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スモールトーク雑記

■新型コロナ・トイレットペーパー買い占めは愚行か? 2020.03.15

半世紀ぶりのトイレットペーパー騒動である。

前回の引き金はオイルショックだった。中東産油国が原油価格を70%値上げし、「紙がなくなる」がデマが拡散、トイレットペーパーが買い占められたのだ。結果、紙が本当になくなった。

今回の引き金はコロナショック。「トイレットペーパーは中国製なので今後不足する」がSNSで拡散し、買い占めが発生。結果、トイレットペーパーが本当になくなった。

これがデマであることは、中国に行けばすぐわかる。ちゃんとしたホテルでも、トイレットペーパーは使用後、トイレに流さない。紙が水に溶けないので、糞詰まりならぬ紙詰まりになるのだ。

では使用後のトイレットペーパーは?

言いたくない。

知りたい方は中国へどうぞ(今はムリだけど)。

一方、日本では、使用後のトイレットペーパーはそのまま流す。水に溶けるスグレモノなので。つまり、日本で流通しているトイレットペーパーは中国製ではなく、日本製。

ところが、デマと判明した後も、買い占めはやまなかった。多くの人が、デマと知りつつ買い占めを続けたわけだ。

すぐに、マスメディアから非難の声があがった。

「デマを信じて、買い占めするのは愚かなこと、すぐにやめよ」

「デマを信じて、バカみたいに買ってるヤツ、恥じた方がいい」

みんな、口をそろえて、買い占めを「愚行」と蔑み、見下している。

一方、これに反論する一派もある。社会現象を科学的に分析する社会学者たちだ。

「買い占めは生存メカニズムの一つで、合理性がある。パニックというより自然な反応」

「危機がいつまで続くか分からないなら、不確実性に備えて、多目に買い占めるのは合理的」

では、どっちが正しい?

体育会系の精神論や、非現実的な倫理至上主義を忘れて、科学的に精査してみよう。

まず、買い占めの対象をトイレットペーパーではなく、食糧とする。

トイレットペーパーがなくても、人間は生きていける。いざとなったら、インド人を見習って左手でふけばいいのだ・・・と熱く語ったら、周囲から動物を見るような目でみられた。一方、食糧は生死にかかわる。つまり、トイレットペーパーより食糧の方が、結果が鮮明になる。

つぎに、数学の「ゲーム理論」を使って思考実験する。登場人物を「自分」と「相手」とすると、「買い占め」のパターンは4つある。

①自分も相手も買い占めない→自分も相手も生き残る

②自分も相手も買い占める→自分も相手も十分な量を確保できないので、生きるか死ぬかは五分五分

③自分は買い占めるが、相手は買い占めない→自分は生き残り、相手は死ぬ

④自分は買い占めないが、相手は買い占める→自分は死に、相手は生き残る

全体の利益を優先するなら、①だろう。買い占めが発生せず、自分と相手が共存できるから。このように、みんながハッピーで、全体の利益が最大化された状態を「パレート最適」という。

じゃあ、話はカンタン、買い占めなければいいのだ。

ここで、悪魔がささやく。

「相手が買い占めたら、どうする?」

自分も買い占めないと、食糧が確保できない。つまり、自分だけ死ぬ(④)。最悪だ。全体の利益なんて言っている場合ではない。そのリスクを回避するには、自分も買い占めるしかない。十分な量は確保できないかもしれないが、ゼロよりはマシ。

つまりこういうこと。

全体の利益はさておき、個人にとって合理的な選択は「買い占める」。相手も同じ。つまり、自分も相手も「買い占める」以外に、選択肢はない。このような、安定した状態を「ナッシュ均衡」という。ゲーム理論の「非協力ゲーム」の解の一つで、数学者ジョン・ナッシュにちなんで命名された。ナッシュはノーベル経済学賞を受賞した数学者で、アカデミー受賞映画「ビューティフル・マインド」のモデルになっている。

というわけで、全体の利益「パレート最適」と、個の利益「ナッシュ均衡」は一致しない。

数学で話すと、なんかややこしい。そこで普通に話すと・・・

デマかどうかは関係なく、買い占めがおきたら、自分も買い占めるのが合理的。キレイゴト言って、相手をバカにしていると、自分と家族だけ死にますよ。つまり、買い占めは倫理の問題ではなく、自然淘汰と適者生存の問題なのだ。

とはいえ、はためでみると「買い占め」はあさましい。しかも、基本バトルなので怪我はしたくない。もっと、スマートにやる方法はないのだろうか?

日頃から、こまめに備蓄すればいい。混乱はおきないし、いざというとき、自分も相手も困らないから。

特に首都圏は、今回の新型コロナウィルスに限らず、疫病、台風、洪水、地震、テロなど、災害に弱い。人口が多く、密集するエリアは、被害が極大化するのだ。

たとえば、1995年の地下鉄サリン事件。3月20日、東京の地下鉄車両内で神経ガスの「サリン」がまかれた。死者13人、負傷者6000人という大惨事になった。このような化学兵器による無差別テロは、歴史上類を見ない。忌むべき犯罪だが、これが寂れた寒村でおきたら?

犠牲になるのは犬ぐらいだろう。

これは、誇張ではない。実家のある村は、江戸時代は天領(幕府直轄地)だった。しかも、今年、開村800年を迎える。つまり、長く深い歴史をもつ開村800年の天領。ところが、日中、見かけるのは犬ぐらい。

さらに、首都圏は備蓄が少ない。たとえば、都営バスの燃料備蓄は平均で3日分しかない。コンビニ、スーパーの在庫も似たようなものだろう。日本の物流は、精緻な需給管理がされているから、ささいな「想定外」で品切れになるのだ。

一方、デマを拡散する人間は断罪するべきだろう。

国が燃えるのを喜んでいる見ている・・・これは悪魔です。

中国なら死刑もありうる。最も忌むべき犯罪だろう。

でも、2月当初、政府は「(新型コロナウィルスで)日本は大したことにならない。神経質になり過ぎないように」と言っていたが、今はこの有様。では、これもデマ?

意図的にだましたわけではない、危機管理能力が劣っているだけ(たぶん)。というわけで、デマと知っていて拡散したら重罪、知らなかったらは過失、ということで。

《つづく》

by R.B

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