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週刊スモールトーク (第493話) 発火法(3)~超ハイテクの圧気発火器~

カテゴリ : 歴史科学

2022.02.25

発火法(3)~超ハイテクの圧気発火器~

■圧気発火器の原理

最後に、とっておきの発火法。

空気を搾るように強く、一気に圧縮して、火をおこす。一見、荒唐無稽にみえるが、原理は「熱力学」で説明できる。

熱力学は、19世紀に成立した物理学の一分野だ。17世紀のニュートン力学よりも新しいから、かなりのハイテク。とはいえ、ニュートン力学のような明快さはない。水も漏らさぬ論理でたたみこんでいくのではなく、全体としてあってればオッケー・・・統計学のような怪しいニオイがする。

個人的見解ですね?

さにあらず。「トム・ソーヤーの冒険」の著者で、アメリカ文学の父と称されるマーク・トウェインもこう言っている。

「ウソには3種類ある。ウソと大ウソと統計だ」

その怪しい理論で、怪しい発火法を説明すると・・・

まず、外部から遮断された閉じた系を考える。そこに空気を封じ込めて圧縮すると、外部から仕事が加わるので、その分、エネルギーが増加する(仕事=エネルギー)。それが熱エネルギーに変換されるが、外部から遮断されているので、熱の逃げ場がない。結果、空気の温度が急上昇し、熱が発生するのである。この熱を利用すれば火をおこせるわけだ。これを「断熱圧縮(熱を逃さない圧縮)」という。

つまりこういうこと。

圧気発火器は、空気の圧縮熱で着火する。ただし、条件がある。空気が漏れないこと、素速く圧縮すること。でないと「断熱圧縮」にならないから。原理はカンタンだけど、実現するのは難しいわけだ。

■圧気発火器の構造
圧気発火器
【圧気発火器】

左のイラストは、その圧気発火器。容器の中に、密封された円柱状の筒があり、その中にピストンが入っている。ピストンの先には、もぐさのような燃えやすい着火材が装着されている。操作はカンタンで、ピストンを一気に押し込むだけ。すると、断熱圧縮で筒の中の空気が発熱し、着火材に火が付く。それを、枯木や枯れ草にうつせば、火をおこせるわけだ。

ところで、イラストで気になるものが・・・「糸」?

ピストンの先に糸が何重にも巻かれ、その上から油が塗ってある。

何のため?

第一に、筒とピストンのすき間を埋めて、空気漏れを防ぐため。第二に、筒とピストンの摩擦を減らし、ピストンを素速く動かすため。つまり、「糸と油」は断熱圧縮を加速するためにある。

だが、空気が漏れるのは、筒とピストンのすき間だけではない。筒とピストン自体からも漏れる。そのため、東南アジアの圧気発火器は、筒とピストンに水牛の角が使われた。密度が高く、硬く、空気が漏れにくいからである。

では、圧気発火器の起源は東南アジア?

当たらずとも遠からず。

記録が残るという条件なら、正しい(今のところ)。ただし、それが「いつか」はわからない。早い話、起源は不明なのだが、それでは身も蓋もないから、史実を精査しながら、圧気発火器のルーツをたどることにしよう。

■圧気発火器のルーツ

通説によれば、圧気発火器の起源は、16世紀以前の東南アジアとされる。なぜ、16世紀「以前」かというと、ヨーロッパ人が初めて発見したのが16世紀だから。つまり、16世紀以前に存在した可能性もある。

ヨーロッパ人は圧気発火器をみて、いたく感動したという。まだマッチが発明されておらず、ろくな発火具をもたなかったから当然だろう。そこで、ヨーロッパ人は水牛の角の代わりに金属を使った「ファイヤーピストン」を発明した。パクリなのに、なぜ「発明」かというと、1807年にイギリスで特許が取られているから。その後、ファイヤーピストンはヨーロッパ大陸とアメリカ大陸に伝わり、マッチが普及するまで広く使われた。

