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週刊スモールトーク (第564話) セクシー田中さん(1)~原作者はなぜ自殺したか~

カテゴリ : 娯楽社会

2024.02.10

セクシー田中さん(1)~原作者はなぜ自殺したか~

■セクシー田中さん

2024年1月29日、漫画家の芦原妃名子(あしはらひなこ)が急逝した。

自殺だという。

芦原妃名子は、人気漫画「セクシー田中さん」の原作者で、TVドラマ化の際に、原作が改変されたことを苦に、命を絶ったという。

公開された情報から、矛盾点を排除すれば、真実がみえてくる。自殺したこと、その原因が「原作改変」だったことは間違いないだろう。

「セクシー田中さん」は、昼間は地味なOL、夜はセクシーなベリーダンサーの2つの顔をもつ田中京子と、彼女の生き方に惹かれていく同僚の倉橋朱里を描く。さらに個性的な人物たちが加わり、物語を紡いでいく。

じつは、知人に「セクシー田中さん」の大ファンがいる。

大学で心理学を学ぶ若き女性ジークムント・フロイトだ。彼女は得意の心理学で、この作品を分析する。

「女性視点の心理描写が秀逸で、女性のドロドロ心理に踏み込んでいるのに、コミカルで愉しい。ストーリーも重めなのに、風通しが良く、清々しい。みんなキャラが立っていて、嫌な奴もいるけど、憎めない」

早い話、キャラの書き分けがうまいのだ。

イギリスの作家チャールズ・ディケンズを彷彿させる。

ディケンズは、シェークスピアにつぐビッグネームで、有名な「クリスマス・キャロル」をはじめ、「オリバー・ツイスト」、「二都物語」の名作で知られる。プロットに問題ありなのに、これほどの名声を勝ち得たのは、人物の書き分けがみごとだから。

つまり、キャラの書き分けは、特別の才能が必要なのである。

そんな才能に恵まれ、実績もある創作者が、なぜ、50才で命を絶ったのか?

彼女を追い込んだ者がいたのだ。

それに尽きる。

■原作者と脚本家

「セクシー田中さん」は単行本で100万部を突破したという。

さらに、TVドラマ化されれば、原作使用料が入るし(大金ではないが)、漫画の知名度があがり、漫画も売れる。それに、漫画の実写ドラマ化は、アニメ化につぐ名誉なので、良いことづくめ。

ではなぜ、芦原妃名子はドラマ化を苦に自殺したのか?

原作が大きく改変されたから。

くだんの女性フロイトはこう分析する。

「原作は、女性がどう生きるかがテーマなのに、TVドラマは、安っぽい、古くさい、ラブコメディになっている」

これは気になる。

そこで原作を読んでみた。

女性漫画は絵柄が苦手なので、萩尾望都の「百億の昼と千億の夜」しか読んだことがない。人生で貴重な2作目となった。

感想はくだんの女性フロイトと同じ。

人生いかに生きるべきか!と大上段にかまえたところも、説教じみたところも、押しつけがましいところもない。淡々と真面目に人生探しをしている。「幸せになりたいわけではない」のサブタイトルがその象徴だろう。

印象的なカットもある。

主人公の倉橋朱里は、2面性をもつ田中京子にあこがれ、つきまとうが、田中京子はキッパリ断言する。

「(つきまとっても)ムダですよ。あなたが得られるモノなんて何もないと思います。時間のムダですよ」(*1)

お気軽なラブコメディとは思えない。

脚本家・相沢友子が、原作を大改変したことは間違いないだろう。

とはいえ、こういう場合、双方の言い分を聞かないとフェアではない。

まず、原作者・芦原妃名子のX・・・

約束では、漫画に忠実にすること、忠実でない場合は加筆修正するはずった(現実には毎回原作を大きく改変した脚本が提出され、加筆修正した)。

約束では、ドラマの終盤も原作者があらすじからセリフまで用意し、原則変更しない(現実にはドラマの終盤でも条件が守られなかった)。

そのため、原作者・芦原妃名子は、9話、10話の脚本を自ら執筆したという。

さらに、原作者・芦原妃名子は「必ず漫画に忠実に」とするドラマ化の条件が反故にされたと主張し、「ドラマ化を今からでもやめたいぐらい」と訴えていたという。

原作者が容認できないほど、原作が改変されたことは間違いない。

つぎに、脚本家・相沢友子のインスタグラム・・・

最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら、急きょ協力という形で携わることとなりました。私が脚本を書いたのは1〜8話で、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします。

