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週刊スモールトーク (第66話) 天才の世界(2)~歴史上の天才~

カテゴリ : 社会

2006.10.01

天才の世界(2)~歴史上の天才~

■ハンガリー人宇宙人説

現代社会は、天才であふれている。はずみで大魚をつかんだ運才、自称天才、エセ天才、ただの詐欺師。もちろん、本物の天才もいる。もっとも、本物の天才ともなれば、ヒトとは限らない。染色体の数が47本、つまり両親から受け継がない秘密の染色体を持っている可能性もある(人間の染色体は46本)。ところが、さらに恐ろしい仮説もある。

1950年代、アメリカの名門プリンストン大学に、ジョン・フォン・ノイマンという数学者がいた。彼は非常な変わり者だったので、こんな陰口をたたかれていた。「ノイマンは人間そっくりだが、本当は宇宙人」(※1)。たいていの本では、ジョークですませているが、中には真に受けている本もある。いずれにせよ、それが本当なら、染色体の数どころの話ではない。染色体があるかどうかも怪しい。宇宙人なのだから。

アメリカのニューメキシコ州に、歴史上初の原子爆弾を開発したロスアラモス研究所がある。1945年8月、ここでつくられた2個の原子爆弾は広島と長崎に投下されたが、この忌まわしい研究所で、不気味なうわさが流れていた。「ハンガリー人はじつは火星人である」これが普通の職場なら、「ただのヨタ話やろ」で一件落着なのだが、天下の頭脳が集まる研究所である。噂を流した本人も、第一級の科学者だろうし、何か根拠があったに違いない。

この「ハンガリー人宇宙人説」は念入りな補足が付いている。彼らは何千万年も前、故郷の火星を離れ、地球をめざし、現在のハンガリーに着陸した。そのころの地球はまだ未開地だったが、原住民との争いを避けるため、彼らは人間になりすました。それでも、彼らが土着の地球人と違う点が一つだけあった。尋常ではない知能・・・そして、その末裔が先のロスアラモス研究所に巣くっている、というわけだ(※2)。

■ロスアラモス研究所の怪人たち

ロスアラモス研究所には4人のハンガリー人がいた。レオ・シラード、ユージン・ウィグナー、エドワード・テラー、そしてフォン・ノイマンである。レオ・シラードは、アインシュタインほど有名ではないが、歴史的な業績がある。地球上で初めて核分裂が確認されたとき、それが原子兵器につながると予言したのである。

シラードは、「核分裂→原子爆弾→ドイツが原子爆弾を開発→ドイツが世界征服」と考え、物理学者アインシュタインをそそのかし、ルーズベルト大統領に手紙を書かせた。その内容は驚くべきものだった。ドイツが原爆を開発する前に、アメリカが原爆を開発しドイツに落すべし!その結果、生まれたのが「マンハッタン計画」だった。つまり、広島、長崎の悲劇の起点はここにある。

2番目のハンガリー人科学者は、ユージン・ウィグナー。彼はノーベル賞を受賞した量子論のエキスパートである。3番目のテラーは「水爆の父」と言われた原子兵器の大家。そして、最後のジョン・フォン・ノイマンは、ノイマン型コンピュータの創始者である。ノイマンは、マンハッタン計画で数学分野を担当し、ウランの核爆発の引き金「インプロージョン方式」を提案している。

この4人の共通点は、大量破壊兵器に加担したこと、並外れた知能の持ち主だったこと。これらの事実は、ハンガリー人は火星人で、その一部の連中がロスアラモスの研究所に巣くっている、という話をウワサ以上に仕立てている。

この火星人の中で、一番頭が良かったのは、ジョン・フォン・ノイマンである。ハンガリー人は火星人だ、などというバカげた話を、長々と続けたのは理由がある。話をつづけよう。

■ジョン・フォン・ノイマン

昔、子供向け番組で、ノイマンの特集をやっていた。うろ覚えだが、確かこんな内容だった・・・ノイマンは、子供の頃、電話帳1冊を完全に記憶した。いくら20世紀初頭とはいえ、ハンガリーの電話加入者が10人ということはないだろう。また、6歳のとき、8桁の割り算を暗算で計算することができた。もちろん、彼がそろばんを習っていたという記録はない。