つまり、ハイテクの圧気発火器は東高西低。ネタになるような、よくできた話だが、事実だろう。というのも、大航海時代の歴史が「圧気発火器・東南アジア起源説」を裏付けているから。

もし「エジプトはナイルの賜物」が真実なら「大航海時代は香辛料の賜物」も真実だろう。

香辛料への渇望が、大航海時代を生み出したのだから。中でも、チョウジ(丁子)とニクズク(肉荳蔲)は別格だった。効用もレアさも飛び抜けていたから。事実、チョウジとニクズクだけが「スパイス」とよばれ、ヨーロッパ人は血まなこになったのである。

スパイスが別格だった理由は2つある。

第一に、スパイス(チョウジ・ニクズク)は、当時、最強の防腐剤・殺菌剤だった。この時代、ハムやソーセージでひんぱんに食中毒が発生していた。原因は猛毒のボツリヌス菌だが、それが判明したのは19世紀に入ってから。それまでは、何もわからずに、食中毒でバンバン人が死んでいたのである。つまり、スパイスは命にかかわる必需品だったわけだ。

第二に、スパイスは超レア品だった。地球上で産するのはマルク諸島だけ。東西300km、南北600kmの狭い海域だ。しかも、ヨーロッパから3万kmも離れていた。

そこで、ヨーロッパ人はマルク諸島を「スパイスアイランド(香料諸島)」とよんで、血で血を洗う争奪戦を展開した。昨今、競争の厳しい業界を「レッドオーシャン(赤い海=血の海)」というが、マルク諸島もコレ。それが誇張ではないことは歴史が証明している。

■スパイスアイランド

1500年代後半、マルク諸島を牛耳っていたのはポルトガルだった。そこへ、1605年、オランダ東インド会社が侵攻し、ポルトガル勢力を駆逐した。ところが、次にイギリスがマルク諸島に侵出、アンボイナ島に商館を設置した。

アンボイナ島(アンボン島)は、貴重なスパイスの一つ「チョウジ」を産することで知られていた。その小さな島で、オランダ商館とイギリス商館が角を突き合わせるのだから、何がおこっても不思議はない。

1623年2月11日の夜、オランダ商館の前をうろつく怪しい男がいた。オランダ側は、この男を逮捕し、恐ろしい拷問にかけた。あろうことか、手足を切断したのである。結果、驚くべき計画が露見する。イギリス商館がオランダ商館を襲撃するというのだ(事実でなかった可能性が高い)。そこで、オランダ側は先手をうって、イギリス商館を襲撃、商館員全員を八つ裂きにした。「マルク諸島海域=レッドオーシャン=血染めの海」は誇張ではないのだ。

この事件で、イギリスは意気消沈、マルク諸島から撤退した。その後、イギリスはインドの植民地経営に乗り出す。こうして、17世紀半ば、オランダ海上帝国が成立したのである。

ところで、マルク諸島の争奪戦と圧気発火器とどんな関係が?

大航海時代、ヨーロッパ人がマルク諸島に至るルートは一つしかなかった。「インド洋→マレー(マラッカ海峡)→スマトラ→ジャワ→ボルネオ→マルク諸島」である。これは複数の史料からみて間違いない。一方、ヨーロッパ人が圧気発火器と遭遇したのは、マレー、スマトラ、ジャワ、ボルネオとされている(圧気発火器・東南アジア起源説)。異質のイベントなのに、地理が完全に一致している↓

圧気発火器のルーツ
【圧気発火器のルーツ】

つまりこういうこと。

マルク諸島の争奪戦がヨーロッパ人に圧気発火器を発見させたのである。それはとりもなおさず、圧気発火器の東南アジア起源説を裏付けるものである。

《つづく》

参考文献:
・週刊朝日百科世界の歴史20巻、朝日新聞社出版
・世界の歴史を変えた日1001、ピーターファータド(編集),荒井理子(翻訳),中村安子(翻訳),真田由美子(翻訳),藤村奈緒美(翻訳)出版社ゆまに書房

by R.B

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