これにはビックリだ。

原作者・芦原妃名子は、脚本を書きたくて書いたわけではない。もし、書きたければ、全話書いていたはず。9・10話だけ書いたということは、1~8話が想定外に改変されたから、やむにやまれず書いた、と考えるの自然だろう。そもそも、漫画とTVドラマは「コンテンツの文法」が違うので、原作と脚本の兼任は難しい。

ところが、脚本家・相沢友子は、原作の改変には一切ふれず、逆に、脚本に口出しされたことに対し反発している。

さらに・・・

今回の出来事はドラマ制作の在り方、脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています。どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように。

そんな難しい話じゃないでしょう。

あなたが、原作を改変しなければ、この事件はおきなかった。それだけの話です。

■誰が原作者を殺したのか

SNSでは、原作者に対するリスペクトがないと脚本家がパッシングをあびている。一方、少数派だが、脚本家を責めるのは可哀想という声もある。

さらに、マスメディアの識者は「管理する側」が悪いという。

管理する側?

ドラマ制作をハンドリングするのはテレビ局だ。そのトップがプロデューサーである。一方、原作者を守るのが出版社だ。だから、原作者が「原作に忠実に」という要望をだせば、出版社がそれをテレビ局に伝え、プロデューサーが解決する。だから、悪いのは出版社、テレビ局、プロデューサーというわけだ。

さらに、ドラマの量産化で、コミュニケーション不足がおこったからと、たいそうなビジネス目線で、事件を俯瞰してみせる。

そんなややこしい話ですかね。

真実はもっとシンプルなのでは?

なぜ、原作者・芦原妃名子は自殺したのか?

自分の原作が改変されたから。

では、誰が改変したのか?

脚本を書いた人。

テレビ局でも出版社でもプロデューサーでもない、脚本家・相沢友子だ。

もし、脚本家・相沢友子が原作を尊重して、脚本を書いていたら、原作者・芦原妃名子は自殺しなかっただろう。そして、脚本家・相沢友子はそれができる唯一の立場にあった。

ところが、脚本家・相沢友子は、原作者・芦原妃名子が「必ず漫画に忠実に」「原則変更しないで欲しい」と求めた経緯について、「私にとっては初めて聞くことばかり」とコメントしている。

これには2度ビックリだ。

発言に大きな矛盾がある。

脚本家・相沢友子のインスタグラムによれば「最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しました・・・」

つまり、脚本にクレームがついたことを知っていたのだ。なぜなら、9・10話だけ脚本を書くのだから、それなりの理由があったはず。それが1~8話が想定外に改変されたから・・・はふつうに気づくでしょう。

では、脚本家・相沢友子は、原作を改変しているという認識はなかった?

もしそうなら、脚本家・相沢友子は原作をよんでいなかったことになる。

これは3度目のビックリ仰天だ。

まず、原作者へのリスペクトが1ミリもない。つぎに、原作を読まずに、二次著作は書けない。もし、書けたとしたら、脚本は原作と別モノになるはず。あ、そういうこと?

さて、どっち?

どっちにしても酷い話だ。

以前、有名漫画家の原作を、アニメと遊技機の映像に二次利用したことがある。このとき、ディレクター、アニメーター、サウンドクリエーターをふくめ全員が、漫画の原作を読んでいる。

その頃、制作現場を離れ、お金と契約書だけ見ていたが、それでも、ちゃんと原作を読みましたよ。

制作に口出しできないのに、なんで?

原作者へのリスペクトです。

というわけで、二次利用者が、原作を読むのは常識です。

これがこの事件の核心である。

誰に責任があるかは明らかだ。

ところが、マスメディアの識者は、テレビ局や出版社やプロデューサーまで巻き込んで、あーだこーだ。話を難しくしている。

なぜか?

識者たるもの、個人攻撃をしてはいけない。悪いのは強者、大会社だ。

だから、弱い立場の原作者や脚本家を擁護し、強い立場のテレビ局や出版社を叩く。

冷静で賢く物知りで、弱者に優しい善人をよそおいたいわけだ。そもそも、視聴者に嫌われたら、マスコミによんでもらえないので。

とはいえ、人が一人死んでいるのだから、こんなときぐらい「採算抜き」で真実を語ったらどうですか?

