映画「渚にて」(3)~謎のモールス信号~
■モールス信号
人間はカンタンにあきらめない。たとえ人類が滅びる運命にあったとしても。
コバルト爆弾は、高熱と爆風で物理的破壊をもくろむ兵器ではない。地球規模の放射能汚染をひきおこし、人間と生物だけを死滅させるのだ。
1964年、原子力戦争(全面核戦争)が勃発し、コバルト爆弾が使用された。北半球は壊滅、南半球にも放射能汚染が拡大し、人類に残された時間はあと5ヶ月・・・
映画「渚にて」はそんな終末世界を描いている。
アメリカ海軍の原子力潜水艦スコーピオン号は、北極圏の放射線量の調査を命じられた。北極圏は放射線量が低いかもしれない・・・そんなワラにもすがる思いで。人間は最後まであきらめないのだ。
スコーピオン号の艦長はアメリカ海軍タワーズ中佐。これに、オーストラリア海軍の連絡士官ピーター・ホームズ大尉、科学士官ジュリアン・オズボーン博士も加わった。
ところが、出港前に不思議なことがおこる。
アメリカ合衆国のサンディエゴからモールス信号が届いたのである。
モールス信号は、古い時代のコミュニケーション手段で、通信速度は3bps前後。今どきのインターネットは30Mbps前後なので「1/10,000,000」!
これで何が伝えられるのだ?
「遭難した、救援頼む」とか「父ちゃん万歳、カネ送れ(昔の下宿生)」とか、緊急のメッセージに限られる。
そんなわけで、モールス信号は今は使われていない。
しかも、モールス信号はキーが1つしかない(電鍵という)。それでどうやって作文する?
たとえば、救援信号の「SOS」。
キーボードなら「S」のキー、「O」のキー、「S」のキーを順番にたたけばいいが、モールス信号はキーが一つ。そこで、たたき方で区別する。「SOS」なら・・・
短くキーを3回たたいて、長押し3回、その後、短く3回。
「ト・ト・ト・ツー・ツー・ツー・ト・ト・ト」
という具合。
もちろん、リアルな電鍵をたたくので、操作するのは人間。ということは・・・サンディエゴに人間が生存している?!
ところが、受信したモールス信号はビミョーだった。規則性があるような、ないような・・・子供か猿が打電している?
そこで、原潜スコーピオン号は、このモールス信号の調査も命じられた。
■酒場
タワーズ艦長は出港までの短い休暇を、モイラと過ごした。
モイラはタワーズに問うた。
「もし、『その時』が来るとなって、1つだけできるとしたら?」
「釣り、渓谷でマスを釣りたい。ところが9月まで禁漁だとさ」
モイラは、知り合いのお偉方に頼んで、禁漁を終わらせてあげる、と約束した。
所変わって、メルボルンの酒場・・・酒を愉しむ者、ビリヤードに興じる者、みんな「残された」時間を愉しんでいる。
初老の紳士2人が、老いた給仕に詰め寄る。
「全くバカげた話だ。酒はいくら残っている」
給仕が答える。
「400樽(たる)でございます」
「なんたることだ。400樽のワインを5ヶ月で飲めるか。後5ヶ月の命ではな」
酒場に一人の若者が入ってきた。ピーター・ホームズ大尉だ。彼はフェラード卿を見つけると、すぐに要件を切り出した。
「今度の航海は長くなります。帰られなくなるかもしれません。あなたが頼りです」
「その時」がくれば、全員にわたされる安楽死の薬、それを今欲しいと言っているのだ。自分が帰れなくなっても、メアリーと赤子がすぐに飲めるように。
フェラード卿は一筆書いて、こうつぶやいた・・・
「死ぬにも政治力が要るとはな」
■安楽死の薬
家に帰ったピーターは、妻のメアリーに「薬」を見せた。はた目には真っ白なマッチ箱だ。
メアリー:「それは?」
ピーター:「これは特製の睡眠薬だ。持っていて正しく使って欲しい。放射能による病気は、まず気分が悪くなって、ひどくなり、嘔吐(おうと)がつづく」
メアリー:「これで治るの?」
ピーター:「治す薬はない。終わらせるんだ」
メアリー:「赤ちゃんは?」
ピーター:「いっしょだ」
メアリー:「子供を殺せというの?」
ピーター:「君が先に死んだら赤ん坊はどうなる。一人でもがき苦しんで、死ぬだけだ。わからんのか!」
この2人の関係は「最後の瞬間」までつづく。
一方、タワーズはモイラと会っていた。
モイラが思いつめたように訴える。
「(わたしを)奥様と思って・・・」
タワーズの妻子はもう死んでいる。だから、残りの人生をわたしと・・・
ところが、タワーズの答えはノーだった。
モイラはガッカリしてその場を立ち去るが、タワーズは追いすがる。
「海軍にいるときはいつ死ぬかわからんと思ってた。そのかわり、家にいる女房や子供は安全だ。どんなことがあってもね。だが今度の戦争では危険なのは、家族でおれじゃない。そして、死んだ。それがたまらない。子供のいろんな計画もシャロンと二人で考えた。いっしょに歳を取って幸せになれるはずが・・・こんなことになってたまらないんだ。わかってくれるか」
「痛いほどわかります」
タワーズは、はじめて弱みをみせた。最後に心を寄せる女性に・・・
■フェラーリ
モイラは、1人でいるのが耐えられなかった。迫りくる死が怖かったのだ。そこで、昔付き合っていたジュリアンの家に行く。
モイラはジュリアンに尋ねる
「まだ好き?」
沈黙。
ジュリアンがゆっくり答える。
「普通ならまだ好きだろうけど。時間がないと、価値観がかわる」
「艦長はどうなった?」
モイラはせきを切ったように答える。
「結婚している。奥さまはシャロン、子供も二人。世が世なら、奥さまが生きていらっしゃれば、どんなことをしても、彼を奪うけど。時間がないわ、愛する時間が。思い出もない、思い出す値打ちも」
凄いセリフだ・・・
人間は、極限状況に追い込まれたら、動物になるのではない、哲学者になるのだ。
では、ジュリアンは?
