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週刊スモールトーク (第507話) 安倍晋三・銃撃事件(3)~旧統一教会と政治家~

カテゴリ : 人物社会

2022.09.09

安倍晋三・銃撃事件(3)~旧統一教会と政治家~

■政治家と旧統一教会

マスメディアは、安倍晋三・銃撃事件の「消えた銃弾」と「弾道の矛盾」に言及しない。

かわりに「政治家と旧統一教会の関係」を熱く報じている。

銃撃事件の真相を「政治家と旧統一教会の問題」で煙にまくつもりなのだろう。

ではなぜ、そこまでやるのか?

不自然なものには理由がある。

異論を排除する同調圧力がかかっているのだろう。マスメディアが、これほど足並みを揃えるのだから、間違いない。

そもそも、誰でもわかる素朴な疑問がある。

「政治家と旧統一教会」は、毎日、毎回、報じるほど、重要な問題か?

この事件の本質はシンプルだ。

政治家は組織票が欲しいから、宗教団体とくっつくのはあたりまえ。宗教団体は、手弁当で無報酬で選挙活動を助けてくれ、自分に投票してくれる。こんなありがたい「同志・兄弟」はいないだろう。

裏を返せば、政治家は、宗教団体を票集めに利用しているだけ。怪しい教えや霊感商法に賛同しているわけではない(たぶん)。一方、宗教団体も、政治家の人格・識見に惚れて、応援しているわけではない。団体が政治家の支持をうければ、箔が付くから。つまり、両者は損得勘定でくっついているのだ。この世界に、損得勘定以外の関係があるかどうかはさておき。

恋愛関係は?

ただのホルモン、愛しているなんてただの思いこみです、なんて斜に構えていると、人生はあっという間に終わりますよ。

話を戻そう。

そもそも、政治家は、宗教団体のみならず、企業や様々の団体の支援をうけている。組織票がないと勝ち目はないから、当然だ。選挙で勝たないと、政治家になれないから、ここできれい事を言っていると、何も始まらない。

つまりこういうこと。

政治家が「宗教団体」の支援をうけることが、問題なのではない。「反社会的団体」かどうかが問題なのだ。

日本は「反社会的勢力」に厳しい。

それを身をもって体験したことがある。会社で役員になったとき、取引先に「(個人的に)反社会的勢力と一切関わりがありません」という誓約書を書かされたのだ。しかも、2社で役員をやって、2社とも。個人情報ですから、なんて悠長なことは言ってられない。この誓約書を書かないと、取引が一切できないのだ。相手は上場企業で、こっちはベンチャー企業なので、見下されたのかもしれないが。

サラリーマンでさえ、こんなに厳しいのだ。立法・行政を司る国会議員が「反社会的団体とズブズブでした。でも、これからは気をつけます、よろしく!」ですむはずがない。

では、旧統一教会と関係があった議員は、全員辞職すべきか?

ノー、国益を損なう可能性がある。

■保守Vs.リベラル

安倍元首相は保守派の頭目で、彼が率いた清和会は保守派の牙城である。それが、メディアの集中砲火を浴びている。旧統一教会と関係がある議員がダントツに多いからだ。

とくに、清和会の萩生田議員への風当たりが強い。萩生田議員と旧統一教会との長く深い関係が明らかになったからだ。しかも、自民党の政調会長という要職にある。

だが、不可解なことがある。

岸田首相は、萩生田議員と旧統一教会の噂を知らなかったはずがない。にもかかわらず、萩生田議員を要職にすえた。しかも、政治家と旧統一教会の関係が明るみが出た後で。その結果が、現在の萩生田議員への集中砲火なのだ。

なんで、こんな凡ミスを?

たぶん、ミスではない。

岸田首相はリベラル派の頭目だから、保守派の牙城・清和会は目の上のたんこぶだった。その清和会の有力な後継者が萩生田議員なのだ。そこで、萩生田議員を要職に就かせれば、後々、旧統一教会とのズブズブがばれて、失脚するだろう。そうなれば、清和会は大打撃をうけ、分裂するかもしれない。そのときは、リベラルに近い一派を岸田派に取り込もう。つまり、岸田首相は、任命責任を問われる覚悟で、肉を切らせて骨を断つ作戦だった?

