BeneDict 地球歴史館

BeneDict 地球歴史館
menu

週刊スモールトーク (第569話) 本の歴史(3)~大航海時代に蘇るオデュッセイア~

カテゴリ : 娯楽歴史

2024.05.13

本の歴史(3)~大航海時代に蘇るオデュッセイア~

■ポルトガルのノーベル文学賞

ホメーロスの叙事詩「オデュッセイア」は、後世に大きな影響を与えた。

その後も古典的名作として讃えられた・・・という意味ではなく、ポルトガルで文学大革命をおこしたのである。

16世紀のポルトガルで、オデュッセイアをオマージュした叙事詩が上梓された。それが、400年の年月をへて、ポルトガルの国民的文学まで登りつめたのである。しかも、著者は国民的詩人として讃えられ、その名を冠した文学賞が創設された。現代ではポルトガル圏のノーベル文学賞と評されている。

ローカルなノーベル文学賞?

侮っていはいけない。

ポルトガル語を母語とする人口は、世界で2億5000万人もいる。うち2億1500万人はブラジルなので、どういうこっちゃ?なのだが、日本の2倍であることにかわりはない。言語の基礎票で論じるなら、芥川賞や直木賞の上だろう(日本の文学賞を蔑む意図はありません)。

しかも、この文学革命には、大航海時代が大きくかかわっている。だから、歴史的意義も大きい。

大航海時代は、世界を一変させた大事件だった。

1000年も続いた「中世」を終わらせたのだ。中世は、ストイックなキリスト教が幅を利かせる暗く陰鬱な時代だった。それが終焉し、希望にみちた大航海時代が始まったのだ。こうして、世界はつながり、現代の「グローバリゼーション」へと続く。

そして、ここが肝心、大航海時代を始動させたのはポルトガルだった。

つまりこういうこと。

ポルトガルの文学革命は、オデュッセイアと大航海時代のDNAを継承する血統書付きの革命なのである。

■大航海時代の幕開け

大航海時代が始まる前、世界は分断されていた。

地球の70%を占める海が、人間の移動を阻んでいたのである。

水平線の向こうには、何があるかわからない。海の果てにはボハドル岬があり、それを超えると、白人も黒人に変わると信じられていたのだ。

そんな妄想する暇があったら、実際に海に出てみては?

ムリです。

当時の船は、原始的な帆で、風が吹く方向にしか進めない。しかも、平均速力は、せいぜい2.5ノット(時速4.6km)。無風なら、海を漂うだけ。さらに船体が脆弱なので、外海の高波にあえば、ひとたまりもない。地中海のような静かな内海か(波の高さが数センチを超えることはない)、陸地が見える海岸沿いを航海するしかなかった。海路というより陸路である。

ところが、15世紀半ば状況が一変する。

キャラック船が発明されたのである。

キャラック船は、史上初の外洋航海に耐える船だった。

全長が30~60mとそれまでの船より一回り大きく、大海の荒波に耐えることができた。排水量は200~1500トンで、大量の人や荷物が積めるようになった。さらに、3本のマスト、横帆や三角帆をそなえ、逆風でも前進できた。無風でないかぎり、10ノット(時速18.5km)は出せた。

こうして、外洋航海が可能になったのである。

ヨーロッパの航海者たちは、キャラック船を中心に船団を編成し、外洋にくりだしていった。大航海時代が始まったのである。

まずは、1492年のコロンブスのアメリカ大陸発見

ただし、正確には「アメリカ大陸」ではなく「アメリカ海域」。というのも、最初に「アメリカ大陸」を発見したヨーロッパ人は、アメリゴ・ベスプッチだから。

これが「コロンブス大陸」ではなく「アメリカ大陸」のゆえんである。

■アメリカ大陸一番乗りは誰?

