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週刊スモールトーク (第487話) ピタゴラス教団(1)~古代ギリシャの秘密結社~

カテゴリ : 人物思想歴史科学

2021.12.03

ピタゴラス教団(1)~古代ギリシャの秘密結社~

■古代ギリシャの秘密結社

ピタゴラッ、スイッチ!

一世風靡の幼児向けTV番組だが、大人が観ても楽しい。日常にひそむモノ・コトのカラクリを解明する知育番組で、正式な番組名はピタゴラスイッチ、かの有名な古代ギリシャの哲学者にちなむ。

ピタゴラスの定理?

イエス。

直角三角形の長辺の2乗は他の2辺の2乗の和に等しい・・・三平方の定理ともいうが、じつはピタゴラスが発見した確たる証拠はない。さらに、無理数もピタゴラスが発見したというが、これも怪しい。とはいえ、それでピタゴラスの名声がかすむわけではないが。

ピタゴラスの業績は、人文科学から自然科学までおよぶ。さすが、自ら「フィロソフォス(知を追い求める者)」を名乗っただけのことはある。いわば知の総合学だが、これを「ピタゴラス学派」とよんでいる。

じつは、ピタゴラス学派は純粋な学問の徒ではない。ある種、カルト集団のにおいがするのだ。

まず、ピタゴラス学を学ぶには、ピタゴラス教団に入会しなければならない。しかも、教えが門外不出で、ささいな情報も教団外に漏らせば死刑。アブナイ秘密結社にしか見えないのだが。

さらに、教団に入会する際、財産が没収される。私有財産の所有が禁じられていたから。それで共同生活を送るのだから、原始共産制のコミュニティ?

しかも、研究内容が「ふつう」ではない。哲学、数学、天文学、音楽、何の脈絡もない分野を、すべて「数(数論)」で解決しようというのだ。抽象化を極めると解釈すれば、科学なのだが、一方で、輪廻転生(生まれ変わり)を受け入れ、魂の救済をめざす。まんま宗教ではないか。

というわけで、ピタゴラス学派は、神秘主義的で秘密主義的、宗教的で科学的。どっちやねん?

しかも、ピタゴラス教団は秘密を守るためなら処刑もいとわない。こんな謎の教団を創設したのがピタゴラスなのである。ピタゴラスの定理からは想像もつかない。

■ピタゴラスの波乱万丈の人生

古代ギリシャの大学者ピタゴラスは、紀元前6~5世紀に地中海世界で活躍した。

この頃、ギリシャ人はイオニア海とエーゲ海にはさまれたペロポネソス半島をギリシャ本土とし、都市国家を築いた。さらにイオニア海西方のイタリア半島、エーゲ海東方のアナトリア半島西岸に、多数の植民市を築いた。後者はイオニア地方とよばれ、紀元前6世紀に「イオニア哲学」が興った。

ピタゴラスは、サモス島でイオニア哲学を学び、「サモスの賢人」とよばれた。30歳頃、ピタゴラスはさらなる「賢人」をめざし、サモス島を出帆する。遠くインドまで旅し、あらゆる学問を修めたという。

これは興味深い。

地中海世界で輪廻転生が広まった謎が解けるかもしれないから。

■輪廻転生

輪廻転生(生まれ変わり)は、3世紀の地中海世界で広く受けいれられた。この時代、この世界を席巻した新プラトン主義、ヘルメス主義、グノーシス主義の教義になっていたから。だが、輪廻転生は宗教的教義で、ロゴス(真理、論理)を重んじる古代ギリシャや地中海世界にそぐわない。じつは、その起源をたどると、紀元前5世紀のピタゴラス学派に行き着く。

ではどうやって、ピタゴラスは輪廻転生を思いついたのか?

インドへの旅。

歴史上始めて輪廻転生を体系化したのは、古代インドのウパニシャッド哲学である。その哲理は、紀元前8~5世紀頃、形式化・儀礼化したバラモン教を批判する運動として始まった。

ウパニシャッドは、サンスクリット語で「奥義書」を意味するが、文字どおり奥が深い。宇宙の原理を追求する原理主義、古代インドの宗教革命といっていいだろう。ウパニシャッド哲学によれば、「転生」とは命あるものが人や動物に生まれ変わること。「輪廻」とは転生が廻転するように繰り返すこと。ただし永遠に続くわけではない。「梵我一如(ぼんがいちにょ)」に至ると、輪廻転生は終わる。これが魂の救済だ。

ピタゴラスがインドを旅した紀元前6世紀半ばには、ウパニシャッド哲学も仏教も成立していた。つまり、ピタゴラスがインドで輪廻転生を仕入れた可能性が高い。

というわけで、地中海世界で異質の輪廻転生が普及した原因は、ピタゴラスのインドの旅?

輪廻転生だけではない。ピタゴラスの教義そのものに、インドの哲学・宗教の色調が見て取れる。インドの旅がピタゴラスの人生を変えたのだろう。アップルのスティーブ・ジョブズのように。

ピタゴラスは旅から帰ると、南イタリアのクロトン(現クロトーネ)に居を構えた。そこで、ピタゴラス教団を創設し、ピタゴラス学派を開闢(かいびゃく)したのである。その後、ピタゴラス学派は大いに繁栄したが、ピタゴラス自身は90歳の頃に失脚する。クロトンの町を追われ、北方の寒村メタポンティオントで没したという。

■イオニア哲学

ピタゴラスは、インドの哲学・宗教からインスピレーションを受けたが、原点はイオニア哲学にある。

イオニア哲学は古代ギリシャ最古の学派とされ、紀元前6世紀頃、イオニア地方で興った。

ではなぜ、ギリシャ本土ではなく辺境の地でおこったのか?

じつは、イオニア地方は辺境の地でない。ギリシャ世界とオリエント世界をつなぐ重要な結節点だったのだ。イオニア地方の港町ミレトスは、地中海交易の中心地として栄えた。東方からオリエント文化が持ち込まれ、ギリシャ文化と融合したのである。いわばヒト・モノ・情報のるつぼで、哲学が深化しても不思議はない。

イオニア哲学は、既成概念にとらわれず、自然を観察し、論理的に考える「自然哲学」だった。そのため「万物の根源」に執着する。現代なら素粒子だが、この時代に量子力学はない。そのため、万物の根源(素粒子)は身近なものが選ばれた。たとえば、タレスは「水」、アナクシメネスは「空気」を万物の根源と考えたのである。

ところが、ピタゴラス学派は根本が違った。

万物の根源を、抽象的な「数」においたのである。正確には「数の比率」。そして、哲学、数学、天文学、音楽、すべてを「数」で説明しようとした。人間の五感で認知できるモノ・コトではなく、純粋な論理で考える。このような形而上学的手法は、プラトンにも継承され、西欧の一大哲学体系に発展する。

だからどうした?

ゼンゼン、ピンときませんけど。

たしかに。

そこでピタゴラス学を音楽と天文学で学ぶことにしょう。ただし、発想も論理も日本式と異質なので、ビックリ仰天。とはいえ、新鮮な気分になれるし、ネタにもなるから、いいことずくめだ。

《つづく》

参考文献:
・週刊朝日百科世界の歴史、朝日新聞社出版

by R.B

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