何が真実かわらかない?

あらら・・・

■著作財産権(お金)

ところで、原作を改変するのは、そんなに悪いこと?

原作者が許諾すれば、何の問題もない。

原作者の許諾なしで、改変するから問題なのだ。

それは法的な問題、それとも倫理的な問題?

両方です。

20年以上、ゲーム業界と遊技業界で、コンテンツ制作を生業にしてきた。

その間、今回の事件のようなトラブルは珍しくなかった(自殺者はでていない)。

その経験をもとに、話を進めよう。

まず、この問題の根底にあるのは「著作権」である。

著作権とは、小説や漫画やゲームなどの著作物の創作者に与えられる権利で、特許権や商標権と同じ「知的財産権」に属する。

ただし、特許権と商標権は、出願・登録が必要だが、著作権は不要。創作した時点で、自動的に権利が成立する。

さらに、特許権と商標権は「産業」に、著作権は「文化」に直結している。

ここで「セクシー田中さん」を著作権の視点でみてみよう。

まず、原作者・芦原妃名子が描いた漫画は、一次的著作物である。このように、一から描き起こしたもので、元になる原作がないものを、一次的著作物という。

つぎに、脚本家・相沢友子が書いた脚本は、二次的著作物である。原作者・芦原妃名子が描いた漫画を原作にしており、一から書き起こしたものではないから。

つまり、原作がない著作物を一次的著作物、原作がある著作物を二次的著作物という。

著作権には、著作者の「お金」を守る「著作財産権」と、著作者の「人格・名誉」を守る「著作者人格権」がある。

まずは、著作財産権。

お金がからむ権利で、著作権といえば、たいていはこれ。

著作財産権は、著作物を独占的・排他的に利用する権利である。著作物が小説なら、著作者だけが出版できる。第三者がそれを勝手に出版したら、著作権侵害だ。

さらに、著作財産権は、著作物をアニメ化、ドラマ化、映画化、ゲーム化する権利も含む。これが二次的著作物だ。このとき、二次的著作物を作る側(正確にはプロデュースする側)は、原作者に使用料を払う。

「セクシー田中さん」を例にすると、原作者・芦原妃名子以外、何人(なんぴと)も漫画として出版することはできない。さらに、アニメ化、ドラマ化、映画化、ゲーム化も、原作者・芦原妃名子の許諾が必要だ。もちろん、その場合、使用料が発生する。

これが著作財産権である。

原作者にとって、非常に強力な権利であることがわかる。

原作者は、何もないところから、一から創り出すのだから、当然だろう。

■著作者人格権(名誉)

つぎに、著作者人格権。

著作者の「お金」ではなく「人格・名誉」を守る権利。著作者に対するリスペクトである。

著作者人格権は4つあるが、最も重要なのが「同一性保持権」だ。

そして、これが原作者・芦原妃名子が自殺した原因でもある。

同一性保持権とは、原作者の「思い入れ」を守る権利だ。つまり、原作を勝手に改変することはできない。

たとえば、原作の登場人物のキャラを変えたり、世界観を変えたり、主張を変えたり、ありえないイベントを追加すれば、同一性保持権の侵害である(原作者が許諾すればOK)。

今回の「セクシー田中さん」のように、女性がどう生きるかがテーマなのに、お気軽ラブコメディに改変されたら、たまらない。

原作のタイトルを使いたかっただけ?

それとも、原作はタダのネタ?

原作者へのリスペクトのかけらもない。視聴率至上主義、金儲け至上主義と言われてもしかたがないだろう。原作者・芦原妃名子が大きく傷ついたことは想像に難くない。クリエーターにとって、これ以上の屈辱はないだろう。その結果が、痛ましい自殺だったのである。

ところが、同一性保持権には抜け道がある。

かつて、コンテンツ制作にかかわったとき、契約書には必ずこの一文が入っていた。

「著作者人格権を行使しない」

どういうこと?