ところが、ベスプッチのアメリカ大陸発見にもケチがついている。

アメリカ大陸の(外来)一番乗りは、ヴァイキングだというのだ。物的証拠もある。北アメリカのニューファンドランド北端のランス・オー・メドーに、1000年前のヴァイキングの住居跡が見つかったのだ。

あらら・・・

そこで、もう一声。

本当の一番乗りは、ポリネシア人かもしれない。

紀元前900年頃、この偉大な海洋民族は、広大な大海を航海していた。東は太平洋のイースタ島、西はインド洋のアフリカまで。

彼らは優れた航海者だったが、その秘密は船と航海術にあった。

まずは船。

アウトトリガー型のカヌーである。細長い本体のカヌーから、直角に3~5mほど腕木がのび、その先にアウトトリガーという浮きがついている。いわば、双胴船で、横幅が大きな船の安定性と、細い船の高速性を兼ね備えていたわけだ。

つぎに航海術。

18世紀、イギリス(グレートブリテン王国)のジェームズ・クック(キャプテン・クック)は、太平洋を航海したとき、ポリネシア人航海士のトゥパイアを雇った。は、故郷のライアテア島を中心に、縦横3200km圏内の島の位置をすべて記憶していたのである(※1)。

GPS不要の人間ナビシステム?

恐るべし。

そんな航海の達人が、太平洋をさえぎる長大な障害物(南北アメリカ大陸)に気づかないはずがない。

まぁでも、誰が一番乗りかは重要ではない。

その後、ヨーロッパ人が南北アメリカに押しかけ、土着のインディオを追い出し、乗っ取ったのだから。批判しているのではない。領土は、初めから所有者が記されているわけではないから。だから、あとから取ったもん勝ち。酷い話だが、これがこの世界のルールなのだ。

根拠は?

論より証拠、歴史が証明している。

■ポルトガル海上帝国

大航海時代は、南北アメリカ大陸の土着民にとって災難だったが、地球の裏側でも恐ろしい事件がおきていた。

東アジアのスパイス戦争である。

その始まりが、ポルトガルのインド航路発見だった。

この新航路が発見されるや、東アジアのスパイス争奪戦がはじまった。

ポルトガル、スペイン、イギリス、オランダ・・・時代とともに主役が代わったが、300年にわたって、血で血を洗う死闘が繰り広げられたのである。大航海時代は、血湧き肉躍る大冒険と、血みどろの殺し合いがセットになっている。

ことの始まりは、15世紀末のポルトガルである。

1497年7月、ヴァスコ・ダ・ガマ率いるポルトガル船団が、リスボン港を出航した。

旗艦は、最新鋭のキャラック船で、4隻の船に170名の乗員が乗りこんだ。ガマの船団は、アフリカ南端の喜望峰を回り込み、インド洋で出た。そのまま、東進し、1498年5月、インドのカリカットに達したのである。

ガマが命懸けで、インドに行ったのは、スパイスを買うためだった。ところが、スパイスの大半はインドでは栽培されていなかった。インドはスパイスの集散地だったのである。ガマもヨーロッパ人もその事実を知らなかった。

では、スパイスが栽培されていたのは?

インドの東方の東アジアである。ジャワ、スマトラ、スパイスアイランドを含む東西3000km、南北2000kmの広大な海域だ。とくに、最高級品のチョウジとニクズクは、地球上でスパイスアイランド(香料諸島)しか産しなかった。

たかがスパイス、されどスパイス。

スパイスは今はタダの調味料だが、昔は違った。

電気も冷蔵庫もない時代、肉の保存にはスパイスが欠かせなかったのだ。というのも、スパイス、とくにチョウジは強力な防腐作用と防臭作用があった。つまり、スパイスは生きていくための必需品だったのである。

ところが、スパイスはアジアにしか産しないから、そこに至るルートが生命線だ。

インド航路が発見されるまでは、スパイスの入手ルートは「アジア→紅海→エジプト→地中海→イタリア→ヨーロッパ」だった。

ところが、「アジア→エジプト」はイスラム商人が仕切り、「エジプト→イタリア」はヴェネツィア商人とジェノヴァ商人が、「イタリア→ヨーロッパ」はドイツのフッガー家が牛耳っていた。それぞれの中継地で、手数料が上乗せされるから、ヨーロッパに達したときには、とんでもない価格になっていた。最高級スパイスのチョウジとニクズクが金より高くなったゆえんだ。

