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週刊スモールトーク (第416話) 米中新冷戦(4)~一帯一路と大東亜共栄圏~

カテゴリ : 戦争歴史経済

2019.03.16

米中新冷戦(4)~一帯一路と大東亜共栄圏~

■一帯一路と大東亜共栄圏

中国の「一帯一路」は、80前の大日本帝国の「大東亜共栄圏」の写し絵だ。「大東亜共栄圏」は米国に粉砕されたが、「一帯一路」はどうなるのだろう。

どちらも、米国から目の敵にされているのが、気になるところだ。

「一帯一路」も「大東亜共栄圏」も、「経済ブロック圏」をかかげながら、真の狙いは「新秩序の樹立」にある。そこを見透かされたわけだ。

本来、「経済ブロック圏」は平和的なもの。複数の国が集まって、経済ルールをいっしょにした経済共同体。国家間の障壁がなくなり、経済効率がアップし、スケールメリットもでるから、いいことずくめ。

たとえば、関税がなくなるので、物流(商品の流れ)、商流(取引の流れ)、金流(金の流れ)が加速する。一方、各国の主権や法律は尊重されるから、アブナイ国が主導して世界征服、なんてこともない。これなら米国も安心だろう。それで半分成功したのが「EU(ヨーロッパ連合)」だ。

しかし、その裏に「新秩序の樹立」が潜んでいるとしたら?

その「新秩序」が米国にとって受け入れがたいものだったら?

米国が目の敵にしても不思議はない。

米国は言わずと知れた世界最強国だ。しかも「世界の警察」を自負している(最近はそうでもないが)。そこに、米国と異質の「新秩序」をかかげる巨大連合が出現したら、安全保障上、最大の脅威だ。たとえ、表向き米国に敵対しなくても、潰したくなりますよね。

もっとも、これは米国に限った話ではない。

かつてのイギリス(大英帝国)もそうだった。

■イギリスVsヨーロッパ大陸

19世紀、ナポレオンが登場し、フランスが強国になると、イギリスはプロイセン(現ドイツ)と手を組んで、フランスを潰した。さらに、20世紀、ヒトラーが登場し、ドイツが強国になると、今度はフランスと手を組んでドイツを潰した。

なぜか?

イギリスは小さな島国である。だから、ドーバー海峡を介し40kmしか離れていないヨーロッパ大陸の情勢が気になるのだ。ヨーロッパ諸国が相争っている間は問題ない。イギリスにかまっているヒマはないから。ところが、ナポレオンやヒトラーのような征服者が出現して、ヨーロッパ大陸を統一したら?

つぎは、西のイギリスか東のロシアか?

もし、強大なヨーロッパ帝国が、イギリスに侵攻したら、ちっぽけな島国に勝ち目はない。

事実、ブリテン島(イギリス)は、大陸から何度も侵攻をうけている。

まずは、紀元前6世紀、ローマ帝国の侵攻。

当時、ブリテン島はブリトン人が居住していた。紀元前55年8月26日、カエサル率いるローマ軍はブリテン島南部に上陸する。遠目に観察していたブリトン人は、巧妙な戦術を仕掛け、優位に立つ。

そこで、ローマ軍は、戦艦のバリスタから火矢を放って応戦するが、天候が急変する。古代の船は脆弱だから、悪天候に弱い。もし、船が沈没すれば、退路を絶たれる。そこで、カエサルは撤退を命じ、ブリテン島は救われたのである。ところが、その100年後、ブリテン島は再度侵攻をうけ、今度は敗北、ローマ帝国の属州に組み入れられた。

つぎは、11世紀、ノルマンディー公ウィリアムの侵攻。

11世紀、イングランド(ブリテン島)を支配していたのは、アングロサクソン人のエドワード懺悔王である。ところが、エドワード王は実子を残さないまま死ぬ。王権が脆弱だったから、たちまち後継者争いが始まった。有力な候補は、アングロサクソン人のハロルド2世と、ノルマン人のギヨーム2世である。ギヨーム2世はヴァイキング出身だが、ノルマンディーに領地をもつフランス貴族だった。

1066年10月14日、ギヨーム2世はブリテン島に上陸し、激戦の末、ハロルド2世を破った。その後、ギヨーム2世は、ウィリアム1世として即位し、ノルマン朝を開いた。そのため、ノルマンディー公ウィリアムとよばれている。これが現在のイギリス王室の祖である。

このヘイスティングズの戦いは、イングランドの歴史の大転換点だった。もし、この戦いで、ハロルド2世が勝利していたら、イギリスの王統はノルマン人ではなく、アングロサクソン人になっていたから。

じつは、この戦いは、初めハロルド2世が優勢だった。ところが、1本の矢がハロルド2世の目を貫き、司令官が戦死。形勢が一挙に逆転したのである。イギリス1000年の歴史が、一本の矢で決まったわけだ。

もっとも、その後、ブリテン島では、アングロサクソン人とノルマン人の同化が進んだから、どっちが勝っても大勢に影響なし?

