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週刊スモールトーク (第85話) 呉越戦争Ⅲ~范蠡と西施~

カテゴリ : 戦争歴史

2007.03.04

呉越戦争Ⅲ~范蠡と西施~

■呉王 夫差の復讐

呉王 夫差(ふさ)は、越王 勾践(こうせん)への復讐に燃え、日々、兵の訓練に明け暮れた。父 闔閭(こうりょ)の恨みを晴らすためである。越との戦いに敗れ、不毛の地で死んでいった父、その時の遺言を、夫差は片時も忘れなかった。
「そなたの父を殺したのは越王 勾践であることを忘れるな。必ず越を滅ぼし、父の恨みをはらせ」
その時、夫差は父に誓った。
「決して忘れません。3年以内に必ず越を討ちます」

これが、「臥薪嘗胆」(がしんしょうたん)の「夫差・臥薪」である。呉越の戦いの第一の復讐劇が楚の伍子胥(ごししょ)なら、第二の復讐劇は呉王 夫差が主役である。ところが、呉越の戦いには、第三の復讐劇まで用意されている。

呉王 夫差が復讐に燃え、富国強兵に精を出しているという噂は、越王 勾践(こうせん)の耳に入った。勾践は、いらだち、焦った。ただでさえ、国力に優る呉が、越への復讐に燃え、激しい訓練をつづけているという。このままでは、国力の差は開く一方だ。越王 勾践は機先を制し、呉を攻めることにした。ところが、越の重臣 范蠡(はんれい)はこれに強く反対する。范蠡は、問題のからみをすべて読み切った上で、越がまだ呉に勝てないことを見抜いていたのである。

ところが、焦る勾践にはそれが分からなかった。自ら、4万の大軍を率いて、呉の都 姑蘇城(こそじょう)を包囲したのである。姑蘇城の守備隊は3万だったが、伍子胥が率いる別働隊2万が背後にまわり、越軍を挟み撃ちにした。激しい訓練に耐え、士気高く、兵数にも優る呉軍は、越軍を圧倒した。越軍は、ほうほうの体で退却し、会稽山(かいけいざん)に逃げ込んだ。

この事態を予測していた范蠡は小勢を引きつれ、勾践の軍と合流した。勾践は自分の愚かさを悔い、范蠡に心からわびた。だが、時すでに遅く、状況は絶望的だった。呉軍5万が会稽山の山麓を完全に包囲したのである。勾践は自決するか、降伏するか、まだ決めかねていた。一方、范蠡は、勾践はまだ若く、捲土重来(けんどじゅうらい)の機はまだある、と見ていた。どんな屈辱でも受け入れ、勾践と越を守ろうとしたのである。この難しい交渉を任されたのが、范蠡とならぶ名臣 文種(ぶんしょう)であった。

■会稽の恥

文種は、越王 勾践の使者として、呉王 夫差のもとに行き、腰を低くして嘆願した。
「わが君 勾践は、妃を陛下の側女に差し出し、みずからも陛下の臣下として仕えると申しております。何とぞ、哀れみをおかけください」

亡き父の仇であり、日々復讐を誓った越王 勾践が、自分の臣下になるというのである。夫差は、勝者の快感に酔いしれた。夫差は、勾践をゆるし、臣下にすることが、命を奪う以上の復讐になるかもしれないと考えた。

ところが、呉の重臣 伍子胥は、これに強く反対した。
「陛下、亡き父君 闔閭陛下の遺言をお忘れですか。先君はこう言われたはずです。必ず越を滅ぼし、父の恨みをはらせと。天は今、越を呉に賜ろうとしているのです。天の与うるところを取らざれば、必ずや禍を受けると言います。勾践を許してはなりません。殺すのです」

伍子胥は、先君 闔閭の代から呉に仕え、夫差も一目置く名臣である。夫差は伍子胥の一喝で目が覚めた。父の遺言を思い出したのである。こうして、交渉は決裂した。

文種の報告を聞いた越王 勾践は覚悟を決めた。一度死を覚悟すると、気持ちも吹っ切れた。王たる者、敵の臣下になり下がり、生き恥をさらすほうがつらいかもしれない。人は、どうせ死ぬのだ。文種は、勾践の吹っ切れた顔を見て、強い口調でいさめた。
「陛下、殷の湯王は、夏の桀王(けつおう)に幽閉され、周の文王もまた、殷の紂王(ちゅうおう)のために囚われの身となりました。しかし、最後には、2人とも王となり、天下に号令をかける覇者となったのです」

勾践は黙って聞いていた。

「越国は、陛下お一人の力でなったのではありません。越の代々の王と民が長い年月をかけて築き上げたものです。それを、陛下お一人の面目のために滅ぼしても良いものでしょうか。陛下、ここが王たる者の真価が問われるところです。恥を捨て、越の復興に賭けるのです」

