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週刊スモールトーク (第466話) ペストの贈り物(2)~農業革命~

カテゴリ : 歴史社会

2021.01.22

ペストの贈り物(2)~農業革命~

■ペストで産業革命

ペストの贈り物・・・不穏で不吉な響きがあるが、本当の話。

万有引力の法則が発見されたのも、魔女狩りが終息したのも、ペストのおかげ。因果関係も明白だ。17世紀、イギリスで最後のペストが流行すると、ケンブリッジ大学は閉鎖、ニュートンは実家にひきこもるしかなかった。そのときの思索が万有引力の法則につながったのである。ペストが流行すると、教区の牧師たちが逃げ出し、キリスト教会の信用は失墜した。だから、教会が主導する魔女狩りが終息したのである。

というわけで、ペストは悪いことばかりではない(後世の人々にとって)。

一方、因果関係が複雑なペストの贈り物もある。風が吹けば桶屋(おけや)が儲かる的な。

風が吹くと、ホコリが舞い上がり、人の目に入る。すると、盲人が増えて、三味線がたくさん売れる。盲人は三味線で生計を立てているから。三味線は猫の皮を材料にするから、猫がたくさん捕獲される。猫はネズミの天敵なので、ネズミの数が増えて、桶をたくさんかじる。だから、桶屋が儲かる。

個々の因果関係は成立しているが、全体を俯瞰すると、騙されている!

とはいえ、半分笑えるし、目くじら立てるほどのことではない。「複雑な因果関係」の存在を認めればいいのだ。

たとえば、産業革命。この有名な歴史イベントがペストのおかげだとしたら?

ただし、因果関係の複雑さは万有引力の法則や魔女狩りの比ではない。さらに、人類が受けた恩恵も桁違いに大きい。人類はツラくてキツイい肉体労働化から解放されたのだから。くわえて、工場の生産性が向上し、所得が増え、暮らし向きも良くなった。人間は物質的に豊かになれば、心にゆとりができる。その証拠が「家族愛」だろう。この概念がヨーロッパで生まれたのは産業革命以降なのだ。

産業革命の恩恵はそれだけではない。人類初の人工動力「蒸気機関」を生み出したのだ。それが内燃機関、原子力機関へと進化し、人類は無限の動力を手に入れた。一方、原子力は都市を明るくすることもできるが、灰にすることもできる。ペストが災禍と恩恵、2つの顔をもつのと同じだろう。

ではなぜ、ペストは産業革命の原因と言えるのか?

まず、結果を確認しよう。

・1331年、ペストが中国で発生。

・1348年、ペストがヨーロッパに到達。

・1349年~1665年:ペストがヨーロッパで猛威をふるう。

・1666年、ペストが終息(最後はロンドン)。

・1760年、産業革命がイギリスで始まる。

ペストが終息してから、100年後に産業革命がおきている。その間、何がおきたのか?それが「ペスト→産業革命」の因果関係を証明する。

■人口半減

ペストがイングランドに到達したのは1348年、多数の犠牲者が出た。とくにロンドンがひどく、人口の50%が死んだ。住民が半分になった街を想像してほしい。この世の終わりではないか。

人口半減で窮地に立ったのが領主だった。この時代、イングランドは封建制で、地方は領主が支配していた。自分の農地「荘園」で農民を酷使し、作物を栽培していたのだ。ところが、ペストで人口が激減し、働き手がいなくなった。

たとえば、イングランドのエインシャム地方。生き残った農民はたった2人だった。あの過酷なペストを生き延びたのだ、さぞ賢かったのだろう。この2人は、領主に地代の減額を要求したのだ。条件を呑まないと荘園を去るぞ、と脅して。哀れな領主は従うしかなかった。農民のいない領主は、担ぎ手がいない神輿と同じだから。

しかし、この時代、農民は自分の土地を離れることは難しかった。そもそも、法で禁じられているし、夜逃げしても後がない。裸一貫、見知らぬ土地でどうやって食べていくのだ。

ではなぜ、エインシャムの農民はそれができたのか?

イングランドには、他の西ヨーロッパ諸国にない特徴があった。貨幣経済である。

大陸のヨーロッパ諸国では、領主は農民に労働力を提供させ、収穫物を徴収していた。つまり「物納」。一方、イングランドは貨幣経済が浸透していたから、農民は「地代(貨幣)」で納めていた。だから、エインシャム地方の農民は、地代の減額を迫ったのである。

その仕組みはこうだ。農民は収穫物を市場で売り、貨幣に替える。その貨幣で地代を払い、残りはタンス預金。つまり、イングランドの農民は現金をもっていたのである。カネさえあれば、見知らぬ土地でも当座はしのげる。だから「荘園を去る」自由があったわけだ。ロシアの偉大な作家ドストエフスキーの名言「貨幣とは鋳造された自由である」は、言い得て妙。

つまりこういうこと。

ペストのおかげで農民の地位が向上した。その後、イングランドで土地を所有する農民が出現する。彼らは「独立自営農民(ヨーマン)」とよばれた。自分の土地なので、収穫が多いほど取り分が増える。それが、ヨーマンの大きなインセンティブとなった。事実、ヨーマンは土地を改良し、農法を工夫し、農業の「カイゼン」に勤しんだ。その結果、生まれたのが「輪作」なのである。