というわけで、イギリスにとって、ヨーロッパ大陸はもめている方が望ましい。一つにまとまって、攻め込まれたら勝ち目はないから。

■大東亜共栄圏

話をもどそう。

米国が「一帯一路」と「大東亜共栄圏」を忌み嫌うのは、「新秩序の樹立」が隠されているから(本当はミエミエ)。

新秩序?

わかりづらい、具体的にみていこう。

まずは、大東亜共栄圏から。

19世紀、欧米列強は、アジアを植民地にしようと競い合っていた。インドはフランスとイギリスが奪い合い、中国はみんなで奪い合っていた。一方、日本には米国のペリー艦隊が襲来し、大砲をぶちかまし、不平等条約をつきつけていた。品位に欠け、恥も外聞もないやり口だが、これが欧米列強式なのだ。

それでも、欧米列強の植民地をまぬがれた国があった。日本とタイである。この時代の日本は覇気があった。日本の若き指導者たちは、明治維新を成し遂げ、「守り」から「攻め」に転じたのである。「守る」だけでは「植民地化」はさけられない、それはインドと中国が証明していた。

攻撃は最大は防御なり・・・日本は列強の一員になろうとしたのである。

日本がまず注目したのは朝鮮半島だった。

朝鮮半島は、大陸進出の橋頭堡として欠かせない。ところが、朝鮮半島を狙うのは日本だけではなかった。清朝(中国)とロシアである。もし、朝鮮半島が制圧されたら、日本は橋頭堡が築けない、どころではない。逆に日本が侵略される可能性もあった。事実、13世紀の元寇では、モンゴル軍は朝鮮半島を拠点に侵攻している。

つまり、この時点で日本の安全保障をおびやかすのは、清(中国)とロシアだった。そこで、日本は日清戦争で清朝(中国)を破り、つぎに日露戦争でロシアに勝利した。そのとき、満州鉄道の権益も得ている。さらに、第一次世界大戦では、連合国側で参戦し、戦勝国に名を連ねた。連戦連勝、日本はアジア唯一の列強にのしあがったのである。

これを見た中国の指導者たちは焦った。清朝では、この時代は乗り切れない。そこで、中国で3つの革命がおきたのである。その延長にあるのが、現在の中華人民共和国なのだ。

ところが、日本の台頭に危機感をいだく国があった。米国である。そして、1940年、決定的事件がおきる。大日本帝国が「大東亜共栄圏」をぶち上げたのだ。

「大東亜」とは、具体的にはモンゴル、中国、朝鮮、台湾、日本。概念的には、パミール高原と、アムール川の河口と、ソンコイ川の河口を結ぶ三角地帯である。一辺が5000kmを超える広大な地域だ。現在は、東アジアまたは極東とよばれている。

この「大東亜」で共存共栄しましょう、が「大東亜共栄圏」なのである。

これで、なぜ、米国は目くじらを立てるのだ?

表向きは「共存共栄」だが、深層は・・・

大東亜を欧米の植民地から切り離し、大日本帝国式の新秩序に組み入れる。つまり、「大東亜共栄圏」とは、大日本帝国を盟主とする巨大連合国家だったのだ。

日本はイギリス同様、資源がない。いわゆる「持たざる国」だ。そこで、イギリス同様、世界中に植民地をつくり、経済ブロック圏を構築しようとした。東南アジアには石油やゴムなど貴重な資源がある。その資源を囲い込んで、日本に独占的に供給する。つまり、大東亜共栄圏は、ただの「経済圏」ではなく、国家安全保障に直結する「生存圏(レーベンスラウム)」だったのである。

そして、重要なのは、大東亜共栄圏の「秩序」は日本人の価値観にもとづくこと。つまり、すべてが「大日本帝国式」。事実、1938年、総理大臣の近衛文麿が「東亜新秩序」なるコトバを用いている。

一方、大東亜共栄圏は欧米列強の植民地よりマシ、とする向きもある。共存共栄が第一で、対等だったというのだ。しかし、同時代の満州国(大日本帝国の傀儡政権)をみるかぎり、そうとは思えない。EU型というより、欧米列強型だろう。

というわけで、大東亜共栄圏は第二の「世界の警察」を意味していた。元祖「世界の警察」の米国にしてみれば、面白いはずがない。とはいえ、戦争(太平洋戦争)を起こしてまで、潰す必要があったのだろうか?

じつは、米国は、今も昔も「太平洋は自分の海」だと思っている。だから、太平洋の制海権を手放すつもりはない。

ところが、大東亜共栄圏が成立すると・・・

太平洋の東側は米国だが、西側は北半球から南半球まで大東亜共栄圏のもの。大日本帝国の艦隊を殲滅しないかぎり、太平洋の制海権はえられない。もし、日本艦隊が太平洋を渡り、アメリカ西海岸に到達したら、どうするのだ?米国本土は日本海軍の空爆の脅威にさらされる。だから、戦争をしてまで、大東亜共栄圏を潰したのである。

ところが、あれから80年経って、大東亜共栄圏を凌駕する巨大連合国家が姿を現した。中国の「一帯一路」である。

■一帯一路

「一帯一路」とは、「一帯」と「一路」の合成語である。

「一帯」は中国から中央アジアを経てヨーロッパに至る「陸のシルクロード」。「一路」は中国から東南アジア、インド洋を抜けて、アフリカ東岸に至る「海のシルクロード」である。

つまり、「一帯一路」は現代版「シルクロード」?

