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週刊スモールトーク (第99話) 時計の歴史(1)~ブレゲとマリー・アントワネット~

カテゴリ : 科学

2007.10.27

時計の歴史(1)~ブレゲとマリー・アントワネット~

■マリー・アントワネット

1783年のある日、パリに時計工房をもつアブラアン・ルイ・ブレゲのもとに、前代未聞の注文が舞い込んだ。依頼主はフランス王妃マリー・アントワネット、注文内容は、
金に糸目をつけない最高の懐中時計
であった。

マリー・アントワネットの歴史は光と闇の中にある。ヨーロッパを代表する大名家ハプスブルク家に生まれ、フランス国王ルイ16世の王妃となった光の部分、ギロチン斬首刑という闇の部分である。1780年代、フランス民衆が貧困と飢えに苦しみ、こう訴えた。
「パンをよこせ」
それを聞いたマリー・アントワネットはこうつぶやいた。
パンがなければ、お菓子を食べればいいのに

ブラックジョークと取れないこともないが、食うや食わずでは、冗談ではすまされない。それどころか、この発言がフランス革命につながったという説まである。本当かどうかはさておき、マリー・アントワネットがフランス国民から嫌われていたことは間違いなさそうだ。

フランス革命で、マリー・アントワネットは無数の非難を浴びたが、そのほとんどが誹謗中傷だったと言われる。その結末がギロチン(斬首刑)、なんという不運・・・それを象徴するような事件も起こっている。1785年に起こった「首飾り事件」だ。

ウワサによれば、ジャンヌ・ド・ラ・モット伯爵夫人が、マリー・アントワネットの名を語り、王室御用達の宝石商から首飾りをだました取ったという。普通に考えれば、マリー・アントワネットは被害者なのだが、彼女の不用意な言動が国民に嫌悪感を植えつけた。この事件がフランス革命の直接の引き金になったという説まである。
「何はともあれ、マリー・アントワネットが悪い」
というわけだ。そして、1793年10月16日、マリー・アントワネットは罪の自覚がないまま、断頭台の露と消えた。

■天才時計師ブレゲ

このマリー・アントワネットが、生前、時計を注文したのが、時計師アブラアン・ルイ・ブレゲだった。ブレゲは時計の歴史に燦然と輝く天才職人、マリー・アントワネットはフランス革命を引き起こした張本人?この2つの歴史的事実が、この時計を至高の歴史アイテムにまで押し上げた。「ブレゲNo.160」、後に「マリー・アントワネットの懐中時計」と呼ばれる機械式時計の至宝である。

スイス生まれのアブラアン・ルイ・ブレゲは、超絶的技巧で、時計の歴史を200年早めたといわれる。パリで時計工房を開き、すぐに評判となり、フランス王侯貴族の御用達となった。ブレゲは、精緻で複雑な技術を駆使することで知られたが、ブレゲNo.160には、そのすべてが組み込まれた。

以下、ブレゲNo.160のスペック。
1.パーペチュアルカレンダー(永久カレンダー)
2.ミニッツリピーター(時刻を音で知らせる)
3.トゥールビヨン(時計の姿勢による重力のバラツキを相殺する)
4.スプリットセコンド(独立した2系統のストップウオッチ)
5.パワーリザーブ表示(ゼンマイの巻き量を表示する)
6.均時差表示(1日の時間のバラツキを表示する)
7.自動巻き(ブレゲ独自の自動巻き)
8.軸受けはサファイア(軸受けは摩擦と摩耗が激しいため)
9.文字盤は透明クリスタル(時計内部の機械の動きを見ることができる)
10.純金のケース

中でも、1.~4.は、時計の4大機構と呼ばれる機械式時計の超複雑技術である。これを、現代のブレゲ社が復元すれば、2000万円はくだらないといわれる。だいたい、今のブレゲの時計でも、普通に1000万円はする。ブレゲは今でも時計の天上ブランドというわけだ。あんな機械の小物が、高級外車なみの値段がつくのは、複雑な機能をすべて機械で実現しているからだ。もちろん、歴史的意義やブレゲのカリスマも大きいとは思うが。ここで、ブレゲNo.160の機構を一つ一つみていこう。

