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週刊スモールトーク (第57話) コンピュータの進歩Ⅰ~神と一体化するプログラマ〜

カテゴリ : 科学

2006.07.28

コンピュータの進歩Ⅰ~神と一体化するプログラマ〜

■古代マヤの暦

古代マヤ人は複雑な暦(こよみ)をあやつったが、驚嘆すべきは、気の遠くなるような大周期。1872000日、つまり、5128年が1つの周期なのである。そして、現在の大周期は、紀元前3114 年8月13日に始まり、2012年12月22日に終わるという。これが、
2012年12月22日に地球は滅亡する
の根拠である。5128年とは気の長い話だが、これに比べれば、コンピュータ業界の周期など無に等しい。

そして、このコンピュータ業界でも、大きな周期が終わろうとしている。古代マヤの暦にくらべれば一瞬だが。

■消えたパソコンの未来

パソコンはコンピュータの大進歩というよりは革命だった。専門家が作り、専門家が使う特権階級の道具だったコンピュータを、広く大衆に開放したからである。つまり、パソコンは、
大衆の、大衆による、大衆のためのコンピュータ

かつて、パソコン業界は夢の楽園だった。歴史上珍しい、全員参加型のテクノロジーで、技術仕様はすべて公開された。30年前、マイクロソフトの創業者ビル ゲイツは「アルテア8800」というマイコンに、BASIC言語を移植したが、メモリはたったの4KB。現在のパソコンの10万分の1である。

ここで、「アルテア8800」をパソコンではなく、マイコンと呼んだのは理由がある。マイコンとは、マイクロコンピュータの略だが、入力装置も出力装置もない、むき出しのコンピュータ ボード。では、どうやって操作するのか?アルテア8800の場合、パネル前面のトグルスイッチでパチパチ入力する。モニタの代わりにLEDが並んでいて、ON、OFFで情報を表示する。当然、表示できる情報は限られる。

しかも、動作する保証はない。ハンダ付けで組み立てる必要があったのだ。言ってみれば、プラモデル。マイクロソフトを創業したポール アレンとビル ゲイツは、こんなオモチャにコンピュータの未来を見たのである。

一方、パソコン業界のもう一人の重鎮、アップル社のスティーブ ジョブズの夢は、より哲学的だった。2点間を最小エネルギーで移動できるのは何か?コンドル!ところが、自転車に乗った人間はコンドルに優る。自転車が人間の「歩く」を増幅したわけだ。であれば、パソコンは人間の「知性」を増幅する。これがスティーブ ジョブズの哲学だった。

ところが ・・・

当時、アップル社が販売していたAppleⅡは、最大メモリ48 KB。こんなつましい現実を横目で見ながら、ジョブズはホラ吹き男爵顔負けの夢物語を語っていたのである。

この2つの事例は、重要な法則を示唆している。彼らは、現在のパソコンより6桁も劣るオモチャから、異形の未来を思い描くことができたのである。未来を描く構想力こそ生命の根源であり、夢を形にする力なのだ。そして、ビル ゲイツとスティーブ ジョブズの予言は的中する。あれから30年経った今、一人一台のコンピュータの時代が到来し、パワーは10万倍、大進歩をとげたのである。これで、パソコンは人間の知性を何万倍にも増幅してくれる ・・・

しかし ・・・

期待した夢の楽園はすっかり色あせてしまった。夢など、どこにあるというのだ?10万倍に進歩したはずの万能ツールが退屈でつまらない欲求のハケグチと化している
「電子メールを使えば、タダで手紙が送れる」
「インターネットを使えば、店に行かなくても買い物ができる」
「1000km離れた人とチャットが楽しめる」
「検索エンジンを使えば調べものが楽ちんだ」
あげく、
「スーパーコンピュータで円周率を1兆桁まで計算した」

だから、どうだと言うのだ!

コンピュータの真のパワーを教えよう。その恩恵を受けるのはユーザーではなく、プログラマー。もし、あなたが、難解で嫌われ者の「C++言語と3Dプログラミング」をマスターしたとしよう。その瞬間、あなたは神になる。これが、コンピュータの秘密のパワーなのだ。

■時空プログラマーは神か?

