BeneDict 地球歴史館

BeneDict 地球歴史館
menu

週刊スモールトーク (第559話) IFの歴史・世界恐慌がない世界(3)

カテゴリ : 戦争歴史社会経済

2023.12.11

IFの歴史・世界恐慌がない世界(3)

■ヒトラーの予言

たとえ、世界恐慌がおきても、ヒトラー政権が成立しない世界がある。

それほど、1930年代のドイツは混沌としていた。

1932年11月の総選挙で、ナチ党の快進撃に急ブレーキがかかった。議席数が一気に15%減ったのである。しかも、不倶戴天の敵、共産党は100議席獲得し、第2党の社会民主党に肉薄していた。国の中枢、首都ベルリンでは、得票率30%を獲得、第1党に躍進した。ナチ党にとっては、危機的状況である。

年が明けて、1933年1月1日、新聞やメディアの報道は一致していた。

「危機は去った。ヒトラーはおしまいだ」と。

さらに、1933年の年頭、経済状況が好転しつつあった。株価は30%上昇し、倒産件数は70%も減った。景気がもどれば、ナチ党の危険なイデオロギーに賭ける必要はない。事実、失業率が高いほど、ナチ党の得票率は高くなる傾向があった。

良識人や知識人は胸をなでおろした。

「これで、俺たちはそれで万々歳さ。ヒトラーはおしまいだ。総統の時代は過ぎさった」

ところが、真逆の予測をする者がいた。

ヒトラーと占星術師である。

まずは、ヒトラー。1933年元旦、知人の別荘を訪れ、ゲストブックにこんな言葉を書き残している。

「今年はわれわれのものだ。これは確かなことだ」

つぎに、占星術師エリック・ヤン・ハヌッセン。元旦に、ヒトラーのオーバーザルツベルクの山荘に訪ね、1月30日にヒトラーが首相に就任すると予言したのである(※1)。

では、現実は?

2人の予言が的中した。

1933年1月30日、ヒトラー政権が誕生したのである。

■ナチ党の逆転

ヒトラーと怪しい占星術師の予言が的中したのは気になるが、精査はヤメとこう。

どうせ、怪しい仮説しか出てこないから。

ただ、気になることが・・・なぜ、ナチ党は1ヶ月で劣勢から優勢に転じたのか?

総選挙で、ナチ党が議席を減らして、共産党が増やしたから。

???

これでは、ナチ党は劣勢に転じるのでは?

ところが、これがナチ党の追い風になったのである。

じつは、共産党が躍進して困るのは、ライバル政党だけではなかった。左派を嫌う財界、富裕層、保守層だ。

もし、共産党が政権をとったら?

ドイツは、ロシア革命の二の舞になる。

共産主義や社会主義では、財産の私有は認められない。

普遍的にいうと・・・

資本主義では、事業に必要な資本(ヒト・モノ・カネ)は資本家のもの。一方、社会主義では国家のもの、共産主義ではみんなのもの。これが経済学の大原則だ。

もし、ドイツが社会主義や共産主義になったら?

お金持ちの既得権益は吹き飛ぶ。それどころか、命も吹き飛ぶ可能性もある。ロシア革命で、皇帝一家は処刑されたのだから。

つまりこういうこと。

財界・富裕層・保守層にとって、ナチ党のイデオロギーは危険だが、共産党の危険にくらべれば、より小さな危険だったのだ。

こうして、潮目はかわった。

財界・富裕層・保守層が、ナチ党の応援団に戻ったのである。

■ケルンの密談

ケルンは歴史の古い街だ。

起源は、古代ローマ時代までさかのぼる。紀元前39年、ローマ軍が、ゲルマニア州の拠点として、宿営地を置いた。これが、ケルンの始まりである。

その後、キリスト教の重要な都市として発展した。600年もかけて建造したケルン大聖堂はその象徴だろう。20世紀に入ると、鉄鋼、造船、機械、化学などの重工業が栄えた。