■パーペチュアルカレンダー

Perpetual Calender。パーペチュアルカレンダーとは永久カレンダーのことである。具体的には、大の月(31日の月)、小の月(30日の月)、2月(うるう年を含む)を自動補正してくれる。デジタルウオッチならコンピュータで簡単に計算できるが、歯車でやるのは大変だ。大の月と小の月を区別するには、月ごとの歯車が必要になり、それぞれの歯車は1年に1度だけ動作する。さらにややこしいのが、うるう年だ。

暦の上では、4年に一度、うるう年になるが、これを補正するには、4年に一度だけ動く歯車が必要になる。あんな小さなケースに、こんな複雑な機構をどうやって詰め込むのだ?実際、超がつくほど複雑な技術らしい。今の数十万円クラスの機械式時計でも、「うる年」機能を備えるものは少ない。ところが、うるう年は、4年の一度の補正だけではすまない。4年に一度はうるう年だが、100年に一度は平年、ところが、400年に一度はうるう年。ん~、ややこしい。

ところが、次の手順で考えれば意外に簡単。
1.400で割り切れれば、無条件に「うるう年」
2.400で割り切れないが、100で割り切れれば「平年」
3.上記以外で、4で割り切れれば「うるう年」、それ以外は「平年」

これなら、コンピュータを積んだデジタルウオッチなら、簡単にプログラムできる。ところが、歯車でやるとなると大変だ。だいたい、400年に一度動く歯車というのは想像を絶する。そのため、クォーツ時計も含めて、パーぺチュアルカレンダーが対応するのは100年まで。つまり、2100年、2200年、2300年は手動で平年に設定しなければならない。ただし、2400年はうるう年なので設定は不要。それまで生きていればの話だが・・・ここまでくると、時を刻むというよりは、歴史を刻むというほうがあたっている。

それにしても、恐るべき技術だ。1秒を刻む歯車から、4年に一度動く歯車が連携しあって、長大な時間連続を生み出している。しかも、すべて機械式で。驚異としか思えない。

■ミニッツリピーター

Minute repeater。ミニッツリピーターは、現在の時刻を音で知らせる機構である。パーぺチュアルカレンダー同様、歴史は古い。この機構の複雑ぶりは、先のパーぺチュアルカレンダーのさらに上をいく。具体的には、1時間を表す音色、15分を表す音色、1分を表す音色を組み合わせて、表現する。たとえば、1時間音色が1回、15分音色が2回、1分音色が3回鳴ると、
1時間×1回+15分×2回+1分×3回=1時間+30分+3分=1時33分
となる。たとえ、暗闇の中でも、ボタンを押すだけで時刻がわかるわけだ。

こんな複雑な機構を、バネと歯車だけでどうやって作るのだ?それに、機械音を出すには、ハンマーとゴングが必要だが、あんな小さな容れ物のどこに詰め込むのだ?まさに、超絶的な複雑機構。カタログを見ても、ミニッツリピータ付きなら、軽く1000万円はいく。一度でいいから、1000万円の音色を聞いてみたいものだ。

■トゥールビヨン

Tourbillon。ブレゲを天上の時計ブランドまでおしあげた超複雑機構である。機械式時計の動力源「ヒゲゼンマイ」は、弾力性のある細長い金属ヒモを渦巻状に巻いたもので、テンプという丸い円輪で固定されている。まず、ヒゲゼンマイの均一な伸び縮みで、テンプが規則正しい往復回転をする。それをガンギ車(歯車)とアンクル(フックのようなもの)からなる脱進機が受け止め、規則正しい歯車の回転を生みだす。つまり、
「テンプ+脱進機=機械式時計の動力部」

ところが、ヒゲゼンマイの形状は対称でないので、時計の傾きによって、伸縮力がばらつき、計時に誤差が生じる。これを補正するのが「トゥールビヨン」だ。ブレゲはこの機構を1795年頃に発明し、1801年に特許を取っている。ところで、そんな複雑な補正をどうやってやるのだ?じつは、これがコロンブスの卵。機械式時計の動力部「テンプ+脱進機」を丸ごと常時回転させるのである。すると、1回転するごとに、ヒゲゼンマイの傾きは平均化され、伸縮力の誤差も相殺される。凄い・・・ため息がでるほどのアイデアだ。