もし、インドへの直行ルートを発見できたら、スパイスを独占できる。ポルトガル王室とガマはそれを狙ったのである。

そして、ガマはみごと成功した。

「リスボン→アフリカ南端→インド洋→インド」の新航路を見つけたのである。こうして、ポルトガルはスパイス交易に成功し、ポルトガル海上帝国を築くことができた。

ガマは海賊上がりの船乗りだったが、この偉業で大出世した。

ポルトガル国王マヌエル1世から、王侯貴族だけに許される「ドン」の称号を授与されたのである。さらに、インド提督に任命され、多額の年金も手にした。

夢のような人生ではないか。

■大航海時代の原因

でも、腑に落ちないことが。

肉が腐ると困るから、スパイスを求めて、大航海時代が始まった?

肉が腐るのをふせぐだけなら、燻製や塩漬けの方が安上がりだ。高濃度の塩を使うので、浸透圧が高くなり、肉から水分が抜けて、乾燥状態になる。結果、微生物が死滅するので、肉は腐らない。この方法は、中世でも知られ、すでに使用されていた。

つまり、「大航海時代の動機=スパイス」は怪しい。

ここで、この時代の地球儀を鳥瞰してみよう。

そんなことできる?

はい、PCソフト「ガイアチャンネル~地球儀で眺める世界史~」ならできます。

すると、大航海時代の別の動機が見えてくる。

オスマン帝国だ。

この時代、ヨーロッパにとって最大の脅威はオスマン帝国だった。

西アジア~中東~東ヨーロッパの広大な地域を支配し、西ヨーロッパを脅かしていた。1453年には、キリスト教世界の心臓だった東ローマ帝国を滅ぼした。その帝都コンスタンティノープルは、オスマン帝国が持ちこんだ世界最大のウルバン砲によって崩壊した。キリスト教の教会はイスラム教のモスクに置き換わり、イスラム教国の中心地となった。現在のトルコ共和国である。

つまりこういうこと。

オスマン帝国がシルクロードを支配したら、アジアとの貿易が途絶える。

ヨーロッパ人はそれを恐れていたのである。失うのはスパイスだけではなかったのだ。だから、アジア新航路の開拓は、国家安全保障の重要課題だったのである。つまり、オスマン帝国の脅威も、大航海時代の動機になりうる。

ちなみに、オスマン帝国はイスラム教国だが、アラブ人の国ではない。チュルク語族の国だ。チュルク語族は、特異な民族で、トルコ~中央アジア~モンゴル高原~シベリアに至る広大な地域で、散り散りに暮らしている(国も違う)。

だから、チュルク語族は時代の先をいくコスモポリタン(地球市民)なのだ。ただし、現在主流のグローバリズムとは根本が違う。グローバリズムは、国や民族や文化を否定し、世界は一つと考える、すべての価値をマネーに一元化するモノクロ世界だ。一方、チュルク語族は違う国、文化で多様性を享受している。

あと、スパイス、大事なことを忘れていた。

肉は、燻製や塩漬けより、焼いてスパイスをかけた方が美味しい。つまり、スパイスは、腐った肉の味をごまかすためでもあったのだ。事実、古代ローマの時代から、その用途で胡椒が重宝されていた。

話題は尽きないが、本題が前に進まないので、ここで結論。

大航海時代の原因は・・・

1.焼き肉を美味しくするスパイスを獲得するため。

2.オスマン帝国のアジア貿易独占を阻止するため。

■ポルトガル版オデュッセイア

この時代、ポルトガルは歴史上、最も輝いていた。

大航海時代を主導し、スパイス戦争の初代王者になったのだ。

くわえて、冒頭の文学大革命である。

ルイス・ヴァス・デ・カモンイスは、数奇な運命をたどった人物だ。ポルトガル軍の士官として、アフリカでムーア人と戦い右目を失った。彼は詩を書くのが好きで、ホメーロスの叙事詩「オデュッセイア」に心酔していた。

オデュッセイアは、天界と地上界のストーリーが、同時進行する。天界は海神ポセイドーンと女神アテーナーの権力争い、地上界はオデュッセウスの波乱万丈の航海だ。これがからみあい、壮大な叙事詩が生まれたのだ。

