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週刊スモールトーク (第563話) IFの歴史・世界恐慌がない世界(7)

カテゴリ : 戦争歴史社会経済

2024.01.28

IFの歴史・世界恐慌がない世界(7)

■ユングの呪文

ヒトラーは、国民の心をつかむ方法を発見した。

ユングの魔法の呪文「象徴」を使うのである。

心理学者ユングによれば、象徴は「意識」と「無意識」を統合する力をもつという。もしそうなら、象徴は人間の心を支配できるわけだ。

たとえば、キリスト教徒の十字架。

キリスト教の信者は、十字架を肌身離さず持ち歩く。信仰の証(あかし)であり、キリスト教のシンボルと言っていいだろう。

だが、異教徒からみると異様だ。

自分たちの主(あるじ)、イエスが磔(はりつけ)にされた十字架を崇めるのだから。

自分の愛する人が包丁で殺されたとして、その包丁をかたどったアイテムを崇めるだろうか?

象徴の基本原理は、道理ではなく火力なのだろう。

つまり、象徴は理屈抜きで、物事を正当化できる。

ヒトラーは、その魔法を使って国民を支配しようとしたのである。

ナチ党が、選挙で第1党になれたのは、勇ましい公約のおかげだった。

1.ヴェルサイユ条約を破棄する! 

2.損害賠償金は1マルクも払わない!

3.再軍備し、栄光のドイツ帝国を復活させる!

4.失業者をゼロにする!

こんな扇情的な文言で、国民の支持を集めたのである。ところが、第1党にはなれたが、単独過半数には届かない。結果、ヒトラーは弱々しい連立内閣に甘んじるしかなかった。

だが、これであきらめるヒトラーではない。

彼は全知全能の独裁者を目指したのである。

彼の目標はすこぶる高く「東方生存圏の獲得」だ。

どこかノスタルジックな響きがあるが、実体はロシアの征服である。つまり、ユーラシア大陸の半分を占める超大国に戦争を仕掛けようというのだ。そんな恐ろしい議案が、民主的に決議されるはずがない。

そこで、ヒトラーは「完全なる独裁」をめざしたのである。

ただし、クーデターではなく、正攻法で。つまり、選挙で国民の99%の支持を獲得するのだ。

そんなことが可能だろうか?

イエス。

実際に、1933年8月の国民投票では、ヒトラーは89.9%の支持を獲得している。それで気を良くしたヒトラーは、自分を「総統(フューラ)」とよばせることにした。

つまり、ヒトラーは、象徴を活用して、史上稀な独裁者にのしあがったのでる。

では、具体的にどうやったのか?

まず、ドイツの状況をみてみよう。

1斤「0.5マルク」だったパンが、1923年末には「1000億マルク」に暴騰した。深刻なモノ不足で、人肉缶詰のうわさまで流れていた。ドイツ通貨マルクは、文字どおり紙くずになったのである。

ところが、ヒトラーが政権をとった1933年1月には最悪期を脱していた。株価は30%上昇し、倒産件数は70%も減ったのである。

経済が好転すれば、ドイツ国民は危険なナチ党に賭ける必要はない。

そこで、ヒトラーは「完全なる独裁」を急いだ。

選挙で圧倒的支持率を得るには、国民の「現在と未来」を保証するしかない。

「現在」はもちろん生活だ。

疲弊したドイツ産業を再構築し、経済を軌道に乗せるのである。

具体的には、

1.雇用創出(仕事の確保)

2.住宅の建設(住の確保)

3.景気浮揚(衣食の確保)

では「未来」は?

これがなんと「自動車」。

■ベルリンモーターショー

衣食足りれば、つぎは娯楽だ。

娯楽といっても、人それぞれだが、最大公約数は「自動車」だろう。

一人でドライブ、家族で旅行、デート・・・老若男女、子供にいたるまで、楽しい、愉しいを実感できる。

問題は、どうやってPRするか?