詩人になる。
100ポンドで買ったフェラーリをチューニングし、人類最後のカーレースに出場する。そこに論理も感情もない。ただ、人生の最期を美しく表現したい・・・つまり詩人なのだ。
■誰もいない人生
原潜スコーピオン号は北極圏に達した。科学士官のジュリアンが放射線量を測定する。
タワーズ艦長と士官たちが固唾を呑んで見守っている。
ジュリアンが重い口を開く。
「太平洋の真ん中のときより高いです。救援信号(謎のモールス信号)は間違いです」
原潜スコーピオン号はサンフランシスコへ向かった。西海岸最大の都市を見とどけるために。
休憩室で、ホームズ大尉が偏屈者のジュリアンにグチっている・・・
妻のメアリーが現実を直視しない。赤ん坊に薬を飲ませるのを殺人と言っている。どうやったら納得させられるのか・・・
ジュリアンの答えは驚くべきものだった。
「僕は他人をうらやんだことはないけど、君だけはうらやましい。女房と子供オムツ、思い出、心配する人がいる。心配しようにも、誰もいない人もいる。モイラとおれだ。気がついた時にはもう遅い。君には全部ある。くだらんグチで邪魔するな」
そう言って、ジュリアンは読みかけの雑誌に目をもどした。
ホームズは苦笑いし「ありがとう」とつぶやく。
ジュリアンには何もない。いや、一つだけある。100ポンドのフェラーリを駆って、カーレースで優勝するのだ。
■サンフランシスコ壊滅
原潜スコーピオン号はサンフランシスコの沖合に到達した。
タワーズ艦長は潜望鏡を上げ、サンフランシスコを見る。恐ろしい光景だ・・・建物や道路は無傷なのに、車も電車も人影もない。
若い士官が言った。
「艦長、スウェインの故郷です。見せてやってください」
スウェインは潜望鏡をのぞき、タワーズ艦長に感謝した。ところが、その後、彼は驚くべき行動にでる。潜水艦から海に飛び込み、サンフランシスコに向かって泳ぎだしたのである。タワーズ艦長がスピーカーでよびかける。
「バカな真似はやめてすぐ帰れ」
「デートなんですよ。家に帰ります」
日があらたまって・・・ボートで釣りをしている若者がいる。脱走したスウェインだ。
ボートのすぐそばに、原潜スコーピオン号が浮上する。タワーズ艦長がスピーカーでよびかける。
「おはよう、スウェイン」
「艦長まだいたんですか」
「街の様子は?」
「全員死亡です」
「薬はいらないか?」
「サンフランシスコには、薬局が400もあるんですよ」
スコーピオン号はサンフランシスコを離れ、次の目的地にむかった。
■謎の信号
スコーピオン号はサンディエゴの海岸に着いた。謎のモールス信号の発信地だ。
調査員が放射能防護服に身を固め、上陸する。放射能汚染が深刻なので、時間は限られている。駆け足で調査した結果、水力発電所の中で、発信源を発見した。
ところが・・・打電の主は「子供」でも「猿」でもなかった。
ブラインドのヒモが、飲みかけのコーラのビンの飲み口にひっかかり、ブラインドが揺れるたびにコーラーが上下する。その下に電鍵(打電キー)がある。つまり、ブラインドとコーラがモールス信号を打電していたのだ。
タワーズ艦長と士官たちは苦笑いした。
「大した機械だ」
そのころ、潜水艦の中では、士官たちがくつろいでいた。そこで、科学士官のジュリアンがまた物議をかもす。
士官:「(原子力戦争を)誰が始めたんだ?」
ジュリアン:「アルバート・アインシュタイン」
士官:「まさか」
【補足】アインシュタインは原子爆弾の生みの親。彼がアメリカ合衆国大統領ルーズベルトに原爆製造を進言しなかったら、マンハッタン計画は始動せず、広島・長崎の原爆投下もなかった。さらに、ポツダム宣言は受諾されず、日本本土決戦が行われていた可能性が高い。村上龍の歴史改変SF「五分後の世界」が現実になるわけだ。
ジュリアン:「自分で自分を抹殺するほど人間がバカだとはな。信じられん」
士官:「みんな戦争に反対した。だのになぜ?」
ジュリアン:「明快な答えはない。平和を守るために武器を持とうとする。使えば人類が絶滅する兵器をね。原子兵器競争が果てしなくつづく。制御がきかなくなり、どこかで、だれかが、レーダーで何かを見る。千分の1秒遅れたら、自国の滅亡だと思い、ボタンをおす・・・」
一つ一つはありがちなイベントだが、直列に並べると、恐ろしい結末になる。核戦争なんて、案外、こんな風におこるのかもしれない。
誰も気にもとめない出来事が連鎖して、気が付いたら、核ミサイルが放たれていた・・・
参考文献:
渚にて【新版】人類最後の日(創元SF文庫)ネヴィル・シュート(著),佐藤龍雄(翻訳)出版社:東京創元社
by R.B