とすれば、岸田首相は、決断力も腕力もある政治家だ。聞き流すだけの「検討使(遣唐使?)」と揶揄されているが、権力構造を築くことは長けている。皮肉を言っているのではない。政界は、権力闘争が基本、そこを勝ち抜かないと何も始まらないのだ。

ところが、最近、岸田内閣の支持率が、52%から36%に急落(毎日新聞世論調査)。あらら、「黄金の3年間」どころではない。来春の統一選との抱き合わせで、衆院解散の可能性も出てきた。

肉を切らせて骨を断つつもりが、自分の骨も断たれる?

シャレを飛ばして喜んでいる場合ではない。もっと大きな問題があるのだ。

政治家と旧統一教会の問題で、最もダメージをうけるのは?

自民党・清和会(安倍派)。

そうなれば、保守が大打撃をうけ、日本はリベラル一色になるだろう。

リベラルが悪い?

そうではない。リベラルと保守の「いいあんばい」が重要なのだ。

■ロシア革命は国家万歳!

リベラルは、個人の自由や権利を尊重し、国家を悪と考える。だから、力関係は「個人>国家」。その代表が欧米だ。

一方、保守は、個人の自由や権利より、国益を優先させる。だから、力関係は「国家>個人」。その代表が中国だ。

たとえば、新型コロナ対策なら、欧米は個人尊重なので、行動制限はゆるい。

ところが、中国は国家尊重なので、ハンパなく厳しい。一人でも感染者がでると、街全体が封鎖され、出入り禁止。たまたま、デリバリーの配達員が街の中に入っていたら、もう戻れない。「俺はデリバリーで来たんだ。新型コロナじゃないぞ。俺には街を出る人権がある!」と叫んでもムダ。例外は一切認められないのだ。欧米なら大問題で、暴動がおきてもおかしくない。リベラルと保守は、これほど違うのだ。

ではなぜ、リベラルと保守のバランスが重要なのか?

それは歴史から学ぶことができる。

18世紀後半、イギリスで産業革命が始まった。結果、経済が発展し、人々は豊かになった。だが、これは国家のおかげではない。ワットをはじめ、多くの技術者たちが成し遂げたのだ。つまり、個人のイノベーションによる。

これを科学的に証明したのが、「経済学の父」アダム・スミスだ。経済学が「科学」かどうかはさておき、彼は著書「国富論」の中で、国家の統制がなくても、個人が自由に活動すれば、自然に調和が生まれると主張した。これが有名な「神の見えざる手」である。

じゃあ、個人万歳!

ところが、経済が発展すると、貧富の差が生まれた。そこで、人々は平等を求めた。富裕層からカネをとり、それを貧困層にまわす、富の再分配である。これが「累進課税」だ。ところが、税制度が複雑になるので、強力な国家権力が欠かせない。

それなら、国家万歳!

20世紀初頭、これを極めた人物がいる。社会主義者のレーニンだ。彼はロシア革命をおこし、個人の好き勝手を許さず、すべて国家が管理する社会を築き上げた。ところが、管理業務が膨大になるから、巨大な官僚機構が必要になる。つまり、レーニン式社会主義とは、官僚主義、国家第一主義なのである。その産物が、社会主義による人工国家「ソ連」だったのだ。

ところが、レーニン式社会主義はうまくいかなかった。富と権力が権力者に集中し、不平等が生まれ、国全体が貧しくなったのだ(自由主義国家にくらべ)。事実、ソ連は1991年に崩壊している。

つまり、国家万歳(保守)を極めたら、国は崩壊した。

では、個人万歳(リベラル)を極めたら?

同じこと。それはフランス革命が証明している。

■フランス革命は個人万歳!

