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スモールトーク雑記

■GE・TEN~戦国信長伝~ 2009.10.24

今では、誰も知らない歴史シミュレーションゲーム
「GE・TEN~戦国信長伝・下天~」。
それを作ったのが、僕たち4人だった。
その4人も、今はバラバラ、
別の道を歩んでいる。

その昔、
日本のパソコンのデファクトスタンダード(事実上の標準)は、
「PC-9801」だった。
CPU速度は、今の200分の1、
メモリ容量は、今の2万分の1、
OSは、MS-DOS、
表示能力は、解像度640×400ドット、色数16色!
メーカーはNEC。
あの頃のNECは、勢いがあったなぁ。
今は、ドツボだけど。

この頃、パソコンの使い道といえば、
1.ゲーム
2.パソコンのお勉強
本格的な仕事には、まだまだ使えなかった。

その頃、PCゲーム業界に君臨したのが、
光栄(現コーエーテクモ)だった。
歴史シミュレーションゲーム「信長の野望」は、
出せば必ず、10万本は売れた。
PCゲームの全ジャンルで、ナンバー1。
僕は、そこに風穴をあけようともくろんだ。

「信長の野望」はガリバー、
僕らは新規参入。
まともにいっても、勝ち目ナシ。
そこで、商売の王道をいくことにした。
優先順位は、
1.「一言」で明快に差別化できること。
2.「一目」で違いが分かること。
3.類似品がないこと。

ユーザーが最初に目にするのは「雑誌広告」(当時)。
とすれば、
ユーザーの気を引く最初のチャンスは、
「キャッチコピー」。
なので、
第1優先は「一言で差別化」。
僕は、それを
「史実に忠実」においた。

光栄の「信長の野望」は自由度が高いぶん、
「史実」はスポイルされる。
一方で、
史実に価値をおくマニアックなユーザーもいるはずだ。
僕はそこに賭けることにした。

とはいえ、
キャッチコピーで惹きつけても、
ゲーム画面が「ふぅ~ん」なら、
そこでおしまい。
なので、第2優先は「一目で違いが分かる」。
僕は、それを、
日本人が好む「淡い色彩」においた。
さらに、当時主流だった「オタク系デザイナー」をさけ、
正規の訓練をうけたデザイナーを捜した。

その頃、僕が勤務していた会社は、
真面目な物流システムメーカーだった。
業界トップシェアの商品もかかえ、
ゲーム業界に進出する必要はなかった。
ところが、その会社は、
僕が提案した得体の知れない事業に、
GOサインを出してくれた。
もちろん、
僕の成功を信じたわけではない。
社長と取締役会は、
点を見ず、絡みを見ていたのだ。
つまり、リクルート効果。

新規事業なので、
独立採算制の事業部が組織された。
他の社員に悪影響?を与えないよう、
本社を離れ、ビルの一室を借りた。
本業のソフトウェア部門からプログラマ2名、
日本画でローカルな賞をとった女子社員もゲット、
開発体制はととのった。

僕が担当したのは、
事業計画の立案、制作監督、シナリオ、システム設計、
そして、営業。
BGMは、近所の奥さん(武蔵野音大卒)に依頼。
みんな、ゲームは初めてだったけど、
開発はスムースに進んだ。
仕様書のたぐいは一切なし、
すべて、口頭で進めた。
システムが小さく、
スタッフの能力が高ければ、
この方法が、一番早くて正確。
開発は10ヶ月で終了した。

新規事業の場合、
広告をケチると、命取りになる。
モノが良かろうが悪かろうが、
誰も知らないので、
売れるわけがない。
猛反対する事業部長(専務)を押し切って、
広告に大金をかけることにした。

メインのイラストは、
歴史人物画ではトップの横山明氏に依頼。
最初の印象は、気難しぃ ・・・
ところが、
僕が、このタイトルの成否はイラストにある、
と熱弁をふるうと、
納得し、協力してくれた。
できあがりは、グレイト!