勾践は黙ってうなずいた。越は小国だが、文種や范蠡のような優れた忠臣に恵まれていた。そして、勾践もまた、聞く耳をもっていたのである。勾践が、この会稽山で受けた屈辱が、「会稽の恥」(かいけいのはじ)の語源となった。「以前に受けたひどい屈辱」という意味である。

こうして、勾践は、越復興のため、己の面目を捨てる決意をした。問題はその手だてである。夫差には、切れ者の伍子胥がついている。その伍子胥が、勾践の首を望んでいることはたしかだ。そこで、文種は、呉のもう一人の重臣 伯ひに狙いを定めた。伯ひが己の欲のためなら、国をも売る人物だったからである。文種は、伯ひに賄賂を贈り、夫差に再び拝謁した。

文種は、再び嘆願した。
「わが君 勾践は、助命がかなわぬなら、妻子を殺し、いっさいの財宝を焼き払い、5000の兵とともに玉砕すると申しております。どうか、わが君に、陛下のご慈悲をおかけください」

ここで、越に買収された伯ひが文種に加勢する。

「越軍5000の兵が死を決して突撃すれば、わが軍もただではすみません。窮鼠猫を噛む(きゅうそ ねこをかむ)とも申します。そもそも、勾践はすべてを捨てて、王の臣下になるというのですから、先王の恨みは晴したも同然です。それに、せっかくの越の財宝をみすみす灰にすることもないでしょう」

思わぬ展開に驚いた伍子胥は、語気を強めて、反対した。
「いま、越を滅ぼさねば、必ず後悔するときがきます。勾践は名君で、文種、范蠡は忠義の心をもった誠の名臣です。彼らの口先を信じ、目先の損得に惑わされてはなりません。越はかならずや呉にそむくでしょう。越をゆるしてはなりません。勾践を殺し、越を滅ぼすのです」

しかし、結局、伯ひの意見がとおり、伍子胥の意見は退けられた。越王 勾践はゆるされたのである。呉軍は会稽山の囲みをとき、越軍は帰国した。勾践の決断、范蠡と文種の知略、そして呉の伯ひの裏切りのおかげで、越はかろうじて命脈をたもったのである。

■臥薪嘗胆 (勾践 嘗胆)

帰国した勾践は、かたわらに豚の胆(きも)を置き、食するときは、かならずそれを嘗めた。その苦味で、会稽の恥を思い返し、復讐を誓ったのである。「める」で「嘗胆(しょうたん)」、これが「臥薪嘗胆」の「嘗胆」の語源である。呉王 夫差の「臥薪」、越王 勾践の「嘗胆」が合わさり、有名な「臥薪嘗胆」(がしんしょうたん)が生まれた。復讐のため大難苦難に耐える、目的を達成するまで苦労に耐える、という意味である。「呉越同舟」とならぶ呉越の戦いが生んだ格言である。

一方、呉王 夫差は、亡き父 闔閭(こうりょ)の復讐を果たすことができた。越が呉の属国となり、越王も夫差の臣下となったからである。満たされた夫差は目標を失い、「臥薪」もありふれた”辛い思い出”に変質してしまった。こうして、夫差は、愚王の定番女色と贅沢へと堕ちていく。

あるとき、夫差は宮殿を造営しようとしたが、越はそれを聞きつけ、恐ろしい策略を用いる。越の亀山(きざん)は良木を産することで知られていた。そこで、その中で最も高価な黒檀200本を切り出し、呉に送ったのである。黒檀(こくたん)は、硬くて、耐久性があり、重量感がある(水に入れると沈む)。高級家具や仏壇、高級リコーダーにも使われる高級木材である。

呉は良材に乏しかったので、この貢ぎ物は、夫差を大いに喜ばせた。宮殿は、黒檀200本にふさわしいものでなければならない。夫差はそう考え、宮殿造営の予算を大幅に増額させたが、その分、呉の国庫は目減りした。こうして、豪奢な五層の大宮殿が完成し、姑蘇台(こそだい)と命名された。たった200本の木材が夫差の警戒心を解き、呉の国庫を減らしたのである。

■傾国の美女 西施

越の范蠡は、さらに念を入れた。香しい美女50人を呉に送り込んだのである。夫差を美女の色香で惑わせ、国事をおろそかにさせるためである。その美女の中に、西施(せいし)という傾国がいた。傾国」とは絶世の美女のことである。文字通り、国を傾けるほどの美女。西施はまさにこれであった。その後、夫差は西施におぼれ、政(まつりごと)を顧みなくなった。

ところで、西施はどれほどの美女だったのか?その「傾国」ぶりを示すエピソードが残っている。出所は中国の歴史書「十八史略」。西施は、夫差の寵姫(ちょうき)となった後、病んだため、しばらく故郷の村に帰っていた。西施は、痛む胸を手でおさえ、苦しみに眉をひそめて歩いたが、それがえもいわれぬ色香があると、村人たちはうわさした。それを聞きつけた村評判の醜女が、西施のそぶりを真似れば自分も少しは人目をひくだろうと考え、胸をおさえ、眉をひそめて村を歩いてみた。すると、それを見た村人たちはみな逃げだしたという。

