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週刊スモールトーク (第554話) どうする家康(2)~なんちゃって家康くん~

カテゴリ : 人物娯楽歴史

2023.10.23

どうする家康(2)~なんちゃって家康くん~

■大河ドラマの作法

「どうする家康」より「なんちゃって家康くん」?

そう、2023年NHK大河ドラマのことだ。

反史実を極め、ポップな軽笑いで、戦国物を押し通すなら、「なんちゃって家康くん」の方がいいのでは?

それを、どこぞの民放で放映すれば、歴史にうるさい歴史オタも目くじらを立てないだろう。この手の奇をてらったキワモノも、扱いさえ間違えなければ、それなりに成立するものだ。

つまりこういうこと。

荒唐無稽の歴史物を、由緒正しいNHK大河ドラマでやるから問題なのだ。

由緒はさておき、「大河ドラマ」は1963年から続くNHKの歴史ドラマシリーズだ。日本の歴史を、実在した人物を中心に描く群像劇。そのため、歴史にうるさい輩のチェックが入りやすい。とくに、根拠のない史実改変は非難轟々だ。事実、「どうする家康」も、一部の識者から凄まじい非難をあびている。

とはいえ、映画やドラマの脚本は、主観が重要である。それがコンテンツの差別化、付加価値につながるから。けれど、歴史ドラマを謳いながら、奇をてらい「反史実」でウケを狙うなら、それは邪道、ファンタジーか歴史改変SFである。

では、歴史の筋書きを変えることは絶対NG?

そうでもない。

■本能寺の変の改変

たとえば、本能寺の変。

織田信長が、本能寺で討たれ、その後、明智光秀が10日間だけ、天下人になったことは間違いない。

「本能寺の変」から、秀吉の「中国大返し」、秀吉と光秀の最終決戦「山崎の戦い」までの史実が、その証左となるから。

一方、はっきりしないこともある。

最も信憑性が高いとされる一次資料「信長公記」と「フロイス日本史」には、本能寺の変の「首謀者」は明智光秀と明記されている。ところが、本能寺襲撃の指揮官が明智光秀とは一言も書かれていないのだ。

これは興味深い。

というのも、信長公記にはこんなくだりがあるのだ。

「森乱(森蘭丸のこと)が、『明智の手の者と思われます』と申し上げると、(信長は)『やむをえない』と覚悟なされる」(※1)

思われます?

それはそうだろう。

織田側に、指揮官・明智光秀を目撃した者がいるはずがない。指揮官のそばまで行けるはずがないし、そもそも織田方の主だった者は皆殺しにされたのだから。

おそらく、軍勢の旗印が、明智光秀の「桔梗紋」だったからだろう。だから「(明智光秀と)思われます」なのだ。

つまり、明智光秀がその場にいた証拠も記述もない。

さらに興味深いことがある。

フロイス日本史にはこう書かれているのだ。

「都に入る前に兵士たちに対し、彼(明智光秀)は、いかに立派な軍勢を率いて毛利との戦争に出陣するかを信長に一目見せたいからとて、全軍に火縄銃にセルベを置いたまま待機しているようにと命じた」(※2)

これは、明智光秀が、将兵に信長の弑逆を悟られないように発した偽りの命令とされる。

だが、それが偽りではく、明智光秀の本心だったとしたら?

つまりこういうこと。

本能寺をとり囲んだ「桔梗紋の旗印」の軍は、明智光秀を偽装した軍だった。

信長に恨みを持つ勢力は、足利義昭、朝廷、畿内の残党など、枚挙にいとまがない。とくに、本能寺の変がおこる直前、信長は朝廷を廃する不穏な言動をとっている。だから、朝廷は伸るか反るかの勝負にでても不思議ではない。座して死を待つよりマシ。

というわけで、朝廷は権威を利用し、畿内の残党のかき集めて反乱を起こしたのかもしれない。

かりにそうだとしたら、その後、明智光秀は、なぜ、主君・信長殺しの正真正銘の下手人になったのか?

