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スモールトーク雑記

■ユーコの死  2012.04.14

友人から電話があり、ユーコが死んだという。あまりに突然で、すぐに呑み込むことができなかった。

ユーコの夫は僕の友人のS、そして、ユーコもSも、昔、いっしょに働いた仲間だった。

その昔、パソコンがまだなかった頃、コンピュータといえば「IBMの汎用大型機」、という時代があった。実際、「IBM」という言葉が、「コンピュータ」を意味する国さえあった。

ところが、1980年代に入ると、「マイクロプロセッサ」が市場に出回るようになった。マイクロプロセッサとは、コンピュータの心臓部をワンチップ化した半導体部品である。これさえあれば、コンピュータに革命が起こせる!一攫千金を夢見たベンチャー企業が、雨後のタケノコのように生まれた。

この市場で、最初に頭角を現したのがアップルだった。アップル社の「AppleⅡ」が、史上初めて、商用パソコンとして成功したのである。

その数年後、僕とユーコとSはV社にいた。当時のV社は、社員数100名弱、マイクロプロセッサの応用技術で、日本有数のベンチャー企業だった。今では考えられないが、コンピュータのハードの設計・製造、OS、事務処理用言語、アプリケーションソフトまで自社開発していた。(採用したマイクロプロセッサ「TI9900」にはOSがなかったので)

社員のほとんどが20代前半で、みんな頭が切れた。9割が国公立・有名私大卒、旧帝大卒も数人いた。創業社長は、「東大→キャリア官僚→日立で大型コンピュータ第1号を開発→現PFU創業」という華々しいキャリアをもち、しかも、尋常ならざる頭脳の持ち主だった。僕が人生で出会ったたった1人の「天才」である。

あるとき、取引先の商社が、アメリカのベンチャー企業の社員を連れてきた。日本語が堪能なベトナム人だった。彼がいうには、アメリカにマイクロソフトという会社があって、Basic言語で成功しているという。

Basic?ふーん、つまらん・・・が第一印象だった。V社はすでに、事務処理用の言語を開発していたし、ハード、OS、アプリも作れる。Basicなんか、3ヶ月で作れるじゃん。コンピュータで世界を変えるのは俺たちだ、と思っていた。結局、V社は倒産し、世界を変えたのはマイクロソフトだったが。

V社は、残業時間が100~200時間/月はザラだったが、残業手当ては、1円もでなかった。だけど、みんな若く、そして、元気だった。

冬になると、日曜日は朝の4時まで仕事をして、2時間仮眠して、みんなでスキーに行った。メンバーは、男女合わせて20人ほど。その中に、僕とユーコとSもいた。

ほとんどが、近場のスキー場だったが、たまに、長野県の八方、栂池まで遠出した。八方は上級者向け、栂池は初心者向け、という棲み分けはあったが、どっちもスケールがでかく、滑りごたえがあった。

それに・・・

晴れた日に、頂上から眺望する白銀の世界は、絶景だった。

春になって、雪が解けると、今度はテニスコートを求めて遠出した。メンバーはいつも同じ。だから、みんな仲間。中でも、ユーコは明るいキャラで、みんなの人気者だった。そして、これが、僕ら最後の青春時代だった。

その後、V社は倒産し、仲間も散り散りになった。

この頃、コンピュータは新たな局面をむかえていた。パソコンが軌道に乗り、つぎに、マイクロプロセッサが機械装置に組み込まれようとしていたのである。そこで、僕は、V社の仲間3人を連れて、機械メーカーに就職した。その中の1人がSだった。

しばらくして、Sとユーコは結婚した。僕は結婚式で、友人を代表してスピーチをした。2人はとても幸せそうだった。僕は、2人とも大好きだったので、心から祝福した。

それから、1年経って、僕も結婚した。ユーコ夫妻から、すぐにお祝いがとどいた。しゃれたペアのガウンだった。

しばらくして、ユーコ夫妻からスキーに誘われた。富山の牛岳に行ったが、素晴らしい天気だった。僕の妻も、ユーコ夫妻と旧友のように、会話を楽しんでいた。あの時のみんなの笑顔は、最高だった。

その後、僕は転職し、Sとユーコとのつながりも薄れた。

そしてある日、唐突に、ユーコの死を知らされた。

葬儀に参列し、ユーコの写真を見た。20歳の時と全く変わらない。あの頃が、今の現実のような、不思議なカンカクに襲われた。

Sに会うのは久しぶりだったが、顔は涙でぐしゃぐしゃだった。Sは言葉をつまらせながら言った。「こんな時しか、会えなくなりましたね」無性に悲しかった。

最後のお別れ、親族が棺に花をたむける。僕もそれにならった。棺の中にユーコの顔があった。信じられないほど若かった。

棺の前に、遺影を抱えたSが立っている。不思議なことに、Sも歳を取っていない。あの頃のままだ・・・この時空だけ過去にさかのぼった?ところが、次の瞬間、悲しみがこみあげてきた。やはり、現実だったのだ。

葬儀がおわり、歩きながら、僕は人生をおもった。ユーコは死んだ。1人娘はまだ嫁いでいない。Sは喪主の挨拶をこうしめくくった。「この悲しみを乗り越えられるかどうか分かりません」

善良を絵に描いたようなS、ほがらかで屈託がなかったユーコ、この二人がどれだけ深いきずなで結ばれていたか、僕は思い知らされた。

ユーコとSの結婚式、その時交わした約束の言葉、「死が二人を分かつときまで・・・」その時がとうとう来たのである。

by R.B

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