8歳の時には「微積分法」をマスター、12歳の頃には「関数論」を読破した。ちなみに関数論は、理工系の大学生が1、2年次に学ぶ数学である。高校時代の数学が得意でも、完全に理解できる者は少ない。高校の数学は、算数の延長だが、関数論は本格的な数学の第一歩。内容は抽象的で、頭の回転で対処できるシロモノではない。つまり、どんな神童でも小学生ではムリ。大学生に成長した怪物ノイマンは、ブダペスト大学の化学工学科に籍を置きつつ、同時にベルリン大学で数学を学んだ。

ノイマンは、後のノイマン型コンピュータの創始者だが、コンピュータお得意のタイムシェアリング(時分割)で、複数の分野を並行してマスターしていった。19歳で数学の論文を発表。順序数の定義をしなおしたが、それはカントルの定義を超えるものだった(※1)。

カントルは集合論で有名らしいが、専門外なので説明不能。その後、有名な「ゲーム理論」を発表し、エルゴード定理の証明法を発見、ヒルベルトの局所コンパクト群と、リー群に関する問題の解を見出し、連続幾何学を開拓、などなど(※1)。いずれも数学上の偉大な業績らしいが、専門外なので、これも説明不能。もちろん、ノイマンの一番の功績は、ノイマン型コンピュータである。現在、地球上で稼働する99.999999%(全部やろ)の実用コンピュータはこれである。

■天才の条件

有名ではないが、ノイマンの天才を示す極めつけのエピソードがある。ある日、プリンストン大学で教鞭をとる数学者が3ヶ月の苦心惨憺の末、ある問題を解いた。狂喜したその数学者は、ノイマンに聞いてもらおうと、彼の家へ飛んでいった。ノイマンが扉を開けるや否や、さっそくその問題の説明をはじめると、ノイマンはそれをさえぎり、数分ほど考えて・・・「君の言いたい結論は・・・かい?」

ノイマンが、わずか数分で、紙も鉛筆も使わず、脳だけで解いた解答。それが、この数学の大先生が、3ヶ月もかけて導き出した答だった。その後、この数学者は、すっかり落ち込み、長い間立ち直れなかったという。そもそも、プリンストン大学の数学科の教授になること自体が大変なのに。ノイマンのエピソードを総括すると、彼の特殊能力は、

1.写真のような記憶力

2.コンピュータ並みの計算力(コンピュータと競争し勝利した)

3.異常な頭の回転(ノーベル賞受賞者フェルミでさえついていけなかった)

4.宇宙空間に匹敵する広大な思考空間(紙と鉛筆ナシで思考可能)

なるほど、これなら火星人だ!火星人かどうかはさておき、ノイマンの遺伝子は調べてみる必要がある。ホモ・サピエンスではない可能性もあるからだ。特別の知能検査が必要だろうが、ノイマンの知能指数(IQ)は300を超えていたのではないだろうか?

■天才プログラマー

コンピュータの世界にも、天才はいる。他薦、自薦ふくめ天才がやたら多いのがこの世界。中でも、有名な天才はチャールズ・シモニーだ。コンピュータサイエンスの殿堂パロアルト研究所の出身で、マイクロソフトにWORDとEXCELをもたらした。彼の場合、度胸とアイデアで勝負の日本の「ITの天才」とは根本が違う。その恐るべきプログラミング能力で天才と認証された人物だ。

シモニーは、プログラミングの変数の命名法「ハンガリアン記法」を提唱した。プログラマー時代、試しに使ってみたが、あくまで、ネーミング方法であり、とくに印象はない。シモニーの業績は確かに素晴らしいが、彼が真の天才だと確信するのは別の理由による。つまり、フォンノイマン同様、業績ではなく潜在的能力だ。

シモニーは、若い頃、部屋が20ある城を思い浮かべて、それぞれの部屋に別のアイテムが10種類ずつおさまった様子を同時にイメージできたという(※3)。「20×10=200のアイテムを同時にイメージできる頭脳」がどういうものか想像してほしい。この能力は、200の異なった情報を、瞬時に記憶できることを意味している。でないと、同時にイメージすることはできない。そして、この能力が意味するところは・・・

天才?

