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週刊スモールトーク (第568話) 本の歴史(2)~イーリアスとオデュッセイア~

カテゴリ : 娯楽歴史

2024.04.28

本の歴史(2)~イーリアスとオデュッセイア~

■ホメーロスの詩

ホメーロスの詩とは、一体何だったのか?

「最古」はギルガメシュ叙事詩だし、「最長」はマハーバーラータで、「ベストセラー」なら聖書。つまり、ホメーロスの詩は「1位」はひとつもない。

ではなぜ、これほど持ち上げられるのか?

みんな怪しい「1位」だから。

ギルガメシュ叙事詩の「最古」は今のところという条件付きだし、マハーバーラータの「最長」は英雄譚や神話だけでなく、実用書や宗教書も含む。事実、マハーバーラータは自らこう語る。

「ここに存在するものは他にもある。しかし、ここに存在しないものは、他のどこにもない」

うまいこという。

だが、これじゃ長くなってあたりまえ。

さらに、聖書の「ベストセラー」は発行部数の話で、実際に読まれたわけではないと、ツッコミが入りそうだが、それを言うなら、スペインの「ドン・キホーテ」も似たようなもの。

スペインの国民的作家セルバンテスが書いたこの有名な小説は、スペインでは一家に一冊、聖書なみのベストセラーだ。ところが、読破した人はほとんどいないという(トレドに行ったとき、スペイン人が笑いながら言ってました)。

ドン・キホーテは長い、とにかく長い。日本語完訳はなんと6冊・・・積み上げればわずか10センチだが、読破する心のハードルは高い。

しかも、ストーリーはハラハラ、ドキドキ、ワクワク、面白いわけではない。騎士道にはまった妄想癖のある男が、ちょっと脳ミソの足りない農民を家来にして、旅の行く先々でバカをやって、笑い者になる。そんな話が延々と続く。

じゃあ、ドン・キホーテはつまらない?

面白いです。

どっちやねん。

中身は、行き当たりばったりの「滑稽話」だが、文章が素晴らしい。リズムがあって、簡潔で、風通しが良く、どこか明るい。良い文章のお手本だ。だから、中毒性が高く、何度でも読みたくなる。それに、気持ち良く笑えるから、免疫力も向上する。健康にも良いわけで、これがホンモノの「健康書」だろう。

とはいえ、ドン・キホーテの完訳はあまりにも長い。

そこで、岩波少年文庫「ドン・キホーテ」(※1)がオススメだ。「少年文庫」と侮っていけない。ジュニアというよりシニア向け、大人でも十分楽しめる。しかも、1冊で完結。牛島信明の編さんと翻訳が秀逸で、これまで読んだユーモア小説の中では最高傑作(私見です)。ユーモア小説といえば、ジェローム・K. ジェロームの「ボートの三人男」だが、それより面白い(私見です)。

ところで、ジェローム・K・ジェロームなら「骸骨」(※5)の方がオススメ。ユーモア小説でなく怪奇小説だが、ジェローム十八番のユーモアがいいあんばいに幻想奇譚にマッチして、素晴らしい出来だ。怪奇とユーモアがこれほど相性がいいとはビックリだが、ジェロームじゃないとムリ。ヘタをすると、チンドン屋のドラキュラになる。笑えない、怖くない。

それで思い出した。

夏目漱石はかつてこう言った。

「ドン・キホーテはチンドン屋が花見に行くような話」

言い得て妙、さすが、偉大な文豪は発想が違います。

ちなみに、ドン・キホーテ(※1)と骸骨(※5)は「ベネディクト地球歴史館」に収蔵することが決まっている。

この怪しい館は、建設予定のプライベート図書館で、本、漫画、DVD(映画・ドラマ)、ゲームソフト、レアなグッズ、歴代のパソコンとゲーム機を含め、数万アイテムを収蔵する予定。ただし、芥川賞とか直木賞とかノーベル文学賞は関係ない。本当に面白い、後世に伝える価値がある、マニアックで珍しいものに限定している。

アイテムはほぼそろったが、容れ物は現在設計中だ。

■詩とプログラムの長さ

話をホメーロスの詩にもどそう。

紀元前8世紀、ホメーロスは、イーリアスとオデュッセイアを広めた。ただし、書いたのではなく朗唱して。彼は作家ではなく、吟遊詩人だったのである。

その後、ホメーロスの詩は、口承文芸として語り継がれていく。イーリアスは、紀元前6世紀にギリシャのアテネで文字化された。そして、紀元前2世紀にエジプトのアレクサンドリアで現在の形に編纂されたのである。

イーリアスは1万5000詩行、オデュッセイアは1万2000詩行からなる大叙事詩だ。

ところで、詩行とは?