フランス革命は、自由と平等のシンボル、民主主義の金字塔と美化されているが、タダの殺し合いである。

18世紀末、フランスは絶対王政の時代だった。国民は、第一身分の聖職者、第二身分の貴族、第三身分の平民の3つに分かれていた。第一身分と第二身分は、免税特権があり、年金も支給された。一方、98%を占める平民は何もなし(納税義務はあり)。不公平の極みだ。そこで、平民は「自由・平等・友愛」の思想を掲げ、革命をおこした。

1789年10月5日、民衆が「パンをよこせ」と叫びながら、ヴェルサイユ宮殿に向かって行進を開始した。その後、フランス王ルイ16世がギロチンで処刑され、王妃マリー・アントワネットも後に続いた。まぁ、革命なので、ここまではしかたがない。問題はその後だ。

1793年9月13日、革命政府は「反革命容疑者法(プレリアール22日法)」を発布した。その内容は恐るべきものだった。

「反革命が疑われる者は、証拠がどんなに不十分であろうと、あるいはまったくなかろうと、逮捕し、裁判にかけ、有罪にし、処刑できる」

この悪夢のような法律は、とどこおりなく執行された。貴族も平民もわけへだてなく、ギロチン台に送られたのである。革命のスローガン「自由・平等・友愛」はどこへいった?

メチャクチャだ。

革命政府は、穏健なジロンド派と、急進的なジャコバン派の確執があったが、この法案を通したのはジャコバン派のロベスピエールである。ジロンド派のロラン夫人はこう嘆いたという。

「パンを乞うたら、死体が返ってきた」

うまいこという。ロラン夫人は、高い知性と教養をそなえたインテリで知られていたが、さすがだ。ところが、そのロラン夫人も処刑されてしまう。つまり、反革命派も革命派もおかまいなし。ロラン夫人は、首をギロチン台にのせられた時、こう叫んだという。

「あぁ、自由よ、汝の名の下で、いかに多くの罪が犯されたことか!」

「自由が罪を犯す」と言っているのだ。リベラルの怖さはここにある。リベラル派は、個人の自由と人権を守るのが絶対正義と信じている。だが、大量処刑では独裁政治にひけをとらないのだ。自分の自由と人権のためなら、他人の自由と人権をギロチンにかけても、気にもとめない。リベラル派は、ロラン夫人の言葉を噛みしめるべきだろう。

フランス革命は、その後の展開が凄まじい。革命派内でもめたあげく、なんと、ロベスピエールまでがギロチン台の露と消えたのだ。これで、革命は頓挫。その後、ナポレオンが台頭し、第一帝政が始まった。さらに、ナポレオンが失脚すると、ルイ18世が王位に就く。これが歴史の教科書に出てくる「王政復古」だ。

ちょっと待てよ・・・散々殺し合ったあげく、ルイ16世時代の王政に戻った?

メチャクチャだ。

歴史は繰り返すなんて、悠長なことを言ってる場合ではない。革命で処刑された人たちが、浮かばれないではないか。

ちなみに、フランス革命で有名な「ギロチン」は、罪人に痛みを与えない「人道的」処刑装置として考案された。とはいえ、斬首された人間に意識があるかどうかもわからない。そこで、フランスの大化学者ラヴォアジエは、処刑される罪人に依頼して、斬首後に決められた数の瞬きをしてもらうことにした。

結果は?

よくわらない。

それはそうだろう。斬首されて、頭部が転がり落ちる状態で、どうやって目の瞬きを確認するのか?

メチャクチャだ。

これが、 自由・平等・友愛で美化されたフランス革命の真実なのである。

つまりこういうこと。

リベラルと保守は、バランスが重要なのである。どちらも、行き過ぎると、ロクなことがない。それは、産業革命、ロシア革命、フランス革命が証明している。

というわけで、政治家と旧統一教会の問題は、慎重に対処するべきだ。反社会的団体とズブズブの政治家は、断罪されてしかるべきだろう。だが、あいつも悪い、こいつも悪いで、断罪を続ければ、フランス革命の二の舞いになる。さらに、保守派が弱体化し、リベラルとのバランスも崩れる。

正義を徹底することは正しい。だが、それで国が混乱し、国民が不幸になるのは割に合わない。そもそも、ソ連のように国が滅んでは元も子もないではないか。

《つづく》

参考文献:
・THE WONDER MAPS 世界不思議地図 佐藤健寿 (著) 出版社:‎朝日新聞出版

by R.B

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