来てるからだ。誰かが最初で皆が順番にやられていく」
タワーズ:「治療法は?」
船医:「ない。楽にしてやることだ」
放射能の症状はすぐに出ない。真綿で首を絞めるようにゆっくり進むのだ。そして「回復」は決してない。
■兄弟たち、まだ時間はある
街の一角に人が集まっている。横断幕がかかげられ、意味深な文言が書かれている・・・
「There is still time、Brother(兄弟たち、まだ時間はある)」
ブラスバンドの勇ましい演奏、それが終わると、神父の出番だ。
「神よ力を与えたまえ。この狂気の沙汰はなぜなりや。自らを破滅されるとは。我らに勇気を与えたまえ。終焉のときには御手もて我らを導きたまえ」
聖職者が代弁する「神の言葉」は、いつもエニグマ(謎)だ。表と裏のギャップが巨大という意味で。見た目は神々しいが、慰めにしかならないから。絶体絶命の局面で「現実の問題」を解決をしたためしはないのだ。
ビクトリア女王記念館の前に長蛇の列ができている。小さな「白い箱」が配られている。安楽死の薬・・・ついに「その時」は来たのだ。
タワーズ艦長は、アメリカ海軍・原潜スコーピオンの号の乗組員を集め、最後の命令を発する。
「陸に残りたい者は残ってよい。理由はよくわかっている。他の者はどうするか各自で決めろ。よく考えて投票すること。以上」
一人が立ち上がって言う。
「艦長、投票しました。帰国です」
帰国?
どこへ?
アメリカ合衆国は「死の国」なのに・・・
メルボルンにも「死」が迫っていた。
放射線測定器のメーターは振り切れ、放射線量は測定不能。
オーストラリア海軍提督が、女性士官オズグッドに語りかける。
「いよいよ来たな。上陸するか、艦に残るか?」
「残ります」
「では、老いぼれと一杯やるか」
「いいえ、提督となら喜んで」
「いつも思っていが、どうして若い男とデートしないんだ」
「いません。制服のせいです」
「目がないな、世間の男は」
2人はグラスをあわせる。
その頃、ピーター・ホームズ大尉は・・・
妻のメアリーが茫然自失になり、赤ん坊はモイラにあずけられた。この夫婦にもカウントダウンが始まっていた。
メルボルン繁華街の酒場・・・
客は一人もいない。老いた給仕が、1人でグラスを傾けている。ビリヤードのキューを手に取り、玉を一回だけ突く。永遠の店じまいだ。
■そして誰もいなくなった
横断幕「兄弟たち、まだ時間はある」と勇ましいブラスバンド・・・様子が一変している。
ブラスバンドの団員は一人だけ。シンバル一人の勇ましくも哀しい演奏がつづく。集まった人はまばら。神父もいない。苦しんで死んだか、安楽死を選んだか?
神父の「神の言葉」は慰めになっただろうか?
一方、ジュリアンは安楽死を選んだ。「白い箱」ではなく、愛車フェラーリで。
倉庫からガスがもれないように、扉のスキマに布を埋める。フェラーリのエンジンを全開にする。爆音とともに、排気ガスが倉庫内に充満する。ジュリアンは満足気だ。「科学者」の人生は「詩人」で終わるのだ。100ポンドのフェラーリとともに。
ピーター・ホームズ大尉と妻のメアリーも「最後の瞬間」をむかえていた。
ピーターが、銀色のトレイに紅茶と「白い箱」をのせる。髪をとくメアリー。二人は静かにベッドに横たわる。最後の会話をかわす・・・
ピーター:「君は夢にみた理想の女性だった」
メアリー:「あなたは栄養不良」
ピーター:「あれから毎日渚に行ったが、君はいなかった」
メアリー:「インフルエンザで出られなかったのよ」
ピーター:「君といて本当に幸せだった」
メアリー:「わたしも・・・『あの紅茶』をいただくわ」
原潜スコーピオン号は、最後の航海に旅立った。誰もいない祖国へと。
海上をいくスコーピオン号、それを見守るモイラ。タワーズとモイラの永遠の別れだ。
メルボルン・・・誰もいない街並み。止まったままの電車。風で新聞紙が舞う。
そして、横断幕・・・
「兄弟たち、まだ時間はある」
でも、人間は一人もいない。
《完》
映画「渚にて」
監督:スタンリー・クレイマー
原作:ネビル・シュート
キャスト:
ドワイト・ライオネル・タワーズ中佐(原潜スコーピオン号艦長):グレゴリー・ペック
モイラ・デヴィッドソン:エヴァ・ガードナー
ジュリアン・オズボーン博士:フレッド・アステア
ピーター・ホームズ少佐:アンソニー・パーキンス
メアリー・ホームズ:ドナ・アンダーソン
参考文献:
渚にて【新版】人類最後の日(創元SF文庫)ネヴィル・シュート(著),佐藤龍雄(翻訳)出版社:東京創元社
by R.B