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週刊スモールトーク (第567話) 本の歴史(1)~ホメーロスと吟遊詩人~

カテゴリ : 娯楽歴史

2024.04.07

本の歴史(1)~ホメーロスと吟遊詩人~

■人類知のはじまり

世界最古の「文字」は、5000年前の古代メソポタミアの「くさび形文字」。

世界最古の「作家」は、4300年前のアッカドの「巫女エンヘドゥアンナ」。

世界最古の「文学」は、3300年前のシュメールの「ギルガメシュ叙事詩」。

それがどうした、なのだが、この3つには共通点がある・・・古代メソポタミア文明だ。

さては「文字+作家+文学=人類知」の怪しい式をでっちあげ、起源をメソポタミア文明にもちこもうとしている?

はい、当たりです。

とはいえ、話はそうカンタンではない。

そもそも、「最古」はすべて「今のところ」という条件つき。どこにどんな最古が潜んでいるかわからないから。発見されたが最後、一瞬で序列が入れ替わるのだ。

そんなこと重々承知だが、他にも問題がある。

たとえば、世界最古の作家はエンヘドゥアンナ・・・には物的証拠がある。1927年、イギリスの考古学者レオナード・ウーリーが、メソポタミア南部の都市ウルで見つけた円盤に、その名が刻まれているのだ。

なるほど。

だが、情報源が1つでは心もとない。念のためChatGPTに聞いてみよう。

すると、間髪を入れず・・・

エンヘドゥアンナは、紀元前23世紀に活動した古代メソポタミアのシュメール文学の詩人です。彼女はアッカドの女性宗教指導者で、女神イシュタルが冥府へおりていく叙事詩「エンヘドゥアンナの神聖な讃歌」の作者です。

うーん、もっともらしい回答だが、不安が。ChatGPTは、平気でウソをつくという心ないウワサがあるのだ。

たしかに、ChatGPTは間違えることがある。

ただし、意図してウソをついているわけではない。根本的な問題があるのだ。

じつは、ChatGPTは、論理的に正しい答えを返す「仕組み」になっていない。

「もっともらしい」次の単語を予測して、つないでいるだけ。その場の雰囲気にあわせ、直感で受け答えしているようなもの。新橋の居酒屋でサラリーマンが酔っ払って、会社や上司の悪口に花を咲かせる、あるいは主婦の井戸端会議(おっと失礼、こりゃ差別発言だ)。だから、賢い質問には賢い回答が、おかしな質問にはおかしな回答が返りやすいのである。

じゃあ、ChatGPTが間違えるのは、人間のせい?

半分アタリ。

だから、AIにもっともらしい回答をさせる「プロンプトエンジニア」なる専門職が幅を利かすのだ。もちろん、AIの進化とともに、消えゆく運命にあるが。

つぎに、最古の文字。

くさび型文字、絵文字、ヒエログリフ、アルファベット・・・いろいろあるが、すべてソフト。ハードがないと、書くことも読むこともできない。

実際、文字のハードは、粘土板、パピルス、紙へと進化してきた。そして、現在は「土」に落ち着いている。

土(つち)?

正確には、土壌に含まれるケイ素(Si)、つまり半導体だ。21世紀の現在、すべての文字はコンピュータに格納されている。

つまり、文明は土(粘土板)に帰る・・・ん~、人間と同じですね。

「作家」が「文字」を操って「文学」を創作すれば、書物が生まれる。書物が増えれば、つぎは保管場所だ。

では最後に、世界最古の「図書館」は?

このブログをひいきにしてくれる賢明な読者なら「アレクサンドリア図書館」と即答するだろう。

はい、正解です。

蔵書数と歴史の古さで、これに優る最古の図書館はないだろう。

■世界最古のベストセラー

ところで、世界最古の文学は「ギルガメシュ叙事詩」だが、最古のベストセラーは?

聖書・・・ただし、信者はみんな読むので(たぶん)、高い下駄を履いてますよね。ズルです。そこで、公平を期して、聖典をのぞけば、アンデルセン童話か、スペイン限定ならドンキホーテだろう。

ただし、「グローバル・ベストセラー」なら、古代ギリシャのホメーロスの叙事詩「イーリアス」「オデュッセイア」で決まり。

なぜ、そう言い切れるのか?