宣伝の天才ヒトラーは、最高のPRの場を見つけた。

モーターショーである。

1933年2月11日、ベルリンで国際モーターショーが開催された。

ここで、ヒトラー総統はみずから開会演説を行ったのである。国の最高指導者がモーターショーで演説するのは初めての「事件」だった。

ヒトラーは高らかに宣言する。

「強力な国家経済を確立すること、これこそが我々の目的である。そのためには、生産者ばかりでなく、消費者もこの偉大な目標に参画しなければならない。われわれが望むのは自由と労働と生活に誇りをもった幸福な民族である。その意味で、私は国際モーターショーにおける、ドイツ製自動車・オードバイの細心モデルの展示を歓迎するものである。そして、私はここに、本年度ベルリン国際モーターショーの開会を宣言する」

ヒトラーらしくない、クドクドした物言いだが、自動車が生み出す輝ける未来を演出してみせたのである。

翌1934年のベルリンモーターショーで、「フォルクスワーゲン(国民車)」計画が提唱された。その名のとおり、一家一台、国民のための自動車である。

我が家にも自動車がやってくる!

人々は興奮した。

フォルクスワーゲンは、ポルシェ博士によって設計され、1935年に試作機が完成した。

さらに、1937年、ヒトラーは現代のビジネスモデルの「モータリゼーション」を提唱。自動車は半永久的な存在になったのである。

そして、1939年のベルリンモーターショーで、フォルクスワーゲンの実車が登場する。現在のフォルクスワーゲン・ビートルの原型である。その美しい流線型は、来場者の目を釘付けにした。ドイツ国民は、そこで、車社会の未来を見たのである。

自動車が一家一台なら、経済効果も大きい。

まず、自動車業界が大繁盛する。さらに、道路網が拡張されるから、土木業界も大忙しだ。さらに、観光を含めサービス産業も潤う。

とくに、ドイツ全土を網羅するアウトバーンの建設宣言は、魔法の呪文となった。

家族でドイツのどこでもピクニックに行ける!

「自動車」というアイコンが、ドイツ経済を復興させ、国民の心を高揚させ、ヒトラーへの忠誠心を高めたのである。まさに、一石三鳥ではないか。

つまり、「自動車&モーターショー」がユングの魔法の呪文「象徴」だったのである。

この頃、ドイツの政治はヒトラーのワンマンショーになっていた。この扇動家をコントロールするはずの野党も保守派は、もはや話題にもならなかった。

国内の反ヒトラー派はすっかり沈黙してしまった。

ドイツがヒトラーに同化されたのである。

■自動車&モーターショーのない世界

ここで、IFの歴史。

もし、ヒトラーの「自動車&モーターショー」がなかったら?

ヒトラーの独裁も第二次世界大戦も、歴史から消える。

根拠をしめそう。

1933年1月30日、ヒトラーは政権をとったが、単独過半数に遠くおよばなかった。さらに、経済は回復基調にあったから、国民は危険なナチ党のイデオロギーに賭ける必要もない。次の選挙では、単独過半数どころか、第一党も怪しい。

このタイミングで、魔法の呪文「自動車&モーターショー」が消えたら?

国民のヒトラー支持率は、史実より下がっただろう。

とはいえ、多少支持率が落ち込んでも、ピント外れの野党や保守派が、ヒトラー政権を阻止できるとは思えない。

可能性が高いのは、民衆のヒトラー暗殺だろう。

史実では、ヒトラーが首相に就任した1933年1月からの 1年間で、10回も暗殺計画があった。さらに、終戦までに、少なくとも 42回の暗殺計画があったことが明らかになっている。このうち、首相就任から第二次世界大戦勃発前年の1938年までは、民衆レベルの計画が多かった(※4)。

もし、国民の支持率が下がれば、そのぶん、ヒトラー暗殺計画は増える。暗殺は一度でも成功すれば、ヒトラー政権は一瞬で瓦解するのだ。つまり、「自動車&モーターショー」のない世界は、ヒトラー政権は短命に終わる可能性が高い。その場合、歴史は大きく変わるだろう。

最後に「IFの歴史・世界恐慌がない世界」を総括しよう。

もし、1929年の世界恐慌がなかったら?

第一に、ヒトラー政権は誕生しない。

第二に、第二次世界大戦はおきない。

第三に、ソ連がヨーロッパに侵攻する。

さらに、1929年の世界恐慌がおきて、ヒトラー政権が誕生しても、「自動車&モーターショー」がなかったら、ヒトラーの完全独裁は難しい。その場合、第二次世界大戦とロシア侵攻が起こる可能性は低いだろう。

ただし、それでも、ヨーロッパの未来は変わらない。

第二次世界大戦はおきないが、ナチスドイツに代わってソ連がヨーロッパに侵攻するから。その確率は99.99%と断言できる。

根拠を2つしめそう。

第一に、ナチスドイツがヨーロッパに侵攻した実史でも、1950年代、ソ連はヨーロッパに侵攻する寸前だった。もし、第二次世界大戦がなければ、ソ連は戦力を温存しているので、ヨーロッパに侵攻した可能性は極めて高い。

