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週刊スモールトーク (第82話) イラク戦争と中東の未来

カテゴリ : 人物戦争歴史

2007.02.04

イラク戦争と中東の未来

■中東問題

中東問題の複雑さは、歴史がからんでいる。たとえば、クルド人の弾圧。サダム・フセイン元大統領がクルド人を制圧するために、化学兵器を用いたことはよく知られている。恐ろしい弾圧だが、原因はフセイン元大統領の独裁気質や宗派間の対立にあるのではない。

そもそも、フセイン元大統領は独裁を超えた現実主義者だし、クルド人もフセイン派も同じイスラム教スンニ派である。さらに、クルド人の弾圧はフセイン時代に始まったわけではない。中東1000年の歴史を継承しているのである。だから、話は単純ではない。

■クルドの弾圧

クルド人は、ユダヤ人と同様、苦難の歴史をもっている。彼らは、もともと遊牧民で、地球史の主流「インドヨーロッパ語族」に属している。にもかかわらず、彼らは1000年もの間、弾圧と独立のはざまで戦ってきた。最初の弾圧は、11世紀、セルジューク朝トルコによる。

セルジューク朝トルコは、11世紀から12世紀末にかけて中東を支配した大国である。全盛期には、キリスト教世界の覇者・東ローマ帝国(ビザンティン帝国)と戦って勝利している。ところが、1243年、セルジューク朝トルコはモンゴル帝国の支配下に入る。クルドの苦難は、さらに続く。

14世紀、クルドを支配したのはオスマントルコ帝国だった。オスマントルコは、おそらくイスラム史上、最も成功した王朝である。とくに、名君メフメット2世の治世では、1000年続いた東ローマ帝国を滅ぼしている。東ローマ帝国の帝都コンスタンティノープルは、堅固な城壁で囲まれた難攻不落の都であり、キリスト教世界を守る防御壁でもあった。

ところが、1453年、同じイスラム教のウマイヤ朝やアッバース朝のカリフたちが、城下まで迫りながら、落とせなかった鉄壁を、メフメット2世が粉砕したのである。それを可能にしたのが、超兵器「ウルバンの巨砲」だった。空前絶後のこの巨砲が難攻不落のコンスタンティノープルの鉄壁を撃ち抜いたのである。

コンスタンティノープルは、現在、トルコ共和国の首都イスタンブールに名を変えている。東洋と西洋が混在するエキゾチックな街並み、キリスト教世界とイスラム世界の2つの帝都を経験した希有(けう)な歴史をもつ。独特の雰囲気が漂う、美しい街だ。一方、賑やかな中心街を少し離れれば、1453年の帝都壊滅のつめ跡を見ることができる。

イスタンブール駅から電車で15分ほどの町イェディクレ。このさびれた町には、城壁の残骸とウルバン砲の砲弾が転がっている。近代に入ると、クルドに独立のチャンスが訪れた。第一次世界大戦後、トルコと連合国の間にセーブル条約が締結され、クルドの独立が承認されたのである。

ところが、トルコの新しい指導者ケマル・アタチュルクは、その約束を守らなかった。ケマル・アタチュルクはトルコの国民的英雄である。「ケマル」は「完全」を、「アタチュルク」は「父」を意味する。つまり、「完全なるトルコの父」。ケマル・アタチュルクは、軍人として早くから頭角を現し、トルコに上陸しようとした大英帝国軍を敗退させ、チャーチルを震撼させた。その後、ヨーロッパ列強の干渉をはねつけ、混乱にあえぐトルコを統一したのである。

だが、このように優れた人物であっても、トルコの英雄であって、世界の英雄ではない。トルコの国益のため、クルドの独立を犠牲にしたのである。時代はさらに進んで1980年。サダム・フセインが大統領に就任した直後、イラン・イラク戦争が始まったが、この戦いで、クルドはイランについた。そのため、戦争が終結した1988年、多数のクルド人がイラク軍によって殺されたのである。その時、使用されたのが化学兵器(毒ガス)であった。

■フセイン大統領

サダム・フセイン元大統領は、1937年、北部ティクリート近郊の貧しい農家に生まれた。幼児期にはすでに父をなくしている。中学生の頃から政治活動を始め、42才でイラク大統領にのぼりつめた。大統領就任後、反対派を一掃し、政権内部を固め、社会に監視ネットワークを張り巡らし、国民を監視、統制した。

