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週刊スモールトーク (第338話) 明の太祖・朱元璋(19)~奇皇后と宮廷大乱~

カテゴリ : 人物歴史

2016.11.27

明の太祖・朱元璋(19)~奇皇后と宮廷大乱~

■宮廷大乱

1367年9月、朱元璋は中国の半分を征服した。

地図で確認しよう。

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残る敵は、元朝のみ。

ところで、朱元璋と元朝どっちが有利?

兵力なら元朝、人口と物資なら朱元璋!

この時代、元朝は唯一の正統王朝で、動員兵力は100万、朱元璋を圧倒した。

一方、朱元璋の領国は「呉」とよばれたが、支配地は、湖北省、湖南省、河南省、江西省、安徽省、江蘇省、浙江省・・・中国で最も肥沃な地域である。当然、物産も人口も多い。

というわけで、紅巾の乱の決勝戦は「朱元璋Vs.元朝」・・・と言いたいのだが、現実はもう少し複雑だ。

じつは、中国南部は完全に平定されたわけではなかった。元朝の残党がしぶとく残っていたのである。ただし取るに足らない残党・・・

雲南は梁王(元の王族)、広西省・広東省は元朝、福建省は漢人の陳友定が支配していた。ただし、陳友定は元朝側なので、すべて元朝勢力。

ところが、「取るに足らない」残党は団結して、朱元璋にあたることはなかった。だから、チリは積もっても、しょせんチリ。

こんな状況をみて、朱元璋は「南征北伐」を思い立った。

南征=南方の元朝残党を征服

北伐=北方の元朝本丸を討伐

つまり、北と南を同時攻撃するのである。

当然、本命は北の元朝本丸だが、これが一枚岩ではなかった。

地図で確認しよう。黄色の領域は朱元璋、ピンクは元朝である。元朝が5つに分裂していることがわかる。

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北から順番に・・・

【順帝】河北(大都)を支配する元朝の皇帝

【ボロティムール】山西省(大同)を支配する元の将軍

【グユクティムール】河南省(べん梁)を支配する元の将軍

【李思斉】陝西省(西安)を支配する義軍の頭目

【王宣】山東省(山東)を支配する義軍の頭目

ここで、「義軍」とは、元朝に属する漢人の民兵である。

この5つの勢力は、同じ元朝でありながら、相争っていた。

まずは「ボロティムールVs.グユクティムール」。

ボロティムールとグユクティムールは元軍を2分する大将軍である。その2人が争うのだから事は深刻だ。さらに、この対立に「皇帝派Vs.皇太子派」がリンクしているので致命的。調停する者がいないから。

もう一つの対立は「グユクティムールVs.李思斉」。

地図をみるとわかるが、この2人の支配地は、南方の反乱軍(朱元璋)と接する。2人は力をあわせて、反乱軍を殲滅する役回りなのに、いがみ合っていた。

冷静に考えてみよう。

元朝の真の敵は朱元璋である。朱元璋はこの時期、反乱軍を統一し、「南征北伐」を計画していた。そんな危機的状況にあって、政権内で殺し合っていたのである。

ではどうして、こんな愚行が行われたのか?

ことの始まりは、13年前にさかのぼる。

■皇帝Vs.皇太子

1354年、元朝の脱脱(トクト)は、張士誠の領国「大周」を包囲していた。張士誠は反乱軍の有力な一派である。

攻める脱脱は、元朝の丞相で、皇帝につぐ権力者。しかも、実力でも元朝随一、その脱脱が自ら兵を率いて、張士誠の本拠地を攻めたのである。

外城は、ことごとく突破され、本丸が落ちるのは時間の問題。ここで張士誠が敗れれば、勢いに乗った元軍は徐州に殺到するだろう。そうなれば、朱元璋も滅ぶ。その後の展開は火を見るより明らかだ。反乱軍は各個撃破され、紅巾の乱は鎮圧される・・・

ところが、そうはならなかった。

大周が落ちる寸前で、脱脱が失脚したのである。

一体何がおこったのか?

元朝の順帝(トゴン・テムル)が、脱脱から兵権を取り上げたのだ。その理由というのが・・・功績が少ない。

「大周」が陥落寸前なのに!?