第二に、ヨーロッパはそもそも血なまぐさい。

ヨーロッパ世界には、2つのパワーが存在する。ドーバー海峡をはさんで、シーパワーのイギリスと、ランドパワーのヨーロッパ内陸部である。イギリスは、内陸部に強力な国家が生まれることを嫌う。事実、フランスにナポレオンが現れると、イギリスはドイツに味方して、フランスを封じ込めた。また、ドイツにヒトラーが現れると、イギリスはフランスに味方してドイツに対抗した。

つまり、ヨーロッパは地政学的に「戦争を好む土地柄」なのである。

だから、世界恐慌がおきようがおきまいが、ヨーロッパは戦場になっていただろう。

おっと、大事なことを忘れていた。

もし、世界恐慌がなかったら、アジア、日本は?

■大日本帝国と大東亜共栄圏

世界恐慌がおこったとき、日本は貧困のドン底だった。

特に農村部が悲惨だった。飢餓が発生し、娘の身売りまであった。そこで、大日本帝国は、資源をもとめて、満州、中国へ侵出したのである。

だが、もし世界恐慌がなければ、日本の貧困は多少緩和され、大陸への侵攻圧も減るだろう。

さらに、ドイツ第三帝国が存在しないので、三国同盟も成立しない。史実では、アメリカのルーズベルト大統領は、大日本帝国が中国をはじめ東南アジアから撤退すること、三国同盟を破棄することを迫った。これが有名なハル・ノートだ。

だが、このIFの世界では、ドイツ第三帝国も三国同盟も存在しない。ギリギリの外交で、撤退条件が緩和されるかもしれない。たとえば、中国か東南アジアのどちらか撤退すればよしとする妥協案である。ルーズベルトは中国に私的利権をもっていたから、後者の方が可能性が高いだろう。その場合、史実より規模の小さな大東亜共栄圏が成立する可能性がある。

一方、史実どおりハル・ノートが突きつけられたら、大日本帝国の選択肢は2つ。

ハル・ノートを拒否するか、受けいれて中国大陸から撤退するか。

前者なら太平洋戦争に突入し、史実と同じ歴史になるだろう。戦闘レベルでは多少の違いはあるだろうが、戦争としては日本は敗北する。

後者は、米国は振り上げた拳をひっこめるので、太平洋戦争はおきない。その代わり、日本は中国大陸から撤退する。その場合、中国大陸は、毛沢東率いる中国共産党と蒋介石率いる国民党の内戦が激化するだろう。これは史実と同じだが、結果は逆になる。1950年前後に、ソ連がヨーロッパに侵攻するので、中国共産党を支援する余力がないからだ。そのぶん、中国共産党が不利になる。

そうでなくても、史実では、西安事件が起きなければ、蒋介石の国民党は、毛沢東の中国共産党に勝利していたのだ(確率は99.99%)。

つまり、中国は資本主義国家になる。

そうなると、史実の「戦後の日本の経済発展」は、歴史から消える。

巨大な人口を擁し、資本主義国家となった中国に太刀打ちできないからだ。GDP、輸出額、外貨準備などマクロ経済指標で、日本は中国に逆立ちしてもかなわないだろう。

結果、日本は中国の影にかくれ、小国になる。ただ、日本人は真面目で器用な民族なので、トランジスタラジオやカップ麺やオタク文化で、存在感を示すかもしれない。

ちょっと寂しい?

でも、いいこともある。

太平洋戦争がないので、300万人の日本人の命が救われる。日本の主要都市が、灰燼に帰すこともない。そして、人類史上最悪の原子爆弾投下も歴史から消える。

これは何ごとにも代えがたい。

とはいえ、そのありたがみは、もう一つ世界(史実)を体験しないと、認知できないのだが。

人生は複雑だ。

参考文献:
(※1)ヒトラー権力掌握の20ヵ月グイドクノップ(著),高木玲(翻訳)中央公論新社
(※2)ヒトラー全記録―20645日の軌跡、阿部 良男 (著)、出版社‏ : ‎柏書房
(※3)第二次世界大戦 上・下、リデルハート著、上村達雄訳、中央公論新社刊
(※4)歴史のミステリー65号 出版社 ‏ : ‎ デアゴスティーニ・ジャパン; 週刊版 (2014/3/11)

by R.B

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