杜甫(とほ)の有名な漢詩「春望(しゅんぼう)」で確認しよう。

国破れて 山河在り(都は破壊されたが、山と河は残っている)

城春にして 草木深し(都に春が来て、草木は生い茂っている)

時に感じて 花にも涙をそそぎ(辛いご時世だ、花を見ても涙がでる)

別れを恨んで 鳥にも心を驚かす(別れが辛く、鳥が鳴いても心が傷む)

これで「4詩行」ナリ。

とはいえ「1万5000詩行」が、どれほどのものか、わからない。

他の詩と比較してみよう。

最古の「ギルガメシュ叙事詩」は、3000~3600詩行。成立したのは古代シュメールで、紀元前1300〜1200年頃である。

最長の「マハーバーラタ」は、10万5000~10万8000詩行とさすがに長い。成立したのは古代インドで、紀元前2世紀〜紀元後1世紀頃である。

あと、参考までに、コンピュータ・プログラム。

誰もが知るOS「Windows」は約1億行である。ただし、バージョンは古く1996年のWindowsNT4.0。なぜ、このバージョンなのかというと、歴史的OSだから。現在幅を利かせるWindowsは、このバージョンで、初めてまともなOSになった。それまでのWindowsは酷いものだった。Windowsアプリをさんざん書いた身、推測や憶測で言っているのではありません。

プログラムは詩に似ている。

言葉の並びで、森羅万象を記述するから。記述言語が、詩は自然言語、プログラムはプログラング言語の違いはあるが。

■イーリアス

つぎに、ホメーロスの詩の中身をみていこう。

イーリアスとオデュッセイアは、ともにトロイア戦争を描く。

イーリアスは前編、オデュッセイアは後篇という位置づけだ。

イーリアスは、トロイア戦争の本編で、ギリシャの勇者アキレウスの英雄譚。オデュッセイアは、トロイア戦争の後、ギリシャの部族王オデュッセイアが、故郷に帰還するまでの冒険譚だ。

この2つの叙事詩は、前編と後篇で時系列でつながっているが、別の物語だ。さらに、ジャンルも違う。イーリアスはストイックな英雄伝説だが、オデュッセイアは血湧き肉躍る大冒険活劇だ。そのため「ホメーロス」は複数の吟遊詩人のペンネームという説まである(シェークスピアも同じ)。

とはいえ、ともに始まりはトロイア戦争である。

では、トロイア戦争とは?

トロイアのプリアモス王の息子パリスは、ギリシアのスパルタ王メネラオスを表敬訪問した。そのとき、パリスはメネラオスの妻ヘレネに一目惚れ。帰国したパリスには、ヘレネが同伴していた。トロイア人に言わせれば、みずから進んで、ギリシャ人に言わせれば、さらわれて。

どっちが本当かは重要ではない。メネラオスは激怒し、全ギリシアの指導者で、兄でもあるアガメムノンをそそのかし、トロイアに戦争を仕掛けたのだ。1000艘の船と5万の将兵からなる大艦隊で、トロイアに攻め込んだのである。戦争は10年続いたが、奇策「トロイの木馬」で、ギリシアが勝利した。トロイアは破壊され、住民は虐殺され、ヘレネは救出された。

ところで、トロイア戦争は史実、それとも伝説?

問いは2つある。

第一に、一目惚れで、戦争になります?

第二に、そもそもトロイアは実在した?

まず、第一の問い。

色恋沙汰で戦争は、ありえない話ではないが、あまり聞かない。ただし、領土紛争や覇権争いが原因で、戦争になった可能性はある。トロイアがあったアナトリア半島は鉱物資源の宝庫だし、古代ギリシャ人は極めて好戦的だったから。

つぎに、第二の問い。

トロイアは実在した。

19世紀まで、ほとんどの学者は、トロイアは伝説と考えていた。ところが、19世紀なかば、ドイツのハインリヒ・シュリーマンがトロイア遺跡を発掘したのだ。しかも、戦いの痕跡が確認された。よって、トロイアは実在した町で、トロイア戦争も史実だった可能性が高い。

一方、シュリーマンには心ないウワサが立っている。考古学者としてはズブの素人で、発掘する際、遺跡を毀損したとか、嘘つき、ペテン師、詐欺師・・・散々だ。

とはいえ、シュリーマンは、伝説とされたイーリアスを史実だと信じた。だからこそ、トロイアを発見できたのである。歴史上の登場人物は、演劇とおなじで、それぞれ役回りがある。すべて兼ね備えた者などいないのだ。