叙事詩は、本来、壮大な英雄的な事跡、歴史的事件を扱うジャンルだが、ポルトガルには格好の材料があった。ガマのインド航路発見である。大航海時代を切り開いたこのポルトガルの歴史こそ、トロイア征服に匹敵する歴史だがと、カモンイスは考えた。

そこで、カモンイスは、オデュッセイアの「文法」を踏襲し、ガマのインド航路発見の物語を組み込んだのである。

ウズ・ルジアダスは、神々を天上界に配し、地上界はガマの航海で、同時進行する。オデュッセイアでは、オデュッセウスが漂着した島の王に、自らの冒険譚を語る。一方、ウズ・ルジアダスは、ガマがメリンデ王に、建国前のヨーロッパから、ガマの航海までのポルトガルの歴史を物語る。

つまり、ウズ・ルジアダスは、オデュッセイアの作法を模した大航海時代絵巻なのである。

この叙事詩は歴史に残る名作となった。

ホメーロス、ヴェルギリウス、ダンテ、ミルトンと並び称せられたのだ。

ホメーロスは古代ギリシャ文学の創始者で「イーリアスとオデュッセイア」を創作した。ウェルギリウスは、ラテン文学の父で「アエネーイス」を著した。ダンテは、イタリア文学の巨匠で「神曲」を、ミルトンはルネサンス期の長編詩人で、「失楽園」を上梓した。

いずれも「歴史的詩人の殿堂」に列せられている。そして、カモンイスも。

■翳りゆくポルトガル

1570年、カモンイスは、ウズ・ルジアダスをポルトガル国王セバスティアン1世に献上した。

ところが、8年後、国を揺るがす大事件がおきる。

セバスティアン1世は、3歳でポルトガルの王位に就いたが、そのとき、不吉な前兆があった。心身ともに病んでいたのである。長ずると、もっとおかしくなった。1578年、モロッコのスルタンに無謀な戦いを挑み、1万5000のポルトガル軍が壊滅したのである。あげく、セバスティアン1世も戦死してしまった(正確には行方不明)。

王と軍を失ったポルトガルは、一気に国が傾く。

セバスティアン1世は子を残さなかったので、深刻な跡目騒動がおこった。王位継承者が決まらず、隣国のスペインまで口を出す始末。スペイン王フェリペ2世が、ポルトガルの王位継承権を主張したのだ。無理筋ではない。ポルトガル王室とスペイン王室は同じ血筋だったのだ。

1580年、スペイン軍はポルトガルに進軍し、各地で勝利する。

1581年4月、スペイン王フェリペ2世は、ポルトガル国王として承認された。イベリア半島で、スペイン王がポルトガル王を兼ねる同君連合国家が成立したのである。

その年、カモンイスが没した。

すると、彼は国民的詩人に祭り上げられた。

なぜか?

ポルトガル国民は、スペインの支配下に入って、意気消沈。心のよりどころを求めていた。ポルトガル史上もっとも輝いていた時代・・・ガマの大航海時代。それを一大叙事詩まで昇華させたのが、カモンイスのウズ・ルジアダスだった。

ウズ・ルジアダスは、ポルトガルで重版を重ね、ヨーロッパ各国で翻訳された。著者のカモンイスは、ホメーロス、ヴェルギリウス、ダンテ、ミルトンに並ぶ歴史的詩人に列せられた。さらに、彼の名を冠した「カモンイス賞」が創設され、現在も、ポルトガル語圏のノーベル文学賞と評されている。

お気づきだろうか?

オデュッセイアはオデュッセウスの航海を描いた叙事詩。

ウズ・ルジアダスは、オデュッセイアの作風を模して、ガマの航海を描いた叙事詩。

つまり、ウズ・ルジアダスはオデュッセイアと大航海時代の写し絵なのである。

《つづく》

参考文献:
(※1)越境と冒険の人類史: 宇宙を目指すことを宿命づけられた人類の物語、アンドリュー・レーダー (著), 松本 裕 (翻訳)、出版社:草思社
(※2)週刊朝日百科 世界の歴史73巻 朝日新聞社出版

by R.B

関連情報