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スモールトーク雑記

■新型コロナ・収束のシナリオ 2020.05.23

新型コロナはどう収束するのか?

想定されるシナリオは?

破滅シナリオを楽しんでいるわけではない。だが、起こり得るすべての事象をシミュレーションし、最悪のシナリオに備えないと、福島第一原発事故の二の舞になる。あのときは、放射能汚染で東日本壊滅寸前までいったのだ。ところが、政府内に、コンピュータシミュレーションでリスク管理する専門の組織はない。これはガバナンス上、大きな問題だろう。

そこで、合理的に起こり得る4つのシナリオを想定した。

(1)新型コロナは高温多湿に弱いので、季節性インフルエンザのように、夏に収束する。

北半球も南半球も同時進行しているので、たぶんムリ。

(2)有効なワクチンか治療薬が発明されて、近々に収束する。

専門家によれば、ワクチンが完成する保証はないとのこと。確かに、HIV(1983年)もSARS(2003年)もMERS(2012年)も、まだワクチンはできていない。でも、僕は人類の叡智を信じている。いつの日か、ワクチンでも治療薬でもない新しいアプローチで、ウィルスを根絶できることを。19世紀、「人類の恩人」ルイ・パスツールが予防接種(ワクチン)を発明したように。だが、それは今ではない。

(3)ロックダウンで封じ込めに成功し、収束する

期間限定の戒厳令で、すべての国民を家に閉じ込め、PCR検査で感染者をあぶりだし、隔離しない限りムリ。事実、諸外国のロックダウンも成果は出ていない。まして、日本みたいな「自粛のお願い」では限界がある。非常事態では、全体を守るために、個人の権利を制限するという、あたりまえの憲法に改正するべきだろう。安倍政権は前向きだが、一部の勢力が「改憲」に反対している。

冷静に考えてみよう。

憲法は宇宙の法則ではないし、絶対原理でもない。社会を維持するための道具にすぎない。状況が変われば、変えてあたりまえ。しかも、今の日本国憲法は、戦後、アメリカ進駐軍の都合で作られたもの。「日本人の日本人による日本人のための憲法」ではない。

それを「平和憲法」と崇め、ありがたがる人間の気が知れない。周囲を敵国に囲まれ、領空侵犯、領海侵犯が常態化しているのに、自衛隊が違憲かをまだ議論している。何かの冗談か、それともただのおバカ?

さらに、「憲法を守る」を党則にかかげる野党まであるから、ビックリだ。こんな合理性も現実性もない妄想は、一体どうやったら生まれるのだろう。そんな連中が、議員バッジを付け、税金で食べている。現実世界とは思えない。

(4)人口の6割以上が感染して、集団免疫を獲得して収束する。

(1)~(3)がダメなので、(消去法で)このシナリオが現実になる可能性が高い。ただし、その過程は過酷で凄惨なものになる。大量死をともなうから。

感染症の専門家でも医療従事者でもないので、「常識」で推論すると・・・

「非常事態宣言→感染縮小→非常事態解除→感染拡大→非常事態宣言」のループを繰り返しながら、徐々に収束していく。犬が尾を追うように、同じことを繰り返すわけだ。このループのキモは「経済>人命」にある。

冷酷すぎる!

でも、長い間、経済活動が停止すると、食うや食わずの人が急増し、餓死するか奪ってしのぐか、究極の選択に迫られる。当然、治安は悪化するだろう。

つまり、新型コロナで死ぬか、失業して餓死するか?

どちらも「死」にかわりはない、人の命は大切です!と言いたいのだが、不穏な問題が隠されている。「死因」が「誰が死ぬか」に直結しているのだ。具体的には、

・疫病で病死→弱者と高齢者

・失業で餓死→現役世代

では、「集団免疫獲得(自然収束)」なら、誰が死ぬのか?