ティーザー広告(覆面広告)からスタートし、
間髪を入れず、迫力ある本広告をドーン。
広告サイズもけちらず、見開きの2ページ。
商品がダメなら、広告をかけても売れないが、
広告をかけないと、商品が良くても売れない。
「インターネット&口コミ」がまだない頃の話である。

販売体制の構築にも、力を注いだ。
当時の2大流通会社、ソフトバンクとソフトウィング、
くわえて、地方に強い流通会社とも契約した。
これで、日本の90%のショップはカバーできる。

グラフィックに競争力があったので、
デモプロも好評だった。
当時のアキバの旗艦ショップ、ラオックス「ザ・コンピュータ館」は、
正面のウィンドウに、
「GE・TEN」のデモを走らせてくれた。
効果は絶大。
あとは結果を待つだけ。

「GE・TEN」が発売された週、
電波新聞と日刊工業新聞をチェックすると、
全国主要ショップのほとんどで、
「GE・TEN」の販売本数がトップだった。

さらに、
PCゲーム雑誌トップの「ログイン(Login)」で
総合ランキング3位に入った。
そのとき、「信長の野望」は確か6位。
最終的に、14000本を販売し、
ヒット作に名をつらねた。
とはいえ、
好き嫌いがはっきりしたゲームで、
最終的な販売本数では、
「信長の野望」には遠く及ばなかった。

続編は、「GE・TENⅡ~大海信長伝・下天~」。
信長が本能寺を生きのびたところから始まる。
ネタはすぐに思いついたが、
制作は死ぬほど苦労した。
「GE・TENⅠ」より自由度が高く、
史実と違和感がないこと、
を目指したが、
言うは易く行なうは難し。

シナリオとシステム設計を開始したが、
すぐに事の重大さに気づいた。
「自由度が高く、史実と違和感がない」
を実現するには、
「シナリオ → システム設計 → プログラミング → シナリオ」
を際限なく繰り返す必要がある。
共同作業でチンタラやっていたのでは、
いつまでたっても収束しない ・・・

結局、このサイクルを僕一人でやることにした。
シンドイ ・・・ だけど失敗するわけにはいかない。
結果、
「GE・TENⅡ」は、シナリオとプログラムが密結合した
再利用不可能なシステムになってしまった。
ソフトウェア開発では禁断の手。
何を変更するにも、僕しかできない。
僕は風邪を引くこともできなかった。

「GE・TENⅡ」が発売されると、
ゲーム誌の「ログイン」にくわえ、
ビジネス誌トップの「月刊アスキー」まで、
記事を書いてくれた。
その理由を編集者に聞くと、
「GE・TENⅡ」は、業者の間で評判が良いからだという。

ところが、
販売本数は8000本に激減。
なんか、ヘンだ ・・・
じつは、その頃から、
PCゲームの凋落が始まっていた。
原因は、TVゲーム機。

つづく「GE・TENⅢ」では、
さらに自由度を高め、
世界大戦にまで発展させた。
ところが、
これくらいのボリュームになると、
シナリオ、システム設計、プログラミングは一人ではムリなのだが、
現実はそうなった。
一人頭のいいプログラマーがいて、助かったけど、
大勢は変わらなかった。
僕から見ても、タダのシミュレータ。
面白くもなんともない。
「GE・TEN」シリーズはそこで終わった。

当時、アスキー出版の「ログイン」は、
PCゲーム誌のトップで、
新興メーカーを育てようという気風があった。
おかげで、「ログイン」には、
ずいぶん記事を書いてもらった(もちろん無料)。
どれだけ助けられたことか。
Thank you!

ところが、今は、
「ログイン」も「月刊アスキー」も、
それを生み出した「アスキー出版」も、
アキバの旗艦ショップ「ザ・コンピュータ館」もない。
みんな、跡形もなく消えてしまった。

PCゲームの末期、
ログイン編集部の人たちと食事をした。
宴もたけなわ、盛り上がったところで、
「おこちゃまゲームはプレステで、本格派ゲームはPCで!」
と気勢を上げた。
でも、心の中では、みんなわかっていた。
「PCゲームはもうおしまい」

だけど、
あの宴会は本当に楽しかったなぁ。
今でも、彼らの笑顔を思い出す。
みんな若かったし、
ゲームメーカーと出版社が力を合わせて、
業界を盛り上げようとしていた時代。
それに、
ゲームソフトにも夢があった。
もう、あんな時代は二度と来ないのかもしれない。

by R.B

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