まず、「グローバル」について。

史上初のグローバル文明は、ローマ帝国ではない。

「グローバリズム」は、国や民族の垣根を超えて、世界を一体化しようとする主義のこと。現在、グローバリズム(世界は一つ)は、ナショナリズム(自国ファースト)と世界を二分するが、古い時代では画期的だった。

では、史上初のグローバル文明は?

紀元前14世紀の東地中海世界。

後期の青銅器文明で、エジプト王国、ヒッタイト帝国(アナトリア)、ミタンニ王国(小アジア)、アッシリア帝国(メソポタミア)、ミノア文明(クレタ島)、ミュケナイ文明(ギリシャ本土)を含む広大な地域だ。これらの国々は、交易と外交を通じ、大きな国際社会を形成していた。ただ、この世界では、べストセラーは生まれなかった。あのギルガメシュ叙事詩でさえ、メソポタミア限定なのだ。

ところが、紀元前12世紀、この世界は突然崩壊する。

謎の戦闘集団が襲来し、強大な帝国も小さな王国もそうでない国も、次々と滅んだのだ。断片化した小さな共同体社会にとどまれば、まだマシだった。史上まれにみる大破壊で、再生するまでに数百年を要した。

これが歴史上有名な「海の民」事件である。

「海の民」は、このときの戦闘集団の呼称だが、抽象的な響きが示唆するように、詳しいことは何もわかっていない。どこから来て、どこへ行ったのか、どんな民族だったか、さえも。そのため、「海の民」は、古代史最大級の謎されている。

そこで、この歴史ネタで、一儲けした人物がいる。

考古学者のエリック・H・クラインだ。

彼は「B.C.1177古代グローバル文明の崩壊(※1)」を上梓し、その中でこう主張している。

このグローバル文明を破壊したのは、海の民”だけ”ではない。大地震、飢饉、内乱、文明内の戦争・・・これらの要因が重なり、相乗効果をおこしたのだと。複雑系のカオス理論、バタフライエフェクト(ブラジルの蝶が羽ばたけばテキサスで竜巻を引き起こす)まで持ち出して、熱く説明している。複合要因がよほど気に入ったのか、誇らしげに「システム崩壊」なる新語まで提唱している。

すべて詳細なエビデンス付きなので、ウソはないだろう。

だが、本筋がおかしい。

大きな文明が滅びる原因は、1つではない。でも、そんなのあたりまえ。

重要なのは主因だ。

この事件には2つ特徴がある。

第一に、移動のためのルートも手段も未熟な時代に、広域文明が破壊されたこと。

第二に、歴史によくある征服し支配するのではなく、破壊され、放置されたこと。

8世紀からヨーロッパを荒らし回ったヴァイキングも、支配より破壊・略奪を重んじたが、それを凌駕する。そこにフォーカスして謎解きしてくれたら「新しい説」は成立したのだろうに。

そもそも、こんな結論なら、300ページもいらない。もっと簡潔な方が良かったな。

つぎに出現したグローバル文明は?

紀元前4世紀のヘレニズム世界だ。

冒険好きの征服王アレクサンドロス大王が築いた帝国で、西はギリシャから東はインドのインダス川流域まで全長5000km。地球の半径は6378kmなので、いかに広大な帝国か。アレクサンドロス大王は、この世界を一体化し、アレクサンドロス「同君連合」を夢見ていたのである。

そして、このヘレニズム世界で、史上初のグローバル・ベストセラーが生まれた。ホメーロスの叙事詩「イーリアス」と「オデュッセイア」である。

ヘレニズム世界は、ギリシャ人、マケドニア人、ペルシャ人、スキタイ人、ソグディアナ人、インド人、様々な民族が暮らしていた。ところが、誰でもイーリアスとオデュッセイアを知っていた。出生地や人種は関係ない。ホメーロスの詩を愛することが、コスモポリタン「ヘレニズム人」の証だったのだ。

物的証拠もある。

エジプトのミイラの石棺内で、イーリアスの一節が記されたパピルスが見つかったのだ。ホメーロスはギリシャ人だが、エジプトでもリスペクトされていたわけだ。ホメロスの詩がヘレニズム世界に深く浸透していたことは間違いない。