一方で、豊富な石油収入をもとに、医療、教育を中東有数のレベルにまで引き上げた。アメとムチを使い分けたのである。荒っぽい手法ではあるが、多民族、多宗派が混在する国家統治で有効なことは、歴史が証明している。外交では、イラクは息つく暇もなかった。南に接するサウジアラビアはスンニ派で、東方に接するイランはシーア派。つまり、イラクは宗派で対立する強国の間に位置していた。サダム・フセインが大統領に就任した翌年、イランとの戦争が勃発した。イランに革命が起こり、関係が悪化したのである。この戦争では、アメリカはイラクを支援したが、その関係は長くは続かなかった。

1990年、フセイン大統領はアメリカが介入しないという判断のもと、石油積み出し港を確保するため、クウェートに侵攻した。ところが、フセインの読みははずれた。アメリカのブッシュ政権(パパブッシュ)は、予想に反し、イラクに宣戦布告したのである。アメリカを中心とする多国籍軍とイラクの間で起こった湾岸戦争である。中東問題はアメリカがからむと、敵味方が一瞬にして入れ替わる。

■イラク戦争

湾岸戦争は、テレビゲーム戦争と呼ばれた。イラクから送られてくる映像は、テレビゲームのように見え、人が死んでいるという事実を忘れさせた。アメリカ軍は、空軍、陸軍とも圧倒し、イラク軍を粉砕した。フセイン大統領はこの軍事力のハンディを縮めるため、ある策略を思いつく。イスラエルにスカッドミサイルを撃ち込んだのである。もしイスラエルが反撃すれば、イスラエルと対立しているアラブ諸国が団結する。そうなれば、多国籍軍はアラブ全体を敵に回す。それを察知したアメリカは、イスラエルに圧力をかけ、反撃を断念させた。

さらに、2003年、ブッシュ政権(ブッシュジュニア)は、イラクが大量破壊兵器を隠し持っているという理由で、イラクに侵攻した。これが、イラク戦争である。この戦いでも、強力なアメリカ軍の前にイラクは敗北。2003年12月、ティクリート付近で潜伏中のフセイン大統領が拘束された。

そして、2006年11月、イラク高等法廷から死刑の一審判決をうけ、控訴も棄却、2006年12月30日、サダム・フセイン元大統領の死刑が執行された。日本のメディアは、裁判の正当性、刑の執行に問題はあるにしろ、フセイン元大統領が自ら招いた結果であり、罰せられてしかるべきだ、と伝えた。さすが、アメリカの「ポチ」。

冷静に考えてみよう。裁判と死刑は結果であり、重要なのはその原因の是非である。アメリカは、イラク侵攻の大義名分として「大量破壊兵器」を掲げたが、どこを捜してもそんなものはなかった。世界中から、そしてアメリカ国内からも非難があがった。今では、あれは間違いだった、という認識で一致している。

しかし、「いやぁ、悪かった。すべてなかったことにしよう」ですまされるだろうか?安定していたイラク政権は崩壊、大統領は死刑にされ、2007年現在、イラクでは、連日、テロで100人規模で市民が殺されている。災いは、イラク市民にととまらない。2007年1月1日、イラク駐留米軍の死者は、ついに3000人を超えた。

アメリカは、自国の若者が戦争で命を落とすことに敏感な国だ。ブッシュ政権の地獄のふたは半分開いている。つまり、イラク戦争を総括すると・・・「大量破壊兵器」を理由にイラクに攻め込んだが、そんなものは見つからず、イラクの治安は最悪になり、アメリカ兵が3000人も死んだ。イラクにとっても、アメリカにとっても、良いことはなかったのである。政治と外交は結果がすべて。この戦争が間違っていたことは確かだが、誰が責任を取るのだろう?

■イランの台頭

そして昨年、中東に強力な反米政権が誕生した。イランである。イランは、アメリカへの敵意を露わにし、軍事的脅威まで見せつけた。2006年4月、イランは超音速魚雷の実験に成功したというのだ。超音速魚雷?B級SFに登場しそうな怪しいネーミングだが、じつは実在する。そして、オリジナルはイランではなく、ロシア。

この新型魚雷は、「スーパーキャビテーション」と呼ばれる現象を利用し、超高速で水中を潜航する。実験段階だが、アメリカで秒速1549m、つまり水中の音速1540mを超えたといわれる。また、この技術で先行するロシアは、水中ミサイル「シェクバル」の試作に成功したという。超音速魚雷は荒唐無稽の超兵器ではなく、現実の兵器なのである。

秒速1549mなら、時速5576km(マッハ4.4)で超音速ジェット機の2倍!しかも、超音速魚雷は水中を潜航するので、軍事衛星から探知できない。また、潜水艦や軍艦のソナーでも探知不能。なぜか?ソナーは音波を利用するが、水中音速は1500m/sで、超音速魚雷と同じ。仮に、超音魚雷をソナーで探知しても反射波がソナーに帰る同時に、超音速魚雷も衝突。探知した瞬間に破壊されるわけだ。

