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週刊スモールトーク (第476話) ベーシックインカムの時代~資本家への道~

カテゴリ : 社会経済

2021.06.04

ベーシックインカムの時代~資本家への道~

■不平等で貧しい国

日本は経済大国で貧困の少ない国、は遠い昔の話。

国の経済力をあらわすGDPをみてみよう。日本のGDP成長率は、1970年をピークに下がり続けている。2021年には先進7カ国(G7)で最下位に転落。GDP世界3位を誇る向きもあるが、すべて過去の蓄えのおかげ。成長率が最下位なら、いずれ経済大国から転落するのは火を見るより明らかだ。

さらに、日本の貧困率は先進国第3位。2016年のデータによれば、相対的貧困率は15.7%で、6世帯に1世帯。相対的貧困とは、可処分所得(実際に使える所得)が、中央値の半分に満たないこと。一方、絶対的貧困は、必要最低限の生活水準を満たさないこと。

日本の貧困率は2つの点で深刻だ。

第一に、日本の相対的貧困は絶対的貧困に近いこと。日本の中央値は年収245万円なので、相対的貧困は122万円未満。月収10万円では、必要最低限の生活を維持するのも難しい。

第二に、相対的貧困が6世帯に1世帯であること。発展途上国ではなく、日本であることを考慮すると、かなり多い。ご近所さんに1軒あっても不思議はないのだから。

一方、非貧困層の間でも、格差は拡大している。野村総研は、日本の世帯を保有する資産額で5つに分類した。金融純資産5億円以上の超富裕層から、富裕層、準富裕層、アッパーマス層、そして3000万円未満のマス層。この5階層で、上位2.5%(超富裕層と富裕層)が、日本の家計の金融資産の21%を占めている。さらに、上位にいくほど、資産の増加率が高い。つまり、非貧困層も格差が拡大しているのだ。

ではなぜ、格差は生まれるのか?

貧困と非貧困を分かつのは勤労所得(賃金)である。そもそも、定義からして可処分所得によるから。

一方、非貧困層の格差は、不労所得の影響が大きい。具体的には、株式・投資信託などのリスク資産だ。

具体例で示そう。周囲に、年収300万円で、35歳で1500万円の金融資産を築いた人がいる。若い頃から、質素倹約して、貯蓄に励み、200万円貯まった時点で、半分を株式・投資信託に投資。その後、安全資産とリスク資産のバランスをとりながら投資を続けた結果だ。一方、年収1000万円で貯蓄ほぼゼロの人もいる。どんな大金を稼いでも、使い切ればお金は残らない。

貯蓄は重要だ。生きていく上で、最強のリスクヘッジになるから。人生は長い。どんな災難が降りかかるかわからない。不況やパンデミックでリストラされたり、病気で働けなくなったり、さらに老後はみんな無職になる。というわけで、経済力なら「年収300万円で貯蓄1500万円>年収1000万円で貯蓄ゼロ」。

ではなぜ、こんな差が生まれるのか?

自分の頭で考えて行動しているか、それに尽きるだろう。

■日本人が預金・現金に執着する理由

高度に管理された社会では、人間の家畜化がすすむ。ヒトはみな、自分の頭で考えて行動しなくなるのだ。牛や羊や豚のように飼いならされ、最後は飼い主の食い物にされる。有り体に言えば人間牧場。

たとえば、日本人は現金・預金を盲信している。日米の家計資産を比較すればあきらかだ。日本の家計資産に占める現金・預金は51%で、株式・投資信託は17%にすぎない。一方、米国は株式・投信信託は48%もある。つまり、「現金・預金が一番」は日本の常識になっているのだ。

理由は2つ。

まず、日本人は現金・預金が元本保証と信じ込んでいる。もちろん、元本保証は1億2000万の妄想にすぎない。1万円札の額面「1万円」は変わらないが、円安やインフレが10%進めば、実質的価値は9000円になるから。つまり「価値」の元本保証は、この世に存在しないのだ。

さらに、バブル崩壊のトラウマ。

1980年代、日本はバブル景気に沸いた。給料とボーナスはうなぎのぼりで、株、ゴルフ会員権、絵画、土地、ありとあらゆる資産が高騰した。主婦が借金して、株式投資するのも珍しくなかった(ホントだぞ)。

その異常ぶりを日経平均株価で確認しよう。

バブル経済が始まった1984年に8000円だったが、その後上昇に転じ、1989年末に38915円の最高値をつけた。5年でなんと5倍である。ところが、その翌年、あっけなくバブルは崩壊。半年で半値になり、2003年に8000円台まで下落した。

つまり、株価は5年間で5倍に、その後13年で1/5に暴落したのである。まるでジェットコースターだが、上りはさておき、下りで快感を覚える人はいないだろう。日本人が「株のトラウマ」になっても不思議はない。

ところが、最近、若い人たちの間で株式投資が増えている。「年金2000問題」がきっかけになったのかもしれない。老後、年金だけでは2000万円不足するというのだから。若い世代は、老後までに余裕があるから、今からでも遅くはない。真面目に働いて、質素倹約して、ムリ・ムラ・ムダのない投資に徹すれば勝機はあるだろう。

■ベーシックインカムに備える

では、これから日本はどうなるのか?