明智光秀の立場で考えてみよう。

明智光秀が、信長にいいところを見せようと、本能寺に着いたら、なんと明智の「桔梗紋の旗印」を掲げた軍勢が、本能寺を攻撃しているではないか。この状況で「あー、それ、おれじゃないですよ!!」はまず通らない。だから、明智光秀はそのシナリオに乗っかって「天下取り」に突き進むしかなかったのではないか。

2020年6月2日、オンラインイベント「本能寺の変・原因説50・総選挙」の結果が発表された。

本能寺の変はなぜおこったか「推説」を投票するイベントだ。その8位に「朝廷黒幕説」が入っている。朝廷が明智光秀をそそのかしたという説だが、これを一ひねりしたのが本説だ。

これなら、一次資料に大きく乖離しないし、一応根拠もあるので、荒唐無稽といえない。まぁ、少し無理があるが、口うるさい歴史オタも、渋々黙認してくれるだろう。

■歴史ドラマの王道

とはいえ、歴史ドラマの王道はそこではない。

歴史の本流を史実にあわせ、一次資料にない支流を、根拠のある面白い説でおぎなう。これに名演出と名演技がくわわれば、言うことなし。

事実、それで成功したNHK大河ドラマもある。

NHK大河ドラマの「視聴率ベスト3」をみてみよう。

【1位】39.7%。独眼竜政宗。1987年。主演・渡辺謙。

【2位】39.2%。武田信玄。1988年。主演・中井貴一。

【3位】32.4%。春日局。1989年。主演・大原麗子。 

※数値は平均視聴率

1位から3位まで3年連続だが、これは「独眼竜正宗」の功績が大きい。このドラマが大ヒットしたから、その後2年続いたのだ。つまり、この3年は大河ドラマブームだったのである。

ところで、独眼竜正宗は、なぜ大ヒットしたのか?

主役の渡辺謙をはじめ、名優ぞろいだが、NHK大河ドラマでは別格というわけではない。一番の功労者は脚本家のジェームス三木だろう。まず、原作は山岡荘八の「伊達政宗」で、荒唐無稽感はない。歴史に造詣の深い人が観ても、違和感はないだろう。

さらに、全編が、日本人の情感にマッチした面白い、可笑しい、楽しいで貫かれている。

じつは、ハリウッド映画もこれ。国と人種と文化を超えた普遍的価値「人間の泣き笑い」に徹している。だから、ハリウッド映画だけが世界で通用するのである。それを、ジェームス三木も知っていたわけだ。

脚本家の三谷幸喜も、その一人だろう。

2022年の「鎌倉殿の13人」が評判が高いのが、その証左となる。

ところが、主人公は誰も知らない鎌倉幕府二代執権・北条義時。

鎌倉幕府のドラマなら、主人公は源義経か源頼朝、少し時代が進んで元寇を撃退した北条時宗だろう。

ではなぜ、こんな地味な人物を選んだのか?

鎌倉幕府の主な歴史を、丸取りできるから。つまり、歴史としては最高に面白いのだ。

というのも、北条義時が主人公なら、「源平合戦 → 鎌倉幕府 → 源頼朝一族滅亡 → 北条の執権体制」を一気通貫で物語れる。とくに、源頼朝から3代続く将軍の黄変死が興味深い。源頼朝一族は呪われているとしか思えないのだ。

「鎌倉殿の13人」は、主役の小栗旬と小池栄子の演技も秀逸だった。もちろん、一番の功労者は脚本家の三谷幸喜だ。史実に忠実なのに、物語としても面白い。キャラのかき分けが見ごとで、それが合わさった群像劇が素晴らしい。三谷幸喜は、1993年の「ラヂオの時間」がピークだと思っていたが間違いでした。