じつは、これには裏があった。

脱脱は、元朝の佞臣、哈麻(ハマ)にはめられたのだ。哈麻はささいなことで脱脱を恨んでいた(逆恨み)。そのため、脱脱の罪をでっちあげ、順帝に訴えたのである。ところが、哀れな脱脱は、失脚ではすまなかった。雲南に護送される途中、毒殺されたのである。

その後、哈麻は丞相にのぼりつめたが、それでも満足しない。順帝を廃し皇太子を立てて、影で操ろうとしたのである。ところが、陰謀は発覚、殺された。まさに、血で血を洗う宮廷闘争。

ところが、脱脱亡き後、内部抗争は泥沼化する。

その凄まじさを疑似体験する方法がある。

韓国で七冠に輝いた歴史ドラマ「奇皇后〜ふたつの愛涙の誓い〜」だ。時代は紅巾の乱末期、テーマは元朝の宮廷大乱。

主人公は奇皇后(きこうごう)、「奇人」皇后という意味ではなく実名である。

奇皇后は、元朝の皇帝、順帝の王妃だが、モンゴルの王族でも貴族でもない。高麗人である。

高麗は、918年から朝鮮半島を支配した王朝だが、この頃、元の属国だった。奇皇后は、高麗が元朝に献上した貢物だったのである。当時、このような女を「貢女(コンニョ)」とよんだ。

ドラマでは、奇皇后が暗愚な夫、順帝を盛り立てて、モンゴル人の王族・貴族を次々と葬っていく。さらに、迫害される高麗人(朝鮮民族)の地位を向上させるという筋書きだ(韓ドラなので)。

ところが、このドラマは史実とは異なる(韓国の歴史ドラマは史実より面白さ優先)。

まず、奇皇后は夫の順帝を盛り立てたのではなく、廃そうとしたのである。息子の皇太子アユルシリダラを皇帝にするために。

史実版「奇皇后」もっと詳しく・・・

奇皇后と皇太子アユルシリダラは、順帝を廃位させようと、宦官のブブハと丞相の太平の助力をもとめた。ところが、太平はこれを拒否。腹を立てた皇太子アユルシリダラは太平を殺してしまう。

その後、宮廷は、順帝派と皇太子派に大分裂した。その構図は・・・

【皇帝派】
・領袖:順帝
・幹部:大臣ロテシヤ

【皇太子派】
・領袖:皇太子アユルシリダラ&奇皇后
・幹部:丞相ソシカン、宦官ブブハ

こんなそうそうたる面々で、宮廷闘争を始めたのである。まさに、宮廷大乱。

■ボロティムールVs.グユクティムール

先手をうったのは皇帝派だった。

まず、皇帝派の大臣ロテシヤが、皇太子派の宦官ブブハの解任をくわだてた。ところが、その前に、皇太子派がロテシヤを解任。身の危険を感じたロテシヤは、将軍ボロティムールの軍中に逃げ込んだ。ボロティムールは北方方面軍司令官で、大同を拠点にしていた。

ボロティムールは戦さしか知らない無骨な軍人なので、そのままロテシヤを受け入れた。

それが災いの元だった。

皇太子派はこう考えた・・・

ボロティムールがロテシヤを受け入れた→ボロティムールは皇帝派→われわれの敵!

皇太子派の動きは速かった。

丞相ソシコンと宦官ブブハが、ボロティムールを謀反の罪で訴えたのである。1364年4月、ボロティムールは、順帝によって兵権を剥奪された。

ところが・・・

地図をみればわかるが、ボロティムールは、大同に中心に山西省を支配する一大勢力である。元軍の半分を率いる大将軍なのだ。

ロテシヤがどうした?そんなくだらないことで、おれの兵権を取り上げる?

やれるものならやってみろ!

と言ったかどうか定かではないが、ボロティムールは大軍を率いて、大都に向け進軍を開始した。

順帝は仰天した。

自分が助かるにはどうしたらいいのか?

そうだ、部下のせいにしよう。家臣がどうなろうが知ったこっちゃない。そこで、丞相ソシカンと宦官ブブハを縛り上げ、ボロティムールに送りつけたのである。

朕のせいではないですよ~、この2人が勝手にやったのですよ~、煮て食うなり焼いて食うなり、お好きにどうぞ!

この卑屈な態度にボロティムールは満足し、軍を引き揚げた。

これでビビったのが、皇太子アユルシリダラだ。

ボロティムールが皇帝派に回ったと思ったのである。やはり、頼りになるのは大臣より将軍。ペンは剣よりも強し、なんて浮ついたことを言っている場合ではない。

そこで今度は・・・

皇太子アユルシリダラが、グユクティムールの軍中に逃げ込んだ。

地図をみればわかるが、グユクティムールは河南を拠点にする南方方面軍司令官。元軍でボロティムールに対抗できるのは彼しかいない。皇太子アユルシリダラがグユクティムールを頼ったのも無理はない。

そして・・・

皇太子アユルシリダラは、グユクティムールをそそのかした。ボロティムール討伐を命じたのである。ところが、ボロティムールは機敏だった。大軍を率いて大都に進攻したのである。あわてた皇太子は太原(山西省)にトンズラ・・・

勝利したボロティムールは、そのまま大都に入り、中書左丞相となった。皇太子派やぶれて、一件落着?