ということで、超音速魚雷は、探知不能、迎撃不能・・・第二次世界大戦中のドイツのV2ロケットそのものだ。もし、超音速魚雷に核弾頭を搭載したら、軍事的戦略・戦術が一変する。人知れず、水中を超音速で潜航し、ターゲットの直前で水中から飛び出し、上空で爆発すれば、現在最強の空母艦隊も、都市も一瞬にして破壊される。探知不能という点で、核弾道ミサイルの上をいく。

■日本亡国論

結果はさておき、アメリカのイラク侵攻は国益または一部の利権に基づいており、他国からとやかく言われる筋合いはない。むしろ、悲しいのは日本の対応だ。平和的援助の名目で自衛隊がイラクに派遣されたが、満足な兵器も携帯できず、オーストラリア軍に守ってもらった。

激しい訓練に耐えた兵士が、他国の軍隊に護衛してもらう?兵士にとってこんな屈辱はないだろう。日本の法律も政治も歪んでいる。さらに、イラクに派遣された自衛官には、もう一つ屈辱があった。「最大の使命は全員無事に帰還すること」地球のどこにそんな軍隊があるというのだ?

こんないびつな軍事ミッションがあるだろうか?兵士が厳しい訓練に耐えるのは、自分の命と引き替えに、国民の生命と財産を守るためである。ある意味、これほど崇高な職業はない。もちろん、兵士といえども、無事生還を願うのは当然だが、「初め」が間違っている。あるTV番組で、自民党の国会議員が、アメリカのいいなりで自衛隊をイラクに派遣したのは、国防上、アメリカの支援が必要だからだ、と主張していた。

だが、歴史の方程式によれば、文明が滅ぶ要因の一つに「傭兵」がある。歴史上、国民の生命と財産をカネで買った傭兵異存国家の衰亡は枚挙にいとまがない。古代地中海の覇者カルタゴ、それを滅ぼしたローマ帝国もしかり。そもそも、アメリカが一枚岩ではないことは、みんな知っている。共和党と民主党が政権交代を繰り返し、そのたびに政策も変わる。ある時は日本に近づき、ある時は中国にすり寄る。

もし、アメリカの次期政権が民主党になれば、日本の忠義は反古にされ、ハシゴをはずされる可能性もある。特定の国に肩入れする外交が、どれだけほど危険かは、歴史が証明している。あと数年も経てば、現ブッシュ政権(ブッシュジュニア)がしかけたイラク戦争は、歴史的な誤ちと断罪され、その尻馬にのった日本も、信念のない国家として歴史に刻まれるだろう。

では、信念のある国にするにはどうしたらいいのか?真のエリートに国政を任せるしかない。自分が貧乏だから言えるのだが、食うために働く必要のない金持ちで、聡明かつ崇高な精神をもつエリートが、公職につくべきである。公職者は国家や社会に奉仕するエリート(選良)であり、貧乏な国民から吸い上げた税金で食いつなぐ人種ではない。国からカネをもらうのではなく、むしろ、国に私財を投げうつのがエリートだろう。

古代ローマでは富裕な市民が私財をなげうって海軍を編成、国難を救った歴史がある。国と社会に奉仕できる財力と知力を持ち合わせた者のみが、公職につくべきなのだ。議員年金などに執着する議員には、国家の大計を任せたくはない。

■イラクの未来

日本にもかつて、今の中東のような混乱の時代があった。150年さかのぼれば、日本でも公開死刑が行われていたし、300年前には、日本全土を戦乱に巻きこんだ戦国時代があった。織田信長は、数十万の一向宗門徒をなで斬りにし、比叡山延暦寺を山まるごと焼き払い、応仁の乱から始まった国難を収めたのである。しかも、他国からの一切の支援なく、自力で乗り切ったのだ。

イラクは、世界最古の文明シュメールの発祥地である。その後、バビロニア、アッシリアと継承され、古代オリエント文明の礎となった。このような悠久の歴史をもつ大国が、歴史の浅い欧米に従うはずがない。だから、介入は無意味だ。もっとも、イラクのためでなく、自分のためにやっているのだが。

日本が戦国時代、太平洋戦争と、数十万、数百万の犠牲の上に平和を築いたのと同じように、イラクの平和はイラクの力、イラクの犠牲によってのみ実現できる。ことなかれ主義的な平和論に執着して、犠牲を否定している限り、問題は永遠に解決しない。これは道徳の問題ではなく、生存の問題なのだ。

第3代アメリカ大統領トマス・ジェファーソンはこんな言葉を残している。

自由の木は、愛国者と独裁者の血で、ときどき栄養を与えねばならない

《完》

by R.B

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