つまりこういうこと。

聖なる書物がなかった国際社会で、イーリアスとオデュッセイアは聖書に一番近いものだった。ベストセラーをこえて、ヘレニズム世界のアイコンだったのである。

■声の世界から文字の世界へ

イーリアスとオデュッセイアは、トロイア戦争を描いている。

この戦争は、小アジアのトロイア文明とギリシャのミケーネ文明が戦った。今から約2800年前のことだ。

イーリアスは、ミケーネの戦士アキレウスの英雄譚。

オデュッセイアは、ミケーネの領主オデュッセイアが故郷に帰還するまでの冒険譚だ。

そして、作者はギリシャの盲目の詩人ホメーロス。

盲目?

気を引くための飾りことばではない。

この時代、盲目が詩人の重要な条件だったのだ。さらに、「ホメーロス」は「見ない者」と訳すことができる。

日本の吟遊詩人は琵琶法師だ。彼らの多くは盲目だったのだから。琵琶法師が朗唱した平家物語はつとに有名である。

「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす・・・」

そういえば、我が家に残る「先祖の書」にこう書かれている。

我が祖先は、元暦2年(1185年)の壇ノ浦の戦いで、平家の下級武士として戦い、討ち死した。名を「勝平」という。その子は「勝次」といい、京都から九州をへて、北國に移り「敷浪村」を開村した。その次男の「太加次」は、能登に居住していた平時忠の身の回りの世話をした。

「敷浪村」は実家がある村で、平時忠は平清盛の義弟で、壇ノ浦の戦いのあと、能登に配置換えになった公家出身の武家である。

というわけで、能登の寒村の百姓にもファミリーヒストリーはあるわけだ。この840年間、歴史に名を残した者は一人もいないが、DNAは脈々と受け継がれている。それがどうした、なのだが、家を存続させる動機の一つになることは確かだ。

話をもどそう。

ホメーロスの名は、歴史上燦然と輝いている、史上最も偉大な詩人として。

ギリシア悲劇の父、アイスキュロスでさえ「自分の創作などホメーロスの饗宴のパンくずにすぎない」と白状しているのだ。讃えるというより、卑下に近い。

ホメーロスはかくも偉大なのか?

一方、ホメーロスは蜃気楼のようにもみえる。

そもそも、いつの時代の人かもはっきりしない。

歴史家ヘロドトスによれば、ホメーロスは紀元前8世紀の人だという。

ヘロドトスは「ホメーロスは私の4世紀以前に生きた」と書いているからだ。ヘロドトスは紀元前5世紀の人なので、逆算すれば、紀元前8世紀になる。

一方、紀元前12世紀という説もある。

トロイア戦争がおきたのは、紀元前1250~紀元前1175年と推定されているから、それに合わせたのだろう。

というわけで、イーリアス、オデュッセイアは実在するが、ホメーロスはそれに寄り添う「影の声」にみえる。

声?

じつは、イーリアスとオデュッセイアは、初めは「書物」ではなく「人間の声」だったのだ。

ホメーロスは、イーリアスとオデュッセイアを書いたのではなく、朗唱したのである。史上最も有名な詩人は、作家ではなく、吟遊詩人だったのだ。

大きな祭りや、有力者が催す宴会には、吟遊詩人が出演した。彼らは、宴もたけなわになると、おもむろに登場する。キタラ(古代ギリシアの弦楽器)をかなでながら、明朗な声で、冒険譚や英雄譚を物語る。聴衆は物語世界に徐々に惹き込まれていく。

吟遊詩人は、歴史と神話の語り部であり、肉と骨できた書物だったのである。

紀元前8世紀、ホメーロスは吟遊詩人として、イーリアスとオデュッセイアを口承文芸として広めた。その後、イーリアスは、紀元前6世紀にギリシャのアテネで文字化される。さらに、紀元前2世紀にエジプトのアレクサンドリアで、現在の形に編纂されたのである。

ホメロスの詩は「声の世界」から「文字の世界」へ転生したのだ。

《つづく》

参考文献:
(※1)B.C.1177 エリック・H・クライン (著), 安原和見 (翻訳) 出版社:筑摩書房
(※2)パピルスのなかの永遠: 書物の歴史の物語 イレネ・バジェホ (著), 見田 悠子 (翻訳) 出版社:作品社

by R.B

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