ところが、言うは易く行うは難し。時を刻む歯車を回転させながら、その中枢機構を丸ごと回転させるのは、大変な大技だ。しかも、許されたスペースは、直径4~5センチ、厚さ1.5~2センチ。最高難度の技術らしく、現在でも、製作できる時計職人は、世界で10~20人と言われる。天才だけが生み出せる超技術なのだ。歴史の重み、ブレゲのオリジナル、超絶技巧、1000万円出しても買う人の気持ちが分からないでもない。

■スプリットセコンド

懐中時計や腕時計で、ストップウオッチ機能を備えたものを「クロノグラフ」という。現在、機械式時計では、ブライトリング(Breitling)が有名だ。ほぼ全機種が、クロノグラフとなっている。航空機のコックピットを連想させる独特の風貌で、ゴツゴツしているのに色気がある。機械式時計としては歴史は新しいが、他社とは違う路線で、根強い人気がある。また、ブレゲまではいかないが、普及価格帯が高いのも特徴だ。クロノグラフであれば、安いものでも50万円はする。

クロノグラフで、2つの独立したストップウオッチ機能を備えたものが「スプリットセコンド」だ。秒針が2本あって、それぞれ独立に、時間を計測できる。たとえば、2人のランナーのタイム、あるいは、ラップタイムを測れる。

以上が、機械式時計の超複雑機構で、「時計の4大機構」と呼ばれている。この4大機構のうち、2つ以上を備える時計を、
「グランドコンプリケーション(Grand Complication)・最高位の複雑機構」
と呼んでいる。マニア垂涎(すいぜん)の超高級時計だ。ただし、軽く1000万円超え。高級外車の延長と割り切れば納得できないこともないが、サイズと部品数を考えると、割が合わない。ところで、この「時計の4大機構」だが、ブレゲの最高傑作「ブレゲNo.160(マリー・アントワネット)」にはすべて組み込まれている。ブレゲ恐るべし。

■パワーリザーブ表示

パワーリザーブ表示とは、機械式時計のゼンマイの巻き量を表示する機構である。具体的には、今何時間分巻かれているかを針で表示する。手巻きの機械式時計は、1回のチャージで動作する時間が短いので、便利な機能である。

■均時差表示

均時差表示とは、1日の時間の誤差を表示する機能である。1日の長さは、年間を通して、23時間44分(11月3日)~24時間14分(2月12日)とばらつく。その理由は2つある。第1に、地球は太陽を中心に公転しているが、地球の自転軸が公転面に対して23度傾いていること。第2に、公転軌道が楕円で、太陽と地球を結ぶ線分が単位時間に通過する面積は一定になる(ケプラーの第2法則)。つまり、地球は、太陽に近いところでは速く、太陽から遠いところでは遅くなる。

このバラツキ、つまり、年平均時間(24時間)との誤差を表示するのが均時差表示である。もちろん、日常生活ではほとんど意味がない。とはいえ、目に見えない部分を凝るというのが凄い。これこそ、本物の証(あかし)。

■ブレゲNO.160その後

この驚異の複雑機構を備えたブレゲNO.160は、1827年、ついに完成した。要した年月は44年。ところが、注文を受けたブレゲは4年前に死んでおり、弟子が完成させたのである。また、注文したマリー・アントワネットも、30年前に断頭台の露と消えていた。注文した者も受けた者も、完成を見ることはできなかったのである。

その後、ブレゲNO.160は、一時的に行方がわからなくなったが、20世紀初頭、デヴィット・ライオネル・サロモンズの手に渡り、彼の死後、イスラエルの記念館に寄贈された。ところが、1983年、何者かによって盗み出され、行方不明になった。そして、2007年11月11日、イスラエルの日刊紙ハーレツによると、ブレゲNO.160が発見されたという。

