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週刊スモールトーク (第446話) 明智光秀(3)~本能寺の変の動機~

カテゴリ : 人物歴史

2020.04.18

明智光秀(3)~本能寺の変の動機~

■本能寺の変はなぜおきたか

明智光秀は、なぜ織田信長を殺したのか?

日本史上、最悪の無差別テロ「本能寺の変」の動機である。

無差別テロ!?

宣教師ルイス・フロイスは、「本能寺の変」をこう記している。

「諸説が一致しているところでは、わずかの日々に、すでに1万人以上の者が殺されたらしい」(※2)

羽柴秀吉と明智光秀が戦った「山崎の合戦(天王山の戦い)」のことではない。明智軍が畿内や安土で犯した無差別殺人。

つまり、本能寺の変は、謀反というより無差別テロだったのだ。

話を戻して、明智光秀の動機は?

信長の執拗なパワハラに耐えかねて衝動的に、ではなく、計画的に信長に取って代わるつもりだった!?

それを示す証拠もある。

たとえば、信長公記。

著者の太田牛一は、織田信長に長く仕えた家臣。つまり、その時代に、その場にいた当事者が、実際に見聞きしたことを著した書。このような書を「一次史料」とよんでいる。伝聞伝承ではないので、書き手に改ざんの意図がないかぎり、信用していいだろう。ただ、書き手も生身の人間なので、多少のバイアスはかかる。価値観だったり、好みだったり。とはいえ、そこは目をつぶるしかない。そこまで疑い出すときりがないので。

信長公記は、時系列に沿って、事実だけが淡々と記されている。主義主張のたぐいは皆無で、喜怒哀楽もない。歴史書というよりは、報告書だろう。というわけで、読み物としては面白くないが、史実を知る上では貴重な資料だ。

そこで、信長公記から、明智光秀の「本能寺の変」の動機を推測してみよう。

■愛宕百韻(あたごひゃくいん)の謎

信長公記には、信長と光秀がもめた話は一切でてこない。むしろ、光秀が、信長の命令を忠実にこなし、実績を積み上げていく様子が描かれている。そこから読み取れるのは、信長に最も信頼されたのは、柴田勝家でも羽柴秀吉でもなく、明智光秀。

ところが、最終巻(15巻)の後半に、謎めいた記述が出てくる。

「5月26日(1582年)、惟任日向守(これとうひゅうがのかみ)は、中国へ出陣のため、坂本を発って、丹波の亀山の居城に到着した。翌27日には、亀山から愛宕山(あたごやま)へ行き、思うところあってか、神前に参り、太郎坊の社前で二度、三度とおみくじを引いた」

「惟任日向守」とは明智光秀のこと。最後の「三度のおみくじ」は有名なエピソードだ。すべて「大凶」で、光秀の謀反失敗を予言したとされる。ところが、信長公記に「大凶」のくだりは出てこない。そして、問題はその後。

「翌28日、西坊で連歌を興行した。発句は、惟任日向守(明智光秀)。ときは今、雨が下知る、五月かな」

この句を自然に解釈すると、

「今は雨が降り続く五月である」

だから?とツッコミが入るような、なんとものどかな風情だ。本能寺の変の4日前に、詠む句とは思えない。ところが、別の解釈もある。

句の初めの「とき」を、「時」ではなく「土岐」と解釈する。明智氏は美濃守護「土岐氏」出身なので、「ときは今」は「明智光秀は今」となる。つぎに、雨は天から降ってくるので、「雨=天」と読み替えると、「雨が下知る」は「天下を知る」になる。すると、句の意味は、

「明智光秀が、天下を取ることを知った、5月である」

おおー、光秀の謀反をほのめかしているではないか。これが有名な「愛宕百韻(あたごひゃくいん)」だ。

一方、「下知る」ではなく、「下なる」だったという説もある。その場合、句の意味は、

「明智光秀が、降りしきる雨の下で苦境にあえぐ、5月である」

グチっているだけ?

それとも「苦境なので謀反をおこしてやる」と訴えている?

