BeneDict 地球歴史館

BeneDict 地球歴史館
menu

週刊スモールトーク (第404話) ガリヴァー旅行記(1)~世界最古のSF小説~

カテゴリ : 娯楽科学

2018.09.23

ガリヴァー旅行記(1)~世界最古のSF小説~

■神話とSFのはざまで

世界最古の「SF」は?

SFのお約束「超科学アイテム」と「空想科学物語」を尊重するなら、古代シュメールの「ギルガメシュ叙事詩」だろう。ただし、SFというより、世界最古の「物語」なのだが。

「ギルガメシュ叙事詩」には複数のバージョンが存在する。まず、オリジナルの「シュメール語版」。そして、ニネベで発掘された「ニネベ版」。さらに、翻訳版の「アッシリア語版」、「アッカド語版」、「バビロニア語版」。

ややこしい。

でも精査すると・・・

「ニネヴェ版=アッシリア語版」、「バビロニア語≒アッシリア語」、「バビロニア語=アッカド語」。つまり、「バビロニア語版」だけ見ていればOK。

ところで、肝心かなめのMother、「シュメール語版」は?

紀元前2500年~紀元前2300年に成立したはずだが、まだ発見されていない。一方、キーとなる「バビロニア語版」は発掘され、半分が復元された。ところが、第11番目の書版はほぼ復元されている。これは幸運だった。そこに記されていたのは「シュメールの大洪水伝説」だったから

歴史の謎解きはジグゾーパズルのようなもの。歴史の「断片」を埋めていくと、歴史の新しい「知見」がえられる。「還元主義Vs複雑系」を想起させるこのアナロジーは他にも使えそうだ。

古代の「洪水伝説」もしかり。

洪水にからむ情報を集めると、旧約聖書の「ノアの方舟」は「シュメールの大洪水伝説(ウトナピシュティムの洪水伝説)」のコピーであることがわかる。

ちなみに、ここに登場する方舟は「巨大」がとりえのローテク船ではない。大雨や荒波に耐える完全防水の堅牢な巨船。一方、洪水が引くまで浮いていればいいのだから、推進力も潜水力もいらない。つまり浮くだけの潜水艦?

と、ケチをつけるむきもあるが、時代を超えた超科学「オーパーツ」であることは間違いない。

というわけで、ギルガメシュ叙事詩はSF!?

でも、シュメール人にとって「SF」は心外かもしれない。SFは、もとを正せば、荒唐無稽のホラ話。そんな妄想といっしょにしないで欲しい!事実、シュメール王ギルガメッシュは実在した可能性はきわめて高い。

時代が進んで、古代ギリシャの「オデュッセイア」や古代インドの「マハーバーラタ」も「神話」に分類されるが、「SF」のニオイもする。とくに、「マハーバーラタ」は凄まじい。反重力推進飛行体、ポータブル核兵器・・・超科学アイテムがテンコ盛り。戦闘シーンはリアルで「古代核戦争」を彷彿させるほど。

というわけで、「神話≒SF」と言ってもいいだろう。じつは、この説を熱烈に支持する学者もいた。

著名な神話学者ジョセフ・キャンベルだ。彼は米国のTV番組で「スターウォーズ=神話学」を熱く語った。映画「スターウォーズ」は「英雄伝説(神話)」のフォーマットを完全に体現しているというのだ。一方、スターウォーズを制作したジョージ・ルーカスも、ジョセフ・キャンベルの著作を参考にしたとエールを送った。

ちなみに、日本最古のSFといえば、「竹取物語」だろう。9世紀頃に成立したといわれ、明快な「超科学アイテム」も登場する。かぐや姫を迎えに来た飛行体のことだ。その描写は生々しい・・・

「大空より、おりてきて、地上より五尺(1.5m)ほどで、空中停止した」

想像の産物ではなく、実際に見たのでは?

■SF「ガリヴァー旅行記」

というわけで、「世界最古のSFはギルガメシュ叙事詩」は当たらずとも遠からず。

でも、コテコテのSFオタクなら・・・納得できない!(自分がそうだから)

「超科学アイテム&空想科学物語」だからといって、「SF」といえるだろうか?

ハン・ソロとレイア姫が恋仲だから「スターウォーズ」は恋愛映画??

つまり、こういうこと。

神話とSFには共通部品がある。とはいえ、神話の主役は神々で、主題も神々の偉大さを讃えること。一方、SFは主役も主題も「科学(science)」、行くつくところ「空想科学小説」なのだ。

ところが、ギルガメシュ叙事詩にはそのニオイがしない。だから、視点を変えれば、SFかも・・・早い話、なんちゃってSFなのだ。

では、世界初の「本格派」SFは?

ジョナサン・スウィフトの「ガリヴァー旅行記」だろう(個人的見解)。

スウィフトは面白い人物だ。「聖」と「俗」の2つの異世界に身を置き、作家として成功したのだから。

一方、小説も面白い。「ガリヴァー旅行記」は知名度は抜群で、日本でも知らない人はいない(赤ちゃんをのぞく)。ところが、映像作品がふるわない。フルスペックの映画は1本もないのだから。原作は全4篇からなるが、映画では、「小人の国(第1篇)」、せいぜい「巨人の国(第2篇)」まで。理由はカンタン、映画の尺(2時間)では入りきらないのだ。全篇を映像化するには、長尺のドラマしかない。

事実、1996年、米国でドラマ化されている。全エピソードを網羅、とはいかないが、全4篇(小人の国・巨人の国・天空の国・馬の国)が描かれている。原作にかなり忠実で、しっかり作り込まれ、ありがちなB級SFではない。映像作品の最高傑作といっていいだろう。

ところが、どういうわけか、DVD化されていない。以前、NHKで放映されたとき、ビデオ録画してよかった。ところが、その後ビデオデッキが市場から消滅。そこで、ビデオをPCに保存して延命をはかった。今となれば、大変なお宝だ(SFオタクにとって)。

では、「ガリヴァー旅行記」は、なぜ「本格派SF」といえるのか?

