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週刊スモールトーク (第398話) テンプル騎士団(1)~十字軍~

カテゴリ : 戦争歴史社会

2018.07.01

テンプル騎士団(1)~十字軍~

■宗教騎士団

キリスト教では、火刑(火あぶり)は「魔女」か「異端者」と決まっている。

魔女は魔女裁判で、異端者は異端審問で有罪になった者。ところが、物的証拠があるはずもなく、「私は見た!」の怪しい証言がすべて。そもそも、魔女なんているわけないし、異端といっても見解の相違だし、冤罪と言っていいだろう。それに・・・百歩譲って、有罪だとしても、火あぶりは割に合わない。

ところが、歴史をひもとくと、もっと凄まじい冤罪がある。罪状は異端・・・ところが、危険な説を触れ回ったわけではなく、もちろん、魔女でもない。むしろ敬虔なキリスト教徒で、悪いことは何もしていない。それなのに、火あぶり・・・しかも、数十人が。

1312年、テンプル騎士団が解体された。

指導者は火あぶりにされ、財産と領地は没収され、組織ごと地上から抹殺されたのである。

テンプル騎士団は、ドイツ騎士団、ヨハネ騎士団とならぶ「宗教騎士団」の名門だった。「宗教騎士団」とは「騎士修道会」のことで、読んで字のごとく「騎士+修道会」。戦場では敵を殺すが、修道院では神に祈りを捧げる、いわば、戦う修道士だ。

本来、修道会は、修道士が世俗から離れて共同生活する場である。起源は、5世紀のベネディクト修道会、聖ベネディクトゥスによってイタリア・モンテカッシーノに創設された。

この会には特徴があった。祈るだけなく「労働」を尊ぶこと。自給自足をモットーとし、信者からの「ほどこし」や「おふせ」に頼らない。修道院は、穀物畑やブドウ畑、さらに道具を制作する作業所も備えていた。ワインを醸造し、村人と物々交換したり、製法を伝授したり、世俗と乖離した孤高の聖職者ではなかったのだ。

面白いのは「働く」に「写本の制作」があったこと。まだ、活版印刷術がなかった時代だ。写本は、新約聖書だけでなく、古代エジプト、古代ローマ、古代ギリシャの古典にもおよんだという。その中には、ローマ皇帝カエサルの「ガリア戦記」も含まれていた。

つまり・・・ベネディクト修道会は人類文明の「地球歴史館」だったのである。

ベネディクト修道会が「働く」修道会なら、テンプル騎士団は「戦う」修道会だろう。でも、本来、修道士は神に仕える身、「働く」は想定内だが、なぜ「戦う」必要があるのか?

汚れ仕事は世俗の軍隊にまかせておけばいいではないか?

理由はカンタン、時代が「戦う」修道士を必要としたから・・・それが歴史に名高い「十字軍遠征」である。

■十字軍遠征

「約束の地」エルサレムは、ユダヤ教徒・キリスト教徒の聖地だった。ところが、7世紀以降、イスラム勢力に占領されていた。というのも、イスラム教徒にとっても、エルサレムは(第3の)聖地だったのである。

そこで、西ヨーロッパのキリスト教国は、エルサレム奪還をもくろむ。多国籍軍を編成し、エルサレムに送り込んだのである。それが「十字軍」だ。

1096年の夏、第一回十字軍がヨーロッパを出発、3年後にエルサレムを包囲した。1099年7月15日に、城内に突入、凄惨な殺戮が行われた。犠牲になったのはイスラム教徒だけではない。ユダヤ教徒も東方正教徒も・・・エルサレムの住民が皆殺しにされたのである。

年代記「フランク人の事績」にはこう記されている。

「殺戮はすさまじく、わが軍の兵士たちは足首まで血につかって歩いた」(※2)

目的は、エルサレムの奪還なのに、同根のユダヤ教徒、同じキリスト教の東方正教徒まで皆殺し!?

一体、何を考えているのだ?

何も考えてませ~ん!

話はそこではなく・・・

エルサレムは奪還したが、イスラム勢力が壊滅したわけではなかった。イスラム側の支配地が一つ減っただけ。本国はピンピンしていた。だから、いつなんどき、再占領されるかわからない。というわけで、守備隊が必要だ。とはいえ、十字軍本隊はあてにできない。遠路4000kmも遠征してきたから、いずれ帰国しなければならない。

では、誰がエルサレムを守るのか?

