男たちのかいた絵~男の生き様~
■江夏豊
プロ野球ファンではないが、なぜか、江夏が好きだ。
プロ野球に入団した年、いきなり、最多奪三振、翌年には、401奪三振という驚異的な記録を打ち立てた。ちなみに、2005年度のセリーグの最多奪三振は横浜ベイスターズの三浦大輔の177である。プロボクシングでたまに見かけるのが、弱い対戦相手を選んだ偽りの戦績。だが、江夏はそんな意識はさらさらなかった。
当時のホームラン王・王貞治から最多三振を奪ったのは江夏だが、逆に、江夏は王に最多のホームランを打たれている。つまり、相手が危険な強打者ほど真っ向勝負、つまらん勝ち星なんかクソ喰らえ、というわけだ。1971年、セパ両リーグのスターがそろうオールスターゲームで、前人未踏の大記録が生まれた。各球団を代表する強打者相手に、江夏は9打者連続脱三振をなし遂げたのである。オールスターゲームでは、一人の投手は3イニングしか投げられないので、これ以上の記録はない。もちろん、こんな偉業をなし遂げたのは、江夏ただ一人。
その後、江夏は広島カープに移籍したが、1979年の日本シリーズで再び野球の歴史に名を刻んだ。近鉄バッファローズとの最終戦である。著名なスポーツ作家、山際淳司氏の「江夏の21球」によると、この試合はつぎのように展開した。広島は1点リードしていたが、9回裏、ノーアウト満塁。絶体絶命だった。広島ベンチでは、池谷にくわえ、北別府がブルペンで投球を開始。江夏は、リリーフエースとしてのプライドを傷つけられた。江夏は、マウンドに内野手が集まったとき、こう言い放った。
「自分を信用しないのならば辞めてやる」
江夏は怒り、動揺していた。その時、一塁手・衣笠が一人でマウンドに行き、江夏に言った。
「おまえの気持ちと自分も一緒だ。気にするな」
これで、ふっきれた江夏は、佐々木を三振にうちとり、一死満塁。次の石渡の打席で、スクイズをはずし、二死二、三塁。最後に石渡を三振に切ってとり、試合は終わった。広島は、絶体絶命を乗り切り、みごと日本一に輝いたのである。江夏の一挙手一投足が、リアルタイムで歴史に刻まれた瞬間だった。
野球ファンではなかったが、あの試合は鮮明に覚えている。爆発寸前の観衆の熱気が、小さなブラウン管を通して伝わってきた。一万人の球場が、たった一人のヒーローに凝縮される瞬間だ。野球は筋書きのないドラマと言われるが、その真骨頂がそこにあった。まさに、「男たちのかいた絵」だった。
その後、江夏は輝かしい戦績を積み重ね、歳を重ねていった。最後に、アメリカメジャーリーグにも挑戦したが、夢はかなわなかった。36歳を越え、すでにピークがすぎていたのである。その後、よく知られているように、薬物使用で逮捕され、懲役2年余の実刑を言い渡された。江夏は、良くも悪くも、絵になるヒーローだった。なにより、彼の人生は波乱に満ちている。くわえて、野球史に刻まれた輝しい記録。投手がもっとも輝いて見えるのは、三振を奪う瞬間だが、江夏はその達人であった。通算1000奪三振までのスピードは、奪三振の世界記録をもつ金田正一を上回る。
彼は小太りだったが、そのマウンド姿は颯爽としていて、投球は疾風そのものだった。現在、江夏氏は野球解説者をしているが、彼を畏敬する野球関係者は多い。また、日本の野球史上最高の投手と言われている。しかも、彼には、野球に執着し、つねに打者に立ち向かうプロ意識が見てとれた。もちろん、プロ野球選手すべてが、プロ意識を持っているわけではない。
かつて、50年に一人と言われた天才投手がいた。野球人生を長引かせようと、セーブしながら投げ続けたが、引退するや否や、カネにならないコーチには目もくれず、タレント業にいそしんだ。一球一魂、己の人生を野球に賭けた江夏に、このようなあざとさはない。野球一筋・・・彼は、小賢しい計算に目もくれず、一瞬にすべてを賭けるヒーローだったのだ。だから、江夏が好きなのだ。
■竹中平蔵
2006年9月15日、竹中平蔵・総務相が辞職を発表した。ながらく政権にあった小泉内閣の総辞職に合わせ、議員まで辞職するという。一方、自民党の比例代表として72万票を獲得しながら、任期を4年も残して辞職するのは、国民の負託を裏切ることになる、という非難もある。
彼の御旗は「小泉構造改革」で、その実体は不良債権処理と郵政民営化だった。ところが、郵政民営化のゴールは遠い。郵政民営化に政治生命を賭けるかのような言動を繰り返しながら、任期を残してリタイヤするのは、どこかウソがある。