いや違う。「彼がヒトかどうか疑わしい」電話番号は7桁だが、これは普通の人間が一度に記憶できる最大数からきている。ちなみに、10桁の数字を一瞬に記憶できる人は、2000人中3人しかいないという(※3)。一方、シモニーは200桁!一体、どうなっているのだ?目をつぶって、脳にアイテムをイメージする・・・リンゴ、オレンジ、ブドウ、もうダメ。それが200アイテム?シモニーの遺伝子はすぐに調べる必要がある。幸い、シモニーはまだ生きている。チャンスは今しかない。言い忘れたが、シモニーもハンガリー人である。

■抽象思考型の天才

これまで取り上げた天才は、あくまで知能の基本部分によっている。写真のような記憶力、コンピュータ並みの処理速度、つまり、記憶力と頭の回転である。これは、コンピュータが最も得意とする分野だが、天才の中には別のタイプも存在する。そろばんの暗算は、記憶力と頭の回転がすべてだが、その達人が、歴史的な発明・発見をするとは限らない。それは、コンピュータをみれば明らかだ。

コンピュータは完全無欠の記憶力と、電光石火の計算力を誇るが、万有引力の法則やデカルトの命題を思いつくことはない。神が秘密の場所に隠している宇宙の法則や、深遠な哲学の大命題は、高度な抽象的思考力が必要である。つまり、コンピュータ型の天才の他に、抽象思考型の天才が存在する。

大学では電気工学科を専攻したが、研究室に入ると、”天才”がいた。彼は大学院生で、夏休みに、学生に電磁気学の演習を手ほどきをしてくれた。問題の意味すら分からない複雑な問題を、まるで息をするように、スラスラ解くのである。一瞬のためらいもなく。生まれて初めて見る才能だった。

高校時代の数学・物理が得意なだけで、物理学者を夢見た自分が、どれほどバカだったか。この大学院生は、教授から博士課程に進んで、大学に残るよう言われたが、K電力に就職した。その後、ノーベル賞を取ったという話は聞かない。頭のいい人はいくらでもいる。気軽に天才などと言ってはいけないのだ。

■朝永振一郎

大学を卒業後、電機メーカーに就職したが、同期に東工大の修士を出た友人がいた。技術者というよりは学者で、その後、大学の助教授に転出したが、彼が大学時代に聞いたうわさ話・・・物理学者の朝永振一郎博士は、どんな難しい問題も楽々と解き、解けない問題がなかったという。高校の数学じゃあるまいし、尋常の能力とは思えない。周囲は、ただ驚嘆するばかりだったという。ここでいう周囲とは、博士であわよくばノーベル賞をという頭脳集団である。

1965年、朝永振一郎博士はノーベル物理学賞を受賞したが、その対象となったのが「くりこみ理論」だった。当時、量子力学の世界は、計算結果が無限大になるという厄介な問題を抱えていた。くりこみ理論はそれを回避する方法だった。何でもかんでも解きまくる天賦の才は、量子力学の歴史的問題まで解いたのである。大学時代の量子力学の授業、解決済みの問題ばかりなのに、何のことだかサッパリ。同じ人間なのに、どうしてこうも違うのだろう。朝永振一郎博士の才能が、コンピュータ型ではなく、抽象思考型であることは確かだ。もちろん、朝永博士の才能は抽象思考だけ、言っているわけではない。

先の電機メーカーは、創立記念日に朝永振一郎博士を講演に招いたが、そのときの記録映像を見る機会があった。ゆったりとした口運び、洒落たジョークを交え、ウィットに富んだ内容、素晴らしい講演だった。本当に頭のいい人は何でもできるのだろう。日本初のノーベル賞受賞者であり、第三高等学校、京都帝国大学で朝永振一郎博士と同級だったのが湯川秀樹博士。彼の自叙伝に面白い記述がある。

「その中には朝永振一郎君、多田政忠君、小堀憲君などがいた。いずれも優秀な学生であることは、力学の演習問題をやるときに、よくわかった。殊に朝永君は、私がそれまで知っていたどの友人よりも頭が良いことが私には直ちにわかった」(※3)