そうはならなかった。

翌1365年、皇太子アユルシリダラは、再度グユクティムールにボロティムールを討つよう命じたのである。

捲土重来、今度は、グユクティムールが勝利した。そのドサクサで、ボロティムールは宮中で殺された。こうして、グユクティムールが大都に入り、丞相に任じられた。

皇太子派が勝利して、一件落着?

ところが、またもやドンデン返し。

皇太子アユルシリダラが欲をかいたのである。順帝を廃し、自分が皇帝になるのは今しかないと。母の奇皇后もこれに同調した。そして、グユクティムールが大都に入ったとき、耳元でこうささやいた・・・軍を率いて宮殿に入り、順帝に譲位を迫りなさい。

ところが、グユクティムールはこのささやきを無視した。

なぜか?

グユクティムールにとって、何のメリットもないから。

やろうとしていることは、あからさまなクーデターだ。失敗すれば国家反逆罪、恐ろしい処刑が待っている。袋詰めにされ、馬で踏み殺されるのだ。

さらに、たとえ成功しても、これ以上の出世は望めない。すでに皇帝につぐ丞相の地位にあるから。だから、拒否してあたりまえ。

ところが・・・

これが恐ろしい災いとなって、グユクティムールにふりかかる。奇皇后と皇太子アユルシリダラが、グユクティムールを深く憎むようになったのである。

一方、順帝の方も、グユクティムールを快く思っていなかった。

皇太子派についた事実があるし、ボロティムール亡き後、兵権がグユクティムールに集中するのを危惧したのである。

さらに、貴臣たちもグユクティムールが気に入らなかった。出が悪いのにあんな出世して・・・

このままでは、ボロティムールの二の舞い?

グユクティムールは考えた。

自分の居場所は戦場にあり。肌にあわない宮廷に長居しても命を縮めるだけだ。

グユクティムールは、順帝に大都を離れることを願い出た。順帝のほうも、気が引けたのか、グユクティムールを河南王に封じた。さらに、元軍の統帥権(軍の最高指揮権)を与えたのである。これには、皇太子の力を抑制するねらいもあった。

グユクティムールは、河南に帰ると、本来の仕事にとりかかった。南方の反乱軍(朱元璋)を討つのである。

ところが、この真っ当な考えが、トンデモもない事態を招く。宮廷を巻き込む抗争に発展し、まわりまわって、反乱軍討伐が頓挫したのである。おかげで、朱元璋は北伐の時間をかせぐことができた。

元朝の宮廷は、敵(朱元璋)に塩を送っているようなもの。

一体何をやっているのだ?

■グユクティムールVs.李思斉

このときの勢力図を再確認しよう。

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グユクティムールが河南省を治め、その西方は李思斉が支配している。

李思斉は漢人だが元朝側だった。張良弼とともに、陝西省(西安)をおさめていたのである。このように、漢人でありながら、元朝側にくみする者を義軍(卿軍)とよんだ。

彼らは、元々、中国の地主で、元朝の支配を受け入れていた。その見返りとして、地主の特権を与えられていたのである。

そのため、紅巾の乱が始まると、反乱軍は地主を目の敵にした。反乱軍を構成するのは、貧しい農民や流民や密売人。体制から虐げられた人々だ。だから、同じ漢族でありながら、モンゴル王朝の手先となった地主が許せないのである。事実、紅巾軍は地主の屋敷や蔵を襲い、略奪と破壊の限りをつくした。

反乱軍のなすがまま?

元軍はどうしたのだ?