竹中氏は学者出身である。彼が推進した不良債権処理は一段落し、一定の評価をする識者も多い。現実に、功の部分は大きいかもしれない。だが、彼の金融改革の根っこは、資本主義の権化「グローバリゼーション」である。本質は、実力主義の名を借りた弱者切り捨て、そして、すべての価値をマネーに帰着させる拝金主義にある。そこには、国の習慣、法律、文化に対する敬意はみじんもない。国の文化、人間の心を疲弊させるルールなのだ。グローバル化とは文化の破壊に他ならないのだから。いずれにせよ、彼の金融政策の結果、強者(大企業)は業績を回復し、弱者(中小企業)は泥水をすすっている。
もちろん、このような議論は、誰が得をするかで、善悪の問題ではない。だから、一方的に責めることはできない。だが、彼の正体は別の所にある。竹中氏の政治手法は、たびたび非難の的となった。既存勢力とのすりあわせに時間をさくことはなく、小泉首相の権威をバックに、族議員や官僚を押し切る、というのだ。
ただ、彼の技量、立場を考慮すれば、これ以外に有効な手はない。だが、問題は手法の是非ではなく、その裏に隠された竹中氏の心意にある。もし、国政に人生を賭けた人物がいたとして、竹中氏のような手法をとるだろうか。否。国政に人生を賭けるとなれば、長期間、国政に携わることになり、他の議員や官僚たちとの協調関係は不可欠だ。だが、自分の目標を達成すればもう十分、長居は無用、と考えれば、竹中氏の言動になる。
つまり、竹中氏にとって、「議員は腰掛け」だったのだ。これを見抜いたのだろう、ある老練なベテラン議員は、「竹中は腰掛けで議員をやっている。国政に参加するなら、不退転の覚悟でやるべきだ」と指摘した。それが気になったのか、竹中氏は参院選に出馬した。もちろん、比例区だが。「議員に人生を賭ける」を証明したかったのだろうが、彼の場合、証明したことにならない。
竹中氏には、アメリカの大学を含め、魅力的なオファーがたくさんあったという。議員に執着しなくても、ネクストはいくらでもあったのだ。それに、知名度が高いので、講演料やTV出演料も半端ではない。つまり、「すべての職をなげうって議員になる」は、まやかし。竹中氏は、学者としてのキャリアを積んだ後、閣僚に転じ、一定の成果をおさめ、辞職した。人に後ろ指をさされることはないし、江夏のように司直の手にかかったこともない。
だが、就任当初から、彼の言動には不快感が感じられた。もちろん、個人的にだが。でも、なぜ?一般に、人も羨む議員をあっさり辞めると、目先の損得にとらわれない、あるいは、いさぎ良いと称賛される。もちろん、竹中氏の場合、これは当てはまらない。カネと権力と名誉に満ちたネクストがあるからだ。
とはいえ、こんなことで、あんな不快感は感じないだろう。おそらく、一番の理由は「つまみ食い」。もし、竹中氏が力説するように、郵政民営化がそんな重要なら、完遂するまで、議員を勤め上げるべきだろう。第一、任期はまだ4年もある。一方、竹中氏の立場で考えれば、別の世界が見えてくる。これまでのように、虎の威を借る(小泉首相)こともできないし、閣僚の椅子も危うい。つまり、その他の一年生議員と同列になるわけだ。彼が、そのような下積み生活を送りながら、けなげに郵政民営化を続けていくとは思えない。もっと美味しい料理が山のようにあるからだ。国の行く末より、自分の有意義な人生を優先しているのが、明確に見てとれる。
でも、それのどこが悪い?民間人なら、自分の好きな人生を送ればいいだろう。だが、国会議員は公僕である。国民の税金で生計を立てているのだから。国民の総意で選ばれた国政の場を、自分のキャリアアップの踏み台や、自分探しのネタにするべきではない。国政を誤れば、秩序は失われ、国民の生命まで奪われることもある。だから、「政治は最も神聖」と思っている。
自己実現やら、自分探しなら、他でやったら?彼は学者出身である。学者時代に暖めた自分の理論を、現実世界で試すのは、学者冥利につきるだろう。たまたま、小泉首相との接点があり、閣僚になり、やりたいようにやらせてもらった。それが叶わぬ環境になると、さっさと辞めて、別の狩り場に去っていく。国民の負託までないがしろにして。「国会議員は公僕である」という基本理念を無視している。こんな人物が、今も識者として活躍しているのを見ると、この国の良識を疑う。
そして、再び、江夏を想う。司直の手にかかり、偉業に見合った晩年にはならなかったが、そこには、さっそうとした男の人生がある。人はそういう生き様にこそ、畏敬の念を感じるのである。野球一筋の江夏豊、そして、つまみ食いの人生。ところで、自分はどんな絵をかいているのだろう?
by R.B