というわけで、奇をてらって、史実を捻じ曲げなくても、面白い大河ドラマは作れる。

■消された延暦寺焼き討ち

「どうする家康」には、もう一つ問題がある。

脚本の組み立て方があざといこと。

オリジナルを作りたい一心で、ご都合主義を駆使し、反史実を徹底している。

手法は2つ。

第一に、史実を捻じ曲げる。

第二に、史実が捻じ曲げらないほど強固なら、イベントそのものをカットする。

たとえば、信長の「比叡山延暦寺焼き討ち」はドラマに登場しない。戦国時代では大イベントなのに。

叡山焼き討ちは、天台宗の総本山を焼き払うのだから、バチあたりな所業だ。そこで、大河ドラマでは、信長の宗教嫌い、残虐な性質に帰着させるのが常套手段だ。

だが、事実は違う。

信長が、比叡山を一山丸ごと焼き払ったのは、単純に「政治判断」だった。

比叡山は、東海と北陸と畿内をむすぶ地政学的要衝である。その山頂に構えるのが延暦寺だ。巨大な寺院は武装化され、反信長の有力な政治勢力だった。

事実、1570年、信長は延暦寺のせいで、破滅寸前まで追い込まれている。

1570年9月、本願寺法主・顕如は、北方の朝倉・浅井、南方の三好三人衆と手を結び、全国の一向宗門徒に挙兵を命じた。反信長同盟が始動したのである。

1570年9月16日、朝倉・浅井の軍勢3万が、南近江の宇佐山城に進出、9月19日には同城を陥れた。このとき、城を守っていた織田信長の弟、織田信治と、家臣の森可成は討ち死にしている。

つぎに、朝倉・浅井の大軍は京に攻め上った。そこで、信長は野田・福島の陣を引き払い、ただちに京に入る。すると、朝倉・浅井は比叡山の延暦寺に逃げ込む。だが、信長に「朝倉・浅井・延暦寺」連合軍を殲滅する力はない。

そこで、信長は比叡山延暦寺に対し、次のような最後通牒を発した・・・

もし、比叡山が自分に味方するなら、比叡山の領地を約束する。しかし、出家の道理で、一方にひいきできないというなら、どちらにも加担せずに見逃してほしい。もし、この二つのいずれにも従わぬと言うなら、一山丸ごと焼き払う。

合理的な申し出だが、延暦寺は無視し、朝倉・浅井に味方した。

信長には兵力も時間もない。限られた手持ちの駒を、小刻みに動かすしかない。にらみ合いは命取りだからだ。そこで、信長は比叡山に引きこもった朝倉・浅井を挑発し、誘いだそうとするが、応じない。

戦線は膠着した。

ここで、最悪の事態に。

伊勢長島一向宗が、尾張の小木江城(こきえ)を包囲したのである。尾張は織田信長の本領で、ただならぬ事態である。11月21日、孤立無援の小木江城は陥落。信長の弟で、城主の織田信興は切腹した。だが、朝倉・浅井・延暦寺と対峙した信長は動けない。

信長、絶体絶命。

では、どう決着したのか?

信長は、朝廷と足利義昭に仲介を依頼し、浅井・朝倉氏との講和が成立したのである。間一髪で、信長は死地を脱したのだ。

日本統一をめざす信長にとって、比叡山延暦寺がいかに重要か。

それは、史実が説明してくれる。信長が比叡山を焼き払ったのは、宗教嫌いでも性悪でもない。地政学的要衝を確保するためだったのだ。

とはいえ、このイベントは残酷で、ポップなお笑い路線にはそぐわない。

では、脚本家の古沢良太はどうしたか。

延暦寺焼き討ち」イベントそのものを省略したのである。これなら、あーだこーだ悩む必要はない。

■朝鮮出兵の怪

一方、「どうする家康」は、従来型シナリオも採用している。

それが、秀吉の朝鮮出兵だ。

日本が、朝鮮半島に侵攻した事件で、1592年~1593年の文禄の役と、1597年~1598年慶長の役からなる。

ではなぜ、奇をてらう脚本家・古沢良太は、朝鮮出兵を従来の脚本に従ったのか?