ハードとソフトの両面で「未知との遭遇」が描かれているから。

ハード面は、21世紀の現代でも存在しない「超科学アイテム」。ソフト面は、未知の概念が生み出す摩訶不思議な社会習慣。しかも、描写は具体的かつ詳細で、空想や妄想の産物とは思えない。ひょっとして、目撃した?

というわけで、「ガリヴァー旅行記」はSFのカリスマ的作品だが、すべてを堪能できるのは「小説」しかない。

■風刺か皮肉か

小説にはフォーマットがある。

たとえば、「まえがき」。書いた動機とか経緯とか、本筋と関係ないことをクドクド。だから、読む気がしない。ところが、「ガリヴァー旅行記」は全部読んでしまった。含蓄に富んで、面白いから。その一部を引用しよう(※)・・・

「刊行者の言葉」

本旅行記の著者レミュエル・ガリヴァ氏は、小生年来の親友であるばかりでなく、また、母方をとおして親戚関係であるのであります・・・ガリヴァ氏の生まれは、その父君のおられたノティンガムシャーでありますが、直接彼から聞いたところによりますと、家は本来オックスフォードシャーの出であるそうで、現に小生が調べましたところでは、たしかに同州バンベリーの教会墓地に、ガリヴァー家の墓碑が数基ございました。

彼は、レドリッフを引き払います以前に、じつに本書の現行を小生にゆだねまして、その処置はいっさい小生の適当な判断に、一任すると、そういうことでございました・・・文体はまことに平明簡潔でございまして、強いて欠点と申しますれば、著者が、そこは世上旅行者の常でありまして、詳細委曲をつくしすぎているとでも申しましょうか。

だが、しかし、全篇を通じて真実の気はおおいがたく。ことに著者の正直さに対する世評は非常なるものでありまして、現にレドリッフ近郷におきましては、何事にもあれ確信する場合には、ガリヴァー氏の言のごとく真実である、と申し添えますのが、ことわざめいたものにさえなっているようであります。

小生はその後、著者の了解を得まして、数人の大家諸氏に該原稿の内閲を乞い、その忠告によりまして、今これを上梓(じょうし)いたします次第でありますが、少なくともここ当分、本書が青年読者諸君にとって、世上流布の政治政党の雑書類などよりは、はるかに興味深いものであることを信じるものでございます・・・

リチャード・シンプソン敬白

つまり、こういうこと。

リチャード・シンプソンなる人物が、ガリヴァーから、旅行記の原稿を贈与され、出版したという話。もちろん、本当の著者は、実在したジョナサン・スウィフトだ。

人を食ったような語り口だが、本篇もこの調子。描写はすべて鳥瞰図で、どこか達観している。ちまたでは「強烈な風刺小説」の評があるが、ピンとこない(ちゃんと読んだのかな?)。風刺と皮肉は散見されるが、稚拙さ、下品さは微塵もない。心の中でクスクス笑って愉しむ、そんな摩訶不思議な世界だ。翻訳者の中野好夫の筆力も大きいだろう(※新潮文庫版)。

ちなみに、中野好夫は、エドワード・ギボン「ローマ帝国衰亡史」の翻訳者として知られる(全巻ではない)。この書は、中野好夫の集大成といわれ、地味だが(歴史書なので)、叙事詩的な壮大感と、悠久の歴史を感じせる、素晴らしい大作だ。

でも・・・YouTube全盛で、テキスト文化が廃れた今では、見向きもされない。残念ですよね。

本題にもどろう。

史上初の本格派SF「ガリヴァー旅行記」。まず、各篇のタイトルだが、やたら長い。

・第1篇「リリパット国渡航記」(小人の国)

・第2篇「ブロブディンナグ国渡航記」(巨人の国)

・第3篇「ラピュタ、バルニバービ、グラブダブドリップ、ラグナグおよび日本渡航記」(天空の国)

・第4篇「フウイヌム国渡航記」(馬の国)

この中で、「本格派SF」が突出しているのが第3篇「天空の国」だ。

主役は「空中浮遊都市ラピュタ」・・・巨大な磁力エンジンで、空宙を移動し、地上を支配している。時は18世紀、時代を超越した超科学だ。さらに驚くべきは、ラピュタの住人。数学・天文学・音楽以外に興味をしめさない。人間とは似て非なる概念をもつ新種の人類?

ひょっとして、プラトン主義者?

古代ギリシャのプラトンの哲学を崇拝する一派のことだ。五感で認知できるモノは、すべてイデアのコピーにすぎない。イデアとは万物のひな形、テンプレートである。純粋な理論で構成された完全かつ普遍的存在で、劣化することはない。プログラマーなら、イデアはクラスで、それから生成されたインスタンスが現実世界、で一撃で理解できるだろう。

ラピュタの住人は、そんなプラトン主義を彷彿させる。

というわけで、「未知との遭遇」にようこそ!

《つづく》

参考文献:
(※)ガリヴァ旅行記(新潮文庫)スウィフト(著),中野好夫(翻訳)

by R.B

関連情報