3Dプログラミングとは、ゲームのように、世界のすべてを3次元で処理するプログラミングである。登場する人物、アイテム、背景が現実世界同様、3次元形状と属性(重さ、硬さ、質感など)をもっている。これに、時間軸をくわえ、さらに、ニュートン力学、熱力学などの物理法則を組み込めば、コンピュータの中に「もう一つの現実」が生まれる。これを時空プログラミング、その書き手を時空プログラマーとよぶことにする。

時空プログラマーは物体と空間と法則の創造者であり、この世界の支配者である。ただのシミュレーションゲームでは?たしかに、現在のゲームレベルなら仮想世界の域を出ない。しかし、地球の環境予測に活躍しているスーパーコンピュータ「地球シミュレータ」のように、現実を忠実にシミュレートすれば、現実世界と等価になる。

もし、プログラマーが望めば、新しい生命、新しい進化の法則まで組み込める。つまり、この世界とは異なる「もう一つの現実」を創造できるのだ。この瞬間、プログラマーは神と一体化する

つまり ・・・

今の世界は、神に匹敵するコンピューターを些末な日常のツールにしか使っていないのだ。宇宙を創造する力を秘めた「打出の小槌」を「金づち」代わりに使うようなものだ。無限の力を秘めたコンピュータは、今や、ITの名のもとに、ちっぽけな情報分野に封じ込められている。コンピュータ サイエンス、プログラミング言語、アルゴリズムなど知的好奇心をそそる言葉は消え失せ、インターネット、ウィルス、セキュリティ、ビジネスなど退屈な言葉がコンピュータ世界をおおっている。

スティーブ ジョブズの「人間の知性を増幅させる」夢はどこへ行ったのだ?コンピュータの未来はどこへ行った?きっと、コンピュータの進化は、どこかで狂ってしまったのだ。その謎をとくために、時計を40年前に巻きもどそう。

■大型汎用機の時代

コンピュータビジネスの最初の成功は「IBM360」だろう。1964年、アメリカのIBM社が開発した「IBM360」は、当時のライバルたちを一撃でなぎ倒してしまった。IBM 360の名は「360度あらゆる用途に対応可能な万能コンピュータ」にちなんでいるが、その名に恥じないものだった。

自動車が、小型車から大型車まで、すべて操作方法が同じであるように、IBM360シリーズは、すべての機種に互換性があり、OSも共通だった。つまり、プログラムもデータも機種互換。ユーザーにとってムダがないし、利便性も高い。例えば、最初に小型機を導入し、業務の拡大にあわせ、中型機、大型機へと移行できる。プログラムもデータもそのまま使えるからだ。このような互換性は、現在では常識だが、当時は画期的だった。

また、コンピュータの基本部品が「トランジスタ」の時代に、IBM 360には次世代の「IC」が採用された。ただし、このICは、現在のモノリシックICのように、同じ材料で製造されたものではなく、異質の部品を接続し、小さなパッケージに封印したハイブリッドICだった。とはいえ、トランジスタとICでは技術的に5年の差がある。コンピュータ業界で5年も遅れを取れば、ゲームオーバー。

IBMはノーベル受賞者を何人も擁するハイテク企業だが、本質はサービスの会社である。つまり、常に顧客の利便性を第一においている。IBMのユーザーは、買い取りでも、リースでもなく、レンタルでコンピュータを導入することができた。そのため、導入時の巨額の出費は不要だし、リースと違って中途解約も可能。つまり、機械を買うのではなく、サービス(機能)を買うのである。とはいえ、売る側(IBM)にとっては、当座の資金繰りに窮する。莫大な開発費を、買い取りで一気に回収できないからだ。

一方、レンタルはいったん軌道に乗ると、毎月一定収入が見込めるので、資金繰りは安定する。IBMは、抜群の競争力をもつ商品と、ユーザーのフトコロに優しい販売方法でライバル会社を打ちのめしたのである。当時、コンピュータ業界には、IBMの他に、ユニバック、ハネウェル、GE、CDC、RCA、NCR、バローズの7社が存在したが、世間では「白雪姫と7人の小人たち」と揶揄(やゆ)された。

■ミニコンの時代

1980年代、就職してすぐに配属されたのが、ミニコンを開発するセクションだった。「ミニコン」とは、すでに消えたコンピュータのカテゴリで、高価な大型汎用コンピュータが導入できない中小企業や研究所などで使われた。

配属されたセクションでは、ダムのコンピュータ システムを手がけていたが、ハードウェアや基本的ソフトウェアまで内製していた。その後、ミニコンはDEC社が覇者となり、それをデータジェネラル社が追いかけ、寡占化が一気に進んだ。結果、自社でミニコンを開発する企業はなくなった。

DECは、創業年度が黒字という華々しいスタートをきったので、業界では、ミニコンのIBMと持ち上げられた。このDECを猛追したのが新興企業データジェネラル社だった。そのたくましい戦いぶりは、書籍「超マシン誕生(The Soul Of a New Machine)」に描かれ、ピューリッツァー賞まで受賞している。