中国と韓国に配慮したのである。

というのも、日本のマスコミは左派で、戦後、中国・韓国への外交的配慮が不文律だった。しかも、朝鮮出兵はビッグイベントなので、カットしようがない。そこで、ことを荒立てないよう従来方式に従ったのである。

つまり・・・秀吉は、天下統一までは有能だったが、その後は、もうろくして朝鮮出兵という愚行をおかした。

日本の知識人とされるマスコミが、この体たらくだから、日本人は歴史観がないと蔑まされるのは当然だろう。

歴史は「道徳」ではなく「歴史の力学」で評価するべきだ。でないと、歴史の真実は見えてこないから。

では、歴史の力学とは?

秀吉の朝鮮出兵は、まさに大航海時代

ヨーロッパ列強が、アジアと南北アメリカ大陸に侵攻し、植民地にした時代だ。東アジアは、従来の秩序が破壊され、新しい秩序に生まれようとしていた。世界史視点みれば、秀吉の朝鮮出兵は、その一つの要因にすぎない。

だからといって、朝鮮出兵が正当化できるわけではない?

そりゃそうですね。

もうろくしようが、気が触れようが、やったことはやったこと。責任はついてまわる。

では、中国と朝鮮の日本侵略はどうなるのだ?

1274年と1281年におきた元寇である。

中国(元朝)と朝鮮(高麗王朝)が、日本を侵攻した事件で、1274年の文永の役と1281年に弘安の役からなる。このとき、対馬・壱岐では、大量虐殺があり、子供もさらわれて奴婢にする蛮行もおこなわれた。最終的に、鎌倉幕府の執権・北条時宗が二度に渡って撃退したのだが。

つまりこういうこと。

過去のやったやられたを蒸し返しても、恨みと新たな戦争しか生まれない。

わかりやすいのが、アメリカ合衆国だ。

大航海時代に、イギリス人が北アメリカ大陸を植民地化して生まれたのがアメリカ合衆国だ。つまり、北アメリカは、元々、ネイティブアメリカン(インディアン)の領土だったのだ。

そこで、昔の話を蒸し返して、イギリス人に、イギリスに帰れと言ってみたところで、何にもならない。ついでに、フランス人もドイツ人もアイルランド人もイタリア人も、みんな帰れ?

不毛の恨み節・・・何の問題解決にもならないことは明らかだ。

だから、日本だけ反省すべしは、もうやめよう。自虐的歴史観をこえて、愚かとしかいいようがない。

中国も朝鮮も日本もお互いに侵略した歴史をもつ。であれば、中国人も朝鮮人も日本人も、昔はお互いにいろいろあったけど、大事なのはこれから。お互い、今と未来を楽しくやろう、でいいではないか。

ところが、現実は、先祖のやったことで、未来永劫謝罪しない限り、許さない!

はい、紛争と戦争が待ってます。たくさんの死人がでますよ。

話を「どうする家康」にもどそう。

この歴史ドラマは、極端な反史実なので、違和感を覚える。さらに、ドラマとしても面白くない。テンポは悪く、何を言いたいのかわからない。すべて、その場限りのウケ狙いとしか思えない。

他にも、あーだこーだ、いろいろあるのだが、そんな些末な理屈を吹き飛ばす映画がある。

2023年11月公開予定の戦国時代映画「首」だ。

監督は「世界のキタノ(ビートたけし)」なので、期待が膨らむ。事実、プロモーション映像を見ると、あまりのド迫力に、史実うんぬんがブッ飛んでしまう。

というわけで、本当に面白い映画・ドラマは、史実と関係ないのかもしれませんね。

あらら・・・

参考文献:
※1太田牛一著榊山潤訳「信長公記」富士出版
※2完訳フロイス日本史〈3〉安土城と本能寺の変―織田信長篇(3) (中公文庫) ルイス フロイス (著), 松田 毅一 (翻訳), 川崎 桃太 (翻訳)

by R.B

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