このようなまれな美しさをそなえた西施は、夫差を虜にした。夫差は、西施のために八景を築き、その中でともに遊んだ。それぞれの風景には、席がもうけられ、優雅な宴がもよおされた。夏がくれば、西施とともに船を浮かべ、西施が水浴すると、夫差はその美しい肢体に見入った。こうして、夫差は夢幻の悦楽にひたり、政治も軍事も、そして民さえ忘れてしまった。傾国が始まったのである。

このように、国を傾けた美女は枚挙に暇がない。古代では、妹喜(ばっき)と妲己(だっき)。夏王朝の桀王は、妹喜におぼれ、国は傾き、殷に滅ぼされた。また、殷(商)の紂王は、妲己(だっき)の虜になり、周に滅ぼされた。夏の桀王、殷の紂王はともに、中国の歴史では暴君の代名詞として知られている。暴君と美女、そうして亡国。これもまた、中国の歴史を彩る定番である。

■越の謀略

美女の色香におぼれたバカ殿が国が滅ぼすのは、地球の歴史の方程式だが、話としては出来すぎかもしれない。夫差もしかり。西施におぼれ、国事を遠ざけ、臥薪を忘れても、王者の野心だけは失せることはなかった。

斉の景公が死んで、斉で内紛が起こったとき、夫差の野心が首をもたげた。内紛に乗じて斉を滅ぼそうと考えたのである。ところが、伍子胥はこれに強く反対した。
「陛下、斉はただの皮膚病ですが、越は身中の病。今は越にそなえる時です。もし呉が斉を攻めれば、そのすきに、越は呉を攻めるでしょう。斉を攻めてはなりません」

ところが、夫差は、越が良材や美女を献上し、ひたすらこびへつらう様を見て、呉に歯向かうほどの気概があるとは思えなかった。夫差は伍子胥の助言を退け、斉に攻め込み、勝利する。

夫差は凱旋し、伍子胥をよびつけ、責めたてた。
「余が斉を攻めている間、越は攻めてこなかったようだな。そちの予言はどうなったのだ?」

伍子胥は、悪びれる様子もなく答えた。
ただ運が良かったのです。越が呉に復讐するため、準備を進めていることに変わりはありません。越は、やがて必ず呉に背きます。何はさておき、今は越にそなえるべきです」

夫差は、伍子胥の歯に衣を着せぬ物言いが腹立たしかった。先王 闔閭の代からの重臣で、一目は置いているが、具申されるたびにムカつくのだった。こうして、夫差は伍子胥を遠ざけるようになった。一方、夫差の望むことしか口にしない伯ひは、呉王のお気に入りになった。

ところで、斉の内紛とそれに乗じた呉の攻撃を、越はどう見ていたのだろう。越王 勾践をささえる重臣たちは、情勢を次のように分析していた。斉は北方の強国である。そのため、斉が世継ぎ問題でもめれば、隣国の小国、魯(ろ)や衛(えい)まで巻き込む大乱になるだろう。そうなれば虚栄心の強い呉王 夫差は、斉に派兵し、国力を誇示するに違いない。それが呉に攻め入る時である、と。

このような大計を秘め、越の重臣たちは準備を進めていたが、越王 勾践がしびれを切らした。復讐を焦って、呉を討とうとしたのである。このとき、重臣 逢同(ほうどう)はこう言って、勾践をいさめた。
「陛下、猛獣が獲物を捕るときは、じっと姿を隠しておいて、一気に仕留めるものです。越に対してもそのようにすべきです。行動を起こす前に、こちらの意図を感づかれてはなりません」

結局、勾践は逢同の意見に従った。「嘗胆」を思い出し、こらえたのである。このように、越の戦略は大胆かつ細心であった。そして、その苦労はやがて実を結ぶ。

会稽の恥から9年たったある日、文種は勾践にこう進言した。
「陛下、最近、呉の警戒心がゆるんでいるようです。そこで、食糧を貸してほしいと頼んでみたらどうでしょう。もし貸してくれたら、呉が越を警戒していないことになり、今が攻め時かもしれません」

勾践は、さっそく、呉に使者をつかわした。越の使者は、夫差に拝謁し、食糧を貸してくれるよう懇願した。使者は卑屈に哀れみを乞うふりをしたが、それを見抜いた人物が一人だけいた。伍子胥である。伍子胥は、夫差に計略に乗らないよう強くいさめたが、夫差は聞かなかった。伍子胥は、夫差が越にだまされるのを、ただ見ているしかなかった。伍子胥は、夫差にいらだち、夫差は伍子胥に不信感をつのらせた。やがて、この2人の対立が呉を滅亡に導くのである。

《つづく》

参考文献:
後藤基巳 駒田信二 常石茂 他著 新十八史略 天の巻 河出書房新社

by R.B

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