湯川博士は、「中間子」の存在を予言した理論物理学者である。当時、原子核を構成する陽子と中性子がなぜ引き合うか分からなかった。電気的に、陽子はプラスで、中性子は中性なので、電気力ではない。また、引き合う力は重力より大きいので、重力でもない。この新しい核力の媒体となる中間子を予言したのが湯川博士だった。そして、この大胆な仮説は、中間子の発見により、真説となる。その湯川博士があのような賛辞を送る・・・朝永博士の能力の凄まじさがわかる。

最近、日本のノーベル賞受賞者が増えている。大規模な装置を使った実験科学の受賞が多く、学者本人より、装置を開発したメーカーがノーベル賞では?と思うものもある。もちろん、装置を考案し、それを使って発見に到ったことが偉いのだが。一方、湯川博士や朝永博士の時代、日本はまだ貧しく、高価な実験設備など望むべくもなかった。そのため、脳と紙と鉛筆だけで世界に挑むしかなかったのである。つまり、純粋な理論物理学。その世界で、偉業をなし遂げたのが、朝永博士と湯川博士であった。

■アートの世界の天才

また、ゲームの世界にも、天才と呼ばれる人がいる。日本の場合はゲームバランスの達人、つまり、「神のひとさじ」と言われる職人。彼らが作ったゲームはバランスが良く、安心して遊べる。そして、ハズレもない。だけど、それって天才?昔から、TVゲームに興味はなく、洋モノPCゲームしかやらなかった。理由は、斬新で度肝を抜くようなアイデアは洋モノゲームしかないので。私見だが、ゲームクリエーターの天才は、バランスよりも企画と世界観にあるような気がする。天才に、バランス、相対的、安心、は似合わない。

絵画は素人だが、昔からゴッホが好きだった。ゴッホの色彩や世界観は独特だが、現実から大きく乖離しているわけではない。個人的には非常に居心地のいい世界である。眺めているだけで、2D絵画が3D世界へと立体化され、自分の精神が急拡大するのが分かる。ゴッホの絵をはじめて見たとき、これは飛び込む絵本だ、と思った。絵画は主観だろうから、ゴッホは天才だ、というのは気が引ける。だが、そうでないと主張する人もいる。

昔、「GE・TEN~戦国信長伝~」というPCゲームを作ったとき、有名美大出身のデザイナーに美術のウンチクを学んだ。スペインの画家ベラスケスが好きだったので、それを話題にしたときのこと。

「僕はベラスケスが好きなんだけど、彼の評価はどうなんですか?」

彼:「スペイン絵画の大家。新しい分野を切りひらいた画家で、天才的ですね。」

「じつは、もっと好きなのがゴッホなんですけど、彼はどうでしょう?」

彼:「凄いですね。」

「どう、凄いんですか?」

彼:「とにかく凄い・・・それしか言いようがないですね」

「じゃあ、天才?」

彼:「そんなんじゃなく、とにかく凄い・・・」

今でも覚えている会話だが、絵画の世界には天才の上があるらしい。このような才能は、先の抽象思考型の天才よりさらに難儀だが、説明は意外に簡単である・・・大学1年生のとき、惑星運動のケプラーの法則から、ニュートンの万有引力の法則を導き出す授業があった。ニュートンが万有引力の法則を発見したプロセスを、実体験するのである。この授業で、われら凡人学生は、天才ニュートンの歴史的な偉業を”なぞる”ことができた。

ところが・・・ゴッホの絵はなぞっても描けない。つまり、物理の天才はなぞれても、絵画の天才はなぞれない。絵画の天才は物理の天才を凌駕する、とは言い過ぎだろうか?

《完》

参考文献:
(※1)シルヴィアナーサー塩川優訳「ビューティフル・マインド」新潮社
(※2)スティーブンウェッブ松浦俊輔訳「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由」青土社
(※3)ロバートXクリンジリー藪暁彦訳「コンピュータ帝国の興亡」上
(※4)湯川秀樹「旅人」角川文庫

by R.B

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