その前に・・・守るものは2つ。

一つは、エルサレム城塞。強力なイスラム軍をおしかえすのだから、精強な戦士が必要だ(騎士)。

つぎに、エルサレム神殿。聖なる神殿を守るのだから、粗野な兵士では困る。信仰の厚い聖職者が望ましい(修道士)。

というわけで、聖地エルサレムを守る資格があるのは「騎士+修道士」。そこで、「騎士修道会=宗教騎士団」が創設されたのである。

エルサレム占領後、多くの宗教騎士団が設立されたが、ヨハネ騎士団、テンプル騎士団、テュートン(ドイツ)騎士団が有力だった。中でも、テンプル騎士団とチュートン騎士団は、精強な兵団としても知られていた。

テンプル騎士団は1119年に創設されたが、一風変わっていた。「戦い」にくわえ「金儲け」にも長けていたのである。金融業で大成功し、広大な領地を所有し、莫大な資産を蓄えていた。それが災いして、哀れな末路をとげるのだが。

■テンプル騎士団

キリスト教徒にとって「エルサレム巡礼」は神聖な儀式だった。とはいえ、西ヨーロッパからエルサレムまで4000kmもある。しかも、見知らぬ異郷の土地を旅するのだ。イスラム教徒に襲撃されたり、山賊に略奪されたり・・・だから現金を持ち歩くのは、カモがネギ背負って歩くようなもの。

そこで、テンプル騎士団は巡礼者相手に銀行業をはじめた。巡礼者が、本国でお金を預け入れて、行き先で払い戻す。預金通帳のようなものもあっただろう。これなら現金を持ち歩く必要はない。

この銀行業で、テンプル騎士団は莫大な資金を集めた。それだけではない。テンプル騎士団はローマ教皇直属の組織、つまり、ピカピカのカトリックブランドなのだ。そのため、ええかっこしいの西ヨーロッパの王侯貴族は寄進をおしまなかった。

さらに、テンプル騎士団は資産運用も抜かりはなかった。ヨーロッパ各地に広大な土地を購入し、教会や城砦を築き、ブドウ畑や農園をつくり、ワインや農産物を販売した。

つまり、テンプル騎士団は戦う修道会というより・・・

稼いで(カネ)、支配して(領地)、戦う(軍隊)、「世俗の王国」だったのである。

とすれば、生来の「世俗の王国」はだまってはいない。ライバル以外の何ものでもないのだから。

やがて、テンプル騎士団に逆風が吹きはじめる。

まず、フランス王室のテンプル騎士団からの借金が膨れ上がっていた。返せる見込みがないほどに。「フランスの国庫=テンプル騎士団」という有様で、フランスは借金で首が回らなくなった。それを苦々しく思っている人物がいた。フランス王フィリップ4世である。眉目秀麗だが、冷酷で危険な人物だ。

さらに、イスラム勢力との戦いも悪化していた。

エジプトからシリアに、強力なイスラム教国が誕生したのである。アイユーブ朝とそれにつづくマムルーク朝だ。アイユーブ朝は英雄サラディンが創始した王朝で、マムルーク朝は無敵のモンゴル軍を撃退していた・・・つまり、イスラム軍は強かった。

マムルーク朝でカラーウーンがスルタン(王)に即位すると、シリアへの攻勢を強めた。シリアの十字軍国家は次々と陥落していった。残されたのはアッコのみ。エルサレムの北方150kmにある最後の砦だ。

1291年、アッコは陥落した。こうして、十字軍国家はシリアの拠点をほぼ失った。

そのとき、キリスト教国で非難の声があがった。

テンプル騎士団は何をしているのだ!イスラム軍に連戦連敗、でも商売は繁盛って、どーゆーこと?

「戦う」修道会なんてチャンチャラおかしい、「チャリンで金儲け」の修道会じゃないか!と言われたかどうか知る由もないが、「テンプル騎士団=堕落した修道会」が定着してしまった。テンプル騎士団の「財宝伝説」はここに由来する。

狡猾なフィリップ4世はこれを見逃さなかった。

ムフフ、今ならテンプル騎士団を葬り去って、誰も文句はいわない・・・

こうして、暗く、陰湿で、巨大な陰謀が始動したのである。

《つづく》

参考文献:
(※1)週刊朝日百科 世界の歴史 朝日新聞社出版
(※2)世界の歴史を変えた日1001 ピーター ファータド (編集), 荒井 理子 (翻訳), 中村 安子 (翻訳), 真田 由美子 (翻訳), 藤村 奈緒美 (翻訳) 出版社 ゆまに書房

by R.B

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