反乱軍討伐は、地方に一任されていた。そうせざるをえない理由があったのだ。

第一に、反乱軍は中国南部で蜂起したが、元朝の本拠地(大都)から遠い。

第二に、元朝は宮廷闘争で反乱軍どころではない(ヘンな話だが)。

そこで、地方の官吏や地主は、自腹で兵を雇い、反乱軍に対抗したのである。もちろん、元朝のためではなく、自分の財産を守るため。それが、義軍(卿軍)の正体だった。

この義軍の中で、最も強かったのが、チャハンティムールと李思斉である。

チャハンティムールの祖先は、元朝成立時に河南を占領したモンゴル軍人だった。ただし、代々将軍職を務める名家ではない。だから、元朝の貴臣たちは、出世したチャハンティムールが気に入らなかったのである。

紅巾の乱がはじまると、チャハンティムールと李思斉は、協力して旗揚げした。つまり、2人は戦友だったのである。

チャハンティムールは有能な軍人で、軍功は数知れず。ところが、それが災いして、宮廷の佞臣に嫉妬された。あげく、失脚させられたのである(元朝ではよくある話)。その後、チャハンティームルの軍は、養子のグユクティムールに引き継がれた。

つまり・・・

李思斉から見れば、グユクティムールは戦友の子、つまり、格下。

ところが・・・

1366年2月、グユクティムールは河南の軍営にもどると、反乱軍討伐の大号令をかけた。陝西省の4将軍に集結するよう命じたのである。その4将軍の筆頭が、他ならぬ李思斉だった。

命令をうけた李思斉は激怒した。

チャハンティームルの子が総大将?

おれ様を呼びつける?

一体、何様のつもりだ!

李思斉は、ただちにグユクティムールの命令を取り消した。一兵も動かしてはならぬと。

今度は、グユクティムールは激怒した。

グユクティムールは、順帝から統帥権を与えられた元軍の最高軍司令官なのだ。その命令に背くとはなにごとか!

グユクティムールは、自ら軍を率いて李思斉ら4将軍を攻めた。しかし、両軍の力は拮抗していた。戦いは2年間続いたが、勝敗は決しなかった。

この間、朱元璋が軍拡にいそしんだことは言うまでもない。

元朝、一体何をやっているのだ?

始祖チンギス・ハーンが草葉の陰で泣いている・・・

■敵に塩を送る

一方、順帝は、この事態を憂慮していた。

元軍同士で戦っているのだからむりもない。元朝にとって害あって益なしである。

そこで、順帝は、グユクティムールに、停戦して反乱軍を討つよう命じた。ところが、グユクティムールは言うことを聞かない。

ここで、さらなる問題発生。

1367年7月、グユクティムールは部下の貊高(ばくこう)に、李思斉の背後を突くよう命じた。ところが、貊高配下の将軍たちは、この命令が不満だった。

「われわれは、反乱軍を討つように命じられた。ところが、李思斉を討てという。李思斉は官軍ではないか。なぜ、官軍が官軍を討たねばならないのか」

もっともな話だ、貊高はそう思った。

そこで、貊高は、逆にグユクティムールを討つように命じたのである。

???

つまり、元軍は、グユクティムール、李思斉、貊高で潰し合いをしていたのである。

敵は反乱軍(朱元璋)では?

これで、順帝が激怒したかというと、そうではなかった。小躍りして喜んだのである。

???

順帝は、グユクティムールを憎々しく思っていたから。

グユクティムールは皇太子派だし、停戦命令に従わないし、ボロティムールの死後、兵馬の権を独り占めにしている。少し痛い目にあわせてやろう。

そこで、順帝は貊高に河北の軍(大都の守備軍)を与えた。つぎに、グユクティムールから統帥権(軍の最高指揮権)をとりあげた。グユクティムールは、全軍の最高司令官から河南軍の司令官に格下げされたのである。

さらに、李思斉の軍の一部を、河南に進軍させ、皇太子に統括させた。

こうして、グユクティムール、李思斉、貊高、皇太子の4軍のパワーバランスは拮抗した。くわえて、それぞれの思惑で動くからバラバラ。

自軍を4分割して、力のバランスをとって、互いに戦わせる・・・一体何がしたいのだ?

メチャクチャ、行き当たりばったり、その場かぎりの損得勘定・・・空いた口がふさがらない。

事実は小説より奇なり、である。

というわけで、元朝の宮廷闘争は規格外。派閥争い、内紛の次元ではない。皇帝、王妃、皇太子、大臣、将軍、全員参加の殺し合いなのだ。

ところで・・・

これで、朱元璋に勝てる?

勝てるわけがない。

事実、この宮廷大乱のおかげで、朱元璋は時間を味方にすることができた。そして、準備万端、北伐(元朝討伐)を開始するのである。

《つづく》

参考文献:
(※)「超巨人朱元璋・運命をも変えた万能の指導者」原作:呉晗、堺屋太一、志村嗣生、志村三喜子、講談社

by R.B

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