悠久のロマンを感じる、なんて悠長なことは言っている場合ではない。「一帯一路」はただの交易路ではないのだ。ルート上の全エリアが「大中華圏」に併呑される可能性がある。

つまり「一帯一路=大中華圏」。

すぐに米国から非難の声があがった。米国ペンス副大統領のハドソン研究所演説だ。

いわく、中国政府は類を見ない監視国家を築こうとしている。「グレートファイアウォール」でインターネットを検閲し、「社会的信用スコア」で国民を仕分けする。その延長にあるのが「一帯一路」だというのだ。

つまり、国民が当局によって監視され、政府にとって都合の悪い人間が差別される社会。自由競争ではなく中国共産党優先の国家資本主義。チャイナ・ファーストではなく、中国共産党・ファーストの世界なのだ。

たとえば、中国政府はアフリカに多大な投資をしているが、おカネが返せなくなったら、現地のインフラや土地を没収する。昨年、ケニアのメディアにこんなニュースが載った。

「ケニア政府による高速鉄道の債務返済が滞ったら、モンバサ港は中国のもの」(※1)。

経済圏を私物化して、覇権を成し遂げようなんて不届き千万、米国が怒るのは無理はない?

そうでもない。現実は複雑なのだ。

そもそも、政治のしがらみのない経済圏なんて存在しないから。それは歴史が証明している。

悠久のロマンをそそる古代のシルクロードもしかり。

もし、古代のシルクロードがただの交易路だったら、モンゴル帝国のヨーロッパ遠征は年表から消えていただろう。

ことの発端はオトラル事件

13世紀、東ヨーロッパ最強のホラズム王国は東西交易で栄えていた。あるとき、ホラズム王国の町オトラルにモンゴル帝国の使節団が到着した。この使節団がホラズム側に皆殺しにされたのである。

平和な使節団がなぜ?

この使節団には秘密があった。メンバーの中に多数のサルト商人がまぎれこんでいたのだ。

この時代、シルクロードを牛耳っていたのはサルト商人である。サルト商人は狡猾な商売人だった。モンゴル帝国に交易路の安全を確保してもらい、その見返りに、各国の情報をちくっていたのである。つまり、サルト商人はモンゴルのスパイだったのだ。

だから、ホラズム王国は使節団を処刑した。しかし、その代償は大きかった。モンゴルの大軍が、西アジアと東ヨーロッパに侵攻し、主要都市を跡形もなく破壊したのである。

何が言いたいのか?

純粋無垢の交易路も経済圏も、この世に存在しない。かならず、盟主がいて、自分流を押し付ける、それが覇権というものなのだ。

■大中華圏Vs米国

中国の「一帯一路」は「大東亜共栄圏」同様、国家安全保障の産物にすぎない。さらに、中国の監視社会は秩序を維持するための必要悪、と考えたほうがいいだろう(誉められはしないが)。

中国は特異な歴史をもつ。

3000年におよぶ長大な歴史は「農民反乱→王朝交代」の繰り返しなのだ。しかも、王朝間の血統が断絶している。日本の天皇家は万世一系、武家も鎌倉幕府以後、「征夷大将軍=源氏」でつながっている。つまり、日本の支配者は同じ血筋なのだ。

ところが、中国はまったく違う。

中国最後の王朝「清」は女真族だが、その前王朝の「明」は漢族。つまり、清朝と明朝の王統は、「血筋」どころか「民族」が違うのだ。

だから、中国の為政者は、怪しい宗教、反社会的思想を極度におそれる。農民一揆や反乱に発展すると、手がつけられなくなるから。というのも、中国の人口は他とは桁違い。しかも、領土は気が遠くなるほど広大だ。

これだけ巨大なリソースを管理・統治するには、強権で抑え込むしかないだろう。民主主義をかかげ、個人の権利を尊重しよう、なんてきれいごと言ってると、あっという間に政権転覆。そのときは支配者層は皆殺しだ。それが中国の歴史なのである。

というわけで、「中華式秩序」とは「国益>>自由と人権」。「基本的人権=生存権」と考えたほうがいいだろう。

つまり、中華式価値観と欧米式価値観は異質なのである。早い話「水と油」。もちろん、水と油のどっちが正しい、は不毛である。

かつて、大日本帝国陸軍の参謀だった石原莞爾はこう言っている。

大日本帝国を盟主とする東亜連盟と米国との最終決戦が行われる。その勝者が世界を統一するのだ、と。

しかし、このままいけば、最終決戦は「大中華圏Vs米国」になるだろう。

参考文献
・(※1)日経ビジネス2019年3月4日号
・世界の歴史を変えた日1001、ピーターファータド(編集),荒井理子(翻訳),中村安子(翻訳),真田由美子(翻訳),藤村奈緒美(翻訳)
・週刊朝日百科世界の歴史1、朝日新聞社出版

by R.B

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