内容は、DECを追い落とすための新商品「Eclipse MV/8000」の開発記録である。スピード感があって、ハイテクが放つドキドキ感もしっかり伝わってくる。書籍同様、Eclipse も大ヒットとなった。ところが、データジェネラルの栄華も長くは続かなかった。この会社はすでに地球上に存在しない。コンピュータは、他の分野の7倍の速度で進歩するのだ。

■マイコンの時代

世界中が、コンピュータとは大型汎用機(IBM)とミニコン(DEC)、と信じていた頃、一部のマニアたちが新しいコンピュータを創造しつつあった。マイコンである。その第一号は先のアルテア8800だが、ビジネスとしては成功しなかった。何十時間もハンダ付けを強いられたあげく、トグルスイッチとLEDで操作?よほどの物好きか暇人しか買わない。

この時点で、コンピュータの進化は間違っていなかった。マイコンにキーボードとモニタがくっついたのである。これがパソコンである。このパソコンで、最初に成功したのがアップルのAppleⅡだった。AppleⅡのテクノロジーの先進性は、先のIBM360にも匹敵するもので、アップル コンピュータに巨万の富をもたらした。

当時日本でも、マイクロプロセッサを使ったコンピュータ機器を開発するベンチャー企業がたくさんあった。たいていは、大手電機メーカーのOEMを生業としていたが、その中でも大手に属するV社に在籍したことがある。

当時、V社は1983年に開園予定の東京ディズニーランドの受注に執念を燃やしていた。仕様としては、複数のコンピュータを接続できること。今なら、LAN(イーサーネット)で簡単に構築できるが、当時、コンピュータ間の通信とえば「RS-232C」だった。「RS-232C」は超低速で、通信速度は今のLANの5万分の1。

ところが、V社は「SMPX」という独自の高速シリアル通信を開発していた。これが競合他社に対し、アドバンテージになることは確かだった。受注できるかもしれない ・・・ 当時、このプロジェクトの開発リーダーだったので、夢は膨らんだ。ところが、この夢はかなわなかった。製品が完成する前にV社が倒産したのである。

V社は、ハード、ソフト、アプリケーションまで手がけるマイコン開発会社だった。全盛期には、社員を100名近く抱え、大手電機メーカーや商社がたくさん出入りしていた。あるとき、商社マンといっしょに、アメリカ国籍のベトナム人が来社した。名を「Le Sinh」といった。彼は自分がボートピープル(難民)だと告白したが、知性は並外れていた。英語はペラペラ、日本語も日本人と全く区別がつかない。もちろん、彼は通訳ではなく、マイコン開発のエンジニア。

この時、彼からマイクロソフト社の存在を知らされた。BASIC言語で成功したソフト会社で、社員も数十名ほどいるという。だが彼が称賛したのは、別の会社だった。マイコン用OSのCP/Mを開発したデジタルリサーチ社である。
「これからはCPUはインテルの80系、OSはCP/Mですよ」
と、彼は熱っぽく語った。彼の予言の半分適中し、半分ははずれた。

■アスキー出版

この頃、日本の出版業界でも革命が起ころうとしていた。アメリカでブレイクしたパソコンを日本でも広めようと、アスキー出版が創業されたのである。アスキー出版の月刊「アスキー」は、技術誌とファッション誌の性格を合わせ持つ、不思議な雑誌だった。難しいパソコンを、知的好奇心を巧みについて分かりやすく伝えるのだが、内容にごまかしはなかった。

また、誌面はファッション誌なみで、内容の難しさを忘れるほどだった。また、洒落た言い回しは「アスキー語」とよばれ、当時一世を風靡した。月刊アスキーは、「パソコンの啓蒙」で、コンピュータ ビジネスの一翼を担ってたのである。ところが、その「アスキー」も今月号で休刊(=廃刊)となった。コンピュータ業界、光陰矢のごとし。

■IBM PC

こうして、コンピュータ業界は、ダウンサイジングが進み、パソコンが主流になった。この新しい世界で、アップル社が覇者となり、マイクロソフトはBASICやFORTRANなど地味なプログラミング言語を生計を立て、アスキーはマイコンの啓蒙に勤しんだ。成功者にとって、これが永遠に続くように願っただろうが、コンピュータの世界は7倍の速度で進歩する。天地動乱は目前だった。

地味な商売をしていたマイクロソフトに、ある時、千載一遇のチャンスが舞いこむ。当時、IBMはアップル社の成功を見て、パソコン業界への進出を目論んでいた。ところが、IBMには時間がない。そこで、時間を節約するため、恥も外聞も捨てて、チップもOSも外部調達することにした。そのOSの供給元の候補が、8ビットOSの覇者デジタル リサーチ社、その次がマイクロソフトだった。