その4日後に本能寺の変なので、「謀反の宣言」と解釈する方が自然だろう。とはいえ、これだけでは、本能寺の変は「計画的犯行」とは言えない。信長公記を前に進めよう。

■本能寺の変

「愛宕百韻」の次の章が「信長上洛」で、その後が「明智光秀、謀反」の章。すわ、本能寺の変!怒濤の展開になるのかと思いきや、意外にあっさりしている。

「さてここに、不慮の事件がもちあがった。6月1日、夜に入って、丹波の国亀山において惟任日向守(明智光秀)は、信長公への謀反を企て、明智左馬助(秀満)・明智次右衛門・藤田伝五・斎藤内蔵助(利三)らと相談して、『信長を討ち果たして、天下の主となろう』とはかりごとを企てた」

それだけ?

それから、明智軍が本能寺を包囲して、信長はあえなく自害。さらに、二条城にいた信長の嫡男・織田信忠も自害。その後、安土の混乱、徳川家康一行が大阪から脱出したところで、おしまい。

結局、「本能寺の変は計画的犯行」を示す記述はどこにも出てこない。

ただし、間接的に読み取れる事実がある。

ポイントは2つ。まず、本能寺の変の直前まで、光秀の疑わしい言動は一切出てこない。そして、変がおきるとトートツに「明智光秀は、信長を討ち果たして、天下の主となろうと企てた」。

つまりこういうこと。

光秀の謀反の動機は明確に「天下の主になる」。さらに、「叛意を巧妙に隠し、謀反寸前まで誰にもばれなかった」。この2つの事実から、本能寺の変は計画的犯行であった可能性が高い。

というのも「日本の半分を征服した最強の王で、第六天魔王を自称する怖ろしい主人を手にかけて、天下を取る」は、思いつきや衝動でできることではない。聡明な光秀ならなおさらだ。さらに、謀反を隠し通せたのは、用意周到にことを進めたから。つまり、衝動的ではなく、計画的。

ところが、謎がある。

本能寺の変は、本来おこりえないイベントだったこと。それが、現実におきたのだから明確な事由があるはず。コインを100回投げて、すべて「表」がでたら、何か仕掛けがあるはずだ。それと同じ。

ではなぜ、本能寺の変はおこりえないイベントなのか?

まず、主家を倒し天下を取るには、信長と嫡男の信忠を同時に殺害する必要がある。どちらかが生き延びると、その元に織田の諸将が結集し、大反撃をくらうから。ところが、この二人を同時に確実に殺害するには、3つの条件が必要になる。二人が同じ場所にいること。護衛が少人数であること。光秀が大軍を擁すること(逃げられたらおわりなので、大軍で完全に封じ込める必要がある)。

つぎに、自分の主人であり、日本の半分を征服した怖ろしい第六天魔王を殺害するなど、並の神経ではできない。

つまり、本能寺の変が「おこる確率」は限りなくゼロに近い。そのレアさは、信長の人生シミュレーター「GE・TEN~戦国信長伝・下天~」でも疑似体験できる。

さらに、本能寺の変が「成功する確率」はもっと低い(マイナスにはならないが)。

20~30人の小姓衆しかいない信長は、カンタンに討てるだろう。だが、嫡男の信忠はそうはいかない。1000名前後の兵に守られ、本能寺から北西4km離れた妙覚寺にいたから。信長公記によれば、変がおきたとき、信忠は、信長に加勢しようと二条城に移り、大善戦している。そんな余力があれば、都を脱出すればよかったのだ。事実、信忠の家臣で脱出に成功した者もいる。

もし、信忠が都を脱出すれば、織田家の跡目に決定している信忠のもと、織田家の諸将が結集するだろう。有力な武将は、中国方面軍の羽柴秀吉と北陸方面軍の柴田勝家。この両軍が相手では、光秀に勝ち目はない。実史では羽柴軍だけで敗北したのだから。