■輪作

同じ作物を同じ農地に連作すると、農地の地力が失われ、収穫量が減る。その問題を解決したのが「輪作」だった。農地を4分割し、カブ、大麦、クローバー、小麦の4種類の作物を栽培する。1年ごとに、栽培する作物をシフトすれば、4年で一巡する。

実例をあげよう。

土地1:カブ→大麦→クローバー→小麦

土地2:大麦→クローバー→小麦→カブ

土地3:クローバー→小麦→カブ→大麦

土地4:小麦→カブ→大麦→クローバー

同時期に土地1~土地4で栽培する作物が違うのがミソ。それが1年ごとにシフトしていくので、同じ作物は4年に一度だけ栽培される。だから、連作にはならない。結果、地力は劣化せず、収穫量が劇的に増えた。

食糧が増えたから人間は大喜び、一方、家畜も喜んだ?

それまでは、家畜は冬を迎える前に、屠殺される運命にあった。冬に与える餌がなかったから。屠殺された家畜の肉は、加工され保存された。

冷凍庫のない時代にどうやって?

燻製、干物、酢漬け、いろいろあるが、塩漬けが多かった。塩は安価で強力な防腐剤だったから。

しかし、食べるときが問題だ。塩分を取り除いても、臭くて食べられない。そこで、スパイス(香辛料)が重宝された。肉の臭みを消すにはうってつけ。ところが、スパイスはヨーロッパでは産しなかった。遠くアジアから輸入するしかない。しかも、その交易路はイスラム商人が独占していたので、言い値、つまりバカ高い。最上級のスパイスは金に匹敵したというのだから。

そこで、ヨーロッパ人たちは、独自の交易ルート発見すべく、大海に乗り出した。それが大航海時代なのである。

1497年、ポルトガル王マヌエル1世は、ヴァスコ・ダ・ガマにインド遠征を命じた。ガマは170名の乗員ともに、4隻のキャラック船に分乗し、リスボンを出航した。1498年5月20日、船団はインドのカリカットに到着。このとき、一人の現地人が、ガマにこう尋ねたという。

「ポルトガル人はアジアで何を探しているのか?」

ガマが答えて、

「スパイスとキリスト教徒」

大航海時代の核心を突く名言である。2番目の「キリスト教徒」は?

本題からそれるし、話が長くなるので省略。

このガマの冒険的航海を「ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見」とよんでいる。その後、ヨーロッパ人たちは香料諸島(スパイスアイランド)に進出した。スパイスの最高級品のチョウジとニクズクは、地球上でここでしか産しなかったから。

話を輪作にもどそう。

春から秋、家畜をクローバーの牧草地で放牧すれば、エサに困らない、さらに、家畜の糞尿で土地が肥える。冬場は収穫したカブを家畜に与えれば、屠殺の必要もない。しかも、連作しないので地力が失われない。いいことづくめ、一石四鳥、輪作バンザイ!

■囲い込み

この4年周期の輪作は、18世紀、イギリスの政治家タウンゼンドによって広められた。ところが、問題もあった。輪作は、4年周期で作物が一巡するので、主食の小麦の農地は1/4。十分な小麦を収穫するには、広大な農地が必要だ。ヨーマンの個人経営ではムリ。そこで農地を買い占める大地主が現れた。彼らは、ヨーマンから農地を買い占め、広大な農地を確保し、大量の農民を雇用し、大規模農業に乗り出した。このような農地と労働力の集約化を「囲い込み」という。

輪作と囲い込みは、農業を大きく発展させた。それは数字が物語る。単位面積あたりの小麦の収穫量が、ペスト流行が始まった14世紀から18世紀で2倍に増えたのだ。その後、西ヨーロッパ全域に拡大していく。この一連の事象を「農業革命」とよんでいる。

ここで、因果関係を整理しよう。

ペスト→人口激減→農民の地位向上→ヨーマンの出現→輪作→囲い込み→農業革命

つまり、農業革命はもとを正せばペストのおかげ。風が吹けば桶屋が儲かると同じ?

そんなこじつけじゃありません!

ところで、土地を手放したヨーマンはどうしたのか?

多くは大地主に雇用されたが、あぶれる者もいた。農業革命で生産性が向上したからである。

農業の生産性が上がると何がおきるか?

労働者が減る。たとえば、100人分の食糧を作るのに95人必要だったのが、90人ですむ。5人が余剰人員になるわけだ。とはいえ、田舎は農作業以外にロクな仕事がない。村には鍛冶屋や革職人が必要だが、スキルも設備もないから、農夫にはムリ。そこで、あぶれた農民たちは都市に移り住んだ。結果、「都市人口=都市労働者」が増えたのである。

これが、後の産業革命に大きな影響を与える。「産業革命=工業化」は「都市労働者=工場労働者」が欠かせないから。

ということで、つぎは「農業革命→産業革命」。その因果の連鎖を読み解いていこう。

《つづく》

by R.B

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