さて、その古都で、20世紀の歴史を決定づける会談が始まろうとしていた。

1933年元旦早朝、銀行家クルト・フォン・シュレーダーのケルンの別荘で、ヒトラー、シュレーダー、パーペンが頭を突き合わせていた。

ヒトラーは言わずと知れたナチ党の党首。この時代、スターリンとチャーチルにならぶ危険な人物だった。

シュレーダーは裕福な銀行家で、ドイツ財界の大物である。ナチ党に資金援助して、共産党を潰そうともくろんでいた。

一方、パーペンは、ドイツの元首相。7週間前に、政界のフィクサー、シュライヒャーに首相の座を奪われたばかりだった。パーペンは、シュライヒャーへの復讐と、首相返り咲きに執念を燃やしていた。

パーペンは、馬術以外に取り柄がなかったが、地頭は良かった。

第二次世界大戦後、ニュルンベルク裁判で裁かれたナチス戦犯は、全員、知能検査を受けている。その結果、パーペンのIQは134。天才ではないが、高い方である。

パーペンはその立派な頭脳を、私怨と出世のために使おうとしていた。こんな男が、政治の舞台裏で糸を引いていたのだから、ヴァイマール共和国の「民主主義」のレベルがわかるというものだ。

とはいえ、このときのパーペンは徒手空拳。要職についていないし、党の後ろ盾もない。

というのも、パーペンは党籍を剥奪されていた。元々、中央党に所属していたが、首相になりたい一心で、中央党を裏切ったのである。

だが、パーペンには切り札があった。

ヒンデンブルク大統領である。パーペンは、この国民的英雄のお気に入りだったのである。

ところが、ヒンデンブルクはヴァイマール共和国の「民主主義」に嫌気がさしていた。

単独過半数をとる政党がいないため、連立政権で、合従連衡の繰り返し。あげく、収拾がつかなくなると、大統領が引っ張りだされ、大統領緊急令で、大統領の全権を政府に付与する。ヒンデンブルクは、そんないびつな政権運営にうんざりしていたのだ。

老元帥の目は、過去に向いていた・・・ノスタルジックに美化され、栄光に彩られた第一次世界大戦の英雄である。ところが、現実は政治の尻拭いをさせられていたのだ。

■ナチスに魂を売った男

パーペンの作戦は、人の道に反していたが、合理性はあった。

まず、国会の1/3以上の議席をもつナチ党を味方につける。政治の世界では「数は力なり」。そのためには、ヒトラーの協力を取り付ける必要があった。

そこで、ナチ党に人脈があるシュレーダーを巻き込んだ。

パーペンの作戦は、ヒトラーの助力をえて、ナチ党と保守派で連立政権を樹立し、シュライヒャー内閣を瓦解させる。その後、パーペンが首相に返り咲くというものだった。ナチ党が弱体化した今なら、ヒトラーものってくると考えたのである。

ところが、ヒトラーは首相の優先権は自分にあると言い張った。

さらに、パーペンに対し、条件付きでヒトラー内閣に協力することを求める。その条件は、ドイツの指導的地位から社会民主党員、共産党員、ユダヤ人の排除すること。

これなら、パーペンに依存はない。

パーペンにとって、シュライヒャーへの報復が第一で、次に首相に返り咲くこと。社会民主党員、共産党員、ユダヤ人がどうなろうと知ったこっちゃない。

一方、銀行家シュレーダーは、ナチ党に莫大な資金援助を約束した。

財界・富裕層・保守層の代表格のシュレーダーは、共産党を政界から締め出そうとしていた。そのためには、ナチ党を支援するしかない。ナチ党は共産党に対抗しうる唯一の政党だからだ。このさい、ナチ党の危険なイデオロギーには目をつむろう。

こうして、3人は合意に達した。

合意事項は5つ。

1.シュライヒャー内閣を倒す。

2.ナチ党と保守派で連立内閣を樹立する。

3.首相はヒトラー(この時点では流動的)。

4.社会民主党と共産党とユダヤ人を国家中枢から排除する。

5.銀行家シュレーダーは、ナチ党に資金援助し、ナチ党の借金を解消する。

残る問題は、ナチ党が保守派と連立すること。

ところが、これがかなり難儀だった。

《つづく》

参考文献:
(※1)ヒトラー権力掌握の20ヵ月グイドクノップ(著),高木玲(翻訳)中央公論新社
(※2)ヒトラー全記録―20645日の軌跡、阿部 良男 (著)、出版社‏ : ‎柏書房

by R.B

関連情報