ブレゲNO.160は、18世紀、世界の頂点を極めたフランス王室と不世出の天才ブレゲが生み出した歴史上無双の逸品である。しかも、注文主はフランス革命のマリー・アントワネットで歴史の重みも超弩級。オークションで10億円はくだらないだろう。ゴッホの「ひまわり」が58億円で落札されたことを考えれば、70億、100億も夢じゃない。

■機械式時計の魅力

最近、腕時計をする人が少なくなった。携帯電話に時計がついているので、わざわざする必要がないのだろう。その一方で、機械式時計が静かなブームになっている。知人に熱心な時計マニアがいるが、機械式の懐中時計を持ち歩き、ときおり、ポケットから取り出して、時計をチラチラ見ている(時間を見ているのではない)。彼は奥さんにナイショで、この時計を買ったのだが、価格はなんと20万円。そこまでして、高くて精度の悪い機械式時計を買う必要があるのだろうか?その知人が言うには、
歯車が刻むホンモノの時間を堪能するため」
だそうだ。そんな彼の夢は、
「いつかはブレゲ」
時計の価値は変わりつつある。

2005年、時計世界の至高ブランド、ヴァシュロン・コンスタンタン社が創業250周年を記念して機械式時計を発表した。時計の名は「トゥール・ドリル」。製作されたのは全部で8本。1本はオークション用で、その他7本が売りに出された。オークションでは1億円を超える値がついたという。ブレゲが発明した至高の複雑技術トゥールビヨン、ミニッツリピーター、パーぺチュアルカレンダーなどの超複雑機構はもちろん、ヴァシュロン・コンスタンタン社が誇る技術のすべてが組み込まれている。あと、50年もすれば、歴史的価値をもつ時計になるかもしれない。でなければ、たかが腕時計一個で1億円はないだろう。

■核戦争と機械式時計

数千円もだせば、高精度のクォーツ時計やデジタルウオッチが買えるのに、なんで、数十万円~数千万円もかけて、精度の劣る機械式時計を買うのか?時計は時間を計る道具だと信じている人には、気が触れたとしか思えない。ところが、機械式時計マニアには、大枚をはたいて買う理由が山ほどある。

そもそも、時間は途切れることにない連続体なのに、クォーツ時計はほとんど止まっている。というのも、水晶振動子が信号を発したときだけ、時間をカウントする。信号と信号の間は時計は完全に停止しているのだ。ところが、機械式時計の歯車は一瞬も止まることなく、連続して時を刻んでいる(厳密には違うのだが)。

つまり、クォーツ時計が刻むのは「偽りの時間」で、機械式時計だけが「本物の時間」を刻むというわけだ。それに、超絶的ともいうべき、精緻で複雑な機構。そう、彼らは機械式腕時計500年の歴史を見ているのだ。時刻を見ているわけではない(たまには見るだろうが)。

ところが、何をどう説得されようが、「ムダにすごい」としか思えない。ただ一つだけ、機械式時計には、誰でも分かる実利がある。やがて起こるだろう全面核戦争である。もし、地球上で全面核戦争が起これば、直撃をまぬがれたとしても、多くの電子機器が破壊される。核爆発時に発生する強力な電磁パルスが、電子機器の導体に誘導電流を発生させ、部品を破壊するからだ。その範囲は、爆発地点から、100km~1000kmにも及ぶ。

全面核戦争が起これば、文明は100年は逆行するだろう。そうなれば、クォーツ時計に必要な電池も手に入らなくなる。さらに、世界の標準時を知らせる公的時計のほとんどが電子時計なので、核戦争後は機能しなくなる。つまり、時間を知る手だては、自分の腕時計だけ。もし、それがクォーツなら万事休す、電磁パルスで破壊されているかもしれない。ところが、機械式時計なら、鋼の部品を溶かすほどの大電流が流れない限り、大丈夫。だいたい、そんな大電流が流れる状況では、本人も死んでいる。

つまり、核戦争に備えるなら機械式時計しかない。天才ブレゲも、あの世でほくそ笑んでいるに違いない。

《つづく》

by R.B

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