イーリアスは、ストイックな英雄の物語である。

勇者アキレスは、二度と帰れないだろうと預言者に予言されたのに、あえてトロイアに向かった。自国にとどまれば、栄光とひきかえに、長く静かな人生をおくれただろうに。

戦場は、若者が死に、親が子より長く生き延びる世界だ。アキレウスは、ギリシャのために戦って死んだ。トロイアは破壊され、住民は殺され、廃墟と化した。凄惨で悲劇的な結末だ。

アキレウスは、栄誉と名声を重んじる人間の一大系譜に属している。ストイックで伝統的な戦士なのだ。

つまりこういうこと。

イーリアスは正真正銘、正統派の英雄譚なのである。

■オデュッセイア

一方、後篇のオデュッセイアは、血湧き肉躍る大冒険活劇だ。

しかも、物語は、天上界と地上界で、2軸同時進行する。しかも、それぞれの物語がからみ合う非線形的なストーリー展開だ。と、いえば難しく聞こえるが、本筋はシンプルである。

話は、ギリシャの部族王オデュッセウスが、故郷のイタケーにむけ出航するところから始まる。

ところが、いきなり問題発生。

オデュッセウス一行は、海神ポセイドーンに命を狙われたのである。

ポセイドーンは、海と地震を司る神で、最高神ゼウスに次ぐ力をもつ。オデュッセウスは航海の途中、ある小島で、ポセイドーンの子ポリュペーモスの目を潰してしまう。正当防衛だったが、ポセイドーンはそれを逆恨みしたのである。ポリュペーモスは1つ目巨人だったから、全盲になったわけで、親として許せなかったのだろう(推測です)。

一方、オデュッセウスに同情する神もいた。女神アテーナーである。アテーナーは、神々の王ゼウスに助けを請い、オデュッセウスを帰郷させようとする。一方、ポセイドーンもあきらめない。

つまり、オデュッセイアは、オデュッセウスを駒にした神々の代理戦争なのである。

航海の途中、奇想天外な試練に遭遇したり、海の女神カリュプソの島で同棲したり、官能的なエピソードもある。7年後、オデュッセウスはめくめくような愛人生活をすて、妻と子が待つイタケーに帰還するのだった。

オデュッセイアは、航海あり、冒険あり、怪物との戦いあり、色恋ありの大冒険活劇だ。船乗りシンドバッドの冒険を彷彿させる。見方を変えれば、なんでもありの人生の縮図だ。

つまりこういうこと。

オデュッセイアは俗世どっぷりで、イーリアスのようなストイックな悲壮感はない。

しかも、オデュッセイアは、ギリシャ神話の叙事詩とは別の顔も持つ。最古の呪文書でもあったのだ。究極の魔術、死者を操る死霊魔術「ネクロマンティア」まで登場するのだから。

というわけで、オデュッセイアは、現代でもエンターとしても通用するだろう。事実、PCゲームやボードゲームになっている。プレイしていないので、コメントできないが、興味のある方はお試しあれ。

一方、文庫本も出ているが、訳が古いので、少々読みづらい。もし、活字が苦手なら、映像コンテンツがオススメだ。

といっても、選択肢は2つしかない。

フランシス・コッポラ総指揮の米国ドラマ「オデュッセイア 魔の海の大航海」と、カーク・ダグラス主演のイタリア映画「ユリシーズ」だ。

どちらも、オデュッセイアが原作だが、ストーリーは少し違う。いずれも、古い作品で、シナリオも演出も現代風ではない。そこを割り切れば、古典的コンテンツとして愉しめるだろう。

というわけで、イーリアスとオデュッセイアは、物語のジャンルもフォーマットも違う。前編、後篇の関係にあるが、話は続いていない。別の物語なのだ。

では、どっちが凄い?

不毛な問いだが、知名度ではイーリアスだろう。

ただし、後世に与えた影響ではオデュッセイアだ。16世紀、ポルトガルでリメークされ、歴史的叙事詩が誕生したのだから。

《つづく》

参考文献:
(※1)ドン・キホーテ (岩波少年文庫)セルバンテス (著), 牛島 信明 (編さん, 翻訳) 出版社:岩波書店
(※2)週刊朝日百科 世界の歴史73巻 朝日新聞社出版
(※3)オデュッセイア 上・下(ホメロス) 、ホメロス (著), 松平 千秋 (翻訳)、出版社:岩波書店
(※4)ボートの三人男、ジェローム・K. ジェローム (著), 丸谷 才一 (翻訳)、出版社:中央公論新社
(※5)骸骨、ジェローム・K・ジェローム (著), 中野善夫 (翻訳)、出版社:国書刊行会

by R.B

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