一方、光秀が信長と信忠を討ち取ったとしても、勝算は薄い。織田の諸将が、主人殺しの光秀討伐に血眼になるから。それが実際におきた羽柴秀吉の「中国大返し」だ。もし、秀吉が「中国大返し」をやらなくても、織田の諸将が光秀につくことはない。光秀は、織田家では人気がなく、浮いた存在だったから。宣教師ルイス・フロイスの「フロイス日本史」にはこんな記述がある。

「殿内(織田家)にあって、彼(光秀)はよそ者であり、外来の身であったので、ほとんどすべての者から快く思われていなかった」(※2)

どう転んでも、光秀に勝ち目はない。

つまりこういうこと。

本能寺の変は、計画的でないと、成功はおぼつかない。一方、天下取りまでいく可能性はかなり低い。つまり、衝動的でないと踏み切れない。これは大きな矛盾だ。どう説明したらいいのか?

もしかしたら、「本能寺の変」の原因は、つじつま合わせのような「光秀の動機」では説明できないのかもしれない。

■ダークコア(闇の核)

「パーソナリティ」というコトバがある。日常的に使われているが、じつは、れっきとした心理学用語。脳の特性を表す指標で、「パーソナリティ=知能+性格」で定義される(単純な算術和ではない)。知能は「IQ(知能指数)」で計測できるが、性格は数値化するのは難しい。一方、興味深い「性格指標」がある。最近脚光をあびている「ダークコア」だ。

「ダークコア」は、様々なタイプの悪人に共通する傾向を表す。直訳すると「闇の核」だが、「悪の根源」か「悪の種子」と言った方がわかりやすい。

ダークコアは、9つの悪の要因「D因子(Dファクター)」で定義される。

1.エゴイズム(自己利益を最優先する)

2.マキャベリズム(他者を操る、戦略的で計画的)

3.道徳の欠如(倫理は自分には適用されない)

4.ナルシズム(過剰な自己愛)

5.権利意識(自分は特別の存在)

6.サイコパシー(反社会的で衝動的)

7.サディズム(他者を傷つけて悦ぶ)

8.世俗欲(物欲があり、社会的成功を追求する)

9.悪意(他人を害するためなら、自分が害をうけてもかまわない)

もし、こんなのが組織に紛れ込んでいたら、一大事。何をしでかすわからない。さらに、高い地位を得ていれば、犠牲者の数の極大化する。基本、捕食者(プレデター)なので。

犯罪心理学者ロバート・D・ヘアはこう言っている。

「すべてのサイコパスが刑務所にいるわけではない。一部は取締役会にもいる」

明智光秀は、織田家の最有力の取締役だった。もし、光秀がダークコアだったとしたら・・・

ダークコアは、自己の利益を最優先し(天下取り)、戦略的で衝動的(計画的に準備し、衝動的に決行する)、倫理が欠如し(大恩ある主人を弑逆)、反社会的(無差別テロ)・・・本能寺の変が矛盾なく説明できる。信長のパワハラに耐えかねたとか、信長のやり方が気にいらなかったとか、つじつま合わせの「動機」をでっちあげる必要はない。

つまり、本能寺の変を引き起こしたのは、明智光秀の「ダークコア」。

でも、問題が一つ残る。明智光秀は本当にダークコアだったのか?

残念ながら、信長公記には、明智光秀の「人となり」は一切記されていない。光秀の輝かしい手柄を書き連ねた後、怪しい「愛宕百韻」、そして最後にトートツに「信長を討ち果たして、天下の主となろう、とはかりごとを企てた」。

これでは、光秀のダークコアを証明することができない。だが、あきらめるのは早い。織田信長の一次史料はまだある。宣教師ルイス・フロイスが著した「フロイス日本史」だ。

そこには、明智光秀の恐るべき「闇の核」が記されている。

《つづく》

参考文献:
(※1)信長公記、太田牛一著、榊山潤訳、富士出版
(※2)回想の織田信長フロイス「日本史」より松田毅一(翻訳)、川崎桃太(翻訳)中央公論新社

by R.B

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