世間の怪しい常識に惑わされず、自分の頭で考えてみよう。

われわれ庶民にとって、最も重要なのは「生存権」だ。そこにフォーカスすると、第一は国家安全保障、具体的には隣国の軍事的脅威だ(少なくとも3つある)。とはいえ、ココは庶民にはどうしようもない。第二は経済。生きていく上で欠かせないが、ココは個の努力が報われる。そこで、経済にしぼって考えてみよう。

経済の成長は、労働、資本、イノベーションの3つで決まる。

ただし、この3つは独立しているわけではない。

まず、昨今、イノベーションが労働の質を変えつつある。人間の労働から、機械の労働へ。理由はカンタン、スペックで機械は人間を凌駕するから。さらに、文句一つ言わず、昼夜を問わず、1年365日働き続ける。経営者が、どっちを取るかは明白だ。昔もてはやされた「人材ではなく人財」もすっかり色あせてしまった。ヒトが財産なら、モノ扱いでポイ捨て?なんて皮肉まで出る始末。

というわけで、営利を追求する企業が、人間ではなく機械に投資するのは当然の成り行きだろう。そのためには大金が必要だから、資本の重要性が増す。結果、労働の対価(賃金)は下がり、資本の対価(配当・キャピタルゲイン)は上がる。つまり「資本分配率>労働分配率」がすすみ、資本家と労働者の格差は拡大する。この世界は自分の都合や、倫理、道徳のような概念では動かない。力の原理で動く。資本主義の場合、第一原理は適者生存、第二原理は格差の拡大だ。

とはいえ、このままいけば、労働者は仕事を奪われ、ベーシックインカムの時代が来る。その時点で、格差は極大化するだろう。旧労働者は国から支給されるわずかな生活費で、慎ましく生きる。一方、機械(ロボット&AI)を所有する資本家は、夢のようなモノ・サービスを享受できる。フリッツ・ラングのディストピア映画「メトロポリス」が現実になるわけだ。

では、労働者は今何をなすべきか?

選択肢は2つある。

一つは、ベーシックインカムを素直に受け入れる。働かなくてもいいから、そんなに悪い話じゃない、と割り切るわけだ。

もう一つは、労働者から資本家に転身する。これまで、労働者が資本家になるには、働いて経験を積んで、起業するのが一般的だった。ところが、機械(ロボット&AI)が労働を丸取りすると「働いて経験を積む」は無効になる。つまり、資本家への道は不労所得(リスク資産への投資)しかなくなる。

機械が労働を丸取りする時期は、2050年頃だろう。まだ30年あるから大丈夫、と安心しない方がいい。人間から機械への置き換えは段階にすすむから。

キモはAI(人工知能)だが、さらに恐ろしいテクノロジーが台頭しつつある。DX(デジタルトランスフォーメーション)だ。ちまたの定義によれば、ITが社会を良い方向に変化させる概念というが、そんな甘いものではない。労働どころか、社会全体が完全にデジタル化(機械化)され、アナログの人間の居場所はなくなるだろう。

冷静に考えてみよう。

新型コロナ・パンデミックによる損失は、一過性で、業種も飲食業・旅行業など一部に限られた。それでも、国はこんな大混乱に陥ったのだ。もし、半永久的で、全分野に及ぶ「労働の機械化」が完了すれば、何がおこるか、自分の頭で考えてみる必要がある。自分に降りかかる火の粉は、自分で振り払うしかないから。

■資本家への道

友人の知人に、不思議な人がいる。地方の会社で地道にサラリーマンを続けながら、株式投資を続け、60歳で純資産1億円を達成した。日本では富裕層、ミニ資本家と言っていいだろう。

これは重要な教訓だ。

たとえ、安月給のサラリーマンでも、質素倹約して、コツコツ投資すれば、資本家への道は開ける。若い世代も、それに気づき始めている。最近よく見かける「Fire(早期リタイア)」はその表れだろう。

でも、ジリ貧を避けて、ドカ貧になったらどうする?

資本家に転身できるかは神のみぞ知るだが、ドカ貧を回避する方法はある。まず、投資に生活資金を使わないこと。生活に困ったら、損切りする羽目になるから。つぎに、利益の半分だけ再投資すること。そうすれば、全滅はまぬがれるから。最後に、安いときに買って、高いときに売ること。

そんなのにあたりまえ?

それが不思議なことに、高いときに買って、安いときに売る投資家がいかに多いか。もちろん、それを避ける方策はあるが、話が長くなるからまたの機会で。

この3つのルールを守り、初戦で勝利すれば、ドカ貧はありえない。株式市場が全崩壊しても、利益の半分は残っているから。もっとも、株式市場が全崩壊すれば、現金・預金もただではすまない。金融システム全体がメルトダウンし、貨幣の価値も揺らぐから。そうなれば、みんなドカ貧?

そんなカタストロフィーでも、価値を保つのは?

食料と水、エネルギー、住居、そして、医療とセキュリティ。「生存」に直結するモノとサービスだ。

これは重大である。

現在、世界中にあふれている商品のほとんどが、ガラクタだから。カタストロフィーがおこれば、ほとんどの業界が廃業するわけだ。最近、そんな未来が垣間見えた。新型コロナ・パンデミックだ。エッセンシャルワーカーの地位が向上し、不要不急の業界だけが大打撃をうけたのだ。

というわけで、来たるべき未来が見えてきた。金融資産に余裕ができたら、一部をハイテク自給自足インフラの構築に回そう。預金であれ、株式であれ、マネーはしょせん、モノ・サービスの交換手段にすぎない。本質的な価値は何もないのだから。

by R.B

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