著作財産権は譲渡できるが、著作者人格権は譲渡できない。つまり、どれだけおカネを積んでも、著作者人格権は移転できないのだ。

でも、そうなると、原作を利用する側に面倒なことがおこる。

一次的著作物の使用権を買って、二次的著作物を作ろうと思ったら、一次的著作物の作者が、ここが気に入らない、あれも気に入らいないで、クレームをつけられたら、モノがつくれない。

そこで、「著作者人格権を行使しない」の契約条項をいれて、リスクヘッジするのである。

一次著作側も二次著作側も経験しているので、その気持、痛いほどわかります。事実、自分たちのビジネスの契約書も、すべてこの一文が入っていた(自分が入れました)。

それでも、もめることがある。

ゲームソフトを他のプラットフォームに移植する場合、トラブルは少ない。原作も二次著作もコンピュータ上で動作するので「コンテンツの文法」は同じだからだ。

ところが、漫画を原作に、アニメを制作したり、遊技機の映像を制作する場合、文法が違うので、もめることが多かった。

ただし、今回の事件のような酷い改変は、見たことも聞いたこともない。

ゲーム業界も遊技業界も著作権には紳士的で、原作者へのリスペクトも間違いなくあった。そもそも、原作者の承認をえないと、前にすすまないのだ。これを「版元承認」とよんでいる。

というわけで、今回のトラブルは「漫画→実写ドラマ」特有の問題なのかもしれない。

一方、「著作者人格権を行使しない」の契約条項を入れても、万全とはいえない。

もめるだけもめて、でるところにでると(裁判)、どっちに転ぶかわからないのだ。最後に勝つのは、契約書ではなく法律である。そんな恐ろしいケースを目撃したことがある。

さらに、法律の問題はさておき、倫理的な問題もある。

原作者の許可もえず、勝手に改変して、金儲けするって、クリエーターとしてどうなの?

そんなもん、どーでもいいわ、儲かればいい、なら是非もないが。

■脚本家を擁護する大物脚本家

一方、今回の事件で、脚本家の大御所がこんなコメントを出している。

漫画は、読者の時間軸で読めるのに対し、テレビドラマはそれができない。しかも、尺が違うから、同じようにはできない、と。

そんなのあたりまえ。

同じストーリーでも、小説、漫画、ドラマ、映画、ゲームでは「コンテンツの文法」が違う。だから、一次著作と二次著作があるのではないか。

それぞれのメディアにあわせて、翻案するのが、プロですよね。

文法が違うからと、原作の根本を改変するのは、本末転倒、メチャクチャだ。

わかりやすい話をしよう。

織田信長は、稀有の天才だが、一生全力、天下布武をめざし、人生を駆け抜けた。だから、日本の半分を征服できたのだ。太田牛一が著した一次著作「信長公記」を読めば、それがひしひしと伝わってくる。来る日も来る日も絶体絶命、もうダメ、もうあかん、でもあきらめない、そんな綱渡り人生が描かれている。

そこで、奇をてらって、信長公記を原作にこんな二次著作物をつくってみました・・・

織田信長は、本当はボンクラで、頭が悪く、決断力と行動力に欠け、のらりくらり、でも、優秀な家臣にささえられ、運も良かったので、あそこまで行きましたとさ・・・「どうする家康」を揶揄しているのではありません!?

信長公記は、著作権が期限切れで、原作者の太田牛一も死んでいるから、問題はないが、「信長」の筋金入りファンは激怒するだろう。

よくも、こんなデタラメな改変を!

これが原作、原作者へのリスペクトなのである。

最後に一つ。

この事件の真実は一つしかない。

原作者・芦原妃名子が、自分の原作が改変され、それを苦に自殺したこと。

ところが、脚本家、出版社、テレビ局のコメント読むと「私の責任です。申し訳ありません」が1ミリも感じられない。

人が一人死んでいるのに、それはないですね。

女性フロイトは言った。

悔しいのは、原作者・芦原妃名子がこの世にいないこと。会ったことはないけど、ただ悲しい。

それに、作品が永遠に完結しないので、凄い喪失感がある。

才能も実績もある創作者が、人生50年で命を絶った。

まだまだ名作を残せただろうに。

本当に残念だ。

ご冥福をお祈りします。

《つづく》

参考資料:
(*1)「セクシー田中さん」芦原妃名子 (著)、出版社:小学館 

by R.B

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