経済活動をつづけるので「失業で餓死」はない。一方、感染者が急増するので「疫病で病死」は急増する。つまり、犠牲者は病弱者と高齢者に集中する。

ここで、集団免疫による死亡者を予測してみよう(あくまで予測です)。

まず、集団免疫を獲得する場合、人口の6割が感染するとする。

つぎに、感染者に占める死亡率。2020年5月20日時点で、

・米国:6.0%

・中国:5.5%

・日本:4.7%(クルーズ船を除く)

この数値から、日本の死者数を計算すると、

死者数=総人口✕罹患率✕死亡率=126,500,000✕0.6✕0.047=3,567,300

計算上、350万人が死亡する。もちろん、その大半が弱者と高齢者だ。

これで利するのは、政府と現役世代だろう。病弱者と高齢者が減れば、健康保険と年金の支払額が減り、政府と現役世代の負担が減るから。誰も口にしないが、誰も否定できない「絶対原理」。

つまりこういうこと。

弱者と高齢者にしてみれば「集団免疫」なんてとんでもない(命がかかっている)、一方、政府と現役世代にしてみれば、身内は困るけど、総論ではOK。では、国にとっても「集団免疫」はOKかというと、ビミョー。深刻な副作用が生まれるから。

早い話、集団免疫とは自然収束、適者生存なのだ。こんなご都合主義を容認すれば、これまで大人気ない、と抑圧されてきた「対立」が一気に表面化する。

すぐに思いつく対立は5つ。

(1)現役世代Vs.引退世代

引退世代は、40年も働いたのだから、これからは、のんびりゆっくり長生きしたい。ところが、そうなると、現役世代の社会保険料(年金、健康保険)が上がり、負担が増える。だから、現役世代は、引退世代は少ない方がいい。

(2)若者Vs.高齢者

「非常事態宣言」は、若者にしてみれば、仕事も遊びも制限される。しかも、感染しても、風邪の症状ですむことが多いから、メリットなし。一方、高齢者は「非常事態宣言」がないと、疫病は収束せず、感染リスクが上昇する。もちろん、感染すれば命が危ない。

さらに、治療面でも対立は先鋭化する。たとえば、オランダでは、医療崩壊を防ぐため、集中治療室医組合が、救命治療対象基準を70歳以下としていたという。つまり、治療は若者優先で、70歳を超えたら死んでくれ!?

というわけで、2者の対立は深まるばかり。とはいえ、若者もいつか年寄りになるので、長い目で見れば同じ。

(3)富裕層Vs.貧困層

パンデミックは、貧困層を直撃するが、富裕層はかすり傷。貧困層は感染覚悟で働かないと餓死するが、富裕層は人里離れた別荘に引きこもり、資産で食いつなげばいい。疫病は富貴を問わず、は過去のものなのだ。

(4)県Vs.県

「県境越える移動自粛」はすでに始まっている。他県ナンバーの車を見つけて、写真撮ったり、警告したり、自粛警察がボランティアでやってくれている。皮肉で言っているのではない。彼らは正義感をもって、堂々とやっているのだ。パンデミックが常態化すれば、この傾向は加速するだろう。

(5)地域Vs.地域

同じ県でも、地域、たとえば、町や村の単位で対立が発生する。米国同様、日本でも「要塞町」が普及するかもしれない。要塞町は、行政単位ではなく、私的な区分。周囲が高い塀で囲まれ、町と外界をつなぐゲートは警備員が常駐し、自由に出入りできない。町内は警備員が巡回し、セキュリティも万全。もちろん、維持費が高いから、お金持ちしか入居できない。犯罪、疫病、もろもろのリスクに対して、要塞町が優位なのは明らかだ。これは、「富裕層Vs.貧困層」ともからむ。

これが、人間がパンデミックと共存する世界だ。今後、新型コロナ以外のパンデミックも発生するだろう。たとえば、ヒト・ヒト感染の鳥インフルエンザ。すでに中国、パキスタン、タイに兆候があり、発生するのは時間の問題だ。もし発生すれば、地域、都市、県だけではなく、国単位でロックダウンされるだろう。世界はグローバル化からブロック化に回帰するわけだ。

というわけで、パンデミックと共存する世界では「社会の分断」が進む。

by R.B

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