もしこの時、デジタルリサーチ社が普通に振る舞っていれば、現在のマイクロソフトの位置に立っていたのは、デジタルリサーチ社である。ところが、オーナーのゲイリー キルドールは儲け話には興味がない、としか思えない言動を繰り返した。

昔、デジタルリサーチ社の日本法人とやりとりしたことがある。当時、開発していた工業用コンピュータにCP/Mを移植しようとしたのである。ところが、彼らの応対は、オーナーの噂そのままだった。だが、CP/Mはシンプルで洗練されたOSだ。経営手腕はさておき、ゲイリー キルドールは優秀なプログラマーであることは確かだ。

IBMはデジタルリサーチ社に愛想をつかし、マイクロソフトに接近したが、マイクロソフトにはOSの経験がなかった。そこで、マイクソロフトは近所のマニアが作ったOSをたったの500万円で買い取り、それをアレンジしてIBMに供給したのである。これが、Windowsの前のデファクトスタンダード「MS-DOS」である。この瞬間、パソコンの歴史は決まった。マイクロソフトは史上空前のソフトウェア会社に成長し、デジタルリサーチは消滅したのである。

さらに注目すべきは、MS-DOSがCP/Mを真似てつくられた、という事実。このマニアは、CP/Mの仕様書を読んで、そのままプログラムを書いたのである。このマニアによれば、
「仕様は同じだけど、一からプログラムを書いたので、著作権法には触れない」
間違ってはいないが、仕様が明確で、小さいプログラムなら、仕様がすべて。原作者は何も得ず、真似た作者は小銭を得て、買い取った者が巨富を得る。勝利はどこへ転がるかは予測不能である。

■ハードウェアの戦い

一方、パソコンのハードウェアの戦いも熾烈をきわめた。IBM PCはアップル社との戦いに勝利し、デファクトスタンダードの地位を固めたが、新たな強敵が現れた。IBM PC互換機メーカーである。IBMは、ハードウェアの仕様を公開したため、簡単にIBM PCのクローンをつくることができた。彼らはコンパチメーカーと呼ばれたが、本家IBMをとことん追い詰め、最終的にはIBMをパソコン業界から追い出すことに成功する。

コンパチメーカーとして最初に成功をおさめたのが「コンパック コンピュータ」である。コンパックは、パソコンのBMWと言われ、高品質なクローンPCを供給することで知られていた。さらに1998年、コンパックはミニコンの覇者DECを買収し、世界第2位のコンピュータメーカーにのしあがった。

ところが、コンパックの繁栄もそこまで。2002年、測定器の巨人HP社に買収されたのである。その巨艦HPも、現在、覇者デルとの戦いに苦戦を強いられている。コンピュータ ウォーゲーム。この世界は7倍の速度で進歩する。

■GUI

MS-DOSは、マイクロソフトに巨万の富をもたらしたが、何をするにも、キーボードで文字を入力する必要があった。じつは、マウスとアイコンによるGUI(Graphical User Interface)の起源は、ゼロックス社のパロアルト研究所(PARC)が開発した「Alto(アルト)」。それを、マイクロソフト社とアップル社が見よう見まねで真似たのが、WindowsとMacOSだった。

もちろん、ゼロックス社はこの優れたGUIを商品化するつもりだった。展示会ともなれば、ゼロックスのマシンはマウスとアイコンのシャレた操作で人目をひいた。ところが、価格がハンパじゃない。結局、ゼロックスのGUIマシンは「コンセプトコンピュータ」で終わった。

このGUIを商売にしたのが、アップル社とマイクロソフトだった。アップル社の開発は順調だったが、マイクロソフトは意外にてこづった。Windowsは当初、使い物にならず、Windows3.1になって、なんとか使える程度。マイクロソフトは「good enough(そこそこ使える)」程度で出荷し、バグがあれば都度修正、バージョンアップでさらに儲けるという方法をとった。信じられないような不遜な手だが、ユーザーはこれに服従した。他に選択の余地がなかったからである。そして、この悪習は今も続いている。

これが、マイクロソフトがあみだした「パッケージソフト」のビジネスモデルである。この方法で、マイクロソフトは世界のトヨタを超える現金を貯め込んだ。だが、銀の弾丸に見えたこのビジネスモデルも、今や崩壊の危機にある。マイクロソフトのみならず、パッケージソフトを生業にする企業すべてが、腹をくくる時期に来ているのだ。むろん、仕掛け人はグーグル(Google) ・・・

《つづく》

by R.B

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